2012年7月31日火曜日

おおかみこどもの雨と雪

先日,ちょっとしたノリと勢いで細田守監督の「おおかみこどもの雨と雪」を見てきました.この映画については,基本的にいい前評判を聞いていなかったことや,「サマーウォーズ」の肩すかしっぷりなどから細田監督に基本的に期待をしていなかったことなどから,そもそも,面白い映画を見られるとは思っていませんでした.実際,見終わったいま,この映画が面白かったかどうかを問われると「よくわからない……」としか答えようがありません.

以下,ネタバレを含む感想を書いていきますが,基本的に,僕が「よくわからない……」という感想に至った過程なので,ふわふわした「よくわからない」ものになっていると思います.この感想を読んで僕が感じたような「わからなさ」を追体験して頂くのも,一興かも知れませんが,この映画に関しては「実際に見てよくわからなかった」という体験をお勧めしたいところです(自分が感心したり面白いと感じたりしたものは勧めることはよくありますが,自分がよくわからなかったものを勧めるのは変かも知れませんが……).

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(以下,ネタバレあり.稀に見る酷評なので,この作品が「好き」と思っている人は読まないことをお勧めします)

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この作品に対する感想は,基本的に男なのか女なのか,子供がいるのかいないのか,(少なくとも結婚を考えるレベルの)人生をかけた恋愛経験があるのかないのか,大事な人との離別・死別経験があるのかないのか……という,個々の人生経験に応じて感想が変わる映画であるような気がします(し,実際,多くのレヴュウでもそのように言及されているようです).そして,僕は,この映画が基本的に(上記のような)人生経験をほぼ持たない男にしか受け入れられないのではないか,と思っています.ようは,童貞で夢見がちなピュアな青少年だけが,あの映画を楽しめるのではないか,と(ただし,いわゆるオタクは色々な意味でこの映画は楽しめなかったと思います).

このような人生経験に基づくと,男で,子育て経験がなく,オタクでもないピュアな青少年である僕は,比較的,この映画を楽しめる立場であったのではないかと思います(まぁ,重めの恋愛経験,離別・死別に関しては経験値がついていますが……).……というわけで,以下の感想は,こういう前提条件の下の感想であることを明記しておきます.

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この映画の全体に通底していて,そして,ずっと気になり続けたのは「リアリティーのなさ」と「設定している世界観の不安定さ」です.

前者は,この作品にとって(また,この監督の創作活動そのものにとって),特に致命的なものです.基本的に,この作品では,すべてのシーンにリアリズムが感じられませんでした.それが,この映画の全体的な印象です.

このようなリアリズムを欠くシーンには枚挙がありませんが,「一橋大学に入って奨学金とバイトで学生生活を送っている女学生が,何処の馬の骨ともわからない男と童貞の妄想丸出しのような恋愛をする」,「いかにも清純な設定の主人公が,急に脳機能がぶっ壊れたかのようなビッチ恋愛脳化する」,「狼男であることの告白という恋愛パート最大の山場の直後に,特に,葛藤などもなく即セックス」,「人間の姿になれるのに何故か獣姦」,「子供までできているのに 2 人の親族が全く出てこない.世界は 2 人でできているw」,「お父さんが死んだところ.都内でニホンオオカミ(野生動物)が死んでいるのに保健所ではなく清掃業者がやってきていて,挙げ句,(お母さんが泣き叫んでいるのに)なんの処置もなく清掃車にぶち込んでゴミ扱いする」などなどなどなど……,本編のプロローグ部分である都内での生活部分だけでも,リアリティーのないシーンは際限がありません(当然,これ以降のどのシーンもリアリズムを欠くものが多いです.作中,唯一,リアリズムを感じたのは「雪ちゃんが "宝物箱" を通じて,周りの女の子と自分が "違う" ことを理解する演出」の部分くらいです.ここだけは,本当に良かった.逆に最も許せなかったシーンは「親子熊がハナを襲わなかったシーン」.これは,個人的に作中最も現実感がなかったw 親子愛的な描写がしたかったんだろうけれど,クマである必要がないし,クマは子連れだと問答無用で襲ってくるから,ダブルの意味でリアリティーがない,とヒグマの生息地で調査をする仕事なワタクシとしては主張したい).これらのシーンにおける描写のリアリティーのなさは,監督が社会の中で生活しているのかどうかを疑いたくなるレベルです.

リアリズムというのは扱いの難しいもので,特に,この作品のようなファンタジーにおいては,「どこまでリアリズムを持ち込んでいくのか」という部分に,クリエイターのセンスが問われるわけです.しかし,この作品は,このリアリズムの扱いという点では,論の外にあります.

小説におけるリアリズムに関して,(たしか)志賀直哉が,「駅のホームで線路を挟んで愛をささやき合う男女」という素人の小説中にでてきた描写を例として,必要最低限のリアリティーの必要性を説く随筆があったかと思いますが(騒音だらけの駅のホームで,しかも,線路を挟んでいるのに愛をささやき合えるわけがなく,このような場面で,「別離」のモチーフとして離れたホームという舞台装置を用意するのはリアリズムに反する,という文脈だったと思います),こういうド素人の書く小説のようなチグハグ感が,この作品の全体を通して感じられます.つまり,基本的に演出や脚本に「気を使っている」感じがまったくないということです.これを,世界や社会に対する観察力が足りなすぎて,自分の脳内の妄想だけで世界を構築してしまった,と言い換えて解釈してもいいです.こういう風に,自分の描こうとしている物に真っ向から対峙していないあたり,この監督はクリエイターとして完全に終わっていると,僕は思います.

何故だか,この作品は「ジブリ」の作品と対比されることが多かったり,「ジブリ的」なんて言い方をされることが多い気がしますが,ジブリを支える宮崎駿監督,高畑勲監督は,リアリズムや観察の鬼であって,細田の立ち位置とは完全に真逆なものだと,僕は思います(特に宮崎監督は,綿密な観察に基づくリアリズム演出によって「ファンタジーにおけるリアリズム」のバランスが非常に巧みです.一方,高畑監督は,ファンタジー要素のない [薄い] 作品でも,何気ないシーンの演出によってリアリティーを浮き彫りにすることが非常に得意です [ex. ホタルの墓,おもひでぽろぽろ] ).……というか,こんな低レベルな作品と比較するだけでも,ジブリの作品群に対して失礼極まりないです.

そして,もうひとつの気がかりである「設定している世界観の不安定さ」ですが,こちらも致命的な悪印象を作品に残します.

ここまでに述べたリアリズムに関する感想と被る面があるのですが,ひとつひとつの設定に描写とのチグハグが目立つということです.例えば,「ハナと狼男の恋愛風景はいかにも 1960〜1970 年代な『神田川』なのに,それ以外の社会描写は,2000 年代っぽい描写が目立つ(流石に携帯電話が出てこないので 1990 年代を意識しているんだと思うけれど……)」,「狼男,半人半獣のこどもたち,山の主の存在などなど,いかにもなファンタジーの設定を導入しているのに,里の人間があまりにもファンタジックではない.『山や伝承に詳しい爺』みたいなキャラすらいない」,「山の主という王道のファンタジー設定を持ち込んでいるのに,山の主に,王道からあまりにも外れた狐を選ぶ不可解さ(たぶん,監督なりのリアリティーの追求なんだろうけれど,狐は伝統的に主というより "使い" であって,役者が足りない.ここは逆にリアリティーを犠牲にして,日本最後の古狼という設定でも良かったんじゃねーか,と.まぁ,雨 [の最後のオオカミとして] の主就任を際立たせる必要があるんなら,熊でもイノシシでも蛇でも亀でもいいわけだし)」などなどなどなど……,こちらも無数にシーンを挙げられます.

このようなチグハグ感も,基本的に観察不足や勉強不足,気の使わなさから来ていることは疑いようがありません.もし,それすらも意図で「王道」に反する新しいものを描こうとしているんだ,ということならば,僕は,監督にこの言葉を贈りたいと思います.


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ここまで,演出面で気になったことを延々と書き連ねてきましたが,演出の良かった部分もなかったわけではありません.

例えば,雪と雨の成長と 2 人の運命の分かれを表現するために,並んだ学校の教室に対してカメラを動かしながら 2 人の学校生活を描くシーン,先程も挙げた「雪が人間になっていく」ときの周囲との「違い」を理解していく演出,基本的に叩かれることの多い,細田監督特有の平板な固定カメラのような絵作りをやめて,雪原を転げ回るシーンでカメラを自在に動かして躍動感を表現していた演出,(ベタだけど)雪の「告白」のシーンでの風に揺れるカーテンに影が映るという演出……などが,特に良かったと思います.しかし,それらの光った演出が埋没するくらい,他シーンの演出の悪さ(上述)が気になりました.例えば,引いたカメラで捉えた,作中劇みたいな切り取られ方をした,お母さんとお父さんの恋愛シーンを,音楽に乗せるという発想は(ベタだけど)悪くない演出なのに,そこに描かれる恋愛が童貞の妄想みたいな気持ち悪い現実味のない描写なせいで,全体として気持ち悪い印象しか残さない,など,もったいない部分もかなりあったと思います.

とにかく,色々な意味で演出は残念極まりなかった,ということです.

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ちょっと,高評価な部分(?)を披露したところで,また,批判的な感想ですが,僕には,結局,この作品のストーリー面の落としどころがよくわかりませんでした(これが,冒頭で述べた「よくわからない……」という感想です).

この作品のストーリー面でとにかく気になったのは,思わせぶりな描写(のちに回収されないので伏線ですらない)が散りばめられる一方で,そのほとんどが後で意味を持つことがない,ということです.この中でもいちばん酷い設定不良は,そもそも物語が「雪ちゃんによる『お母さんの思い出』語り」であるにも関わらず,「"いま" お母さんの思い出を語りはじめたのか?」に答えが用意されていないことです(正確にいうと,子供 2 人が母の元を離れて自立したタイミングで,ということなのだと思いますが,そうだとすると長尺を使ってしつこいくらい描いた「子育て描写」が,その文脈から遊離してしまうのです).このフリに対しては,単純に「最後に子供ができた雪ちゃん」などの,ものすごく王道な描写を入れるだけで解決するはずですが,作中では,それをしないので非常にモヤモヤします.そして,このようなモヤモヤが,大小問わず,無数に出てくるのです.「お父さんの死因をぼかしたのに,特に後に回収されない」,「田舎特有の陰湿さを匂わす描写があるのに,後にはまったくそういうシーンがない」,「飼われた狼登場→その後描写なし」,「雨の入山後にそのことに関する周辺住人や母親,姉の反応なし」,「ソウスケ君の家庭問題→提示されるだけで特に意味なし」,「雪ちゃんとソウスケ君,2 人きりで学校で夜を越す→その後の描写なし」などなどなどなど…….

回収されなかった思わせぶりな描写は,伏線でもなんでもなく,視聴者(僕)の勝手な邪推でしかないので,これに関しては,僕の問題もあると思います.しかし,はっきりと描写されているのに,後に何も言及されない描写があまりにも多いので,その辺りについては,脚本の作り込みの甘さが出たものだとしか判断できません.

基本的なプロットである「両親の恋」→「お母さんのおおかみこどもの子育て奮闘記」→「それぞれのアイデンティティーの確立とそれを促す事件(雨くんの水没,雪ちゃんの宝物箱)」→「成長して自分の道を定める姉弟」→「違う道を選んで自立し,母の元を巣立つ姉弟」……という流れは読み取れるのですが,その本筋と関係のない無数の消化不良な流れがあまりにも多すぎて,本質的なストーリー展開の理解を阻害している気がしてなりません.これらの不満をひとことでいうと「よくわからない……」になるわけです.

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……ここまで演出面で散々なまでに,こき下ろしたので,最後に声優について.

取り敢えず,大沢たかおの演技が酷すぎて,終盤の重要な感動シーン(意識を失ったハナに,お父さんが「よくやったね」と伝えるシーン)がコメディーに見えました.一方,決して上手いとは思いませんでしたが,宮崎あおいは,まぁ,見ていれば慣れてくる程度には,演技できていました.

こどもたちの声を当ててた子役の演技に関しては,まず,声の出し方や設定を決めるという演技の基礎を叩き込んでから使いましょう,という感じです(だから,声優を使えと……).子役達の中では,幼年期の雪ちゃんの声を当てていた子がいちばん上手かったかな,という印象です(まぁ,子役特有の「考えない」ことによって醸されるメソッド演技論的な意味での「自然さ」が出ていただけで,いわゆる「演技の上手さ」ではないですが).逆に,少女期の雪ちゃんの声優(の子役)は,あまりにも声が安定しない上に,思春期感がなかった(大人っぽすぎだった)ので,そのギャップが気になりました(「隠す」演技をしようと考えてしまうことで,不自然に演技が大人っぽくなってしまっている感じ.幼年期の子役と逆の悪い意味で子役のやりがちな演技).

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……いろいろ書きましたが,冒頭で述べた通り,この映画は,多分,見る人のスタンスによって感想がまったく違うと思います.そして,僕のようにある程度の人生の経験値を積んでしまった,ものごとをピュアに信じられない人間と違う,ピュリティーのあふれる童貞男子(ただし,オタクを除く)は,自分の目で映画を見ることをお勧めします.

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(追記)

本当は,細田監督の特有の遠いカメラで捉える劇中劇みたいな平板な切り方をするカメラワークの話とか,オオカミの走行シーンのオオカミの動きに関するあれこれとか,逆に人間の動き(足や腕)の不自然さとか,おおかみこどもが人間とオオカミの間を行き来するときのメタモルフォーゼの表現の美しさとか(特に韮崎のおばさんの前で庭と部屋を雪ちゃんが行き来しながら何度もメタモルフォーゼする部分),サブカルの文脈における半人半獣のこどもの描き方に関するあれこれとか……書きたいことはいろいろあったのですが,ここまでであまりにも長くなり過ぎているので,書きませんw

(さらに追記)
一部わかり辛い記述を修正(2012/08/02).

いくつかこの映画を高評価しているレヴュウを読んでわかったのは,世の中には意外と,どんな経験を経ても「世界はかくも美しい」といえる心の広さを持っている人が多いのだな,ということです.

この感想文をあげた段階では,人生経験を積んだ普通の人ほど,(処女厨の気持ち悪さに通じるような)オタク・サブカル文化圏に通底するようなピュリティー妄信(いわゆる現実味のない青春性とかそういうものが至高で,セクシャリティーや生臭さを排したような世界観)に嫌悪感を示すものだと思っていたのですが,そうでもないようです.確かに,思い直してみると一般の人に「ウケた」ものって,サブカル文化圏の描くピュリティーに近いものがあるのかもしれなくて,それが,いわゆる日本人の好みなのかもしれないな,とか思ってしまうのでした(例えば,「冬のソナタ(に描かれるおば樣方が夢中になったピュリティー)」のブームなんかが,この類似例にあるのではないかと).

……この辺は,あとで,ちょっと文章にまとめたいな.

(またまた追記)

ちょっと見方を変えた部分について別な記事で追記しました

2012年7月26日木曜日

ゆるなり

購入記録.

「ゆるゆり」 8, 9 巻

ゆるなり……ではなく,ゆるゆりの新刊.9 巻は,またしても完全書き下ろし.どんだけ描くのが早いんだ,なもり先生!

あかりちゃんはやっぱり大天使!櫻子かわいい!綾千もいいけど,やっぱり京綾は大正義.あと,アンケートはがきの体を為していなかった松本会長はがきがかわいい.

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「ゆりゆり」

なもり先生の同人誌.短編が 5 本と,そのアフターから構成されているガチ百合もの.百合分は満たされるけど,初恋的なシチュばっかりでちょっと物足りない感じ.5 編のなかでは「ゆりゆり 5」がいちばんよかった.

2012年7月19日木曜日

Jon Lord 追悼

この記事を書いているいま,訃報からちょっと時間が経ってしまっているのは,この訃報が僕にとって,かなりショッキングなものだったからです.訃報に接して全身脱力したのは(昼飯食いつつ iPhone でニュースサイトみていたときだったので,リアルに箸を落とした),かなり久し振りのことでした.

この世代の,いわゆる HM/HR 創成期の偉人,その中でもトップクラスの音楽家であり,イノベイターであるジョン・ロード.彼のハモンドオルガンの響きがなかったら,多分,この世界の HM/HR はまるで違うものになっていたはずです.仮に Deep Purple が成立していたとしても,彼らの曲の響きにクラシカルな要素が加わることはなかっただろうし,凶暴性と格調高さを同居させるようなクラシカルな背景を持つ HR/HM の系譜なんて生まれることはなかっただろうと思います(たぶん,Deep Purple はリッチーがただの HR をやってただけだろうと思う.そして,少なくとも Blues 以外の系譜と背景をもつタイプの HR/HM の出現はかなり遅れたことでしょう).

……しかし,そんな彼が一般に与えた影響とか,ロック史における立ち位置とか,そんなものは,本当はどうでも良くて,"In Rock", "Fire Ball", "Machine Head", "Burn" で僕を熱狂させる鍵盤ソロを弾いていた人が,心底惚れ込んだ "Live in Japan" のぶっ飛んだソロパフォーマンスをやっていた人が,もう,いなくなってしまったという事実が,単純に悲しいです.

好きな曲,好きなソロ,好きなプレイがいっぱいあります.ここまで 3 期までの Deep Purple の話だけしかしていませんが,4 期以降の Deep Purple も Whitesnake も大好きです.再結成後,リッチー脱退後も Deep Purple を聞き続けていたのはジョン・ロードのプレイを聞くためだったといっても過言ではありません.本当に悲しい.

Requiescat in Pace

2012年7月18日水曜日

落語会

何故だか,理学部の職員会が落語会を催していて,しかも,柳家喜多八師匠(とお弟子さんの柳家ろべえさん)がくるというのでいって参りました.なお,落語は,元々,好きなのであって,「じょしらく」人気に乗じて行ってきたのではないことを申し添えておきます.

寄席に通うというほどのことはしたことがないのですが,それでも,高校時分や,学部生の頃は機会を見つけては寄席に行ったり,落語会に行ったりしていましたが,ここ数年は,忙しさや北海道という遠隔地に長くいたことやお財布の寂しさもあって,生で落語をみるということがなかなかありませんでしたので,今回の落語会は,久し振りの生の落語でした.

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会に来ていた客は,自分たちを含めても 20 名ちょぼちょぼというところで,講義室に急ごしらえをした高座の前に並べられた椅子の大半はあいているといったところ.ネタは,前座に東北大の落研の方の「金明竹」,柳家ろべえさんの「子ほめ」「千早振る(改)」,そして喜多八師匠の「あくび指南」,中入りを挟んで,学生の和楽器演奏,トリに喜多八師匠の「癪の合薬」でした.

まず,落研の学生の方.「金明竹」は,代表的な前座話ということで,場を軽くあっためるのにはちょうどいいチョイスで,天狗連の噺にしては良かったと思います.二回目の口上でトチっていたあたりもご愛嬌.


その後に高座に上がったのが,お弟子さんのろべえさん.恐縮にも名前を知らなかったもので,あんまり期待していなかったのですが,とても良かったです.特に,天狗連の学生の席のあとだったので「これがプロの間とキレか!」と妙に好印象を受けてしまったのは否定できませんw でも,本当に良かった.

「子ほめ」は細かくくすぐりを入れてはいたものの正統な古典落語として演じきっていました.噺は下げがちょっと普通と違ったくらいで,基本や所作がしっかりしていて,いい噺でした.そして,続けて演じられたのが「千早振る」の改作でした.これが,とても良かった!ご自身が理系出身ということで「大師匠(の小三治師)に物理を取り入れた落語を」といわれて始めたという噺だそうで,これが本当に良かった(しつこいw).単なる理系ギャグや理系ネタを交えただけではなく,もともとの隠居の超解釈に上手く理系ネタ(を程よく一般化して)盛り込んでいて,最初から最後まで大爆笑でした.もちろん,二つ目ということで,演技にむらは多少あるんだけれど,元気も勢いもリズムもよくって,とても引き込まれました.ファンになってしまいましたw

喜多八師匠のネタは二席ともいうまでもなくいい噺でした.喜多八師匠は,録音を聞いたことしかなく,動く姿をみたのははじめてでしたが,ふらふらとしたまくらからすっと落語に入るキレや,高座の上がり降りの所作,風の扱い,細かな演技が,喜多八師匠のお師匠にあたる小三治師匠にそっくりでした.噺はいうまでもなく「見事」のひとことでした.「あくび指南」の暢気な町人とバカ正直に「あくび」を指南する師匠のバカバカしいやりとりのおかしみがしみじみと良かったです.そして,中入り後の「癪の合薬」は大爆笑でした.こちらは,ハナから笑いの絶えない滑稽話ですが,いちいち可笑しくて,サゲも鮮やかで,すっきり笑いきりました.

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どうやら,5 年前にも春風亭一朝師匠を呼んで落語会があったらしいので,また,落語会をやってくれないかなぁ,と期待しています.

……あ,感想を特に書いていない和楽器演奏ですが,手前の琴の低音の調弦が狂っていたことと,配置の関係で三味線が聞こえなかったことが印象に残っています.押し手の強弱が甘いとか,押す位置がばらけていて微妙に音程ずれているとかは聞かなかったことにしておきたい.

2012年7月16日月曜日

さいきんのわたくし

学位取得からかれこれ 1 年,基本的に学位論文の整理公表に向けた作業と過去 6 年間ほど自分のメインテーマであり,ほぼ自分だけで引き摺ってきたテーマの(ひとまずの)締めくくり作業に追われている日々です.

あと,公式には微妙に所属や立ち位置が変わったりなんだりしていますが,それに伴って,言うこと為すことにもうすこし気を使おうかな,などと思っている今日この頃です.そんなわけで,ついったとかこういう日記とかのあり方や態度も考えなければいけないなぁ,とか思う次第です.まぁ,基本的には馬鹿なこと以外を発信するのは控えようと思っているところです.

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日々の(研究以外の)趣味は,ほぼ漫画とアニメに限られています.前クールは結構な数のアニメを流し見ていました.今クールは,ちょっと視聴数が減っています.今クールのさわりの部分で気になっているのは,「人類は衰退しました」「TARI TARI」「ココロコネクト」あたりでしょうか.特に「人類〜」はふわふわしたファンタジーかつ SF な設定と主人公の可愛さおよびやる気のなさとところどころに漏れる話の黒さがとても心地よいバランスで好きです.あとふたつについては,僕も大概青春もの好きなので.これに加えて「ゆるゆり」「じょしらく」あたりをチェックしようかと思います.

前クールまでのアニメに関しては「モーレツ!宇宙海賊」が飛び抜けてよかったです.他にもいろいろ見ていましたが,いまや,ほとんど印象に残っていません.阿知賀編はあったのは覚えているけれど,「なんでこんなのやっちゃったんだろう?」という感想しかないので…….あと,前クールでは原作が好きだったので「謎の彼女 X」は見ていましたし,基本的には良いアニメ化だったと思います(……が卜部美琴役の声優に関しては許すつもりはない).

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最近は,新しい漫画を開拓することもする気もなくなってしまっているので,アニメ以外に何かしら新規のコンテンツを消化する気が起きません.それも,どうかと思うので,なにかしら小説やらなにやらを買おうと思うだけ思って,買うことはしていないというのが現状です.

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……とまぁ,そんな感じです.

2012年7月13日金曜日

ほっかいどう

先日の名古屋出張に引き続いて北海道に調査にいってきました.その際,調査が雨天中止になった日があり,その日に,宿泊地近傍の某観光名所に遊びに行ってきたので,その写真を載せておきます.この付近の研究に参加しはじめてから 6 年ほどになりますが,この観光名所に行ったのは今回がはじめてでした.

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この事件の跡地.


なぜか唐突に現れるヒグマのオブジェ.

"袈裟懸け" が民家(明景家)を襲う様子(再現).

襲われた民家のなかの様子(再現).

くまのつめあと.

……というわけで,三渓(旧称:三毛別)にある,三毛別羆事件の跡地に行ってきたわけです.三毛別事件は,日本最悪の獣害事件として有名な事件です.この事件をモチーフにした吉村昭の「羆嵐」なんかが有名ですが,個人的には「慟哭の谷」のほうがオススメです.

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今回のお土産.

ヒグマを観光のうりにするとか心の底から頭おかしいと思う.

当地の名物看板とままえだベアーの栓抜き.本物はオロロン海道沿いの苫前町市街の入り口付近にあります.

2012年7月11日水曜日

名古屋・その2……というか,登山記録

名古屋への遠征から 1 週間半,その後の北海道調査まで終わっているというのに,今更,名古屋遠征の話の続きです.

……と,その前に.ほとんど(仕事を)何もしていない 1 日目に撮った写真です.

名古屋駅前の珍妙な建築物.これをみて,名古屋は違うな〜,と思った.

夕飯を食べに行くついでにお散歩がてら大須演芸場の前を通過.時間があれば(北海道調査がなければ学会 3 日目をサボって)見に行ったのだけれど…….

夕飯に食べたミソカツ.店員のお姉ちゃんに勧められるままにわらじトンカツなるものを注文.

名古屋限定(?)の缶コーヒー類とコンビニ製天むす.知らなかったけど,天むすって小さいものなのね.

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名古屋滞在 2 日目は,朝一番でホテルをチェックアウトした後にホテル近傍の喫茶店で名古屋名物のモーニング(小倉トースト)を頂いて,某学会に出向きました.

午前中は講演を眺めたり,久し振りにお会いする先輩方にお叱りを受けたりして過ごし,昼時には,Twitter で知り合った方と出会ったり,以前,お世話になって以来(カロリーを奢っていただいて以来)お付き合いさせて頂いている古生物模型作家の方に挨拶をしたりしました.で,午後はじめにポスターセッションを冷やかしたあと,自分の講演をいつも通り(噛みまくりながら)こなした後に,今回の学会のメインイベントである登山に向かいました(先に登場した Twitter で知り合った方と某同僚他 1 名の 4 名で).

ここでの登山の様子は文章でお伝えするよりも写真でお伝えするほうが話が早いと思うので,以下,写真をお楽しみください.


最寄り駅から徒歩数分,見えてきた "山" の看板.

"山" の看板2

同行者の注文したマンゴースペシャル(辛口)というかき氷.本当に辛口w

甘口バナナスパ.こちらも同行者の注文.スパゲッティなのにケーキの匂いがするよ!

こちらは自分の注文.黒いチャーハン.イカスミピラフと別のメニューだったのだが,イカスミ味のチャーハンで,一体,何が違ったのかは不明w 味は普通だったのだけれど,米と同じくらいの量のパスタがw

おしるこスパ.同行者の注文.スパゲッティがおしるこに浮いてるよ!あと,量が多いw

こちらは私の注文(2 周目).メディアでもよく取り上げられる名物(?)甘口抹茶小倉スパ!見た目のインパクトに比して,普通にお菓子として食べられる.

(※以上,まともなメニューを除いた写真です)

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入った後,あまりのメニュー数に注文を戸惑っている間に他テーブルから聞こえる客と店員の,

客 「このアラビアータってどんなものですか?」
店員「アラビアータみたいなものです」

……という会話を聞いたりして,びくびくし通しでしたが,実際にものが出てくると,もっと驚く,そんな体験ができましたw