2015年10月14日水曜日

ありあじあっゔぇにーれ

公開初日に観に行っていたんだけれど,感想を書くのを忘れていた.

「ARIA the Avvenire」

とにかく,完全な,僕らの望んだ「ARIA」そのもので,素晴らしかった.新人 3 人組とか出てくるんだけれど,「ARIA」は,アリシアさんと灯里ちゃんの物語である,ということがブレていなくて,すごく良かった.特に,アリシアさんの物語が丁寧に描かれていたのが良かった.

個人的には,思い入れを注ぎ込みにくい新人 3 人組に時間が割かれた分,灯里,藍華,アリスの 3 人組の絡みが少なかったのと,本当にどうしようもなく,仕方がないんだけれど,僕の愛するアテナ先輩がいつものボケボケな状態でみんなと絡んでいるところが見られなかったところが,本当に残念だった.川上とも子ロイドでもいいし,それどころか,しゃべらなくても,書き下ろし原作漫画に登場しているシーンでは登場させて欲しかったな.描かれなかったのが悲しい.ただ,アテナ先輩の長髪はちょっと(苦笑).

でも,回想シーンだけでも,川上とも子さんの声でアテナ先輩が喋ってくれたのと,録音だけれど河合英里さんの歌声が流れたのは,泣けた.

あと,一瞬だけれど,アルくんと暁さん,郵便屋さん,カフェ・フロリアンのオーナーまで出ていたのにウッディーさんが出ていなかったのはかわいそうだと思った(笑).いや,もしかしたら,どこかで一瞬だけ出ていたのを見逃したのかもしれないけれど.

2015年9月25日金曜日

すたっぷ

最終的な報告がなされたようなので備忘として記録しておく.しかし,こういう報告が論文誌に(しかも,Nature に)載るという事実が,この事件の傷跡の深さを象徴しているようだ.

この段階にきて,改めて思うのは,結果論から遡る以外に,あの事件をどうやったら未遂に終わらせることができたのか,という点が,今後,重要になってくるのだろう,ということ.今回は,蓋を開けてみたら,あまりにも杜撰な状態が明らかになったから解決の上でよかったようなものの,もし,これが巧妙に仕組まれていたとすると,科学哲学的な意味での性善説のようなものは崩壊していくしかないのかもしれない.

関連記事

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http://dokuwakooshow.blogspot.jp/2014/04/blog-post_12.html
http://dokuwakooshow.blogspot.jp/2014/06/blog-post.html
http://dokuwakooshow.blogspot.jp/2014/08/blog-post.html
http://mad-bass-laughing.blogspot.jp/2014/10/blog-post_56.html

こうならべると,自分,結構,この関連の記事書いてたんだな…….まぁ,サイエンスの隅っこにいる人間として,この件に関心をもたないとか無理だしな.

2015年9月24日木曜日

「心が叫びたがっているんだ」感想

長井監督(+まろり+田中さん)の最新作.「あの花」のメンバーが再結集という売りなんだけれど,個人的には「とらドラ!」の三人組(「あの花」は嫌いじゃなかったけれど,媚びすぎというか,わかりやすすぎというか,なんとなくダメなところが見え隠れするので).

というわけで,感想(ネタバレ含む,というか,見てないと意味不明かと).

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単純に面白かった.確かに,満点の出来ではないけれど,単に佳作というよりは,良作として評価したいくらいの面白さ.名作ではないんだけれど.

全編を通して,とにかく,長井監督の絵作りが天才的に上手くて,カットの数々を眺めているだけで楽しいとう感じ.長井監督の切るコンテの特徴として,画面の中の人物の配置の取り方が際立つけれど,単純なカメラの動かし方とかも綺麗で,本当に才能を感じる.あと,やっぱり,この人のコンテは,過剰演技気味と言われることもあるけれど,表情豊かな演技をさせるから好き.特に,今作の場合,誰が誰にどういう思いを抱いているのかをセリフよりも絵で,丁寧に,上手く表現できていたところが良かった(順は坂上に顔を赤らめているシーンがあるけれど,坂上が順に顔を赤らめているシーンはほぼない,とか).

ストーリーに関しては,とにかく,「幼い女の子が憧れている山の上のお城がラブホテルでそこから不倫中の父親登場」という強烈なイントロが素晴らしかった.この辺,まろりと長井監督が(たぶん)大好きな「無自覚と無知の生む悪意」そのもので,とても良かった.ストーリー全体は,担任のいう「ミュージカルには奇跡がつきもの」というセリフが象徴するようにありきたりなベタな奇跡に満ちている青春ものなんだけれど,それでいい,という感じ.いや,それでこそ,といったほうがいいかな.とにかく,坂上が順を選ばないラストは,日和らずによく描き切った,と褒めてやりたい(最初から最後まで坂上から順に何かを思っている描写がない.逆に仁藤を気にしてる描写は多い).まろり分が薄くて,もう少し切れ味欲しかったとも思ったけれどw

ストーリーで少し残念なのが,仁藤が良い子で,可愛すぎたところかな,と.彼女は,もっと,暗黒面に落ちて良かったと思う.可愛いし,病み方が優等生すぎた.あと,田崎が三枚目の良いキャラで良かった.最後の告白宣言も田崎のキャラが良かったから,あんまり蛇足感がなかった気がする(ちゃんとファミレスのシーンで好意を抱き始めるきっかけも描かれていたし).恋愛関連も,2 時間の映画でよく詰め込んだ,という感じ(坂上・仁藤に関しては,「以前付き合っていたけど自然消滅した」という言葉で観覧者に想像させる手法だったけれど,順と田崎については丁寧だった).特に,順の恋愛も行動理念も,人との関わりを積極的に断ち続けた結果として,精神的に幼い部分が残酷なまでにエグく描かれているところは,さすがまろり先生.

ネットでは,true tears(アニメ)にストーリーが似ていたみたいな評があるけれど,違うね,と(似ていないとは言わないけれど).作中,坂上は,一度たりとも順に惹かれていないし(ここが重要),そもそも,この話は,順(乃絵に相当)の視点で描かれている.そして,本質的に恋愛が主題ではないところが根本的に違う(今作において,恋愛の方向性は軸がぶれていない,誰が誰に選ばれてどうなるのかは,物語の始めから終わりまでぶれていない).むしろ,"青春の向こう脛" を蹴られて痛くなってしまったのは,恋愛のせいではなくて「卵」に象徴される「言葉にしない」という各人の心の問題で,恋愛がらみのドロドロではない.

ストーリーの類似度で言えば,むしろ,三人組の前作である「あの花」のほうが高くて,「卵(キャラ)」を「めんま(青春のもたらした幻覚)」に置き換えると,ストーリーが「あの花」の主軸と同じことがよくわかる.違うのは,「あの花」では,みんなが「めんま」の存在を認めることで,わだかまりが解消したのに対して,「ここさけ」では「卵」の存在をみんなで否定する(=それは自分の生み出した幻影と認める)ことで,風が通るようになったというところくらいか.

あと,個人的には,「家族愛(笑)」なスタンスが非常によかった.「家族」には「無償の愛」があるとか糞食らえだよね.クソみたいな家族は実在するし,それは,事実として無視してはいけないのだ.ラスト近く,順の母親が順を見直す部分は,ストーリーの都合上仕方がないとはいえ,アレもなくてよかったくらい.絶対的な正義みたいな薄っぺらい「家族愛」しかテーマを作れないクソみたいな無能アニメ映画監督とは大違い.細田のことだけど.

細かいところだと,思春期に特有のダサい空気の作り方は,やっぱり上手いな,と思った.「青春の向こう脛」とか,担任に変なあだ名をつけているところとか,行事を略称(振れ交)で呼んでたりするところとか,ラブホという存在の扱い方とか(=性行為という恋愛のリアルとの距離感の取り方).

まぁ,そんなこんなで,面白かったので,見てない人にはオススメしておきます.少なくとも,「あの花」よりは面白いです.「とらドラ!」には勝てないかもしれないけれど.あれは,ちょっと別格すぎて…….

長井監督に今後も長編アニメを作るためのスポンサーがつきますように.細田なんかに金を出している人は,長井監督に金を出すようになればいいのに.

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やっぱり,好きだったものを褒める文章を書くのは苦手.

2015年8月10日月曜日

ジュラシックワールド

見てきた.ただ単純に面白かった.あと,いまの CG の技術ってすごいなと思った.なにより,アニマトロニクスを使っているシーンよりも CG のほうが画面に馴染んでいるのがびっくりした.

いくら名作とはいえ,映画についてはジュラシックパークの第一作から今作まで,所詮は SF パニック映画なので,ストーリーとかそういうものに突っ込むのは野暮.とにかく,恐竜が動いて,戦って,恐ろしいというところが守られていれば全てオーケーなのだ.

個人的には,(異常に巨大な)海トカゲさんが美味しいとこを全部持っていくところとか,ジュラシックパーク時代の遺物が出てきたりするところとか(小物とか音楽とか),ティラノサウルスとインドミナスがバトルしているところにラプトルがピョコピョコ飛び回るシーンとかが良かった.残念だったのは,イカした(イカれた?)古生物学者が登場しなかったところ.本筋に絡まなくても,アラン・グラントは出してほしかったなぁ.

あと,ジュラシックなのに,クレタの恐竜ばっかりなのは,いつもながらもにょもにょする.クレテイシャスワールドではいかんのか?

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さて,ここで問題です.ジュラシックパークで古生物に目覚めて,いま,古生物学者になってこの映画を見ている人は何人くらいいるでしょう?ちなみに,私は違います.

2015年6月22日月曜日

ラブライブ!の映画

なんとなく暇なタイミングで,上映期間中に映画をやっていることを思い出してしまったことと,なんとなく,見ておかないと気持ち悪い感覚が残りそうだったので見てきた(または,見てきてしまった).

内容に関しては,まぁ,「内容が無いよう!」という以上の感想は無い.面白いとか面白くないとか,言及する次元の話ではないのだと思う(別に悪い意味ではなく).美少女動物園の PV として限りなく "間違っていない" 作りだった.そして,凛ちゃんかわいい.

同様の美少女動物園系に数えられる「けいおん!」の映画が,本編(原作+TV 放映)にできた空白をスッポリ埋めることで物語を過不足なく完成させたのに対して,完全に放映時に終わらせてしまったラブライブの物語に,約 2 時間分の映画を作ってなお,本編のラスト以上に "何物も加えない" というミラクルをかましてくれたのは,ある意味,尊敬できるレベル.ちょっと花田十輝を見直しそうになったw(参考: http://mad-bass-laughing.blogspot.jp/2015/06/blog-post_9.html

とにかく,本編であれだけ熱く「μ's は 3 年生の卒業とともに終わる」とかいっていたのをほじくり返すとか「イミワカンナイ!(カミノケクルクルー)」や卒業式から何日経ってんだよ!的なツッコミをしたら負けということがわかった.あと,「突然歌うよ!」なミュージカル的なノリと演出は嫌いじゃなかった.

とにかく,凛ちゃんかわいい.

2015年5月16日土曜日

やっぱり,いい

志村貴子まつり感想.

「淡島百景」 1

短編連作で歴史を紡ぐ系.だいぶ,マイルドに描いているけれど少女同士のエグい話をサラッと描いちゃうあたりがさすが.2 話と 3 話が良かった.藤ヶ谷が出てきたりしたのは「ちょっと」と思ったけれど,バス停さんの裏側は良かった.バス停さんが,あーちゃんがお気に入りだった理由がわかった気がする.

本当に,志村貴子は「嫌な奴」を書かせると天才.

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「娘の家出」 2

なんか,トーンダウン.変な人間しか出てこないのが,なんかダメなんだな.「青い花」でも,「放浪息子」でも,自分が他人と違うとか,世界から拒絶されるとか,そういう感覚が緊張感を生み出していたけれど,みんなが呆気らかんと現状を認めてしまう世界というのは,やっぱり,なんか違う気がする.

ナンバー 11, 12 のニート姉妹は良かった.

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「わがままちえちゃん」

一冊完結.短くまとまっていて良かった.あと,読みながら,さおりんが彼氏と出会わずにやけっぱちのまま高校生になったらこんな感じで自暴自棄になるんじゃないかなと思いながら読んでいたら,作者あとがきで作者もさおりんとの親和性を感じていたようで…….

エンコー少女になったくらいのところまではピンボケしていてよくわからなかったけれど,利根川さんが出てきてから徐々に焦点が合ってきて,オチは良かった.

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「こいいじ」は試し読みだけして,ちょっと面白そうと思ってしまったので,今度買おうかと思っている.

2015年5月14日木曜日

国立大学ってなんだっけ?

国立大学の学費を私立大学並みに上げるとか,そういう議論.ここまで愚かな議論を久しぶりに見た感じ.

僕の入学した頃(2002 年)の国立大学の学費が,ぎりぎり 50 万円いかないくらいだったと思うけれど,それでも(国立大に受かったことで金銭面で安心しきっていた)両親が度肝を抜かれる程度に高いという印象だった(両親の世代だと国立大学の学費は,もろもろ込みで 5 万円以下).いまは,更に上がっていて,54 万円くらいだ(つい 4 年前まで払っていたから詳しいのだ).公立高校が無償化されたことを考えれば,ここから更に学費を上げるというのは暴挙に近い.

国立大学に行けば,たとえ大学まで行ったとしても,学費の面で親孝行という時代は遠くなってしまっている.これ以上,学費が上がると,はっきり言って,金銭的な問題から進学を断念しなければならないという例が,かなり顕在化してくるに違いない(いまですら珍しい話でもないのに).ちなみに,こういう話になると出てくる,「バイトで学費を稼げ」とかいう妄言は,学生の本分からも,稼がねばならない金額の大きさからも,ナンセンス極まりない.大抵,こういうバカなことを抜かすのは,国立大学の学費が当時の物価水準を考えてもタダみたいに安かった,現在 50 代後半以上の世代だ.おっさんどもの世代は,バイトで補うなんて芸当が(楽に)可能な金額の時代だっただけだ.というか,いま,58 歳の世代まで国立大学の(入学時の)授業料って,36,000 円だったんだぜ?年額だよ?桁を間違えているわけじゃないよ?いまの若者には到底信じられないような話だけれどさ.

※なんで,学費の変遷に詳しいかというと,いま 60 歳くらいの世代のとあるおっさんに「俺たちが学生の頃は学費はバイトで補っていた.いまの若者は……」云々とご高説を垂れられて,(その場で調べた学費の変遷を見せながら)ブチ切れたことがあるからだ.

学問でもなんでもそうなんだけれど,機会だけは均等でなければならないと思うんだ(なお,この言説で最も重要な部分である "機会だけ" を抜かすとバカサヨになる).少なくとも,(今回の議論で話題になっている)私立大学に近い水準なんていう学費になったら,上流とはいわないけれど,中流の中では裕福なほうだった僕の親父の稼ぎでも,兄妹そろって大学進学させるような学費は賄えてなかったんじゃないかと思う.(まだいないけど)自分の子供が大学進学する時に,そんな学費だったらとか想像すると,すでに生涯賃金曲線がわかっている身の上ゆえ,ゾッとする.馬鹿げた話すぎて,失笑も出ない.

しかも,この議論の発端が財務省からだって言うんだから,へそで茶がわくね.しかも,その発想をした理由が,もう……(あまりにも馬鹿らしすぎて書く気も起きませんので,ニュースなりなんなり見てください).

国立大学って,なんだったっけ?あ,いまは国立大学法人か.まぁ,どっちでもいいんだけれど.

2015年5月10日日曜日

似て非なるところ

ひとつ前の記事の類例.

音楽専門学校の講師をしている人が自分の学生の 1 割程度しかビートルズを知らなかったことで,「専門学校に来る程度に音楽を志向するならもっと色んな種類の音楽を聴いてくれ……」と苦言を呈したという話.大友の話と同じような老害が若者に権威主義を振りかざしている構造のように見えて,ちょっと違うようです.僕が,大友はどうでもいいと思っているけれど,ビートルズに関しては信者だという事実は,たぶん,関係ないと思う(思いたい).

大友の話と違うのは,ほかにいくらでも選択肢がある中で,曲がりなりにも音楽の専門学校に行く程度に音楽に志向していながら,聞かないでいることが難しいくらい世の中に溢れている大メジャーな部分(というか基礎)を無意識(か意図的か)のうちにスルーしてしまっている程度に音楽に興味を持っていないという点だと思います(あっちの話は "漫画好き" を称しているとはいえ,単なるいち読者が大友を読んだ上で正直な感想を述べているという話).

結局,この話の専門学生の多くが普段どんな音楽を聴いているかというところで,アニソンやニコニコ動画の歌い手やボカロ曲というオチがつき,現在,ネットで大盛り上がり……という展開を迎えているようなのですが,実は,その点はどうでもいいところです.実際,いまのアニソンはアニソンというジャンル名でくくるのが間違っているくらい曲調が多岐にわたっていますし,素人作曲とはいえボカロ曲にだっていい曲はあります(言外に大半はゴミだという含みをもたせつつ).

ここで面白いのは,件の専門学生たちは,たぶん,音楽が好きで,アニソンという狭い枠の中かもしれないけれど,ある程度多様なジャンルを内包している楽曲群を好んで聴いているだろうにもかかわらず,普通に生活していたら嫌でも耳に入ってくるくらい世の中に溢れているビートルズの楽曲が意識に入っていないというところです.

この理由は,彼らは音楽が好きである以前にサブカルチャー(というかアニメ)が好きであることから,明瞭な興味の指向性があること,ネット上で簡便かつ(白黒の是非は問わず)無料でアクセスできるものにしか到達できないということの二点で説明可能です.自分が興味があることの延長だから聞くのを厭わないとか,検索して簡単にタダで聞けるとかが,彼らにとっては音楽の良し悪しや好み,ジャンル分けよりも重要なのでしょう(アニソンというくくりをジャンル名として用いているあたりからもそれが伺える.アニソンには HM/HR もあれば,民謡調のものもあるし,ジャズ風の楽曲もある).

たぶん,この世代にとっては,そもそも自分の興味がない世界は存在しないし,仮に偶然興味を持っても,自分の検索スキルで引っ掛けることができないものは存在しないのではないかと思います.要は,街中で,CM で,TV 番組の挿入歌で,コンビニの有線で,偶然聞いた「いい曲」を,CD 屋で店員に聞いたりとかしながらなんとか調べて,音源を手に入れたりする,というのは,すでにおっさんの価値観なのでしょう.ネットでの検索が便利になりすぎて,そこで簡単に調べがつかないものについて,自分の検索スキルを疑うことなく,存在しないものとして無視できてしまう素敵な世界なのかと思うと,寂しいような気がします.

2015年5月8日金曜日

以前・以後

某所で,「漫画に詳しいという若者が大友の漫画の何がすごいか理解していなかった.嘆かわしい(意訳)」というつぶやきを見た.僕は,大友直撃世代でもなければ,彼の漫画の信奉者でもないので,ピンとこない感覚だ(もちろん,漫画の絵を大きく変えたという事実は尊敬するとして.あと「童夢」は好き).はっきり言ってしまうと,大友克洋の評価は,評論家の生み出した「大友以前・大友以後」なんていうスローガンが一人歩きをしている結果に過ぎないと思っている.大友に対する過大な評価は,現代アートなんかで,アーティストが評論家とタッグを組むことで生まれた商売のための過大評価・過大広告なんかと似た空気を感じる.これ,大友のメインフィールドが SF で,SF 好きがコテコテの評論芸の使い手だという背景と多分にリンクしている話なんだけれど,本題から外れるので,その辺は割愛.

なにが言いたいかというと,読者は,サブカル史とか漫画史の研究者なんかじゃないんだから,歴史的な背景なんて関係なくて,「読んだ時点」が「評価の対象」になるのだということ.冒頭のつぶやきのように,読者に歴史の理解を要求するなんて,そんな傲慢な話はない.大友のすごさが分からない若者なんかよりも,こんなつぶやきをしてしまう老害が発生していることに,漫画ファン層も随分と権威主義的になったんだと,残念な気分になるのでした.

2015年4月30日木曜日

まつり

志村貴子祭りが開催中な模様.

「娘の家出」 2 巻,「淡島百景」 1 巻,「わがままちえちゃん」を購入.「こいいじ」は少し気になったけれど,購入見送り(一気に大量に買うのもなんだし……).

読冊メモは後日.

2015年4月17日金曜日

読册

買った順番とかもめちゃくちゃだけれど,まだ,メモつけていなかった分を消化.

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「今日のあすかショー」 1〜4 巻 モリタイシ

よくネットに数ページだけ晒されているアレ.絵柄が割と好みだったのと,ちょっと興味があったので買ってみた.絵柄については,全編通してみるとそこまでよくもなかったけれど,漫画としては面白かった.

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「こんなエルフに用はない」 tenkla

よくネットに謎のエルフ汁だけ晒されている例のアレ.クソバカギャグだということなので買ってみた.クソバカギャグだった.読んでいる間は笑えるので,まぁ,いいw

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「人外な彼女」 高橋葉介

近年は,年に一冊のペースで刊行される高橋葉介先生の 2015 年新刊.(こんなこと言っちゃダメだけれど)高橋葉介先生の絵でさえあれば,最早,内容なんてどうでもいいくらいの高橋葉介信者なので(いや,内容も好きだからマニアなんだけれど),高橋先生の新作絵が年に一回刊行されるということが幸せ(最近は,復刻も多いから書き下ろしの表紙絵のためだけに全く同じ内容の短編が載っているのも全部買い集めている).

吸血鬼,蛇女,猫娘,魔法少女,鮫女,妖精が良かった.他は普通かな?個人的には,吸血鬼と妖精が特に好き.妖精のラスト,なんとなく「人間になった妖精が生き返るかどうか気になってつぶれるのを見逃しちゃう」感じに妙に共感してしまったw

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「純潔のマリア」 1〜3 巻+Exhibition 石川雅之

アニメになったので買ってみた.結局,原作を読んじゃったからアニメは見なくなっちゃったけれど,結構,オリジナル展開もやっていたみたいだから,ちょっと内容は気になったりしている.

話は面白かったけれど,ここまでどストレートな愛の讃歌みたいな話は読んでいる方が恥ずかしくなる.

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「押入れの少年」 1 巻 原作:高橋葉介,作画:みもり

なもり先生のなりそこない見たいな名前の作画だなとか思ったのは内緒.高橋葉介先生の原作ものは初めて買ってみた(「加護女」は連載時に何回か読んだけれど "お約束" を知らないのでピンとこなかった).高橋先生の原作がネームレベルなのか,文章原作なのか,プロットのみなのかよくわからないけれど,サトルとみこととお婆ちゃんの組み合わせとしめりちゃんに高橋葉介臭が漂う.その他のサブキャラはあんまり高橋漫画っぽくないかな?話は,学校怪談の中期(山岸くんが死ななくなったくらい〜九段先生が出てくる前頃)をやや子供向けにしたノリかな.

作画の人は,絵がこなれていないからあんまりだけれど,みことちゃんは可愛い.

「加護女」も買ってみようかな,と思わせる程度には,高橋原作というものを見直させてくれた.

2015年4月13日月曜日

補足

ひとつ前の記事.妙にアクセス数が多いので,あまりにも散文だったものを加筆修正しました.少しは論旨が明確になったと思います.

なお,「ブロントサウルス」で検索して,あんな古生物マニア全否定の記事を読まされちゃった人には,ごめんなさい.oanus 博士の晒し上げから,誤って,あのとりとめのない散文を踏んじゃった人には……,いや,その層はどうでもいいや(笑).あと,こんな記事をあげた以上は,責任を持って,件の論文には目を通しておきます.だからといって,今後,その論文に言及するとも思えないけれど……(心底どーでもいいから).

そういえば,この記事のリライトをしているときに思い出したから,素朴な疑問としてメモっておく.結局,例のトリケラトップスとトロサウルスの論文の件って,その後,どうフォローされているんだろう?……この辺も,気が向いたら調べておこうかと(とはいえ,あの論文は骨門外漢な僕が読んでも色々穴だらけだったんだけれど…….フリルの穴の問題だけに / ドヤ顔).結局,Triceratops horridus の holotype 燃やすしかないって結論になったんだっけ?(違)

ひとつ前の記事みたいな内容を上手くかける文章力が欲しいなぁ.過度に書きたいことが多い時に情報を取捨選択してまとまった文章を書けるようになりたい.

2015年4月11日土曜日

名前というアイコン

あまりにも散漫な文章だったのに,やたらとアクセス数が多いので,加筆修正しました(2015.4.13).

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最近,恐竜オタク界隈では,「ブロントサウルスの名前が復活するかも?」という話題が盛り上がっているらしい(伝聞).僕個人は,そもそも,この話題にさほど興味もないため,議論の起点になっている論文に目すら通していないので,議論の詳細は不明なんだけれど,界隈の反応を眺める限り,それなりに説得力のある論文のようです(てめーも古生物学の縁辺にいるならそのくらい読んでからコメントしろよ,というツッコミは想定内であり,ごもっともだけれど,本題はそこではないのでスルーします).

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本題の前に,前提知識として「分類」のことを少々.

分類っていうのは,非常に恣意的なものです.基本的には「これって別(新)種じゃね?」という主張と,学会の承認または反論を経ていることで,なんとなく決まっていきます(もちろん,定められた正規の手順を踏んでいるのは前提).なので,ひとつの分類体系というのは,基本的に仲良しグループ(学会)の内輪ネタみたいなものです.仲が悪いグループ同士で同じ個体に別な名前をつけていることすらあり得ます(この場合,学会の総体としては種の帰属が未定という扱いです).

また,それに加えて,分類,またはその結果生じた種というのは,分類に関わったことのない人が想像するよりもはるかに流動的なものです.今生きていて,DNA を使って検討ができるような現生の生物でも,分類は流動的なので,その形態のみ(しかも欠損部分が多い.軟組織は絶望的)だけから議論をする古生物の分類なんて,そもそも定常的な部分なんてほとんどありません.ゆるゆるです.

そして,一番重要なことですが,分類は科学ではありません(これ本当に重要).分類とは決められたルールに則った,議論と妥協と諦観の産物とも言えます(systematics の概念とか,ルールの詳細とかが気になる人は自分で調べてね).分類が科学じゃないのならなんなのか,というと一言で表すのは難しいのですが,これでも(古生物の)分類に関わった経験がある人間としては「ゲームである」と言っておきます.他の偉大な先生方のいう「(人間の)本能」であるとか,「趣味」とかの言い方も好きです.

(もちろん,上記は「わかりやすい」ことを目的として書いた以上,正確さや真実を犠牲にしていることを申し上げておきます)

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本題.

というわけで,ブロントサウルスにまつわる騒動の件です.

ブロントサウルスという名前が広く親しまれていた時代の記憶と,ある時期から「最近の研究ではアパトサウルスと同じであることがわかった」のお題目とともに図鑑や本から消え失せてしまったという記憶とを持っている世代の人(いま 30 代以上の恐竜好き)にとって,「ブロントサウルスという名称の復活」は,ある程度,興味深いニュースなのだろうと思います.しかし,そこまで大騒ぎするようなニュースであるとも思えないのに,一部のガチなマニアを超えて,ライトな恐竜好きである一般の人まで巻き込んで大騒ぎになっている様子は,僕には,やや大袈裟に感じるのです.特に,今回の論文では,新たに新個体が見つかったというわけでもなく,「既存の個体をたくさん調べたらこうなりました」という(多分に語弊があるけれど)労力がかかるわりに地味な分類の研究である当該論文に対して,ニュースをみた恐竜好きの反響が異常なまでに大きいのです.

以前,「トリケラトップスとトロサウルスが同種である」という論旨の論文が出たときにも(過剰な大反響という意味で)今回と似た様な印象を持ったのですが,この 2 つのニュースの共通点を見てみると,どうやら恐竜が好きな人たちにとって「恐竜の名前」というのが,なによりも重要なアイコンであるらしいと思い当たります(例えば,日本で未記載の恐竜が発見されたというような,よりセンセイショナルなニュースと比べても,この 2 つの "名前についての" ニュースは明らかに大きく取り上げられています).この辺の感覚は,古生物学にどっぷりな僕にはちょっとよくわからないところです.

古生物(学)に一定の専門性をもつ僕らからすると,とある標本が新種記載されて新しい名前がついたあとに,分類が見直されて既存の別種に組み込まれたとしても,その標本自体の学術的な価値が変化するわけではないので(正確にいうと,学術的には完模式標本ではなくなる [*]),(古)生物学を行ううえでなんの変化もないと考えます.もちろん,今回のように,元々,単一の種だと考えられていた標本群を再検討した結果,複数の種に分割された,という場合でも,"名前" という点にはあんまり注目しません.それは,言うまでもなく(古)生物学が「名前をつける」ための学問ではなく,標本(群)から様々な情報を読み取る学問だからです(もちろん,それだけじゃないのですが).

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[*] 完模式標本:新しい学名を提唱したときに記載の根拠となった標本のこと.ちょっと違うけれど,その種ではじめて見つかった個体だと思ってもらえれば良いかと.

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今回の論文で言えば,どういう標本(群)を用いて,どういう検討をしたことで,どういう結果が出て,その結果のどういう点を根拠にして分類が大きく書き換わったのか,というのが古生物学的に,古生物分類的に,意味があるところであって,それに付随して生じた「ブロントサウルス」の名称の復活はどうでもいい事象だと言い切れます.

この,僕らと一般の古生物ファンとの差異は,どこから生まれるのか?もっというと,古生物に興味がある人にとって,古生物学的に重要な点である論文の骨子ではなく,なぜ,どうでもいい "名前の問題" が重要であるかのように反応するのでしょうか?

その鍵は,人と古生物(学)との間の距離感にあるように思います.

古生物学をやっているわけではない古生物が好きな人は,化石を使って研究をするわけでも,研究の最先端に追いつくために論文を乱読するわけでも,場合によっては標本に実際に触れるわけでもないのでしょう [**].残念ながら,多くの古生物好きたちが触れられる「古生物」とは,古生物学の成果の上辺をなぞった本に書かれる知識や,カタログに載った化石の写真,そのカタログ上の記載文なのでしょう(もっとぶっちゃけて言えば,標本の写真や記載なんて読んでもいなくて,図鑑の復元画と体長なんかのデータ群なのでしょう).だからこそ,古生物ファン層にとっては,自分たちが容易に触れることのできる部分である,その古生物のアイコン,つまり,名前や絵(もちろん,化石の写真ではなく,肉のついた色とりどりのアレ)が大事になってくるのではないかと思います.

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[**] 好きな対象が,今回のように恐竜だったら,普通の人は,まず触れることができないと思います.広義の古生物学関係者であり,恐竜研究者の友人知人が多い僕でも,実際に恐竜の標本に触れた経験はかなり少ないです.

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この辺,僕らが「怪獣図鑑」を読んでいる感覚に近いのではないかと思います(「恐竜=怪獣」というアナログの話は,もともと oanus 博士の受け売り).怪獣は実在しないので,僕らが触れられるのは,その怪獣が戦っている映像や,コロタン文庫とかの怪獣図鑑の乏しい設定資料しかありません.それしかないのだから,ひたすらそれをなぞるしかないのです.残念ながら,多くの一般人は,実際の着ぐるみや設定資料,ましてや存在しない怪獣そのものには触れられないのだから,なおさらです.

古生物学に興味があるとか,古生物の形が好きとか,順当な興味からスタートした興味であっても,古生物(学)との距離が縮まらない限りは,古生物学の本来の面白さに触れることはできません.しかし,はじめに「面白そう」と思ったときの情動が,実際に古生物学にまで至ることはなかなかありません.結果,多くの古生物好きが,実物に触れるための努力を放棄して,実物に触れたくても触れられないけれど安易に知りたいという歪つな欲求を募らせて,たくさんの恐竜の名前を覚えたり,図鑑の記述を覚えたり,所蔵博物館の名前や標本番号を覚えたり,という間違った方向の努力に昇華してしまうというのは,なんとも皮肉なことです(これらのマニアの諸症状は実際にあった例です).なにしろ,図鑑のデータを覚える作業は学問的にも,学問に進むうえでの過程としても,ほとんど役に立たないのだから……(参考: http://sonicch.com/archives/40637699.html ).

ここで重要だと思うのは「恐竜が好きだから恐竜のことを知りたい」という子供に自然発生する情動をいかに学問の俎上に導くのか,というところなのですが,それはまた,別の話(この辺の話も,そろそろ書きたいけれど,また,今度).

増えているの構図,とか

「最近(近年),⚪︎⚪︎する若者が増えている」系の話題・記事.

基本的にネタ切れのライターの常套手段のようだけれど(類似品として「若者の⚪︎⚪︎離れ」とか,「⚪︎⚪︎性のない最近の若者」とか),当然これらは,個人の自己発信手法の多様化によって現・若者が過去の若者に比べて顕在化しやすいこと(=見かけの多様度が高くなっている),ひとつの情報の拡散速度が著しく高くなっていること,報道を称する媒体の数が増えていることなんかの背景からでる錯覚の産物にすぎない(のは,あえていうまでもなく,本題でもない).

ここで引き合いに出したいのが,我々の業界(趣味)でいうところの「化石記録の不完全性」という例のアレ.ネタ切れライターを研究者,ネタ探しのフェーズを調査・研究,SNS の発展を研究の進展,記事を論文に置き換えてやると面白いアナログ観察ができそうだとか思ったけれど,そんなことはやりません.

似たようなアナログ観察として,昔から,株価の時系列変化と古環境変動指標の曲線(主に炭酸塩殻生物の殻の安定炭素同位体比変動がいい)というのも面白そうと思っているので,株なんてやっていないのに,いまだに株価の推移曲線をニマニマしながら眺めては,著名な炭素同位体比変動にそっくりなラインを保存する遊びをしていたりする.

2015年4月6日月曜日

意識の変節

昔は三島由紀夫の小説が嫌いだった.

そのうち,高校生くらいになって,当時,付き合っていた彼女が三島好きだった影響で,いくつか読み散らして,三島の戯曲は「華やかで面白い」と思うようになったけれど,小説は一部を除いて,やっぱりあんまりピンとこなかった.「翼」とかは,美しいと思ったりもしたけれど,美しいだけなら川端でも読んでいれば良かったし,個人的な趣味で言えば谷崎が好きだった(鏡花はもっと好きだった/笑).

その後,大学で自堕落な生活を送っていた頃,一緒にソフトロックをやるバンドを組んでいて,よく(向こうだけ)酒を飲みながら音楽から哲学から学問から政治からグダグダと夜通し議論するような仲だった先輩が「春の雪」だけがすごい好きだというので,その影響で読んでみて,「ちょっと良いな」と思うこともあったけれど,どうにも「社会とか理想とかと自分の業をすり合わせるためだけに生まれたような文学」は好きになれなくて,社会に背を向けて自分だけに向き合う文学に耽溺して,無頼派から町田町蔵に至る系譜をなぞってばかりいた(太宰,安吾,椎名,町蔵あたりは未だにフェイバリット.最近は,とある本屋さんの勧めで西村賢太を読んでみようかなとか思っている).

そういえば,「春の雪」の映画は,自分の中で,心的・文学的な問題よりも目の前にある自然現象の問題を解明することの方が重要になっていた頃に,渡仏する飛行機の中で見たけれど,あの映画の竹内結子は綺麗だったな.邦画特有の画面の暗さはやはり好かなかったけれど,映画としてはよくできていたと思う.

最近,本当に年をとったと感じる.体力が衰えてきたとか,人並みに社会人になったとか,人並みに結婚したとか,そういうことも関係しているのかもしれないけれど,鮮烈な青春で,自分史のハイライトだと思い込んでいた,物心ついてから高校までの時代よりも,大学から今に至る時代の方が長くなってしまったことに気付いたことが大きい.この時期を,自分は取り戻すことのできない青春の追憶の中で「晩年」を生きていたつもりだったけれど,今思い返せば,この時代もこの時期特有の痛覚に彩られているし,結局,今の自分に至る全ては,この時代の全てで培われていて,好き勝手に生きて放蕩してきたことが,自分を社会の中に立たせていたのだったと,いまなら記せる.そうして,人間は(少なくとも僕は),自分の業だけではなくて,社会とも向き合わないことはできないとも気付いた.社会とか理想とかと自分の業は別なものではなくて,一個の人間にとっては,切り離せない内面的な問題かもしれないと,たぶん,この歳になったから気付いたような気がする.

たぶん,いまなら三島を読めるんじゃないかと思った.

手始めに,「豊饒の海」の続きでも読んでみようかと,自分の変節に想いを馳せながら,「今」を起点とした時に何年後かに,何年か,何十年か後に,また訪れるであろう,ひとつの自分史の区切りまでを,自分はどうするのだろうかとか思う.そうして,タバコの紫煙を吐き出して,モニターに残されたこの文章を「なんだこれは…….どうしてこんな文章になった?」と,読み返して苦笑しながら,とりあえず,更新ボタンをポチるのだった.

2015年4月4日土曜日

算数教育の話

子供の算数のテストで子供がとんでもない採点されていた系のエピソードを晒している親をたまに見かける.一番メジャーな奴は「かけ算の順序問題」として,わりとガチ勢も含めて教育論の議論になったりすることもあるアレなんだけれど,僕自身は,だいぶ前から本当にそんな問題があるのかどうかについてかなり懐疑的だ.何がいいたいかというと,ごく稀に(イカれた教員によって)発生する事案を小学校教員・教育全体の問題として過大にみているのではないかということ.

例えば,かけ算の順序(いわゆる「かける数」と「かけられる数」)を逆にしたらテストでバツを付けられたというエピソードに添えられている画像は数年前から使い回されているものであることが多い.もちろん,定期的に新しい画像も追加されているけれど,間違える小学生の数(×親が晒す確率)を想像すると,その画像のバリエーションは明らかに少ない(数の推定が間違っているかもしれないけれど).特に,以前に比べ,個人が容易にウェブを通じて主張ができるようになった現状を鑑みたら,もっと大量の変な採点画像が出回っていてもおかしくないと思う.

実際,自分が小学生の頃の教員を思い出してみても,そんなに理不尽な採点を受けた記憶はないし(もちろん,僕がとんでもなく優秀で一度も教員の意に反する回答をしたことがない生徒だったか,僕が奇跡的に良教員にだけしか会わなかったかのどちらかの可能性もあるけれど),そんなエピソードを当時も,子持ち知人の増えた今もリアルでは聞いた経験はない(俺様統計).

まぁ,そういう採点画像が存在している以上,日本のどこかにはイカれた採点の被害を受けた小学生がいることは事実で,それは,大変かわいそうな巡り合わせだと思うけれど,ほとんど事故のような稀なイベントは,その他の教育の重要な問題と比較して目くじら立てるようなことなんかな,と思ってしまうのでした.イカれた教師には僕も何人か会った記憶あるけれど,彼らが僕になんの(悪)影響を与えたかって,「世の中には馬鹿な大人もいるんだな」とか「イカれたおっさんの話を聞いてもしようがない」とか実感させてくれた以上のなんにもないもの.

2015年4月1日水曜日

結局,文字に戻る

良質なものを享受したいと思うと結局文字に戻るという結論に舞い戻った.

(自分のアイディアを具現化するための一定の才能があるのは前提として)アイディアを形にするときにかかるコストが低ければ,その分野は発展する.アイディアをもつ多くの人はそこに集中するし,コストがかからない分,バックも得やすいから市場も生まれやすい.そういう意味で,歴史的に文学(俳句,短歌,詩,純文学〜大衆文学,ライトノベルまで)が非常に広大なものになるのは当然だし,絵画もまた然り.漫画は,少なくとも日本においては,比較的,バックに対してコストがかからない分野だから,文学ほどではなくとも,やはり広大だ.

消費者を含めて分野が広大になると,バックに合わせた省コストの媒体も作りやすい.需要が少ないジャンルなら,その需要でペイするコストだけをかけて媒体を作ることができる.そうやって,裾野は広がる.

逆に具現化するためのコストが高いのは映像分野だろう.ひとつのアイディアを具現化するのにものすごい数の従事者を必要とする.特に,アニメは最も金がかかる部類の具現化手法だと思う.そういう状況だと,結局,自分のアイディアを具現化するために莫大な金額を簡単に投げ出せる人間(エル・カンターレとか)か,すでに(別分野で)売れている人間のアイディア(マンガ原作,小説原作とか)を持ってくるか,売れることが想定されるアイディア(をもつ人間)か,過去にものすごい儲けた人間(宮崎駿とか)くらいしか,アニメとして具現化するチャンスはないのではないかと思う(それでも,どんなに予防線を張ったところで失敗するものは失敗するし,思いがけないものが成功することも,少ないとはいえある).

コストがかかる限り,手に入りやすい値段でものが売れないから,ただでさえ売り辛いので,需要が多くないジャンルは,そもそも作られることがない.結果として,多様性は生まれにくい.それでも,購買層が十分に大きければ市場は徐々に広がっていくんだろうけれど,特にアニメは,ある程度の潮流を築いたメディアの中では最後発にあたるので,その他の(よりコストが低い)メディアとの需要の奪い合いに,まず,勝てない.勝てない分野は,そもそも売れないわけで,売れないと想定されるものは作られない.作られなければ,(アニメの中では)マイナーな需要を持つ層は,先行分野で需要を満たしてしまうので,アニメに期待をしないし,そもそも,見ることをしない.そんな負のフィードバックがアニメ業界にはある気がする.たぶん,これは気のせいではない.

よって,僕がものすごく好きになるタイプのアニメが売れないことが多い以上,僕は,アニメに期待をしても仕方がないということなので,結局,実写映画に,漫画に,文字に,戻っていくのであった.

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不思議なことは,アニメほどではないけれど,かなりコストがかかる実写映像は,アニメと比較して,はるかに広大な市場を獲得していることだ.実写映像とアニメとで差がついた理由があるとしたら,それはたぶん,最初期にターゲットとした層の質なんじゃないかと思うわけだけど,それはまた別な話.

2015年3月18日水曜日

アニメ業界ブラック説に関して思うこと

ある業種について,賃金に不満がある場合,結局,やる(やりたい)人間が自分(労働力)を安売りしないことしか,労働条件を改善する方法はないのよね.少なくとも,自活できないような賃金の仕事は全部断るとか.その結果,そんな賃金じゃ雇えないと首を切られたりするんだろうけれど,それらが積み重なって業種や従事者が減少して市場が縮小したときに,需要があれば条件は改善されて行くだろうし,そうでなければ,その市場に需要はなかったということで衰退するか消滅していくかしかないのでしょう(介護とかそういう職は,前者なので頑張ってもらいたい.アニメ業界はかなり後者よりなので,健全化のために消滅させてもいいんじゃないかと思う.ちなみに,研究者は,イベントがない限り社会的には限りなく後者だけれど,少なくとも現在の施政者の一般的な保護政策のおかげで公的な支援が充実していて,辛うじて命脈を保っているという状態だと思っている).

特に後者に属する系列に多い(というかサブカル系産業に多い),その仕事ができる喜びみたいなものに殉じて自分の仕事を安売りするようなタイプの人間は,他者も巻き込んだ大迷惑なのです.「好きだから」,「やりたいから」で自分や周囲を犠牲にしていいのは趣味の範疇に許されるものであって,適正な(=自活できるレベルの)価格で買い取られないことを許容している状態は,プロフェッショナルといえないどころか,仕事にすらなっていないのですよ.

それができないということは,あなたにはその業種をやる上での運も,運すら凌駕する飛び抜けた才能もないのです(運は重要.マジ重要.「SHIROBAKO」で杉江さんも言ってた!).

2015年3月11日水曜日

死ぬかと思った日

結局,この日が近付くと思い出す.

放尿中に猛烈な揺れに襲われたこととか,被災生活時に追いつめられて精神をすり減らしたこととか(主に対人関係で.あーいうときって本性出るよね),ニヒリストや皮肉屋を気取っていた自分が現実に直面して色々軟化したこととか(あのヴィトゲンシュタインが最期に「素晴らしい人生だったと伝えてくれ」といったがごとき精神的な転向だった気がする),進路の舵を大きく切り替えたこととか,諸々,思い出す.

なんか,起こった瞬間のこととか,自分たちも校舎から避難しながらワンセグテレビで見た,ごく近所の,見覚えも行った覚えもある場所が津波に飲まれている映像とか,無数にある地割れや倒壊した建物や崩れた壁なんかを見ながら地震とか地質とかの話をしながら徒歩で帰ったこととか(八木山橋が不通だったから川内に降りて,土砂崩れで完全に道が閉鎖されていた御霊屋で追い返されて,結局,4 号線から愛宕大橋を経由して,向山の坂を登って八木山に帰った),その後の数日の仙台での難民生活から仙台脱出行とかも強烈だったけれど,札幌での逃亡生活〜仙台帰還後,日常が取り戻されるまでの数ヶ月の(それまでの人生に対して)あまりに非日常だった日々も印象深い.もちろん,D 論執筆期と被っていたというのも大きいのだけれど.

経験をしてしまった以上,それまでと変わってしまうのは当然として,あーいう日々がなかったら自分(とかあのとき周辺にいた人間)はどうなっていただろうかとか考えると,色々感慨深い.もしかしたら……(以下は,省略されました)

2015年3月10日火曜日

指輪(半分宣伝)

例のあれ

結婚に際して,指輪を購入することになったときの会話.

三次元嫁(以下,よ)「結婚指輪は作るから!(宣言)」
俺「ナット?」
よ「……あれは婚約指輪じゃなかったっけ?(年齢の分かる会話)」
俺「じゃあ,どんなのがいいの?メジャーなのはプラチナだけど,金とかで傷や変化を過ごしてきた年月に重ねて楽しむとかいう風潮もあるらしいよ?」
よ「材質は固くて丈夫なものが良い.重いとなお良い」
俺「タングステン?」
よ「そういうことじゃない!」
俺「あ,調べたら,以外とタングステンのアクセサリーあるな.あんまり面白くない」
よ「だから,そういうことじゃない!プラチナとか……」
俺「プラチナとかつまらん……どうせ純粋な白金じゃないし.どうせ白金族ならイリジウムとかー.重いしー」
よ「イリジウムはプラチナ並みに普通じゃない?」
俺「……確かに,所詮,万年筆のペン先だもんな」
よ「だから,そもそも白金でいいじゃん」
俺「日本人らしくニッポニウムことレニウムというのはどう?一応,俺,トンペー卒(ロンダ)だし」
よ「ナニソレ?」
俺「最後から 2 番目に発見された天然由来元素.日本人が見つけてニッポニウムとか名付けたけれど,同定ミスで公認得られなかった元素」
よ「そもそも,そんな金属で指輪作れるの?」
俺「調べたらレニウムの指輪はないっぽい.でも,作りたがっている工房見つけた」
よ「ナニソレ?」
俺「これ.つ http://ameblo.jp/ringology/entry-11059502674.html
(二人でブログ熟読中)
俺「やばいよ!この人,すべての人体に安全な金属で指輪を作れるとか書いてる!記事熱い!ハフニウム VS タンタルの指輪の材質としての比較記事とかある!」
よ「……これは,確かにすごい……!」
俺「そもそもさ,指輪の普通って何さって話でさー(中略)というわけで,材質そのものに凝るって言うのが我々の取るべき道なんだよ!」
よ「な,なんだってー!?……じゃなくて,相変わらずわけの分からん屁理屈こねやがって…….まぁ,それはそれで面白いけれど」
(以上,途中端折ってるけれど,ほぼ原文まま)

……などという会話を経て,こちらの工房に関して色々調べた結果,二人とも納得の上で(ここ重要),アポを取って直接職人さんに相談させていただきました.

その際,色々な金属で作られた指輪のサンプルを見させて頂いて,タンタルとか(K-Pg 境界的な意味で)イリジウムとかにも惹かれたものの(タンタルは暗色で渋い.イリジウムはぱっと見白金みたいに白くて綺麗),ハフニウムが,輝きすぎず落ち着いた白系の金属色で,とても綺麗だったこともあり,材質はハフニウムに,デザインはシンプルで落ち着いたものにすることを決定しました.丁寧に対応していただいた職人さんの人柄に惹かれたのもこちらの工房に決めた理由のひとつです(材質に関して科学的に深い知識があって,信頼がおけたというのが大きいです).

そんなわけで,職人さんと連絡を取りながら,制作過程の詳細を送っていただいたりしながら,ようやく,完成品を入手することができました.





色合いとしては銀に近い感じで,とても落ち着いた色で大満足です.デザインは,ご覧の通り,メビウスリング(っぽい)造形で,一面を粗い研磨,一面を鏡面仕上げにしてもらっています.

こちらの工房,元々は金属アレルギーの起こりにくい材質を探求しているうちに色々な金属での指輪制作を研究されたということです.工房さんの本質である「金属アレルギーになり辛い指輪」をご希望の方,材質に拘って一風変わった指輪を作りたいという方は,是非,代官山指輪工房さんにお願いしてみてはいかがでしょうか!?【宣伝】


2015年3月4日水曜日

完全に気の迷いだった

うん.Twitter 再開とかないわ.見たくないものを見てしまってストレスを溜めたくないから TL を見るのをやめたのだということを,たった数時間 TL を眺めただけで思い出した.むしろ,数ヶ月離れていた結果,耐性が落ちたのか,アレに耐えられていた数ヶ月前の自分が信じられない感じ……

2015年3月3日火曜日

もう一回整理しようかと

Twitter を辞めて久しい.辞めた理由は,特定の 100 人くらいに向けてだだらに書いた文字列を見せつけたいほど承認欲求が大きくないこととか(web のどこかには落書きしたいけれど特定の志向性は持たせたくないというか……),そもそも,コミュニケーションツールとしてあんまり使っていなかったこととか,140 文字という制限に疑問を感じたこととか,仕事を始めたせいで大学時代には一日中気が向いたときに覗けていた超空間井戸端会議に参加できる時間が限られたことで,TL に対する瞬発性とか TL の感覚的な連綿性とかが失われてしまったこととか,まぁ,色々あるんだけれど,端的にいうと "飽きた" と総括できてしまう.

とはいえ,辞めてから分かったのは気軽かつだだらに,しかもリアルタイムで脳汁を垂れ流す,という行為は twitter 以外では難しいということ.顔本は瞬発的な更新が可能だけれどリアルと通底し過ぎているから書きにくいことも多いし,この日記やあそこは瞬発性に欠けるのがなんとも難しい(web 落書きをやめるという発想はあまりない).あと,志向性が強い発言はフラットな場で気炎を吐くよりも,ある程度,ものを感じてくれる人に向けて発言したいというときに,あそこはあんまり向いていないことにも気付いた(そもそも,あそこは怒られたくないからコメントすら受け付けていないし).

それに加えて,あそこも当初想定していたような「ひとりごと」のクリップなのか,ある程度まとまった文章なのかよくわからない場になってしまって,結局,こことの差別化がよくわからなくなっているという悪い展開を迎えつつある(最近は,10 行以上の文章はこっちに書くことを意識しているけれど).

そんなわけで,落書き場所をもう一度整理しようかと思ったり.

ぐだぐだとなにが言いたいかというと,twitter を再開してもいいかもとか思っているということです.たぶん,忙しくて精神的に追いつめられているので逃避先としての TL を求めているんだと思うw

でも,twitter を再開したらあそこは存在意義が吹っ飛んでなくなるんじゃないかと思う.まぁ,そうしたら,過去ログをここに引き上げれば良いだけなんだけれど.

別段大学だけが閉鎖的で不思議なわけではない

某所で「某公立大学では名刺を自腹で作らなきゃいけないなんて不思議だ.こんな慣習はここだけだ(意訳)」という記事を見かけたが,(最近は組織にもよるみたいだけれど)公務員(準公務員,元々公務員だった職業)は基本的に名刺は自腹なものだと複数ルートから聞いた(実際,そういう立場の人の名刺は明らかに自作なものが多いし,それはそれでオリジナリティーがあって面白かったりもする).もちろん,僕の所属組織もその例には漏れない.変だとは思うけれど,まぁ,ルールはルールで仕方がないことなので,僕も自分の名刺は自宅でしこしこと刷っている.もちろん,「自腹」という言葉の範疇には諸々入るようだけれど(例えば,大学とかだと外部資金なら OK とかそういう話は聞いたことがある).

ところで,この名刺にまつわるルールの件なんだけれど,本当かどうかは知らないけれど,もともと「役人は基本的に名刺を配ってはいけない(持ってはいけない)」というルールがあったせいだといわれている.しかし,役人であっても名刺が必要になる場面もある時代になった結果,「(税金であるところの)公金を使って名刺をバラまくのはダメだけれど,個人が勝手に作って撒く分には黙認する」となり,更にそれが転じて「名刺は自腹で用意しなければならない」というルールになったということらしい.この世間の常識からの遅れっぷりをみると,役人でも公費で名刺を作っていいというルールになるころには,名刺交換の文化自体が薄れている時代になっている気がする.

元々の「名刺を配っちゃダメ」というルールの起源についてもはっきりしたことは分からないけれど,「身分や役職(=仕事内容)が外部に知られることを防ぐ(賄賂とか不正の防止)」とか,「昔の役人は『お役人さま』だったから自ら名刺を配るという行為は必要なかった」とか,「税金で私物(名刺=個人の名前が入った公共性がないもの)を作ってはいけなかったから」とか,「公僕に名刺は必要ない」とか,「公務員の無名性に名刺文化はなじまないから」とか,いろいろ聞いた.

そういうわけがあるので,我々は名刺を積極的に配りたがらないことも多いんですが,常識がないんじゃなくて「身銭を切りたくない」だけなので,怒らないで下さい(笑).

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ちなみに,僕は親が公務員だった上に,自身も一般の職場といわれる場所に身を置いたことがないから本気で分からないんだけれど,名刺が会社から支給されるっていうのは,実際のところ,どのくらい常識的なことなんでしょう?それなりの規模の一般会社の人でも自作っぽい名刺を配っていることもあるので……(自作でも名刺用紙は会社負担とかなのかもしれないけれど).

2015年2月15日日曜日

二日目感想

あとで真面目に書こうと思って当日に走り書きしてたんだけれど,やる気がなくなったので走り書きのまま.

・水橋さんちっちぇー!
・相変わらずのテンポルバートっぷりだったけど,今日はハマっていた曲が多かった.
・打楽器が良かった.
・ティンパニメインの曲が格好良かった.
・打楽器の人たちがいろんな楽器を演奏していて大変そうだった.
・野中藍さんに比べて水橋かおりさんのナレーションほかが熟れていた.
・生「ティロ・フィナーレ!」が聞けた!
・最後の Magia がすごく盛り上がった.
・君の銀の庭のオーケストラアレンジが極めて良かった.

とても楽しかった.

2015年2月11日水曜日

まどマギコンサート(1 日目)感想

「劇場版魔法少女まどかマギカ [前編] 始まりの物語/ [後編] 永遠の物語 オーケストラ・コンサート」

演奏:東京室内管弦楽団(指揮:志村健一)

Special MC:野中藍

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僕自身はこのコンサート自体全く知らなかったのだけれど,職場の上司が行く予定だったものの,日程を動かせない出張と被ってしまったということで,"アニオタ仲間" ということで譲ってもらったので行ってきました.

開演のちょいちょいネタを挟んだアナウンスから野中藍さんが担当されていて,和やかな雰囲気でスタート.

演奏がはじまってすぐの印象は,リズムの取りにくそうな指揮をする人だなー,という感じ.実際,開始数曲はパーカッション隊がやや不安定で聞いていて不安になってきたけれど,弦楽主体の曲になって(たぶん,コンマスさんのリードで)安定してきたので,以降は安心して聞けた.指揮者の方は,曲のテンションに合わせてもたらせたり走らせたりをかなりエモーショナルに表現したいタイプの人らしく(テンポルバート系),ハマると格好いいんだけれど,ちょいちょい狙いを外していた感が…….特に,はじめの方のドラムセットが入る曲では,エレキ楽器隊はノリノリで走るわ,ドラマーさんはカッチリしたエイトビートを叩きながらも指揮者(+弦楽隊)とエレキ隊のタイム感の狭間で不安げだわで,リズムが絞まっていなかったことがちらほら(途中から,ドラマーさんが「自分のリズムを信じる!」という感じで,全体を引っ張っていたので気にならなかったけれど).逆に,ノイジーで不協和音が多いリズムをとるのが大変そうなイヌカレー空間系の曲は,指揮者が安定していてすごく良かった.

その辺の不安も,インタルードの手前くらいで野中藍さんの生セリフ込みの演出になってきたり,オケのテンションも上がってきたりして,なくなってきて,以降はとても楽しめました.

オーケストレーションはハマっていた曲と外していた曲が半々と言ったところ.オケが職人肌でしっかりしていたので,もうちょっとオケ(特に弦楽隊)に頼っても良かったんじゃないかと思ったりした曲や,音量バランスが悪かった曲もあったけれど,ハマっていた曲はひたすら格好よかったので,全体としては良かったんじゃないかと思います.

特に良かった曲は,さやかちゃんのテーマ,さやかちゃん堕ちのテーマ,オクタヴィアちゃんのテーマ,杏子ちゃんへのレクイエムあたりの曲(さやかちゃんまわりばっかw).欲を言えば,インタールードの前後ではなく,この辺をぶっ通しでやって欲しかった(映画の構成上仕方ないんだけれど).あと,どうやってくれるのか期待していたこともあって,イヌカレー系の曲は良かった.一番良かったのは,やっぱり,オクタヴィアちゃんのテーマかな.指揮者の演出がばっちりハマっていた(元々,オケっぽいアレンジの曲だったというのも大きいかもしれない).

全体としては,コンサートというより,ライトワークあり,声優の生セリフありの音楽ショーと言った雰囲気で,そういう方向では楽しめました.もうちょっと音楽よりでも良かったかなと思ったりもしましたが,周囲を見渡したときの年齢層とか,音楽へのリテラシーとか教養とかを考慮したら,まぁ,こんなもんかな,と(周辺の若者,ほとんど寝てたし).

というわけで,今日も「新編」のコンサート行ってきます.

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以下,どーでもいい戯れ言.

会場は札幌市教育文化会館だったので,まぁ,過不足ない音響でしたが,せっかくなら Kitara でやってくれれば良かったのに,という贅沢は言ってはいけない.

合唱隊の人たち,梶浦語を,よく笑わずに歌えるなーと感心.

指揮者の人,まどマギ好きなんだろーなー,けど,そのせいでだいぶ入れ込んで演出外している曲もあったなーw

野中藍さん,杏子ちゃん声,だいぶ忘れてるなー.あと,杏子ちゃんが大人しいときの声って,かなり無理してだしてたんだなー.

やっぱり声優って生でやる文化(卑猥な意味ではない)に馴染んでないんだなー.結構,セリフが奔ってんなーってところが……

2015年2月9日月曜日

読冊メモ

「足摺水族館」 panpanya

ちょっと前から書店で見かけるたびに気になっていたけれど,あぶく銭(図書券)が入ったので購入.

たぶん,ガロのころのつげな雰囲気を狙っているんだろうけれど,普通にゆるいギャグ漫画として面白かったので,まぁ,良かったんじゃないかと.

緻密に書き込まれたマニアックな背景にてきとーな筆致の人物という対比云々に関してはノーコメントで(人物画がてきとーに書いているように見えて筆致が安定しているのは良い).背景は,最初期のますむらひろしみたいな雰囲気が出ていて悪くない.

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「ゆるゆり」 13 巻 なもり

一時期,スピンアウトの「大室家」のほうが面白いという逆転現象が(俺の中で)話題になっていたけれど,盛り返してきた感ある.普通に面白かった.

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「きのこ人間の結婚」 村山慶

タイトルと表紙(百合)に魅かれて…….

中身は,設定厨の書いたファンタジー SF という感じで特筆すべき部分が何一つないすっからかんなお話.読中,退屈にはならなかったので,まぁ,設定厨系の作品の中ではマシな方かも.

設定厨でしかない設定作家を設定大好き読者がありがたがる構図は,頼むから滅んでくれ.

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「死にたくなるしょうもない日々が死にたくなるくらいしょうもなくて死ぬほど死にたくない日々 」 阿部共実

「ちーちゃん」に比べて,「空灰」ノリに近いから,ややギャグが目立つ印象.「ちーちゃん」的なクズ話もあって,「空灰」前期のバランス感覚に近い感じ.ギャグでも佐々木アルティメット 27 さんとか好きだし.佳作.

個人的には,何故か web 公開マンガをまとめた「タダシくん」に収録されていなかった「深い悲しみ」が商業に載ったのが喜ばしい.

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読册メモ再開したけれど,その間に買った漫画の感想は永遠に書かない気がする……

2015年1月26日月曜日

悪意を悪意で煮しめたような……

※ネタバレとか含むので閲覧注意

「ちーちゃんはちょっと足りない」 阿部共実

阿部共実先生は,だいぶ前(デビュー前)に「大好きが虫はタダシくんの」の原型を pixiv で読んで以来,やや怠け気味に追いかけていた漫画家なんだけど(インディーズ時代から応援している風.紛れもない事実なんだけれど),「空が灰色だから」の後半の少年マンガに寄せたギャグ路線があまり肌に合わなかったのと,この作品が「このマンガがすごい」に選ばれていたのでなんとなく敬遠していたのですが(※1),もっと早く読んでおけば良かったと後悔した.怪作です.

なんだろう,この悪意を悪意で煮しめたような焦げ付いた悪意を悪意をもって投げつけられたような最悪の読後感は……(褒め言葉).こんなに鑑賞後の悪寒(後味が悪い,とも違う感覚)を覚えたのは「リプリー(映画)」以来かもしれない(※2).

人間はみんなクズなんだけれど,マトモなところが全くない人間もいない,という感じで,登場キャラが総じてクズばかりなのも逆に清々しい(姉ちゃんは他のクズっぷりと比べて相対的にクズ度低い.あと委員長・副委員長コンビは普通すぎて存在を忘れるレベル).

特に旭ちゃんのクズっぷりが本当に素敵で,端から「団地組」と一線を引いている感じとか,コトが起こったときに劇場を作って悲劇のヒロインを演じちゃう当たりとか,自分を彩るためだけに振るう正義感とか,もう,堪らなくクズな小市民的優等生過ぎて愛おしいw こういうタイプのクズって,過去にホンマモンに出会って嫌な思いをしたことがある人か,ある程度要領がよく,賢くて,自覚的にこういうキャラクターになり切れる人にしか「見付ける」ことができないんだよなー.

あと,平気で「万引き」云々言っちゃうアレな性格の藤岡の「不良がちょっといいところを見せたら皆コロッといい奴扱いしちゃう」という展開も,読者だけは素直に納得いかせない表現とかは唸らされた(※3).

全編を通して,基本的にフリがものすごく上手いな,と感じた.ちーちゃんの「ご褒美に母ちゃんのサイフから 500 円とった」とか,「世界で一番美しい二人」とか,序盤から強調されるナツのバカさ(足りなさ)具合とか .ほかにも色々あるけれど.

「団地(※4)」,「貧困(心的にも金銭的にも)」,「飢餓感」みたいな,(既に)やや前時代的な価値観で彩られた世界観でもあり,「ワープア」,「ネットの正論信奉者」,「旧来の倫理観への疑問」みたいなものが現れている「いま」を切り取れているようでもあり,確かに,「このマンガはすごい」とは思う.一巻で過不足なく完結しているのもいい.全く,面白くはないけれど(褒め言葉).

→補足

追記:妙にタイムリーなスレを見付けたので →参考


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(※1)「このマンガがすごい」のこれまでのラインナップを眺めると,これに選ばれる,ということの微妙な感じが伝わってくれると信じているんだけれど…….「オンナ」側は「君に届け」,「坂道のアポロン」,「ちはやふる」なんかの当たりも多いから良いんだけれど(「はちクロ」は名作らしいけれど読んでない),「オトコ」側のクソみたいなラインナップは,僕が根本的に「少年マンガ的なもの」が嫌いなことを差し引いてもひどいと思うのです.唯一,「暗殺教室」は面白いと思うけれど,アレは連載が終わるまで評価しちゃいけないタイプの作品だと思うしね……

(※2)「太陽がいっぱい」の同原作ものなんだけれど,「太陽〜」がアラン・ドロンが猛烈に格好いいということで全てが格好いい上にカラっと明るい,リアリティーのないファンタジーになっているのに対して,「リプリー」は,お世辞にも格好よくはない(笑)マット・デイモンが,あの無駄に高い くてクサい演技力で全力の愛憎を演じるものだから,「太陽がいっぱい」なアッケラカンとした雰囲気なんて全くない,陰湿な犯罪ものになっていて,見ているのが辛くなるレベルの作品です.

(※3)登場人物は,誰も全体像が見えない.旭ちゃんは典型的な「不良のいいところをみて」落ちちゃう側だし,ナツは「いいところ」を見るきっかけすらない(むしろ,自分の得られない幸福の象徴みたいな兄弟と仲良くしているシーンしか見ていない).

(※4)僕の世代でも「団地」に,そういう意味を持たせるような言葉が聞かれるような,いわゆる「公団住宅」はほとんどなかったけれど(僕も,団地と言えば団地(公務員社宅)の人だったし),「団地」のもつ欠乏感をリアルには感じられるような地域は,確かにあった.それに対して,ガキの時分は特段の意識はなかったけれど,中高と進学していくにつれて,環境のせいなのか,住人自身の意識の問題なのかは明言しないけれど,明らかに「住む世界」の違う人たちになってしまったのは,同窓会とかでリアルに感じられてしまったものでした.

サイコパス(劇場版)

別に札幌でもやっていたんだけど,関東に行ったついでに「サイコパス」の劇場版を見てきた(嫁もサイコパスが好きなので,せっかくなので一緒に見た).

すごく面白かったんだけど,2 期でせっかく集団的サイコパスとか,そういう設定を作ったのに,全然触れられていなかったのと,レギュラーメンバーの見せ場がほとんどなかったのと,シビュラの根幹に全然突っ込んでいかなかったのが残念といえば残念だったが,狡噛さんが格好よかったのと,傭兵のおっさんが敵として魅力的だったのでよかった.警句とか箴言とかを嘯いたり,本の一節を引用するタイプの敵が好きなんだよな.

映画が上手くいけば,終わらないコンテンツとして,残っていくんだろうけれど,個人的には,ちゃんとディストピアものの王道として,シビュラの扱いにちゃんと決着をつけて欲しいんだけれど…….いつまでも,人と人の歴史とその結果の社会に敬意を,で先送りにするのもどうかと……

2015年1月12日月曜日

とある名作アニメ

なんとなく連休を使って往年の名作アニメを見た.放映から 15 年以上経過しているのに未だによく名作アニメスレで名前が上がっているやつなので,どんなもんかと.

感想としては,非常に面白くて楽しめたけれど,これは,時代背景とか自分の精神年齢的な意味で,少なくとも本放映時(当時中学生)に見れていたら,もっと楽しめただろうし,もっと印象に残っただろうな,というのが心残り.

高校くらいの頃にオタクな友達に「面白いよ」と勧められたことがあった気がするんだけれど,(当時,まったくアニメに興味がなかったので)全く気にもとめずに見る気も起こさなかったのが悔やまれるような,当時,超映画マニアで典型的な中二病だった僕だと,このアニメを斜に構えて「過去の映画の名シーンのエピゴーネンに満ちたガキ向けの駄作だね」なんて評して黒歴史を重ねていたような……(いまなら,まんま往年の松田優作な主人公のキャラ・姿形とかも微笑ましいし,名作映画のパロディーとかも一歩引いた目線で楽しめるんだけれど…….むしろ,この脚本家,この映画が好きなんだな,とか,このシーンは確かに真似したいくらい格好いいよな,とか,製作陣に共感できる.逆に,それは純粋に楽しめていないということではあるんだけれど……).

たぶん,このアニメの製作陣の意図としては,(この当時は,まだ,アニメのファン層は高く見積もっても中高生主体で,大人でアニメを見ているのは,本当にヤバい人たちという頃だったはずなので)子供たちに,映画とか小説とか(まだメインカルチャーの王道だった頃の)ドラマとかの培ってきた「格好よさ」とか「面白さ」のエントリーとして,より上位のメインカルチャーの深遠な世界に誘う布石であるとか,(当時は低く見られていたであろう)テレビアニメでもこんなものまで出来るんだ,というアピールだったのではないかと思う.

素で聞くと恥ずかしくなるようなベタベタなジャズやブルース,カントリーを基調とした音楽とか,名画からのセリフやモチーフの引用とか,往年の刑事ドラマの世界にしかなかったような安っぽい人情話とか,その辺もエントリーモデルとしては秀逸で,少なくとも 20 世紀末にはすでに古くさいはずなんだけれど(アニメでも,もっと古い時期に作られているルパンなんかはこの辺を意図しているし),当時の初心な子供たちにはすごい衝撃だったであろうことは想像に難くない.惜しむらくは,たぶん,その当時,衝撃を受けたであろうアニメオタクだった中高生のほとんどは,このアニメで元ネタになった名画の世界などに進出せずに,このアニメでここまで出来るということに高止まりを起こしてアニメオタクをこじらせていってしまったことだろう(逆に,映画マニアとか本来なら映画の世界に行くはずだった人材の多くがアニメの世界に流れ込んで,いまのアニメの趨勢の基礎を築いたエポックメイキングな作品のひとつにもなったのだろうとは思うけれど).

ちなみに,見たのは(流石に分かると思うけれど)「カウボーイ・ビバップ」です.

2015年1月6日火曜日

無重力のはなし

このデマ(←こ のリンク先として,ニュースサイトみたいにすぐ消えちゃうところ以外で 2ch まとめではない適当なサイトを探すために「無重力 デマ」で検索をかけたらヤバいページを何個も発見して凹む),「デマだった!」というニュースを見て,はじめてこんなものが流れていることを知ったわけですが,少し考えればそんなことは起こりえないと分かる気がするんだが,この「少し考える」という壁は意外と大きいのだな,ということに想いを馳せる.更にいうと,こんな天体ショーが事実だったら数年に一回くらいは日本のどこかで見られる程度の頻度の部分日蝕とかで,毎回あれだけ大騒ぎするマスコミがなんの報道もしないわけないじゃない,と.ちなみに「少し考える」には,簡単な概算以外にもこういう部分の「常識的思考」も含まれると思うんだけどね.

ちなみに,このネタ自体が 40 年前のエイプリルフールのネタの再生産ということらしい.嘘であることが前提のエイプリルフールのネタとこういうデマのどちらが悪質か,ということも,そもそもこのデマ自体,引っかかった思慮の浅い人とかが(日本の場合)深夜に飛び跳ねて階下の住人とか家族とかに迷惑をかける程度のバカが見る豚のケツ的なオチがつく時点でどうでもよろしい.

「少しも考えない」というのは「素直」を美徳とした道徳観に問題があるんじゃないかとか,色々,書きたい内容は頭をかすめたけれど,やっぱりどうでもよろしいので書かない.

2015年1月4日日曜日

2014 年

もう,年が明けてしまいましたが,ここはあくまで私の日記であって,自分のある時点を記録しておく場所なので,とにかく,2014 年のまとめを.

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1 月:なんか卒論を書いていたような記憶が…….そんなことしてないで,自分の仕事を進めているべきだった…….この頃は,二年目がそんなに忙しくなるとは思っていなかったのだった.
2 月:ほとんど記憶がないけれど,たぶん,卒論書いてた.自分の仕事を(ry
3 月:報告書ラッシュという初体験.就職 1 年目が終わることに感慨.あと,直属の上司が転籍されてしまったことで少し凹むなど.あと,自分とは何の関係もないけれど,某万能細胞の件の展開は注視していた.あと,何故か急に志村貴子に猛烈にハマっていた
4 月:職場の所属部署が大規模な組織内異動によって大きく変わってしまったことで,職場環境で色々と大きな変化があった.僕は,部署を移らなかったものの,席替えはあったりして,ちょっとした変化が.あと,年度が始まってすぐに蜂窩織炎に罹ってダウン
5 月:初旬は北東北に旅行.中旬に突発性難聴を発症して 11 日ほど入院.突発性難聴に伴う大きな症状(目眩とか)自体は治ったものの,聴力自体は一部,円環の理に導かれていってしまいました.この月は,そんなこともあって基本的に休養気味の日々を送っておりました.
6 月:来年度からの仕事について諸々と考える機会があった(要は研究立案とか色々).ここからしばらく色々と頭を悩ませることに.ネット的なところでは別ブログを.
7 月:本格的に重い業務(主に出張)に復帰.あと,出張中にちょっと大事になりうる可能性があった程度のポカをおかす.慣れは油断を生んで失敗に繋がる.反省.
8 月:連日の出張で,とにかく札幌に居なかった(これは,結局,12 月前半まで続くことに……).学会が近いのに室内作業が進展しないことにフラストレーションを溜めていたりした.
9 月:いまの職場での研究成果の一部をもって学会へ.微速ながら前には進めていると自分の中で納得できたのでよかった.あと,出張詰めで,そろそろ疲弊してきた頃.なお,その疲れが原因か,学会後に腸炎で倒れる
10 月:リアルでは,相変わらず北海道中を転戦して出張三昧.また,はじめて地熱学会に参加して,新たな知見を広げる機会を得る.ネット関連では,以前から違和感を抱えていたが,色々と噴出して Twitter を辞める
11 月:ほぼ出張の記憶しかない.
12 月:仕事の上では,そろそろ室内作業が溜まってきているにもかかわらず,前半は出張が続いてキツかった.あと,私生活的なところでは,入籍などを.ただし,私生活そのものには何らの変化もなし.別居婚だし.

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2015 年もいい年になるといいな.

新年の抱負的なもの

2015年1月3日土曜日

アニソン

アニメ視聴記録のついでに,印象に残ったアニソンを列挙しておく.なお,これは,アニソンの評価であって,そのアニメの内容の評価とは無関係.あと,順不同.


  • Set them free (世界の神保!アニソンであることが謎w)
  • killy killy JOKER (全然知らない歌手だったけれど,声も曲も好きになった.World's end, Girl's rondo も良かった)
  • Won(*3*)Chu Kiss Me! (これは OP の絵も良かった相乗効果)
  • ウィッチ☆アクティビティ(2014 年の個人的アニソン大賞.曲が最高なことに加え,絵も素晴らしかった)
  • 半永久的に愛してよ♡(歌詞が素晴らしい.歌詞を聞くためだけに聴く曲)
  • Brynhildr in the Darkness (絵とセットで良かった)
  • 夕暮れハッピーゴー(内容に上手く調和していて良かった.耳に優しい)
  • Stargazer (単純に曲が良かった.北海道の冬の夜空の感じがすごく出ていていい)
  • ホシトハナ(単純に愁いを帯びた曲が良かった)
  • Snow halation(μ's 曲では一番好き.劇中の演出の良さに引っ張られていることは否定できないw 2014 年の曲と言っていいのかは知らない )
  • 好感 Win-Win 無条件(C メロというか,ブリッジのメロディーが好きなのです)

アニメ視聴記録


毎年恒例の記録.

2013 年,秋アニメ継続.
  • ゴールデンタイム
テーマの良さに対して構成・演出の力不足がひどかった.

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2014 年内完結アニメ完走.
  • 悪魔のリドル
  • 甘城ブリリアントパーク
  • ウィッチクラフトワークス
  • 俺、ツインテールになります
  • グラスリップ
  • グリザイアの果実
  • 月刊少女野崎くん
  • 極黒のブリュンヒルデ
  • 最近、妹のようすがちょっとおかしいんだが。
  • PSYCHO-PASS 2
  • 咲 -Saki- 全国編
  • 桜 trick
  • 残響のテロル
  • 人生相談テレビアニメーション「人生」
  • 生徒会役員共*
  • 世界征服〜謀略のズヴィズダー〜
  • Selector infected WIXOSS
  • Selector spread WIXOSS
  • ソウルイーターノット!
  • 天体のメソッド
  • 中二病でも恋がしたい!戀
  • 憑物語
  • となりの関くん
  • のうりん
  • ばらかもん
  • 棺姫のチャイカ
  • 棺姫のチャイカ Avenging Battle
  • ピンポン The Animation
  • 鬼灯の冷徹
  • 僕らはみんな河合荘
  • 魔法科高校の劣等生
  • マンガ家さんとアシスタントさんと
  • 結城友奈は勇者である
  • ラブライブ!(2 期)
  • RAIL WARS!
  • 六畳間の侵略者
掛け値なしに面白かったのは,「ウィッチクラフトワークス」「野崎くん」「WIXOSS」「ソウルイーターノット!」「天体のメソッド」「ばらかもん」「チャイカ」あたり.特に「天メソ」「ソウルイーターノット!」「ウィッチクラフトワークス」の 3 作は,オールタイムベストに入るくらい素晴らしかった.「ソウルイーターノット!」のバランス感覚は話の面白さ,ダークファンタジーの設定の巧みさもあるけれど演出が大きかったと思う.「天メソ」の幼少期の鮮烈な記憶がおぼろげな中で 7 年経過した中学生(まだまだ子供)の葛藤諸々のリアルさが良かった.ラストも爽やかに綺麗に締めていて好感が持てた.「ウィッチ」は演出の大勝利という感じ.話自体も面白かったけれど,水島監督が凄すぎる.

「ばらかもん」は,狙っている部分を上手く調理したという意味で佳作(面白くはあったけれど,あーいうのはあーいう需要が確実にあることを分かっていてあーいうのを演出しているわけで野心が足りない).「WIXOSS」は,脚本家ごとのバラツキが良い悪いの波を作っていたけれど,基本的には楽しめた.全脚本が岡田麿里だったらもっと良かったと思う.「チャイカ」はダーク感が薄かったのが残念ポイント.基本的には面白かった(ラスボスの禁断皇帝があっけなく滅んだのはちょっとアレだったけれど,説明は足りていたのでそこまでオチを損ねなかったかな).

「グリザイア」は,まったく期待していないエロゲ原作ものだったけれど,色々なクソ展開に目を瞑ればそれなりに楽しめた.「俺ツイ」「生徒会」「鬼灯」あたりは普通にバカバカしさとギャグが面白かった.「俺ツイ」に関しては,作画が本当にヤバかった.バカアニメだからこそ,その辺はしっかりして欲しかった感じ.

逆に,視聴前や途中まではある程度期待していたのにダメだったアニメは「グラスリップ」「極黒」「Psycho-pass 2」「残響のテロル」「ズヴィズダー」「結城友奈」あたり.「グラスリップ」ははじめの方で,いくつかいいシーンがあって期待が大きかっただけに脚本の構成力不足と後半の演出陣の失速ぶりがひどかった.「極黒」は無理矢理きりのいいところまでアニメ化してしまおうという企画自体が大間違いで,後半の無理矢理感があまりにもひどすぎた.そこまで面白かっただけに残念すぎる.ほかは,普通には楽しめたけれど,期待値を上げ過ぎていた感がある.特に「結城友奈」は,最終話の急なハッピーエンド(と取って付けたようなやや不穏な描写)に違和感があった.ちょっと中途半端になっちゃった感じ.

ほかはクソアニメだったり,普通には楽しめたアニメだったり,いろいろ.

「リドル」「のうりん」「妹ちょ」「人生」「関くん 」「劣等生」あたりがクソアニメすぎた.「リドル」「劣等生」あたりはクソっぷりがネタになっていたので,耐えられたが,それ以外は完走できたことが謎なレベル(ただし,「関くん」は ED が神保さんだったから見ていただけ).

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2014 年アニメ.中途挫折.

  • 暁のヨナ(ネタアニメとして 1 話だけ見てそれっきり)
  • 異能バトルは日常系のなかで(途中から主人公がウザくなってきてたので.あと,忙しい時期だったので何話か見逃してそれっきり)
  • Wake Up, Girls!(仙台アニメと聞いて見始めたけれど,あんまりにもあんまりな内容・演出だったので即切り.3 話くらいまでは耐えたっけな?)
  • ガールフレンド(仮)(ネタアニメとして 1 話だけみて,耐えきれなかった)
  • 彼女がフラグをおられたら(途中まではかなり我慢して見た.しかし,耐えきれな買った.ラノベ原作を避けるべきだと気付いた)
  • そにアニ -SUPER SONICO THE ANIMATION-(2 話くらいで耐えきれなくなった)
  • テラフォーマーズ(ただただ単純につまらない.話題作なので話の展開は追いかけようかと努力したが延々とどーでもいいキャラの掘り下げが続いて飽きた)
  • デンキ街の本屋さん(そこそこキャラが可愛くて 5 話くらいまでは面白くないながらも見ていたけれど,途中で見逃してそれっきり)
  • とある飛空士への恋歌(これは凄く面白かったんだけれど,いいところで何話か見逃してしまって,それっきり.途中までは普通に面白かったので見直そうかとは思っている.悠木碧でてるし)
ここでまとめるまで忘れていたけれど,「とある飛空士〜」だけは面白かったのに,途中でなんとなく見られなくなってしまっていたことを思い出したので見直したい気分ではある.

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継続中.
  • クロスアンジュ 天使と竜の輪舞
  • SHIROBAKO
どっちも期待値高い.特に「SHIROBAKO」はかなり面白い.「クロスアンジュ」は,まぁ,そこそこ熱い展開なので,たぶん,最後まで見ると思う.