2012年3月28日水曜日

取り敢えず消化リスト 2011 年分

2011 年のアニメ消化リスト(50 音順).


  • The IDOLM@STER
  • アスタロッテのおもちゃ!
  • あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。
  • UN-GO
  • IS 〈インフィニット・ストラトス〉
  • お兄ちゃんのことなんかぜんぜん好きじゃないんだからねっ!!
  • 神様のメモ帳
  • 君に届け 2nd Season
  • GOSICK -ゴシック-
  • これはゾンビですか?
  • Steins; Gate
  • 侵略!? イカ娘
  • そふてにっ
  • TIGER & BUNNY
  • ダンタリアンの書架
  • 電波女と青春男
  • 日常
  • バカとテストと召還獣(2 期)
  • バクマン。
  • フラクタル
  • 変ゼミ
  • ベン・トー
  • 放浪息子
  • 僕は友達が少ない
  • 魔法少女まどか☆マギカ
  • まよチキ!
  • 輪るピングドラム
  • みつどもえ 増量中!
  • ゆるゆり
  • よんでますよ、アザゼルさん。
  • レベルE
  • ロウきゅーぶ!
  • WORKING'!!

以上,33 本.あと,「BLOOD-C」,「夢喰いメリー」,「魔乳秘剣帖」は,途中まで視聴した.

こうやって並べると,地震があったり,D 論書いていたりした年とは思えないな…….

この中で,特に印象に残っているのは,まぁ,言うまでもない「まどマギ」,「アイマス」,「ピンドラ」の 3 本に加えて,「放浪息子」,「シュタゲ」,「UN-GO」,「あの花」辺りかなぁ.割とどれも面白かった気がするけれど,中でも印象が芳しくないのは「神メモ」,「これゾン」,「電波」,「日常」,「はがない」あたり.他は,そこそこ面白かったり,空気だったり…….

詳しい感想などの備忘録はおいおい更新する予定(は未定)です.

さいきん

コンスタントに更新しているのはいいんだけれど,なんだか過去を振り返るような記事ばっかりな気がするなw

歳か?

……ちょっとアニメの感想記事とか,Twitter よりは長文を要するバカ記事とか増やそう.そうしよう.

2012年3月27日火曜日

後輩の想ひ出

今日は,後輩(M2)の卒業式でした.これまでも,すでに 4 回ほど自分より年下の人間を送り出した経験はあるのですが,どうにも慣れないものです,相変わらず,ちょっと寂しいような,ホッとするような不思議な感覚です.

今年卒業して社会に出て行った後輩たちは,偶然にも,この日記を付けはじめた年の新入生たちに当たります.この日記をはじめた理由が,そもそも,それまで研究室で最も仲の良かった後輩が卒業してバカな話で盛り上がれる相手がいなくなったことが理由のひとつだったりするのですが,ちょうど,そんな後輩と入れ替わりで入ってきたのが彼らでした.

僕が D2 で,彼らが B4 という,ちょっと年は離れているけれど,この代の学生とは,それなりにいい関係を築けていたんじゃないかと,自分では勝手にそう思っていますw 実際,彼らに対しては,はじめから,それまでの良くも悪くもいい加減な後輩たちよりもいい第一印象をもったのを覚えていますし,実際に,そんなことを書いています

D2 のころというと,僕が,まだ,フィールドの鬼(?)で,元気が有り余っていたためか,力一杯バカをやれた頃であり,その一方で,何となく「指導する立場」を自覚しはじめた頃でもありました.いま思うと,はじめて本格的に指導を任されたことも,そんな宙ぶらりんな立場になっていた理由かも知れません.実際,この後にできた後輩は,すべて僕が東北大学に移ってからできた後輩なので,年の差のせいもあって,今年卒業した後輩への態度のように「一緒にバカをやれる先輩」として接するのが(自分の中で)難しくなっています.そういう意味で,僕の中で純粋に「後輩」と呼べるのは,彼らが最後だったのかなぁ,と思います(あと,やっぱり,同窓ってこだわりはあると思う.僕は,どうしたって北大生なので).

彼らとの想ひ出は,いろいろありますが,ここで語ってもしょうがないので,特に語りません.しかし,(研究室に伝説として語り継がれるような)エピソディックなイベントは少なかったかもしれませんが,僕の中では,ひとつ下の代(研究室でのはじめての後輩)の次くらいに印象深い連中でした.少なくとも,何年経っても忘れることはないだろうなぁ,と.

僕を,彼らが,どんな先輩だと思っていたのかは解りようもありませんが,僕からみた彼らは「面白いバカガキどもだったなー(もちろん褒め言葉)」という印象です.とりあえず,4 月から踏み出すことになる,新しい生活に負けずに頑張って欲しいと思います.そして,力ある役職に就いたときには,僕のことをなんとかして下さいw


2012年3月19日月曜日

いあん

先週末から日曜日にかけて研究室の面々と慰安旅行に偽装した巡検に行っていました.

この企画,元々は,当研究室の教授殿が,色々あった 2011 年を締めくくるにあたって「年度末に温泉でも行ってのんびりしたい」と言い出したことから計画がはじまりました.それが,いつの間にか,フィールド調査の日程と一緒にすることになり,そのフィールド調査先が非常に魅力的であったことから,フィールド巡検がメインの旅行になり,最終的に,本来予定していた日程に,大雪が降ったため日程が順延され,一番慰安を求めていた教授殿が参加できなくなる,という経緯をたどった結果,一体,どんな企画なのかよくわからない旅行になったのでした.

そんなわけで,金田一温泉郷の「割烹旅館 おぼない」に逗留しながら,岩手県北部に分布する白亜紀の浅海〜瀕海堆積物を巡るという,素敵な慰安旅行に行ってきました.

今回の旅行の,個人的な目的は,浅海で形成される様々な堆積層の実物を見て回るという点でした.そのため,温泉に入ってゆっくりしたいという欲求はあったものの,それ自体は,完全についでのつもりでしたw

……しかし,実際に岩手県北部に乗り込んでみると…….

一面の雪原!露頭が見えない!

……そんなわけで,今回の旅行初日で巡る予定だった露頭の多くは雪に覆われていて,本巡検の目的の 1/3 くらいは失われてしまったのでした.……正直,岩手県北部の気候をなめていました(旅館の美人若女将の話によると雪解けは 4 月末頃とのこと.北海道と変わらねーw).

しかし,気を取り直して,翌日に巡る予定だった本巡検のメインである海岸沿いの露頭に希望をつなぎつつ,宿にて温泉三昧&豪華な夕飯で大宴会へと傾れ込みました.

すごく豪勢な夕飯!写真はありませんが,宿も温泉も若女将も素敵でした!

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2 日目は,今回の巡検のハイライトである海岸沿いの露頭の調査でした.正直,前日に雪原を見ていたので,大きな期待はしていなかったのですが,そんな,我々を待ち受けていたのは……!

ドドドーン!!海岸沿いに延々と続く白亜系の超連続露頭!!

我々の予想をとても良い方向に裏切る大露頭に一同大興奮!大張りきりで調査をはじめたのでした(メンバーの一部はこの日の昼で帰ることになっていたので,実際に 2 日間喜び勇んで調査したのは全員ではありませんでした).

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以下,本巡検で撮った写真の一部を

トラフ状斜交葉理.波の営力によって,海底に砂が堆積する際に形成される.大雑把に嘘をつくなら,波の形を海底の砂がトレースしながら堆積したもののようなもの断面が見えています.

露頭表面の状態が良くないので若干分かりにくいですがハンモッキー斜交葉理です.写真中央部の葉理が緩やかな上に凸の曲線を描いているのが見えると思います.このような地層は,嵐などで非常に周期の長い波が発生した際に砂が堆積したことで形成されます.

群生するカキの化石.殻が 20 cm 以上になるほど成長しています.さぞ,食いでのあるカキだったことでしょうw

教科書に使えそうなくらい美しく完璧な傾斜不整合.緩く傾斜した下位の地層を,ほぼ水平な焦げ茶色の礫岩層が明瞭な浸食面をもって覆っているのが見えると思います.このような地層の間(傾いた地層と焦げ茶色の地層の間)には,大きな時間間隙が存在することが想定されます.

現在形成されつつあるリップル(手前の小川の川底)と白亜紀の斜交葉理(後ろの露頭).水の流れがあるところで砂が堆積すると,緩やかに波打った底面が形成されます.そのような波打った堆積面をリップルといいます.後ろの露頭で見られるトラフ状斜交葉理(上写真および解説)とは形成される環境が若干異なりますが,同様に「水の流れ」による堆積で形成されるものです.

雪で埋もれていますが,大きな横穴が見えると思います.この地域は,琥珀の産地として有名ですが,この横穴はかつて琥珀を採掘していた横穴の入り口です.このような穴は「くんのこほっぱ」と呼ぶそうです.音の響きが素敵.

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余談ですが,今回調査した地域は,昨年の 3 月 11 日に発生した東北地方太平洋沖地震によって引き起こされた津波により大きな被害を受けた地域です.今回,調査を行った海岸沿いは,広範な被災地域の隣接地域でしたし,調査を行っていた場所は,まさに津波によって洗い流されたであろう海蝕崖そのものでした(実際,露頭の状態が非常に良かったのは津波によって洗い流されていたためでしょう.また,津波によって根元から折れた木が多く見られました).

当然,いま世間を賑わせている津波瓦礫の巨大な山もありました.政治もなにも解らない,いち学徒として,何か大きなことを言えるわけではありませんが,少なくとも,発生した非日常を日常に戻すために,同じ日本人として必要な協力要請に対して,答える努力は惜しむべきではないんじゃないかな,と心の底から思いました.

2012年3月13日火曜日

いちねん

当日に書こうかなとも思ったのですが,後輩の結婚披露宴などの諸々の所用があって札幌に遊びにいっていたので,なんとなく日をずらして書こうかと思いました.

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2011 年 3 月 11 日 14 時 46 分.

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東北地方太平洋沖地震が起こってから 1 年が経ちました.僕自身や僕の身の回りでは,多くの悲しみに比して,なにがしかの大きな被害が発生したなんてことはありませんでしたが,少なくともこの地震が,僕の人生の中でもトップクラスの大きな事件だったことは否めません.揺れの最中には,それまでの人生でリアルに感じたことなんてなかった「死」を意識しましたし,揺れによって物質的にはかなり多くの損害を被りました.もちろん,そんなものは 15000 人を超える死者の方々,また,その数倍〜数十倍の死者の縁者,数百倍以上の被災者の多くの方々の被った悲劇に比べれば微々たるものかもしれません.しかし,僕自身,あの日,あの瞬間を境に意識レベルで大きな変化をしたように思います.たぶん,それは,地震の前の自分には戻れないという意味で…….

この 1 年は,震災に関係すること,しないこと,色々なことがありました(詳しくはこちら).そのすべてがただ過ぎ去っていき,たぶん,僕という個に何かを残しているのだろうと思います.こういうときに僕のような存在が,何か偉そうな教訓を述べるようなことはしたくないですし,それぞれがすごくパーソナルなものなのでなんらかの形にすることはしませんが,今後も,それを大事に抱えながら生きていくのだろうなぁ,と.

1 年という時間を経て,少なくとも僕の周りは,物質的には元通りに戻りつつあります.そうはいっても,通学路の一部には地震以降復旧の目処の立たない通行止めなど,比較的,軽微な被災地区であった地域でも傷跡は散見されます.もちろん,大きな被害を受けた地域に関しては言わずもがなです.それでも,多くの人は復興に向けて努力していますし,まだまだ,先が見えないくらい遠い日のことだと思いますが,復旧なのか新興なのか,ともかく,ひとつ先の,「震災後の世界」が出来上がる日を信じて遅々とではありますが進んでいます.

身の回りでは,震災で大きなダメージを受けながらも卒業論文,修士論文を仕上げた教室の後輩諸氏(いちおう,僕も博論を上げたので,ここに入っても良いよね?w),大きな病気に罹りながら本当の意味で死ぬ気で修論を書き上げた研究室の後輩,震災やら就活やら修論やら遠距離恋愛やらを乗り越えて結婚にまで至った研究室の後輩などなど,個々の人生は止まることなく進んでいます.

なんというか,「それでいい」と思います.

とりあえず,一年.先に,あと何年続くのかわからないけれど,自分が止まったって世界は止まらないんだから,遅い上に千鳥足かもしれないけれど,とりあえず,進行方向が前だと信じて動いていくしかないよね.

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まぁ,地震から一年という区切りの日記くらい,こんな風に格好つけた文章書いてもいいよね?w

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あと,文中でも言及した今年で卒業する後輩 2 人への私信.

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この一年で地震の次に驚いたのが,君の病気だw 今となっては,とりあえず,「w」をつけて語れるが,当初は,かなりビビったものだw とにかく,それを乗り切って,修論まで書き上げた胆力には,本当に感心した.お疲れさま&卒業後も体に気を使いつつ,女関係に気を付けつつ,頑張って活躍することを祈るよ.

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とりあえず,リアルでも伝えたけれど,結婚おめでとう!君の結婚の報告も,この一年で驚いたことのかなり上位に食い込んでいるw 研究もなんとか書き切って,たぶん,俺の知らないような恋愛に関する困難を乗り切って,卒業と結婚に漕ぎ着けたのだろうから,あとは,俺が結婚する気になるくらい幸せになってくれw

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以上.

2012年3月1日木曜日

戦慄

昨日は閏日だったので,「前回の閏日に何をやっていたかなー」とか思い出していました.前回の閏日は M2 の年度末で修論提出直後にあたるので,修論のストレスから解放されているころのことです.ブログを読み返してみると,いちばんアイマス MAD とかにハマっている頃であることが伺われます.

その前の閏年は,2004 年,大学 2 年の年度末です.この頃は,web 上に記録を残していない時期にあたるので,具体的になにをやっていたのかは覚えていませんが,基本的に朝にバイト,学校,夕方〜深夜にバイト,その間に適宜バンド練習,飲み会という生活サイクルだったはずです.それでも,教養学部時代に比べると必修授業数が少なくなっていたので,いくらかは生活に余裕が出てきていた気がします.



……まぁ,何が戦慄かって……,2 回も閏年をさかのぼっても,まだ,大学時代……,そして,20 台だってことなんですけどね…….