2013年12月29日日曜日

2013 年

はい.毎年恒例の「一年を振り返って」です.

相変わらず,この日記は,日記を名乗っているにもかかわらず,日記としての機能を果たしていないので,非常に優秀なタイムログであるところの twitter を眺めながら振り返ります.

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1 月:なんか,卒論書いてた.あと自分の撤収で忙殺されていた.そして,就職がらみの書類書いたりなんだり.
2 月:「辞める」という事実を前にして居ることと,目の前の残務の膨大さにハイアンドローを繰り返す日々でした.まぁ,こんな感じ
3 月:膨大な残務の処理のストレスを「ARIA」で癒す日々.この時期,本当に,「ARIA」を見ていなかったらストレスで死んでた気がする.この想い出とともに,「ARIA」は,俺の中の至高のアニメリスト入り(ほかのリスト入りアニメは「かみちゅ!」とか「とらドラ!」とか「電脳コイル」とか).あと,就職後の住居が決まらなくて 2 回くらい仙台-札幌間を往復するはめに…….
4 月:就職.しかし,就職先が研究機関なため,なんか色々と拍子抜けをする.あと,札幌寒過ぎと思っていた.職場では,半分くらいは新人研修だったり,某機関へ研究申請書類を出したり,自己紹介的な発表をしたりしていた気がします.まぁ,その時期には,こんな感じでした.
5 月:職場にだいぶ慣れた気がします.出張とか行きはじめたし.
6 月:NTR 研の札幌出張所として機能し始めたり,出張が多くなってきたり,新しい自分の研究テーマを模索しはじめたり,こんなこと思ったり.このころには,ある程度,仕事をするという生活のリズムは掴めるようになっていたと思う.
7 月:出張の想い出しかないかもしれない.
8 月:出張行ったり,自分の調査に行ったり,アドバイザリーボードの仕事をしたり,師匠に論文をせっつかれたり.
9 月:出張行って,後輩の結婚式に出席して(青森),出張行って,地質学会で仙台に顔を出して,出張に行ったら,一月経っていた.
10 月:前半は出張でつぶれて,後半はいろいろ仕事も振ってもらえるようになってきた.あと,この月から正式採用に(試用期間の半年修了).旭川で大雪に見舞われたのもこの月だったような.
11 月:冬になる前の駆け込み出張がいくつか.いろいろ,貴重な現場の見学なんかもいくつか行った.
12 月:師走.この時期が忙しいのは例年通り.とりあえず,就職した年は終わっていくのでした.

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それでは,みなさま,良いお年を.

2013年12月23日月曜日

年は暮れ行く

今年もあと一週間となりました.

短かったような長かったような.まぁ,まだ,今年を振り返るのははやいかなと思いますので,それはまた,別の機会に.

取り敢えず,今週中に,今年購入した本とか,今年見たアニメとかのまとめをしておこうかと思います.今日は,色々疲れたのでしませんが.

2013年11月29日金曜日

三年振り

ゆーきやこんこ あられやこんこ♪

……そんなわけで,とうとう,北海道の冬が本格的にはじまってしまったのでした.実に,三年振りの北海道の冬です.雪なのです.

仙台も,まぁ,寒い土地ではありましたが,基本的に雪が降ることがないので,それは,まぁ,お気楽な冬を過ごせていたのですが,札幌は,(最近,温暖化で冬期の平均気温が上がってきているといっても)この雪の量が大変です.自転車も乗れなくなりますしね.

今年は,雪が遅いなぁ,などと油断していたら,この有様です.まぁ,今月のはじめ頃にもどか雪はあったようですが,そのときは,道東の某所に出張に出ていて,難を逃れたので,本格的な雪は,今回が今年初です(その前に,旭川で一回吹雪を食らっていますが……).

初冬は,日が短いし,寒いし,枯れ木が目立つので,気分が落ち込みがちになりますが,雪が積もる時期になると,明暗のクッキリしたモノトーンが広がるので,いくらか明るい気分になるものです.

2013年11月24日日曜日

冬の始まりは

サン=テグジュペリが読みたくなる.

初雪から雪が路面に根付くまでの短い期間.秋の落ち葉が乾燥して,冷たい風に舞う頃.朝の清廉な空気が肺腑を凍てつかせない頃.

なんとなく,昔からの習慣で,季節に応じて読みたくなる本や作家がいるのですが,初冬の頃には,何故かサン=テグジュペリが読みたくなります.「夜間飛行」,「人間の土地」,「南方郵便機」,「戦う操縦士」…….「星の王子様」は,狙い過ぎなので,あんまり好きではありません.

例年,一冊,この時期に読み直しているわけですが,今年は何にしようかなと,本棚を漁っています.何となく,「南方郵便機」かな,とか.

2013年11月10日日曜日

非公式ウェブサイト

ひこうしきなーらーでーきることー♪(「わたしにできること」のサビのメロディで)

……ということで,かねてから制作はしていたけれど,公開には至っていなかった自分の非公式ウェブサイトを公開まで持っていきました.この時期に,敢えて作りたくなった理由とか,「非公式」をうたう理由とかは色々とあるのですが,色々とあり過ぎて,自分でもうまく整理できていないし,整理しなくていいと思うので,書きません.

まぁ,そのうち,飽きてろくに更新しなくなる可能性が高いですが,ちょこちょこと記事を増やしていこうかなとは考えているので,ときどき,覗いてみて下さいね.

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なお,この日記にて,このサイトのことを扱うのは,これが最後だと思います.気が向いたら,更新した記事のリンクを貼るかも知れませんが……

2013年11月5日火曜日

サロマ湖の変化,続報

以前,この日記で「『サロマ湖の変化』という小学校の教科書に載っていた説明文が読みたい」という内容の記事を書いたのを覚えている方が居るかどうかは分かりませんが,いくらか反響があったので,続報を.

前回,日記でこの件を触れた後,様々な情報を頂いて,大きい図書館で昔の教科書を探して自分でコピーしてくるしかない,という結論に落ち着いていたのでした.そして,(忙しかったので)特に図書館に行くこともせず,この件は,そのまま放置していたのでした.結局,サロマ湖周辺の地質調査の仕事も一段落ついてしまったので,今日まで,この件に関して思い出すこともなかったわけです.反省してまーす.

で,今日,上記のサロマ湖周辺の地質調査に関する仕事の関係というか,報告書以上論文未満というか,論文にできたらいいなぁ,程度のまとめを考えていて,資料をまとめている過程で,「サロマ湖の変化」の元ネタになったと思われる文献を,偶然にも発見したので,ご報告いたします.

尾崎晃,1972,サロマ湖の湖口水路形成に関する考察,北海道大學工學部研究報告,155-171.
http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/41144/4/68(1)_155-172.pdf

……なんと,意外にも「サロマ湖の変化」の著者である湊先生の研究成果というわけではなかったのですね…….サロマ湖の第四紀の地史部分に引用されている研究も,湊先生のものではないようですし(とはいえ,当時の理学部地鉱の人の研究なので,湊先生がその件に関して知らなかったということもないのでしょうけれど),あの随想は,レビューだったのですね.

……とりあえず,これでこの件をしっかり思い出したので,今週末あたりに図書館に行ってこようかなと思っております…….

2013年10月27日日曜日

まどかマギカ

映画を見てきました(昨日).

……しかし,視聴時に絶望的な勘違いをしてしまっていたせいで,本来受けるべき印象を殺してしまったような気がしてなりません(何故だか,二本立ての「前編」だと思い込んで見てしまっていました.ラストも続きを予感させるような形だったので,視聴後もその思い込みは消えなかったのです.パンフレットを読んではじめて気付いたというオチ).

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映画は,とても面白かったです.ラストには賛否両論あるらしいですが,僕は大好きでした.まぁ,結局,「本編」から続く「すれ違い」は,永遠のものになったのだなぁ,という感慨はありましたが,ガチレズの想いはノンケには永久に届かないっていう百合ものは大好物なので,あのラストでこそできた満足ですw (いや,あのラストがそういうラストだと思っているわけではありませんがw)

このアニメって,結局,「すれ違い続ける二人」を描ききることがテーマだったのかなぁ,と思います.みんな,二次創作とか身勝手な考察とかで勘違いしがちだけど,「本編」のラストって,まどかの(言ってしまえば)身勝手な「アガペー」で(まぁ,神なんて身勝手なものですしおすし),まどかが全てとの縁を切る選択をしたってことになるわけで,実は「ほむらと分かりあえた」って描写はないわけです.ほむらが自分でも数えきれなくなるくらい,一人の普通の少女をまど神(まぁ,分かりやすいので敢えてこの表現を使います)に昇華させるくらい,世界を渡り歩いてきたという事実を目にしたまどかの放つ「ほむらちゃんは最高の友達」という言葉の残酷さが,(映画を見終わったからこそ)引き立つというものです.(「本編」視聴時も)明らかに,一人の少女を助けるために無限ループに身を落とした「感情(それを愛という単純な言葉に入れ籠んでもいいんだけど)」と「最高の友達」との間の埋め難い距離感があったことは明らかで,まど神様は「ほむらちゃんならきっと覚えているよ」なんて,自分の存在や記憶の継承まで「人任せ」なわけです.これって,(ほむらにとっては)非情な言葉だと思います.少なくとも,結局,「まどかを助ける(=非日常に招かない)」願いを果たせないまま自らのうちに芽生えていたであろう無数の感情を無理矢理に押し込めて納得(結果的に,していなかったわけだけどw)させたほむらには残酷極まりないものです.こんなまどかにちょっと似ているのが,マンガ版ナウシカの身勝手(確信犯)で「墓所」を破壊するシーンw

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映画の内容については,多くの人は,ほとんど想定外という展開はなかったと思います(世界の終末を語る早乙女先生とか,「本編」同様,無茶ぶられる中沢くんとか,「ケーキはさやか?」「ちーがーう♪」とか,さやかちゃんの変身シーンのブレイクダンスとか,ひとみの生首とか,さやかがナチュラルに魔女姿に可変とか,\\\\わけがわからないよ//// [大合唱] とか,のシーンの数々は想定外過ぎて劇場で噴きましたがwww).この作品は,話題になり過ぎて,無数の考察や二次創作が溢れた結果,ラスト間近の笑劇のシーンですら,「変態ほむらさんが,円環の理の瞬間を待って,まどかを現実世界に引き戻してペロペロ」みたいな二次創作をいくつか見た記憶がある程ですw そもそも,「本編」で唯一の「魔女がいた世界」の人間であり,まどかが神になれるだけの量の「業」を同じだけ溜め込んだ存在としてのほむらをどう昇華させるのか,という解決策はそう多くのアイディアがあるとは思えません.悪魔を自称しはじめたのは流石に笑いましたがw

あと,いい意味で二次創作(公式,非公式)で一人歩きしたイメージを上手く取り込んだファンムービーにもなっていたことには,素直に感心しました.例えば,いちばん目立つ部分で,マミさんとべべ(シャルちゃん)のカップリングとか,さやかがまど神のお手伝いとか,細かいネタは無数に散りばめられていたと思いますが,(どこまで意図していたかは置いておいて)ファンにサービスを,という部分は,凄く熱く伝わってきました.そもそも,あの五人が仲良く敵と戦っているっていう,多くのファンがいちばん見たかったであろう姿をほむらの妄想として(←ここ重要)描いたっていうのは,ほむらの想いを描く方法としてもファンサービスとしても煌めいていたと思います.

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(明らかなアガペーの体現者であるまどかに対して)悪魔ほむらちゃがエロースだと思うのは,まどかの精神の一部,それも肉体を持っていたときの部分だけを手に入れて満足していることからも明らかだと思います.ようは,彼女はまどかの精神性(の大部分)はいらないわけで,アレを友愛の延長というのは無理があると思うのです(自分の世界の中に作った「まどか」に自分の思い込み [本当は神様になんてなりとうなかった!] を語らせているあたりのヤミ具合とか).そもそも,イヤカフが素敵な艶姿も嫌が応にも「情欲」を意識させるものですし,なにより全てが(声も!)エロかったからです!

そんな風にまどかの肉を手に入れた悪魔ほむらちゃが,最後に身を投げた(ように見える)のは,すべての感情を描かないことでラストに素晴らしい余韻を残していたと思います.あれは,「自分に怯えるまどかをみて根本的な『すれ違い』に気付いてしまった」と解釈しようが,「結局,まどかを手に入れられなかった悔い」と解釈しようが,「自分の間違いに気付いた」と解釈しようが,「全てが叶った幸福のうちに死を選んだ」と解釈しようが,美しく解釈されればそれでいいのだろうと思います.個人的には,「私はまどかをこんなに愛していたのに,まどかの愛は私の愛と違ったのね.でも,私が死んで永久に私の作った世界でまどかは永遠に私のいない私の中で一人,生きていくの.ウフフ」と勝手に解釈します.ノンケに受け入れられなくて絶望するレズおいしいです(^p^)

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インキュベーターさんが,科学者の鑑過ぎて,マジで尊敬しそうになりました.ほむらの戯言から「円環の理」を理解できるかもしれないという発想力,そのためにソウルジェムを物理干渉から隔離して,円環の理を観測しようとする実験アイディアとその実行,観測ができれば干渉ができるかもしれない,干渉ができれば制御できるかもしれないという揺るぎない信念と,宇宙の維持という己の目的に純粋な精神,感情の力を目撃した瞬間に「これを扱うのは危険すぎる」と即座に判断できる才覚,自分の理解できない現象に関して「わけがわからないよ」と認められる率直さ,それでも,なんでもボロボロになりながらも最後の瞬間まで観測を続ける根性……素敵すぎます.ベェさん,マジパネェっす.

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とにかく,面白い映画でした.

2013年9月28日土曜日

もろもろ

もう若くないと思いました.

とうとう 30 歳になりましたとさ.30 歳になったからといって,何かが変わるわけではなく,ただ,連綿と続く時間の中で生きているだけなので,どうもこうもありません.ただ,確実に体力は下り坂にはいったんだなぁ,ということを痛感させられるばかりの日々であります.

取り敢えず,節目の年になると,日本人は,思い出したかのように,孔子の人生についての回顧を引用し始めるものですが,「三十にして立ち」を「30 歳で(研究者として)独り立ちする(自立する)」と読むのであれば,中途半端ではあるものの孔子にはおいていかれていないといえるかも知れません(そもそも,2500 年前の,東アジア全体の根本をなす思想の基礎となった人物の生涯に己をなぞらえるなんてばかばかしいにも程がありますが).まぁ,去年の今頃は,マジで死にかけていたわけですが,諸々の運とタイミングが自分に味方してくれた今となっては,それもまたひとつの道程なのだといえるかも知れません.

なには,ともあれ,向こう 10 年はがむしゃらに生きていこうかと思います.

2013年9月7日土曜日

パヤオ氏の引退とか

まぁ,本当かどうか分かりませんけれどw それこそ,「長編を撮るのをやめるとは言ったが,100 分の中編は撮る」とかいう 2ch のレスにありそうな展開も普通にありそうだと思うわけですが…….

ちょうど前回の日記でもちらっと触れたんですが,僕は,特に宮崎アニメの(内容の)ファンというわけではないので,そういう意味では,特になんという感慨もないわけですが,あの映像を見られなくなるのは残念だな,と思わないではありません(……とはいえ,最早,宮崎駿自身が全盛期の「映像」を作れなくなっているようなので,引退しようがしまいが,そもそも,もう見られないのかも知れませんが).

アニメは,静止画ではなくて動画なので,カメラという概念があって,しかも,それを物理的な制約なく,好き放題に動かせる,ということに凄く執着していたのが日本のアニメの歴史で,かなりの長期に渡って,そのトップランナーだったのが,宮崎駿だったというのは,誰がいう必要もない厳然たる事実だと思います.映画史的にいえば,ハリウッドですら「アニメのカメラ」を真似して撮影技術を磨いたなんてこともありました(代表的でかつあからさまだったのが「マトリックス」ですが).しかし,まぁ,少なくとも,ここ十数年の日本のアニメの映像は,宮崎駿をだいぶ「過去の人」にしていましたし,映像作品の制作の上で最も重要な演出という面では,(特に感情の描き方で)宮崎駿は光っていたわけではないので,淘汰されていくのは当然の時代の流れともいえるでしょう.宮崎アニメは子供向けアニメであったからこそ,人を描く必要なんてなかったわけですし(宮崎アニメの人物って,凄く直線的で魅力に欠けると思うのです.人としての面白みが全くないのです).そういう意味では,彼のアニメ作品はキャラクターが空っぽな萌えアニメに通じるところがあるのだと思うわけです(なんて書くと,怒られそうだけど,そもそも,アニメを「萌え」云々「物語」云々で語ること,区別すること自体がナンセンスだと僕は思うので悪しからず).

それでも,時代がこれだけ宮崎駿を過去の人にしても,なお,新作が封切られると何百万人もが金を払って彼のアニメを見に行くのですから凄いことだと思います.アニメなんてほとんど見ないくせに宮崎アニメだけは見るなんて気持ち悪い人もいるくらいですから,宮崎駿の作り上げた歴史,ジブリというブランドは,心の底から凄いと思います.それはもう,彼が追悼文に悪口を書きつらったくらいその才能に嫉妬していた,手塚と同レベルか,もしかしたら,彼以上に偉大な人物になったのかも知れません.皮肉っぽい書き方になってしまっていますが,まったく皮肉じゃなく,そう思います.

たぶん,手塚治虫と同レベルで畏怖される漫画家が現れないのや黒沢明と同レベルで敬服される映画監督が現れないのと同様に,宮崎駿と同レベルで語られるアニメ監督なんて,未来永劫現れないでしょう.それだけのオリジナルを周知した人であるのは紛れもない事実で,それが終わるというのは,いくら新しい時代がきても寂しいことです.しかし,まぁ,彼の人の場合は,死んだわけでもないので,今後,また,なにか面白いものを見せてくれることを,いまは期待しておくのがいいのかも知れません.

2013年8月29日木曜日

Le vent se lève, il faut tenter de vivre.

……というわけで,風が立ったので「風立ちぬ」を見てきました(実際に見たのは 7/23 ですが,感想を書きかけたまま,とくに忙しかったわけでもないのに長らく放置していました / 反省).

なお,私は,大の堀辰雄好きですが,「いざ生きめやも」は誤訳じゃねーの派です.東大の国文科出てる人間に間違いを指摘できる校正者が居なかったのではないかと邪推している次第です.

※これは,特にジブリ好きではなく,敢えて「風立ちぬ」(と名付けた作品)であり,「堀辰雄」の名を映画宣伝に関しているからこそ食いついた堀辰雄好きの感想であるということが重要です(たぶん).

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さてさて,肝心の感想ですが,一言でいうと「面白かったか面白くなかったかでいうと,面白かったが,よかったかよくなかったかでいうと,よくなかった」という感じです.自分でも,なんとも曖昧な感想だと思いますが,そういう表現しか思い浮かびません.これでも,いちおう,肯定的な感想を言ったつもりです.

そもそも,鑑賞に挑む態度で,よくなかったなと反省しているのは,この映画が堀辰雄的な意味で「風立ちぬ」だと思ってしまっていたことと(もちろん,本物の原作は映画化発表前から知っていたんですが.キャラが動物のやつ),「技術者を描いた映画」と思い込んでしまっていたことです.だって,映画のポスターの「それらの夏の日々」感が半端なかったんですもの…….そして,堀越二郎の名前が挙げられているんですもの…….

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基本的に,宮崎駿のアニメの良さっていうのは,(あくまで個人的にですが)誰もが曖昧に形にならない状態で夢想している「なにか」を,ばっちりと「絵」にしてしまった凄みと,その「絵」を動かし,抉るように映すカメラカットの巧みさ,動きに合わせてグイグイ回るカメラワーク,あたりだと思います.ストーリーとかそういうものに関しては,一流だとは思いますが,その中で頭抜けているとは思いません.やっぱり,それを「絵」や「動画」に落とし込む段階に,宮崎駿の頭抜けた才能があると思うわけです(※個人の感想です).

そういう見方でいうと,この作品は,ほとんどのシーンが「枯れて」いました.どのシーンも,かつて,どこかの宮崎映画(か,宮崎フォロワー的な作家の作品)でみたようなありきたりなものばかりだったと断言できます.なにしろ,「宮崎映画の映像としての醍醐味である」とよく論評される「空を飛ぶシーン」ですら,本作品ではちっとも面白みのない絵になっていたくらいですから,彼の「枯れ」はだいぶ進行しているといえます.とくに,冒頭の主人公が奇怪な飛行機に乗って街の上空を飛び回るシーンの(絵としての)つまらなさは,ジブリの黒歴史に残るレベルでした.

本作で,絵や動きとしていちばん面白かったシーンは,断然,関東大震災発生のシーンです.この街がうねるカットについてだけは,いつもの宮崎駿の「醜悪なものを描く才能」がいかんなく発揮されていたと思います(……とはいえ,日本地図が登場して想定震源から同心円が広がるカットについては,あんまりにも呆れ過ぎて一人で大爆笑してしまいましたが……).

あと,「動き」でよかったのは,主人公の妹の幼少期の仕草の描き方です.階段を登る仕草,兄に話しかける仕草,全てが「史上最凶のロリコン」と呼ばれる宮崎駿の真骨頂といっていいレベルで完璧でした.パーフェクト.

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技術屋,または,技術屋を描くということについて.

結局,ただの機械マニアには,「技術者」のことなんてこれっぽっちもわからねーんだろーな,という寒々しい感想しか残りませんでした.あれです,僕(本業:かせきはかせ)が妄言を吐いている不勉強な化石マニアを見ているときの気分に,ちょっとだけ似ています.ただの機械マニアなら,己の妄想を緻密に「それらしく」描くことに情熱を燃やしている松本零士御大とか,「配線って美しいだらう」とでも言いたげに,ひたすら電線を執拗に描いた庵野とか(序のヤシマ作戦)のほうがよっぽど "マシ" です.

巷では,いち「アニメ制作者」宮崎駿が,いち「技術屋」の生涯に仮託して自伝的な映画を撮った,というような論評を見掛けますが,少なくとも僕には,「自分の姿は堀越二郎くらい偉大で美しいんだ」という,尊大な自意識のもとに鏡に映った自分で自慰をする姿を見せつけられるような,強烈なナルシシズムしか感じられませんでした(※あくまで個人の感想です).

「技術屋」の描き方については,本庄と課長がいたから,まだ,マシだったというくらいで,ちっとも面白くはありませんでした.なんというか,たぶん,宮崎駿の機械オタクとしての生半可な堀越二郎に対する敬意が,彼の仕事,苦労,努力を「バカにしている」というレベルまで陳腐な描き方を選ばせている,というような,不可思議な描かれ方をしているのでした.

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映画の本題,というか,「死」の描き方,または,「風立ちぬ」というタイトルの所在について.

死って,そんなに「美しい」ものじゃないって思うのですよ.堀辰雄の「風立ちぬ」が美しいのは,「それらの夏の日々」であって,それが美しいのは,流麗な堀辰雄の文章に彩られた K 村の風景,節子,詩のような思索,陰惨な現実としての「死」が静かに控えていようともなお生きている,その瞬間であって,死ではないわけです.死が本当に美しいものだったら節子は「私,なんだか急に生きたくなったのね……」なんて言わないし,残った作家はリルケのレクイエム程度で「生きよう」なんて思えない.そのぐらい死は残酷で醜悪なものなわけで,「美しい時」だけをみて,「夢」のような世界で,花に囲まれて美しい光になって散るなんていう描写をされていいものではないのです!あのラストシーンのせいで,前半の,悪趣味なほどに醜く,汚らしく描かれていた(そして,宮崎駿の性格の悪さを存分に表現していた)関東大震災が白々しく感じられました.

「ポニョ」あたりから,若干,感じていたことではあるのですが,宮崎駿は,死ぬのが怖くなってきたんじゃねーのかな,とか思うのです.そのせいで,「死を美しくしか描けなく」なったのじゃないかと…….少なくとも,この映画からは,過去にアシタカにバサバサ殺されるモブを描いたり,死に往くライ病患者に手を差し伸べるエボシ御前の美しさを描いたりしていた宮崎駿の欠片はひとつも残っていませんでした(「もののけ姫」ばっかw 結局,僕は,彼のアニメでは「もののけ姫」しか好きではないのかもしれないのですが,それは,また,別な話w).

もし,菜穂子の死ぬシーンが,痩せこけて血反吐を撒き散らしながら,窪んだ眼で主人公(の幻影,でも可)を見つめるというものだったら,いや,死ぬシーンは花に散っていたとしても,一度でも血を吐きながら,苦しみで顔を歪めながら「(その苦しみが続くとしても,一秒でも長く)生きたい」というシーン(=「私,なんだか急にいきたくなったのね」に比定)があったなら,もう少し,"マシ" な映画になっていたんじゃないかな,と思うのです.

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この映画で唯一,僕が泣きそうになった(というか,泣いた)のは,関東大震災で焼けだされた本庄と無数の文献,そして,めちゃくちゃになった研究室,というシーンでした.あのシーンは,2 年半前,無数の文献に沈んだ居室,砕け散った顕微鏡類,割れたビーカー……,それらを眺めながら,なんとも言葉で表現できない複雑な感情に駆られた,あの日のことを思い出してしまいました(ネガティブにもポジティブにも).

最後に,庵野について.

個人的には,お世辞にも上手くはなかったけれど,演技の意図しているところはよくわかったし,外してはいなかったと思いました.まぁ,20 代の主人公の声をやるには「歳を食い過ぎている」とは思いましたが…….個人的には,監督・演出家としての庵野のスタンスが,彼の演技から読み取れるかな,と期待していたんですが,完全に,ジブリ的演出に従って演技をしていたので,そのあたりは,残念だったなと思います.

僕が,この映画に望むことは,ほんの少しでもタイトルを切っ掛けに「風立ちぬ」に興味を持つ人が現れて,ほんの少しでも,堀辰雄の書く文章の,世界の美しさに魅了される人が現れてくれることだけです.それ,だけです.


なーつやーすみー(某きりりん氏の秋葉原の節で)

先々週まるまる夏休みを取ったので,(元所属研究室の面々と)調査に行ってきました.まぁ,休みを取っても,やっていることは普段と変わらないわけです.はい.

今回の調査は,自分の関わっていた仕事を引きついだ学生の指導とかそういうのがメインだったので,実働はほとんどなく,お気楽なフィールドでした.

しかし,自分が年を取ったことを実感する出来事もあり,なんだか,複雑な気分です.休みを取る前にビッチリ出張に出ていたとはいえ,たかだか数日,水浴び(調査)をしただけで風邪でダウンしてしまうとは思わなかったです.ええ.

その日は,朝から微妙に体調が悪かったんですが,試料の採集をするのにラッカーで目印をつけていて,ラッカーの揮発成分を吸い込んでさらに体調が悪化.水に浸かってサンプリングをしているうちに悪寒に耐えきれなくなり,師匠に「ギブ」と伝えて車で休養を取ろうとしたら,耐えきれずにゲロりました…….世界に地質屋がたくさんいたとしても,フィールドでゲロッたバカはそうそういないだろうと思います.ええ.

(……と思ったけど,前日,アホみたいに飲んでフィールドに出てゲロッてる地質屋はそんなに少なくないような気もするw)

2013年8月7日水曜日

宙ぶらりん,幻想

とても空虚な夜.

ふと,曇の溢れ返る空に照り返す街の灯りが曖昧な形を持って夜の街を転写するとかなんとか,はたまた,しとしとと降る小雨の一粒ひとつぶに,見上げる己の姿が転写されるとか.

振り返って紙束.座布に戻って捲る.斜め 27 インチまで 27 センチ.眼に悪い.頭が悪いのは世話がなく,眼が悪いのは商売柄致命的.

ぱちぱちと,パチパチと.論理的思考に追尾するきいぼおどの乾いたような湿ったような音が,緩やかに歌うアニメソングの不協和音とポリリズム.リズムもなければコードもなくて,騒音と 6000 万年前の海洋がランデブー.ランランと思考が踊るデブ.

とても空疎な夜.

2013年8月4日日曜日

マンガ読册

「ぱら☆いそ」 2 巻 道満晴明

道満先生の4コマ劇場,最終巻.基本的にはとても面白いけれど,道満先生の真骨頂はやはりショートだと思うので,快楽天での「性本能と水爆戦」シリーズの連載が終わって,惰性で読んでいた部分も多かったものの,やはり,面白い.……というか,セリフの破壊力がヤバい.

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「分校の人たち」 1 巻 山本直樹

(意識的に大人が不在の環境で)少年と少女(×2)が,ただ快楽に溺れていく様を,淡々と,連綿と,ただ描写する作品.

面白いとか,面白くないとか,そういう感覚ではなくて,絵だけで微妙な感情の機微を描くことを目指してるのかな,という感じ.セリフだけで,心情描写もほぼないけれど,なんとなく,絵から三人の登場人物の関係がホロホロと崩れていく様子が読み取れる,詩的な作品.

この作品,要は,ただの児ポなんだけれど,「絵」でこういう少年少女の感情の機微を表現するってことが問題になる,規制されるんだとすると,少し残念というか…….基本的に対児ポ法論客(笑)の「表現の自由への侵害を許すな!」的な論調は,(自由という意味をはき違えている時点で)阿呆極まりないと思うけれど,「絵」で描かれている,というだけで,多くの文学作品,例えば「青い麦」などと,少年少女と性の出会い,その感情の機微をテーマにしているという意味で根本的な違いがないのに,「絵で描かれているもの」だけが消えていくのは,無情なりと思わないではないのです(基本的には,多くの児ポ法反対派の阿呆さ加減に呆れている派.そして,そんな阿呆を擁護するくらいだったら法律成立も致し方ない派).

2013年7月31日水曜日

かったった

作った図を印刷して確認するために自宅用にプリンターが欲しかったので(以前持っていたのは引越し時に後輩に押し付けてきた),某量販店で物色していたら,自宅用にスキャンスナップ的なものとか普通のスキャナーとかも欲しくなったので,結局,全部複合したマシーンを購入.

2013年7月27日土曜日

サロマ湖の変化

このタイトルにピンと来たら僕と同世代か,僕より上の世代です.つまり,おっさん(おばはん)です.

最近,なんとなくサロマ湖周辺の地図を眺めることが多いのですが,そんなときに,ふと,このタイトルの随想というか,論評というか,小学校用語で言うところの「説明文」を唐突に思い出しました.小学校高学年の頃に,そんなタイトルの文章を読んだ記憶と,いわゆる「説明文」なのにロジカルではなくて,たぶんに情緒的な文章だったせいで,非常に難解な(というか,教育的でない)文章だった記憶があります.

いわゆる「情緒」というか,「文学性」を大事にする,小林秀雄のような評論文学すら好んで読んでいた僕が,いまだに「変な文章だったなー」と思い出すくらいの奇妙な小品で,そんなタイトルを思い出してしまったので,少し調べてみました.

その結果,分かったのは,教育出版の小学五年生の国語の教科書に,昭和 49 年度版〜平成 4 年度版まで「説明文」として掲載されたものであること,著者が湊正雄という人であることが発覚しました.

湊正雄.

…….

それが判明した瞬間に,当時からいままで感じていた違和感の正体が分かりました.いまでこそ,例えば,「地層学」の文章のような湊先生特有の,「情緒ある地質」の味が分かる年になりましたが,クリーンなロジックに清廉性を見出していたような純粋で素直だった小学五年生のころの自分には,到底,相容れない「美」であっただろうな,と…….

そんなわけで,色々,調べてみたのですが,どうにも「サロマ湖の変化」の出典がはっきりしません.しかし,湊先生の文章だと分かった今,もう一度読み直してみたくて堪らない現状です.

だれか,ご存知ありませんか?

2013年7月16日火曜日

最近,千葉の聖地化が著しい件について

最近,アニメを眺めていると,初めて見たアニメのはずなのに「どこかで見たことがあるシーン」に出会うことが多くて不思議に感じていたのですが,千葉を舞台にしたアニメが増えているのですね…….僕が,千葉に住んでいたのは,かれこれ 10 数年前になるので,すぐに記憶が直結しないものの,記憶ののど元に小骨が突っかかるような違和感があると,たいてい,千葉の街角の風景だったりします.駅前とか,実家の近所とか,決定的な場面が出てこないと見覚えがある程度の背景だと,すぐには気付かないものなのですが,いったん,当時の記憶と繋がると数珠つなぎに場面ごとの背景が繋がっていって,主人公たちの歩いているコースなんかがぼんやりと浮かび上がってきて,それはそれで楽しいものです.

そんなわけで,直近だと「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」とか,「やはり俺の青春ラブコメは間違っている」とか,少し前だと「あっちこっち」とかで,僕が高校時代にリア充ライフ(誰がなんと言おうとリア充ライフです!/ 血涙)をエンジョイしていた土地が映ったりすると,なんだか懐かしさと気恥ずかしさで,妙な気分になります.あそこでデートしたなぁ,とか,塾に通っていたときに毎週歩いていたなぁ,とか,グループデートでポートタワーの花火大会に行ったなぁ,とか(妄想じゃないですよ!?),青春の日々の淡い心情のかけらが蘇ってくるようです.

そんなわけで,なんとなく千葉市が舞台の作品一覧とかを Wikipedia で調べてみたら,「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い」が千葉市を舞台にしているどころか,もこっちの通っている学校のモデルが母校であることが発覚.原作をときどき読んでいたけれど,全然知らなかったわけで,とりあえず,少し注視してみようかとか思った次第であります.……というか,僕の母校っていつも微妙なところでモデルにされているよなぁ…….

2013年7月11日木曜日

誰も気にしちゃいないだろうけれど

昨日の記事,半分くらい脳が眠った状態で書いていたせいで,下書き保存するつもりが,ろくに推敲もしてない状態でアップロードしてた(ので,修正)…….別に,推敲したところで僕のちんけな文章が良くなるわけでもないのですが,まぁ,いちおう…….


2013年7月9日火曜日

日曜調査・水不足にサンプリングハイ

ちょっと前まで,「休日にやることがない」なんてぼやいていた私ですが,ここ数週間,週末は,ちょっとした趣味に没頭していることが多いです.

趣味といっても,ちょっと前にも書いた「日曜調査」と称して,山を歩き回っているだけなのですが,適度な運動になったり,山歩きでストレス解消できたり,と,なかなかどうしていい時間を過ごせることが多いです.仕事と無関係に,単純な知的好奇心のみで,ネタになるかどうかも分からないちょっとした疑問を解消するために山歩きをしたり,単純に遠隔地にいる師匠から依頼された調査をしてきたりする,そんな自由な感じが魅力です.

最近では,そろそろ,おっさんの趣味の代表である「日曜大工」とか「日曜コック」とか,その辺の「日曜○○」のひとつとして流行らせようかと思っている次第であります(そうなの?).

そんなわけで,先週末も,ちょっと調査に行ってきたわけですが,この調査が,自分が参加した調査の中でも,かなり久し振りに,心が折れかける過酷なものになったのでした……(半分以上,自業自得なのですが……).

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まず,今回の調査における第一の,そして最大の失敗は,見事に「初夏の北海道の罠」にハマったことです.

北海道の初夏の晴天は,それは気持ちのいいもので,山歩きには最適なのですが,朝の涼しさに騙されて準備を怠ると,昼には,25 度付近まで気温が上昇し,地獄を見ることになります.そんな陽気の中でハードワークをすると,大量の汗をかくのですが,空気が乾燥しているため,その汗が蒸発した結果,知らず知らずのうちに脱水症状に至ります.

こんな初歩的なことは,私も重々承知していたのですが,朝の空模様が曇天気配だったこともあって,その日は,2 リットルのスポーツ飲料だけしか飲み水を持たずに山に入ってしまいました…….

やらかしたことに気付いたのは,日も高くなり,気温も上昇し始める午前 10 時を回った頃です.朝の曇天模様は何処へか,頭上では太陽が燦々と輝き,周囲の気温がみるみる上がっていったのでした.心なしか,足下の沢の水も温んだような気さえしました.最悪です(気分的に).

その時点で,虫除けに長袖を着込んでいる私は,私自身の体形(でぶちん)のせいもあって,すでに汗だるま…….朝の自分の浅はかさを呪いました.

まぁ,最近流行りの「ならぬものはならんのです」ではありませんが,山に入ってしまった以上,どうしようもないので,水を節約しつつ調査続行しましたが,最終的には,水分不足で汗が止まるという結構ヤバい状態にまで至りました.画面の前のいい子は,真似をしないでね!

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この日の主な目的は,調査済みのルートで試料の採集をすることにあったので,鶴嘴で黙々と岩を叩きつづけていたのですが,途中,あまりの暑さにバテて,休憩が多かったこともあり,その日,全ての行程を終えて引き返したのは,17 時を少し回った時間でした.採集試料の多さを天秤にかけると,かなりギリギリの時間です(調査地点から自分の車まで,通常の荷物でも 1 時間近くかかるので).

集めた試料を,ザックに詰め込んで「さぁ,背負おう」とザックを持った瞬間に,ヤバさを悟りました.これは,ソラヲトパターンだ,と(注:重いザックの背負い方.分からない人は「ソラノヲト」を見てねvvv).

後で発覚することですが,この日の試料の総重量は 50 kg 程度,林道や車が近い試料採集では稀にある重量ですが,この日の調査地点は,最寄りの林道(ここから車まで,さらに 20 分くらい)まで出るのに,通常でも 3, 40 分,この重量だと 1 時間以上を見積もらないとなりません…….

そこからが,地獄でした.

ただでさえ足場の悪い沢沿いの道な上,この地域は,異常に倒木,土砂崩れが多いのです.そんな道を,自重 100 kg + 採集試料 50 kg という物体が移動するのですから,堪ったものではありません.木を一本くぐっては休み,木を一本またいでは休み……,気付くと,汗唾液鼻水垂れ流し,尿漏れ状態……(体幹を支えるのに力がかかりすぎると尿漏れするのは重量挙げを見たことがある人なら分かって頂けるかと…….まぁ,あそこまで酷いことにはなりませんが,体勢が崩れて余分な力がかかるとチョロっと……).ここまでキツかったのは,遠い日の白金沢(長い元所属研究室の歴史の中でも強烈だった調査)以来だったかも知れません…….

そんな風にふらふらになりながら,えっちらおっちら,帰りの道程の 2/3 を過ぎたところで,1 時間が経過,そろそろ,森も暗くなってきます(暗くなると色んな意味でヤバい).そのタイミングで,ようやく,来たのが「サンプリングハイ(ランナーズハイ的なもの)」でした.これが来るのも,数年振りのことでした.脳内がアドレナリンで満たされたことで,ようやく体中の痛みが消え,足取りも軽くなったため,なんとか,19 時前に林を脱出できたのでした…….

……まぁ,アドレナリンが切れた帰りの車の中から今現在まで,体中が痛くてたまらないのですが…….

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こんな素敵な,日曜調査,みなさんもいかがですか?ステキなミタコトモナイ世界が開けますよ?

2013年7月6日土曜日

受動的,能動的

社会に出て最も変わったことは一日の 1/3 程度の時間が拘束されることだと思う,そんな今日この頃です.当然のこととはいえ,平日の日中という社会が動いている時間に,自由に個人的な用事を済ませることができないというのが,若干のストレスでもあります(役所に行くとか,買い物に行くとか……).そういう点では,大学という場所,学生・ポスドクという身分がいかに自由だったのかがよくわかります(雇われポスドクな時期は,当然,就業義務あったけどね).

そんな中で気付いたことは,自由な時間の減少に比例して,能動的に情報を収集することができなくなるということです.たとえば,論文を探すのでも,以前は,優雅にコーヒーでも飲みながら論文誌の新着リストを眺めて面白そうなタイトルを見つけたらアブストを流し読む,とか,google scholar でキーワードを検索して,上位の論文のアブストを流し読みするとか,そういった時間が取れたのですが,時間が限られるともう少し効率的にならないものかと思ってくるものです(Google Scholar アラートみたいな).それでも,論文検索なんかは,業務時間に可能なので,時間制限なんてあってないようなものなのですが,世間一般のニュースやら社会情勢やらアニメ情報やら便所の落書きの中の流行やらといった事象には,とんと疎くなっている気がします.

学生〜ポスドクの時代には,仕事の息抜きにテキトーな新聞系ニュースサイトを巡ったり,情報系ブログやまとめサイト(流石に 2 ちゃんに張り付く時間などありませんでした)を眺めたりしていて,こーむいん試験を特に対策することなく通過できる程度には社会常識,時事認識を持っていたのですが,就職後はその自信も少し揺らいできているように思います.

そんな風に考えているときに,出張等でテレビを垂れ流しながら仕事(調査結果のまとめとか)をしていたり,出張先に向かう長い道程でカーラジオを聞いたりしていると,マスメディアのニュース報道というものが非常にコンパクトにまとまっている良いパッケージだということがよくわかります.なにより,受動的な立場に居ながら,かなりバランスよく多くの分野の最新情報が,多くの場合,識者のコメント付きで入手できるというのが素晴らしいのです.

ちょっとした事情でテレビを手放して以来(※注),調査にでているとき以外は,ほとんどテレビを見ない生活をしてきましたが(手放す以前にも,既に生活音発生装置としてしか使っていなかったと思う反面,それでも受動的な情報に塗れていられたんだな,ということがいまなら分かります),そろそろ,家にテレビを導入すべきなんじゃないかと思うわけです.しかも,(金銭的な問題でテレビを買い直せなかった)学生時代ならいざ知らず,いまなら定期収入があって,テレビなんて簡単に購入できる立場です.

……というわけで,ボーナスも出たことだし,週末にテレビでも買おうかなと算段している次第.

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※注:「テレビをみるという意味が分からない」とか,「マスメディアは死ね」とか,「テレビを見ない俺かっこいい」とかいう中二病的かつ 2 ちゃん脳的なアホな理由ではないです.

人とルームシェアするときに二台もテレビがいらないので自分のテレビを捨てる→引越し&ルームシェア解消を機にテレビを失う→地デジ化前のテレビの値段高騰で買う気が失せる→ようやくテレビも安くなり,自分の経済状態も良くなったのでテレビを買う気になる(←いまここ).

2013年6月20日木曜日

趣味:地質調査

……というわけで,今週末,ちょっくら某道央南部の白亜系に調査に行ってきます.

某道央南部は,自分の地質屋人生のスタートを切った土地でもあるので,なんだか妙に愛着があります.前回行ったのは,2010 年,地震が起こる前ですので,3 年振りの訪問になります(そのときですら,5 年振りとかだったらしいし).そりゃ,年も取るわけですよ.

この間,長らく,この土地に関する研究は,細くなったり太くなったりしながらも続けられていて,離れる,ということができないくらい自分の中の一大テーマになってしまっているという感じです.まぁ,もう,すでに 6 割がたは自分の手から離れていて,後輩たちが主役になりつつあるのですが…….

とにかく,久し振りに,白亜紀の岩をぶっ叩く仕事なので,ちょっと気合い入れていきます.

2013年6月16日日曜日

不思議

近年,SNS なんかが発展して,国民総オナニー日記公開時代というか,感情垂れ流し時代というか,とにかく,(僕のような)なんでもない普通の人が逐次に(躊躇なく?),感情とか,行動とか,そういうものを人の目に触れる形で発信することが容易になってきている時代になっていると思います.そういう事象を指して,Web の空間がリアルに近付いたとか,ユビキタスな世界が云々とかいう論評が,最早,陳腐になっているくらい繰り返されてきているくらいには,SNS やそれに付随するリアルの延長としての web 空間というものが一般化されているようです.しかし,そういう時代・風潮の是非はともかく(そんなツールを利用して身バレ上等でオナニー日記を公開している時点で否定的なわけがないんですが),世の中って,web 以前の世界で,こんなに開けっぴろげだったかなぁ,と少々疑問に思うことがあるわけです.

リアルの延長としての web 空間って,匿名であることが当たり前だったちょっと前の web の世界と違って,ある程度のリアルの繋がり(友人とか,同窓生とか,旅先で仲良くなった人とか)を,コミュニケーションの便利な web 上に移したという性格が確実にあるわけで,実際,多くの人がリアルの知人と SNS を通して繋がっているのが現状だと思います.

でも,SNS 上では,「リアルの世界で,人ってそんなに正直に情報を公開したりしないよね」というレベルの情報を撒き散らしている例って珍しくないと思うわけです(例えば,SNS がなければ,ほとんど繋がりのない同窓生が,昨日何食ったかなんて知るすべもないわけで).これは,SNS を通して,リアルの付き合いでは見えるはずがなかったものが確実に浮き上がっている,ということではないかと思うのです(卑近な例を挙げるなら,高校生が「酒飲んだー」なんて世界に公開しちゃって,2 ちゃんねらーのおもちゃになる,みたいな).

こういう風に発信された結果,見えるようになった情報が,外面の情報(飯食ったとか,どこで遊んだとか)だったら,特に気にすることもないんですが,ともすると,内面的な情報,というか感情の発露までも開けっぴろげに公開されていることすらあって,ビックリすることがあります.他者に対する悪感情とか,それって表に出していいものなのというような情報まで可視化されている世界というのは,面白くもあり,不可思議な世界だな,と思うわけです.だって,リアルでは,仲が良かった友人が悪感情を振りまく姿なんて,ほとんど接する機会なかったですし.

これが,SNS 社会が可視化した,新たなコミュニケーションか!

……とかいうことが書きたかったわけではなく…….


そんなわけで,SNS のうえで,他人に対して発する呪詛や悪意や敵意のようなものが撒き散らされているのを見ると,なんというか,「元気だなぁ」とか「エネルギーに満ちあふれているなぁ」とか思ってしまうわけです.……というか,今まで見えていなかったから,全然知りようもなかったのですが,世の中の人って,こんなに,外に対して感情を発露させて生きていたのか,という部分に凄く驚きました.


僕は,基本的に,周囲の物事に感覚的にではなく触覚的に鈍いのか,そもそも自己中心的かつ自己完結的な性格から,他者に興味を持つことがないからなのか,他者や他者との関係に腐心することがほぼありません.逆に言うと,自分が他者にどう思われているかなんて気にすることがあんまりないので,本気で他者との関係に感情を爆発させることができるっていうヒューマニティーに驚きました.人間は感情的生物なんて空想の世界の産物だと思っていましたよ……ええ…….

にんげんってふしぎ!

購入記録

「ゆるゆり」 10 巻

とても安定しているギャグマンガ.今巻は,櫻子分が足りなかった.

買った後に,特装版なるものがあることを知って,10.5 巻を入手する方法を模索しているところ.普通に買い直すかな…….

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「とでんか」3〜5 巻

普通.

後半,物語を畳むためか,いつもの評論家癖か,いわゆるゼロ年代な連中が好きそうな「震災後の世界」的な展開に持っていってしまって,元々の有名な都市伝説を元ネタにした数話完結の小話感が失われてしまったのが残念ではある.

2013年6月15日土曜日

ないなら作ればいいじゃない

過剰にコンテンツを消費した後にときどき発生する「なにをみてもしっくりこない」感じに名前つけようぜ!

……というわけで,そんな感じになりつつある今日この頃です.過剰にコンテンツを消費していた数ヶ月前からしばらくたって,今年度に入ってからは,新規になにを消化しても「しっくりこない」感じに陥っています.そのせいで,最近は,コンテンツを反芻してばかりです.

「そう,そんなとき,僕には,解決策があったじゃない!」

……と,思いついたのが,つい先日のことです.

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あれは,中学から高校にかけての時期だったと思いますが,当時の僕は,中二病真っ盛りで(いまもだけど),それはもう,読書の虫で活字中毒者でした.その頃(いまもだけど),ひたすらに読んでいたのが純文学でした(中二病だったから).そして,散々読みあさった挙げ句,「しっくりこない」感覚に陥ったときに,ふと,「しっくりくるものがないなら自分で作ればいいじゃない」と思い立ってはじめたのが,創作活動でした(中二病だったから).

そんなふうに,文字を書くことをはじめた結果,今に至る「取り敢えず,文字の羅列を作ることが大好きな自分」が形成されたわけですが,「(物語を)書くぞー」という強い欲求は,なんだかんだで大学時代くらいに徐々に薄れていって,その後は,ブログやらこの日記やらで書き散らす記文や随想で「文字の羅列生成欲」が満足するようになり,最近では,ついったーで文字の羅列にも満たない戯れ言を垂れ流したり,思い出したように日記にレビュウを書いたりするだけで,最早,「文字の羅列欲」がるのかどうかすら怪しくなっていました.なんというか,形を為さないものを放り込める場があると,形を為すまで自分の頭の中で捏ねくり回す習慣すら失われてしまう,ということなのだと思います.いつだったか,それこそ web-log が blog に成り代わった頃に,HTML で web 日記を書いていた人が blog に移行して,「文章」を書かなくなった云々なんて言われ方がされていたものですが,それでもなお,blog という媒体は,それなりの文章にしなければ種を撒けない土壌であったのだと思います.ついったーのような脳直で文字を垂れ流せる「つぶやき」とは違います.そういう場の善し悪しはともかく,確実に「つぶやき」は,(少なくとも僕からは)頭の中で熟すべき種を奪っていったとだと言えます(大喜利的なネタはともかく).

……閑話休題.

で,本題は,そんな僕の誰も望んでいない web 自分史なんかではなく,創作活動についてです(そもそもこんな日記自体,誰も望んでいないという真実には目を伏せて).

「自分好みの百合が得られないなら自分で書けばいいじゃない!」

……というわけで,最近(昨日から),しこしこと久し振りに(多分,5, 6 年振り),小説を書きはじめたりしています(プロットはもうちょっと前から捏ねくっていたけれど).そうはいっても,自分にはほかに書くべきもの(論文とか論文とか論文とか,あと今月末が締め切りの研究計画書とか)があるので,一日に決めた短い時間だけ,創作活動に耽溺しています.

そうやって,久し振りに,物語を紡ぐ,という作業をやり始めると,やはり,楽しいもので,しばらくは,これを趣味に生きて以降かなと思った次第であります.

なお,完成しても自分が楽しむ以外の用途に使う予定のない,自分の自分による自分のための百合なので,悪しからず.

2013年5月28日火曜日

購入記録

「謎の彼女X」 10 巻 植芝理一

文化祭編後半から日常.文化祭で思い出したようにヒャッキーが登場して噴いたw

ヒャッキー編以降,諏訪野が話の中心にいるけれど,これまでのキャラと違ってすごくいい!(単にわたくしの好みの問題です)絶妙なブレンドで,童貞男子高校生の妄想を具現化したような,読者の心の奥に眠る童貞力を呼び起こすような言動にゴリゴリと心を持っていかれる快感.こういうキャラがいてこその卜部(という存在に仮託された自分だけの恋人)の魅力が浮き上がるものです.

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「デストロ246」1〜2 巻 高橋慶太郎

「ヨルムンガンド」が面白かったので購入.ただただひたすらに女の子同士が延々といちゃつくマンガです.とてもいいです.

2013年5月22日水曜日

偏食

私は,基本的に偏食な人間です.

文字通りに食事に関しても,自他ともに認める酷い偏食家なのですが(※注),それだけではなく,特に「好み」の反映されるコンテンツに関してもそうなのだな,と最近気付きました.別に,好き嫌いが激しいとか,そういうことはなくて,新規性の高いモノにはわりと許容量が大きいし,どんなものであっても一度は楽しめるタイプなのですが(現に,アニメは絨毯爆撃で見ますし,小説も基本的になんでも読みますし,食に関して好き嫌いをいうことは [ほぼ] ありません),そういうフロンティアスピリッツと偏好というのは,どうやら,相容れるもののようです.

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※注:さすがに,病的なものではないですが,数年に渡って,ほぼ,学食のカレーしか食わない,外食に出ても,特定の店の特定のメニューしか食べない,そのうえ,その特定のメニューの味付けが変わると二度とその店に行かない,などなど,偏食エピソードは枚挙にいとまがありません.

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以前から,(かつてマニアと言える程見ていた)映画にしろ,音楽にしろ,小説にしろ,マンガにしろ,基本的にお気に入りのものを無限に見続けることに快感を覚えることには気付いていたのですが,最近みはじめたアニメですら,そういう傾向が出てくるに至って,自分の偏好さ加減に気付いたわけです.

つまり,何が言いたいか,というと,「ARIA」だけで,向こう 10 年くらいは戦える,ということです.

2013年5月12日日曜日

最近は

ある程度,時間が取れるので,ちょっとずつ,この日記を書く頻度を上げていこうと思っている所存.

……今日,一気に三個も記事を上げたのは,書き溜めとかじゃないよ!(たぶん……)

某所から転載(一部改変).というか,クローズドな場に文章を置いといてもしょうがないので

タイトルにある通り,某所からの転載(一部固有名詞等は改変).

クローズドな場にものを書くことは,プライベートな連絡として意味があるものの,ある程度の文章になっているものをそこに置いておいても,あんまり意味がないと思うので,取り敢えず,公開しておくのです.

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中高生の中二病真っ盛りの頃,周囲には確実に「9 時–5 時の仕事なんてしたくない!」と言って憚らないタイプの人がいたけれど,僕自身は割とステロタイプな「平凡な暮らし」のほうが好みで,当時は,大学出て(とはいえ,すでに理系は修士卒が当たり前といわれる時代だったので,修士くらいは出る気でいたと思う),平凡な会社に勤めて,30 歳くらいには結婚して,子供もいるのかもしれない,とか思っていたわけで,30 歳手前まで無職で,アウトローなポストドクターをやっているなんて,思いもしなかったものです.

世の中が便利になって,SNS なんかで,(高校の)同級生の現状とか,そういうものがある程度,把握できるようになり,(誰がどう言っていたかなんて覚えていないのだけれど)多分,「サラリーマンになんてなりたくねー」と謳っていたであろう人も,そうでない人も,みんな社会人として,真っ当に生きているのをみたり,幸せそうな家庭を作っているのをみていたりしていると,不思議な感覚に陥ったりしたこともありました(別に,自分で選んだアウトローで自由な生活に不満があったわけでもないので,嫉妬とかそういう感情とは,また,違った不思議な感覚です).

そんな僕も,30 歳を目前にしたことや,自分の(研究)能力の程度も把握できるようになったことや,日々,抜きつ抜かれつの競争的研究生活に,若干,疲れを覚えてきたことなどがきっかけで,ちょっと,別な生き方をしてみようかな,と思いはじめたのが,2011 年度の半ばくらいでした(この辺のいきさつには,学位取得を取得してしまったこととか,例の地震に巻き込まれたこととか,単に積み重ねた自分の経験を生かす方法を考えはじめたこととか,色々な要素があるので,原因について明確な話はできません).

とはいえ,30 歳手前の博士(理学)持ち,職歴なし(非常勤ポスドク研究員を除く)が就ける職場なんて,そう多くはありません.一般社会よりの技術系職(資源系)などにもトライしようかと思ったのですが,サイエンスにどっぷり浸かりすぎて,中二病を発症している自分にはエコノミックジオロジーの世界に馴染める気がしませんでした.加えて,そういった職は,「金儲け」が仕事なので,研究とは,また違った意味で,超競争社会であるという側面もあり,「競争」に疲れていた僕の目には,さほど魅力的に写ることはありませんでした.

そんなわけで,いくつかの職場にトライしたり,電話をかけたりしていたものの(加えて,お遊びで声優事務所の募集に応募したりしてました),なんともピンとくる職場に巡り会うことが出来ず,真面目に試験に落ちたり,試験の途中で辞退したりをくり返していました(……と言っても,そこまで大真面目でもなかったので,受けたのは数社ですが).

そんなときに,現在の職場を見つけて,少し心を入れ替える気になり,本腰で採用に向けて頑張ることができました(自分の志望通りの条件が揃っているという,いいタイミングかつギリギリで年齢条件をクリアしているという募集だったので,自分でもラッキーだと思っています).

気が付けば,トントン拍子に採用~大学の研究の後始末~来札~と時間が流れて,いまに至るわけです(と気軽に書いているものの,大学の残務処理はエグかったのですが).

これから,自分の生活とか,仕事とか,どうなるのかは全くわかりませんが,取り敢えず,頑張っていこうかと思います.さて,どうなることやら.

休日の過ごし方

少しずつ社会人の時間の使い方を覚えてきたものの,相変わらず,毎週律儀にやってくる 2 連休は,若干,持て余し気味な,今日この頃です.休日なんだから休めばいいんですが,なんだかんだでウィークデイも昨年までの「時間とか関係ないし」的な生活スタイルに対して,仕事時間はより濃密に,家に帰ってゆるゆる作業をしても十分休める時間を確保できるという生活スタイルである以上,1 日(土曜)だけ休むと,日曜にはうずうずしてしまうわけで,なんとも時間を持て余します.季節が,もう少し良くなればお外で遊んでくるのも気持ちがいいんですが,まだ,肌寒い空の下では,根がインドアーな僕は,家に引きこもってしまいがちになります.とはいえ,やることはあんまりないんですが…….

こんなときに一緒に出かけるパートナーでもいれば,また,ちょっとはアクティブになれるんでしょうけれど,交際相手がいないわけでもないのに物理的に無理な,ここ数年と現在(そして今後数年?),それもまた難しいものです(雇われの身になったとはいえ,毎週,数万円を叩けるほど裕福ではありませんので).

まぁ,当地で人付き合いがないわけではないんですが,ここ数年,遊びらしい遊びに出なかったせいか,明確な目的もなく「遊ぶ」という感覚が麻痺してしまっているのか,趣味やら仕事やらに時間を費やすほうが気持ちが楽に感じてしまっていて,わざわざ遊びに行くのが億劫になっている部分もあります.まぁ,僕の知ってる「遊び」なんて,学生時代の感覚での「遊び」なので,いまの趣味悠々な時間のほうが,楽しい気もしますし.

まぁ,生活に余裕が出てきたら,そのうちなんとか変わっていくかなと,ポジティブなことを考えつつ,暮らしております.

……とりあえず,2 週間後から所内の野球大会が始まるらしいので(そして,出なきゃいけないっぽいので),基礎体力づくりでも日課に加えようかなとか思う,日曜の夜なのでした.

2013年5月9日木曜日

帰省という名の聖地巡礼な黄金週間

就職が決まってからというもの,学校の残務がこれまでにない程忙しかったこともあり(来年時間あるときにやればいいや,が通用しなくなった),両親に就職が決まったことの報告や挨拶すら(直接は)していなかったので,ゴールデンウィークの連休を利用して,帰省してきました.

過去の記録を溯ると,だいたい,二年振りの帰省であったわけですが,10 年前とは丸っきり変わってしまった実家周辺の町並みには,相変わらず,郷愁を感じられません.そもそも,実家の位置も変わっていますし(徒歩 3 分くらいだけど).

そんなわけで,久し振りに実家(といっても,僕が実家を出た後に引っ越しているので,住んでいたことはない)でゴロゴロしたり,両親に近況報告をしたりしてきました.あ,いちおう,初任給で家族に贈り物をしたりもしました.

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……しかし,まぁ,実家でじっとしているのもなんなので,連休 2 日目は10 年振りくらいに千葉駅の周辺をふらついてみたりしました.

千葉駅の周辺は,僕が小学生の頃から(塾通いで)慣れ親しんだ地区であり,中学〜高校にかけてはほとんど毎週映画を見に来ていた地域でもあり,また,中のテナントは変わっても雑然とした裏通りの雰囲気は失われていなかったりで,区画整理やら,新規住宅地(再)開発やら,川鉄の団地群の撤退やらで,まるっきり姿を変えてしまった地元周辺よりは郷愁が湧き,すこしだけ当時の記憶に浸ることもできました.

街の雰囲気は,相変わらず,雑然かつ混沌としていて,治安も適度に悪く(笑),なんだか,この不健全な雰囲気が,長らく時を過ごした優等生都市の札幌や仙台と違い過ぎて,とても懐かしくなりました.

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連休三日目は,富士山の世界遺産登録の影で,世界遺産に不登録となった鎌倉に,唐突に遊びに行きました.先日みた「エルフェンリート」,去年のアニメでかなりハマった「Tari Tari」,「つり球」,そして「イカ娘」の影響がなかったとはいいません(笑).個人的には,西岸良平の「鎌倉ものがたり」の聖地巡礼といいたいところですが…….

あまりにも唐突な思いつきだったので,出発も昼前になっており,鎌倉に着いたのは午後 2 時前という中途半端な時間でした.とはいえ,(実家の最寄り駅である)稲毛から,電車で一本なので,近いものです(にもかかわらず,千葉在住当時は,遊びに行ったことすらなかったのですが……).

その日は,気候が(札幌に比べて)温暖で,天気もよく,絶好の散歩日和,ということで,メインの寺巡回ルートから外れて,鎌倉駅の東側を中心に軽く散歩をしながら,いくつかの地味なスポットを巡るコースを歩きました.

個人的に印象に残ったのは,こけ寺こと妙法寺でしょうか.この寺,かつて僕がうら若き中学 2 年生だった頃,校外研修旅行で鎌倉を訪れた際,メインのコース(円覚寺とか円長寺とか大仏とか鶴岡八幡宮とか)から外れた地域にあったため,当時から興味があったにもかかわらず,結局,いくことのできなかった(自分の中では)因縁の土地であり,今回,あの見事な,コケに彩られた庭園,石段,建築物をみることができたのは,なかなかのなかなかでした.

一通り散歩を終えると,夕闇の迫る,いい時間になったので,由比ケ浜へ向かいました.由比ケ浜では長い時間はすごさなかったものの,「エルフェンリート」と「イカ娘」の聖地を眺めつつ沈む夕日を愛で,長谷までの坂道をゆったりと登り,江ノ電にのり江ノ島へ向かいました.

江ノ島駅に着いた頃には,18 時を回っていたこともあり,江ノ島には渡らずに,ちょうど,いい季節である釜揚げシラスに舌鼓を打ち,腹ごなしに夜風に当たり,大船へ抜けて千葉まで帰りましたとさ.なお,帰りの車内では,その日の復習として,「エルフェンリート」を垂れ流していました.

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そんなわけで,個人的には,久し振りに黄金週間をゆったりと,かつ有意義に観光なんかに費やして帰ってきたわけですが(なにしろ,去年までは時間もなければ可処分所得もない,暗黒の奴隷生活だったもので),今回の反省としては,小旅行とはいえ,もう少し,計画的に実行するべきだったな,ということでしょうか.取り敢えず,鎌倉みたいにある程度,パッケージされた土地にだったら,旅館で 2 泊くらいしながら,ゆっくりしても良かったのではないかと.

……で,オチとしては,札幌に戻ってきて,巡回サイトをくるくると眺めているときに,某アニメ系ネタサイトのキャプチャー画像の中に,妙に見慣れた町並みが写っていると思ったら,その週に放映されたとあるシスコンアニメが千葉(駅周辺)をデートするという内容だったらしく,知らず知らずに,見てすらいないアニメの聖地巡礼をしていたことが分かった,ということでした.結局,連休は完全にアニメの聖地巡礼しかしていなかったのか,と…….

2013年4月29日月曜日

雑感

勤め人生活がはじまっておよそ 1 ヶ月.連休という,なんだか耳慣れない制度に戸惑いを覚えつつ,結局,学会の支部会に顔を出したり,家で仕事をしたり,調査の準備をしたり,なんだか中途半端な休日を過ごしています.

まぁ,簡単に言うと,なんだかんだでこの生活に慣れて来た,ということかと思います.

でも,仕事をするとお金が出て行く日々から,一転,仕事をすれば(してなくても?w)お金が入ってくる日々への変化というコペルニクス的転換には,未だに翻弄されっぱなしです.

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職場の雰囲気には,だいぶ,慣れてきたと思います.……というか,空気がかれこれ 8 年以上触れてきた,大学の空気とよく似ていて,わざわざ「馴染む」必要がなかったりするので,とても気楽に過ごしているというのが現状です.

そうはいっても,今現在,数年振りに「職場でいちばん下っ端」な環境におかれているので,それなりに新鮮なこともあったりなかったり,です.そして,(勤めるということはそういうことなので,当然ですが)自分のこれまでの仕事と丸っきり違う業務に挑まねばならないので,全てゼロから勉強し直さないとならないというプレッシャーもあったりします.

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これまで,それなりに温室で,閉鎖的な大学という塔に籠って暮らしていたので,いろいろと学ぶことも多い日々です(そうはいっても,それなりに弁えているつもりなので,さほど苦労しているつもりはありませんが).

これまでも,それなりに事務的な書類仕事はやってきたつもりでしたが,自分が正規の職員となると,桁違いに書類の数と責任が大きくなるもので,毎日,色々な書類に目を通したり,判子をついたり,会議に参加したりという作業をするにつけ,事務に忙殺されて本業(研究)を圧迫されていた師匠やらボスやらが,如何に大変だったのかが,想像ではなく,実感としてわかるようになりました.これに加えて,学生の食い扶持(研究費)を稼いでくれていたことを考えると,マジで頭が下がります(いまはまだ,自分の食い扶持すら稼がなくても何とかなる立場なので,かなり気が楽です.まぁ,来年,再来年くらいには,そうも言っていられなくなるのでしょうけれど).

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働きはじめたから,というわけではないのだけれど,最近,自分の中での仕事に対する思想やら,考え方が,ちょっとずつ変わってきた気がします(主要業務自体が大きく変わったわけで,それでもなお,考え方が変わっていなかったとしたら,だいぶ,問題ですがw).

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バカにはなりたくないなぁ,と,最近は,切に思います.

最近(長くみるとここ 2, 3 年),色々なものを見て,脳を劣化させるのがいかに簡単なのかをよく理解したので,定期的に脳のチューニングをできる環境を上手く利用していかないといけないな,と思います.学校を出てしまった今,どうあっても情報の入手速度は落ちてしまうのは仕方がないとはいえ,思考レベルを維持したり,根本的な論理性を維持したり,作業量を維持したりするのは,単純に自分の努力の問題なので,そこには気を使っていこうと思います.

特に,比較的,自由な場と時間と金が提示されているいま,腐るのは簡単なので,生来,怠け者の気質がある自分にとっては,いかにモチベーションを維持できるかが肝になるのかなぁ,と悲観的になってみたり,状況がそれ(バ化)を許すこともないだろうなぁ,と楽観的になってみたりしている今日この頃です.まぁ,単純に今の思考レベルから落ちたら終わりだと思っている限り,大丈夫だと信じたいですが…….

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ついったとか,顔本とか,この日記とか,自分が公開しているものについて,こだわることをやめることにしました.まぁ,楽観的に,誰に見られてもいいか,と.

どんな形であれ,衆目に晒される場に発信することは大事です.つまり,論文書きも大事です(自戒).

あと,くだらない悪戯は,そろそろやめます(意味深).

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……とまぁ,そんな感じで日々を過ごしております.

ここの更新頻度は,頑張ってあげていこうと思ってはいるのですが,如何せん,春〜秋にとてつもなく忙しい職種なので,どこまでペースを維持できることやら,です.


\咲さん可愛い!/

購入記録.

「咲 -Saki-」 11 巻
「咲 -Saki- 阿知賀編」 5 巻

咲さん可愛い!

「よつばと!」 12 巻

いつも通り.

「空が灰色だから」 5 巻

確実に話の切れ味が鈍っているから,これでおしまいというのも残念ながら当然かと.絵も荒れてきているし,色々な意味でクォリティーが維持できていない感じ.

1〜3 巻くらいまでにいくつかあった切れ味鋭い話を生産し続ける能力は,長く維持できないであろうことは誰でもわかっていたことだけれど,面白い話を作れる作家であることは確かだから,充電後の次回作に期待したい.

「レッド」 6, 7 巻

相変わらず,登場人物の頭が悪すぎて笑える極上のギャグマンガ.

徐々に狂ってくる話.次巻からが本番になるのだな.

2013年4月7日日曜日

一週間

気付いたら,札幌での新生活が一週間を過ぎていました.感想としては,「まぁ,生活が変わるって,こういうことよね……」という言葉で済ませられる部分と,職場の雰囲気が想像と違ったこと(ゆるいw)に驚いた部分と,半々くらいです.まぁ,いまの,ド新人で仕事もろくにしていない状況と,実際に仕事がはじまってからとでは,また,印象や感想も変わってくるとは思うのですが…….

勤め人になったら,仕事上の責任とか職場バレとか色々あるだろうし,この日記もやめて,気が向いたら新しいブログでも立ち上げようかなとか,色々考えてはみたのですが,どっちにしろ,特に意味のある文章を書いているわけでもないし,ただの公開日記オナニーでもあるので,気にせず,このまま続けていこうかと思います.まぁ,書く内容に,いままで以上に配慮はしていくつもりですが……(って,こんな内容の記事を,学位を取ったあとにも書いていた気がしますが……).

とにかく,ぼくは,元気です(いちおう,身体的にも精神的にも).

札幌は,なんだかんだで 8 年も住んでいた土地でもあり,札幌に限らず,北海道は学生時代の調査研究でよく知っている土地なので(とはいっても,広い北海道のこと,全く未知の土地もありますが),取り敢えず,マイペースで暮らしていこうかな,と思います.

……とりあえず,札幌が聖地のアニメでもみたらいいのかな?(前の在札幌期間 8 年のうち,7 年はアニメとはほぼ無縁の生活をしていたので [※注] ,札幌が聖地のアニメをほとんど知らないのです.マジで)

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※注:ぼくが D2 のときにできた後輩にそそのかされてアニメを見はじめたので.その前にも,ちょくちょくアニメは見ていたのですが(「ハルヒ」とか「ぼくらの」とか「けいおん!」とか),顕微鏡を覗くついでに本格的にリアルタイムでアニメを追いかけはじめたのは,後輩に勧められて見はじめた「咲」からなのです.

2013年3月30日土曜日

さようなら仙台

在仙台期間,3 年をもって終了です.長かったような,短かったような…….

元々,こんなに長く住むつもりもなく,街に馴染む予定も無かったのですが,去る直前の今になってみると,自分でも驚くほど仙台に対して色々な思いがこみ上げてくるものです.

この土地では色々なことがありましたが,列挙して,思い出を語るような野暮なことはしません.ただ,さようなら,仙台,さようなら,青葉山.


追記

なお,前記事で言及していた「かんなぎ」は,仙台出発の前日,残っていた作業をしながら,ほぼ徹夜で完走しました.

2013年3月9日土曜日

三週間

在仙台期間がおよそ残り三週間になったわけですが,新たに仙台の美味しいラーメン屋を見つけたりしている今日この頃です.皆様いかがお過ごしでしょうか?僕は,(身体的には)元気です.

基本的に,新天地に移るということには,興奮やら不安やらがつきものだと思うのですが, (新職場に関してはともかく)僕の今回の引越し先は,勝手知ったる札幌ということもあって,微妙に緊張感を欠いた日々を過ごしています(まだ,来年度の住所は定まっていなかったりしますが,生活圏は三年前までとほとんど変わらない予定ですし……).

……とはいえ,これまでの研究のまとめをしたり,自分の検討試料の整理をしたり,仕事の一部を引き継ぐ学生の指導をしたり,学校に居るうちにしかできないデータ取りを駆け込みでやったり,仙台在住の間に「かんなぎ」を視聴しなければならなかったりと,それなりに(Twitter の発言頻度が落ちる程度に),忙しい状況です.もちろん,その合間に引越しの荷物づくりもやらなければならないのですが,そちらは,遅々として進んでおりません.それはもう,本当にあと三週間で引越せるのか不安になるくらいに,です.

こんな風に,思ったよりもセンチメンタルになれないのは,まだ,現実感がないからなのか,8 年も続けてきた研究室という日常以外への想像力が乏しすぎて自分の将来像が茫洋としているからなのか,仙台という土地に対する思い入れの問題なのか,新天地が旧天地だからなのか,全然分かりませんが,たぶん,そのどれでもなく,全部でもあるのではないかと思います.

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仙台には,都合,3 年間,住んでいたことになります.

この 3 年の間には,本当に色んなことがありました.たぶん,自分の人生の濃度分布を描いたら,この 3 年が,どす黒く染まるであろうことは,容易に想像できます.自分というか,自分を取り巻く周囲であったことを,簡単に挙げてみても,震災,学位,研究などの大きな事象から,人間関係などの些事まで,大きく変化した時期だったと思います.

まぁ,この 3 年間の出来事や仙台という土地への思い入れを語るのは,次の更新に譲ります.

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なんだか,最近,日記の更新頻度が低下し過ぎているせいで,たまに普通の文章を書こうとすると,うまく文章が書けない症状に見舞われます.なので,なんとなく取り留めのない散文を,リハビリに.

2013年3月4日月曜日

道満晴明フェア

先日,道満先生の単行本が 2 冊同時に発売されたので,当然購入.

「ヴォイニッチホテル」 2 巻

道満先生の数少ない長編の 2 巻(ほかにはファントムブレイブのコミカライズくらい?).長編といっていいのかよくわからない群像劇で,話が進んでいるのか後退しているのかもよくわからない模様.

「ニッケルオデオン 緑」

道満先生のショートが読める幸せ.相変わらず,「性本能と水爆戦」シリーズに比べて,エログロとキチガイが足りない感じが物足りない.でも,快楽天の連載が「ぱら☆いぞ」になってから,これだけが道満先生のショートを読める場なので,末永く続いて欲しい所存.

……でも,引越し間近で,来年度の住所が未定だからオリジナルトレーディングカードの応募ができないのが残念.

2013年2月2日土曜日

ネタの鮮度が落ちきらないうちにやっとく


くぅ~疲れましたw これにて博士課程完結です!
実は、研究相談したら進学の話を持ちかけられたのが始まりでした
本当はやりたい研究のテーマなかったのですが←
岩石試料を無駄にするわけには行かないので流行りの古海洋学で挑んでみた所存ですw
以下、業績達のみんなへのシャジをどぞ

卒論「みんな、見てくれてありがとう
ちょっと循環論なところも見えちゃったけど・・・気にしないでね!」

修論「いやーありがと!
成果のすごさは二十分に伝わったかな?」

学会発表「見てくれたのは嬉しいけどちょっと恥ずかしいわね・・・」

投稿論文「見てくれありがとな!
正直、文中で言った私の検討結果は本当だよ!」

博論「・・・ありがと」バサッ

では、

卒論、修論、学会発表、投稿論文、博論、俺「皆さんありがとうございました!」



卒論、修論、学会発表、投稿論文、博論「って、なんで俺くんが!?
改めまして、ありがとうございました!」

本当の本当に終わり

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(※上記内容はフィクションです.実在するドクター学生とは関係ありません.本当は,「ポスドク完結です」を 3 月末にやりたかったけど,ネタの鮮度が持つ気がしなかったので…….なお,元ネタはこちら

2013年1月18日金曜日

きろく

最近は,物忘れが激しいのと,日常的に本屋に遊びに行って新刊を買う習慣がなくなったので,この日記に購入記録を付けておかないと何を買ったのかとか,何巻まで買ったのかとかを忘れてしまいます……というわけで,購入記録.

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「ピアノの森」 20〜22 巻

一時,長期休載があったり,刊行が不定期だったり,新装版が出たりなど,色々あったので,自分がどこまで買ったのかなどがよくわからなくなり,店頭で見かけても買えなかったのだけれど,確認して,購入.話はほとんど進んでいなかった.

「多重人格探偵サイコ」 17 巻

新刊を見つけたので購入.話はほとんど進んでいなかった.というか,進まなすぎて笑えるくらい進んでいなかった.

「松岡國男妖怪退治」 1〜2 巻

惰性で買った.あんまり面白くはなかった.

「新世界より」

アニメで追いかけていたんだけれど,アニメの出来があんまりにもあんまりなので原作を買った.まだ,未着手だけど,アニメ終了後に読み直すか,アニメの視聴を切ってさっさと読んじゃうかを迷っている.

2013年1月14日月曜日

視聴まとめ

2012 年アニメ視聴リスト

-TV 放映アニメ-
Another
あの夏で待ってる
妖狐×僕 SS
宇宙兄弟(継続)
AKB0048(1 期)
織田信奈の野望
お兄ちゃんだけど愛さえあれば関係ないよねっ
ガールズ&パンツァー(継続)
キルミーベイベー
ココロコネクト
これはゾンビですか?オブ・ザ・デッド
PHYCHO-PASS(継続)
坂道のアポロン
咲 -Saki- 阿知賀編 episode of side-A(継続)
さくら荘のペットな彼女(継続)
さんかれあ
じょしらく
新世界より(継続)
人類は衰退しました
ゼロの使い魔 F
戦姫絶唱シンフォギア
TARI TARI
男子高校生の日常
中二病でも恋がしたい
つり球
謎の彼女 X
偽物語
猫物語(黒)
ハイスクール D×D
バクマン。(継続)
氷菓
ブラック★ロックシューター
モーレツ宇宙海賊
もやしもん リターンズ
ゆるゆり♪♪
ヨルムンガンド
LUPIN the Third -峰不二子という女-
ROBOTICS; NOTES(継続)

……38 作品.

去年の視聴数をみて,年間にこんなにアニメを視聴することなんて今後ないんじゃないかと思っていたのに…….

2012 年で印象に残っているのはなんと言っても「モーパイ」「人退」の 2 作品でした.「モーパイ」の王道スペースオペラは,最初から最後まで弛みなく楽しめました.電子戦や戦闘の格好よさ,茉莉香のかっこかわいさ,クルーの渋さなど,バランス感覚もとても僕好みでした.一方,「人類は衰退しました」のちょっと斜に構えたショートショート感は大変ブラックで良かったです.わたしちゃんの黒可愛さや妖精さんの可愛さもいうに及ばずですが,パイオニアアノマリーを一枚のロマンに仕上げてしまうセンス,文明の発生と終焉を 20 分程度のギャグにしてしまうセンスには脱帽でした.あと,原作をシャッフルして並び替えた結果の最終話のカタルシスは,近年にない快さでした.

「あの夏」は,ストーリーはともかく,細かい演出やカメラワークがとても良い作品でした.個人的に好きだったのは「TARI TARI」の「〜たり,〜たり」な青春観です.青春って「何か一つに打ち込む」だけじゃないよねって世界観の青春ものって珍しいんじゃないかな,と思いました.他には,「シンフォギア」のぶっ飛び具合,「坂道のアポロン」の戦後の空気と音楽の良さ,水島アニメ全般が印象に残っています.

あ,水島アニメの中でも「ガルパン」は最高に素晴らしいものになる予感がしているけれど,まだ,未完なのでコメントは控えます.

-劇場アニメ-
おおかみこどもの雨と雪(感想 1, 2
ストライクウィッチーズ 劇場版(感想
劇場版 TIGER & BUNNY -The Beginning-(感想
ベルセルク 黄金時代篇 I 覇王の卵(感想
劇場版 魔法少女まどか☆マギカ 前編 永遠の物語(感想
劇場版 魔法少女まどか☆マギカ 後編 始まりの物語(感想
ヱヴァンゲリヲン新劇場版: Q(感想

映画のほうは個々に感想を書いているのでリンク先をご覧下さい.ベルセルクについては二作目を見逃した結果,三作目以降を見る気がなくなってしまっている今日この頃です.

2013年1月13日日曜日

空が灰色だから

またしても,購入記録.

以前から,pixiv で見ていて気になっていた漫画家であった阿部共実の「空が灰色だから」の全 4 巻と「大好きが虫はタダシくんの」を購入.「大好きが〜」の表題作は,pixiv 上で公開されていたもので,この作品のラストで女の子が「嬉しかった会話」を反芻する部分のズキズキ感が気に入っていたので,時折,チャンピオンで連載を追いかけていたのですが,なんとなく,一気に購入してしまいました.

ただ,内容的に一気に摂取するのには向かないかも.