2013年7月31日水曜日

かったった

作った図を印刷して確認するために自宅用にプリンターが欲しかったので(以前持っていたのは引越し時に後輩に押し付けてきた),某量販店で物色していたら,自宅用にスキャンスナップ的なものとか普通のスキャナーとかも欲しくなったので,結局,全部複合したマシーンを購入.

2013年7月27日土曜日

サロマ湖の変化

このタイトルにピンと来たら僕と同世代か,僕より上の世代です.つまり,おっさん(おばはん)です.

最近,なんとなくサロマ湖周辺の地図を眺めることが多いのですが,そんなときに,ふと,このタイトルの随想というか,論評というか,小学校用語で言うところの「説明文」を唐突に思い出しました.小学校高学年の頃に,そんなタイトルの文章を読んだ記憶と,いわゆる「説明文」なのにロジカルではなくて,たぶんに情緒的な文章だったせいで,非常に難解な(というか,教育的でない)文章だった記憶があります.

いわゆる「情緒」というか,「文学性」を大事にする,小林秀雄のような評論文学すら好んで読んでいた僕が,いまだに「変な文章だったなー」と思い出すくらいの奇妙な小品で,そんなタイトルを思い出してしまったので,少し調べてみました.

その結果,分かったのは,教育出版の小学五年生の国語の教科書に,昭和 49 年度版〜平成 4 年度版まで「説明文」として掲載されたものであること,著者が湊正雄という人であることが発覚しました.

湊正雄.

…….

それが判明した瞬間に,当時からいままで感じていた違和感の正体が分かりました.いまでこそ,例えば,「地層学」の文章のような湊先生特有の,「情緒ある地質」の味が分かる年になりましたが,クリーンなロジックに清廉性を見出していたような純粋で素直だった小学五年生のころの自分には,到底,相容れない「美」であっただろうな,と…….

そんなわけで,色々,調べてみたのですが,どうにも「サロマ湖の変化」の出典がはっきりしません.しかし,湊先生の文章だと分かった今,もう一度読み直してみたくて堪らない現状です.

だれか,ご存知ありませんか?

2013年7月16日火曜日

最近,千葉の聖地化が著しい件について

最近,アニメを眺めていると,初めて見たアニメのはずなのに「どこかで見たことがあるシーン」に出会うことが多くて不思議に感じていたのですが,千葉を舞台にしたアニメが増えているのですね…….僕が,千葉に住んでいたのは,かれこれ 10 数年前になるので,すぐに記憶が直結しないものの,記憶ののど元に小骨が突っかかるような違和感があると,たいてい,千葉の街角の風景だったりします.駅前とか,実家の近所とか,決定的な場面が出てこないと見覚えがある程度の背景だと,すぐには気付かないものなのですが,いったん,当時の記憶と繋がると数珠つなぎに場面ごとの背景が繋がっていって,主人公たちの歩いているコースなんかがぼんやりと浮かび上がってきて,それはそれで楽しいものです.

そんなわけで,直近だと「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」とか,「やはり俺の青春ラブコメは間違っている」とか,少し前だと「あっちこっち」とかで,僕が高校時代にリア充ライフ(誰がなんと言おうとリア充ライフです!/ 血涙)をエンジョイしていた土地が映ったりすると,なんだか懐かしさと気恥ずかしさで,妙な気分になります.あそこでデートしたなぁ,とか,塾に通っていたときに毎週歩いていたなぁ,とか,グループデートでポートタワーの花火大会に行ったなぁ,とか(妄想じゃないですよ!?),青春の日々の淡い心情のかけらが蘇ってくるようです.

そんなわけで,なんとなく千葉市が舞台の作品一覧とかを Wikipedia で調べてみたら,「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い」が千葉市を舞台にしているどころか,もこっちの通っている学校のモデルが母校であることが発覚.原作をときどき読んでいたけれど,全然知らなかったわけで,とりあえず,少し注視してみようかとか思った次第であります.……というか,僕の母校っていつも微妙なところでモデルにされているよなぁ…….

2013年7月11日木曜日

誰も気にしちゃいないだろうけれど

昨日の記事,半分くらい脳が眠った状態で書いていたせいで,下書き保存するつもりが,ろくに推敲もしてない状態でアップロードしてた(ので,修正)…….別に,推敲したところで僕のちんけな文章が良くなるわけでもないのですが,まぁ,いちおう…….


2013年7月9日火曜日

日曜調査・水不足にサンプリングハイ

ちょっと前まで,「休日にやることがない」なんてぼやいていた私ですが,ここ数週間,週末は,ちょっとした趣味に没頭していることが多いです.

趣味といっても,ちょっと前にも書いた「日曜調査」と称して,山を歩き回っているだけなのですが,適度な運動になったり,山歩きでストレス解消できたり,と,なかなかどうしていい時間を過ごせることが多いです.仕事と無関係に,単純な知的好奇心のみで,ネタになるかどうかも分からないちょっとした疑問を解消するために山歩きをしたり,単純に遠隔地にいる師匠から依頼された調査をしてきたりする,そんな自由な感じが魅力です.

最近では,そろそろ,おっさんの趣味の代表である「日曜大工」とか「日曜コック」とか,その辺の「日曜○○」のひとつとして流行らせようかと思っている次第であります(そうなの?).

そんなわけで,先週末も,ちょっと調査に行ってきたわけですが,この調査が,自分が参加した調査の中でも,かなり久し振りに,心が折れかける過酷なものになったのでした……(半分以上,自業自得なのですが……).

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まず,今回の調査における第一の,そして最大の失敗は,見事に「初夏の北海道の罠」にハマったことです.

北海道の初夏の晴天は,それは気持ちのいいもので,山歩きには最適なのですが,朝の涼しさに騙されて準備を怠ると,昼には,25 度付近まで気温が上昇し,地獄を見ることになります.そんな陽気の中でハードワークをすると,大量の汗をかくのですが,空気が乾燥しているため,その汗が蒸発した結果,知らず知らずのうちに脱水症状に至ります.

こんな初歩的なことは,私も重々承知していたのですが,朝の空模様が曇天気配だったこともあって,その日は,2 リットルのスポーツ飲料だけしか飲み水を持たずに山に入ってしまいました…….

やらかしたことに気付いたのは,日も高くなり,気温も上昇し始める午前 10 時を回った頃です.朝の曇天模様は何処へか,頭上では太陽が燦々と輝き,周囲の気温がみるみる上がっていったのでした.心なしか,足下の沢の水も温んだような気さえしました.最悪です(気分的に).

その時点で,虫除けに長袖を着込んでいる私は,私自身の体形(でぶちん)のせいもあって,すでに汗だるま…….朝の自分の浅はかさを呪いました.

まぁ,最近流行りの「ならぬものはならんのです」ではありませんが,山に入ってしまった以上,どうしようもないので,水を節約しつつ調査続行しましたが,最終的には,水分不足で汗が止まるという結構ヤバい状態にまで至りました.画面の前のいい子は,真似をしないでね!

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この日の主な目的は,調査済みのルートで試料の採集をすることにあったので,鶴嘴で黙々と岩を叩きつづけていたのですが,途中,あまりの暑さにバテて,休憩が多かったこともあり,その日,全ての行程を終えて引き返したのは,17 時を少し回った時間でした.採集試料の多さを天秤にかけると,かなりギリギリの時間です(調査地点から自分の車まで,通常の荷物でも 1 時間近くかかるので).

集めた試料を,ザックに詰め込んで「さぁ,背負おう」とザックを持った瞬間に,ヤバさを悟りました.これは,ソラヲトパターンだ,と(注:重いザックの背負い方.分からない人は「ソラノヲト」を見てねvvv).

後で発覚することですが,この日の試料の総重量は 50 kg 程度,林道や車が近い試料採集では稀にある重量ですが,この日の調査地点は,最寄りの林道(ここから車まで,さらに 20 分くらい)まで出るのに,通常でも 3, 40 分,この重量だと 1 時間以上を見積もらないとなりません…….

そこからが,地獄でした.

ただでさえ足場の悪い沢沿いの道な上,この地域は,異常に倒木,土砂崩れが多いのです.そんな道を,自重 100 kg + 採集試料 50 kg という物体が移動するのですから,堪ったものではありません.木を一本くぐっては休み,木を一本またいでは休み……,気付くと,汗唾液鼻水垂れ流し,尿漏れ状態……(体幹を支えるのに力がかかりすぎると尿漏れするのは重量挙げを見たことがある人なら分かって頂けるかと…….まぁ,あそこまで酷いことにはなりませんが,体勢が崩れて余分な力がかかるとチョロっと……).ここまでキツかったのは,遠い日の白金沢(長い元所属研究室の歴史の中でも強烈だった調査)以来だったかも知れません…….

そんな風にふらふらになりながら,えっちらおっちら,帰りの道程の 2/3 を過ぎたところで,1 時間が経過,そろそろ,森も暗くなってきます(暗くなると色んな意味でヤバい).そのタイミングで,ようやく,来たのが「サンプリングハイ(ランナーズハイ的なもの)」でした.これが来るのも,数年振りのことでした.脳内がアドレナリンで満たされたことで,ようやく体中の痛みが消え,足取りも軽くなったため,なんとか,19 時前に林を脱出できたのでした…….

……まぁ,アドレナリンが切れた帰りの車の中から今現在まで,体中が痛くてたまらないのですが…….

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こんな素敵な,日曜調査,みなさんもいかがですか?ステキなミタコトモナイ世界が開けますよ?

2013年7月6日土曜日

受動的,能動的

社会に出て最も変わったことは一日の 1/3 程度の時間が拘束されることだと思う,そんな今日この頃です.当然のこととはいえ,平日の日中という社会が動いている時間に,自由に個人的な用事を済ませることができないというのが,若干のストレスでもあります(役所に行くとか,買い物に行くとか……).そういう点では,大学という場所,学生・ポスドクという身分がいかに自由だったのかがよくわかります(雇われポスドクな時期は,当然,就業義務あったけどね).

そんな中で気付いたことは,自由な時間の減少に比例して,能動的に情報を収集することができなくなるということです.たとえば,論文を探すのでも,以前は,優雅にコーヒーでも飲みながら論文誌の新着リストを眺めて面白そうなタイトルを見つけたらアブストを流し読む,とか,google scholar でキーワードを検索して,上位の論文のアブストを流し読みするとか,そういった時間が取れたのですが,時間が限られるともう少し効率的にならないものかと思ってくるものです(Google Scholar アラートみたいな).それでも,論文検索なんかは,業務時間に可能なので,時間制限なんてあってないようなものなのですが,世間一般のニュースやら社会情勢やらアニメ情報やら便所の落書きの中の流行やらといった事象には,とんと疎くなっている気がします.

学生〜ポスドクの時代には,仕事の息抜きにテキトーな新聞系ニュースサイトを巡ったり,情報系ブログやまとめサイト(流石に 2 ちゃんに張り付く時間などありませんでした)を眺めたりしていて,こーむいん試験を特に対策することなく通過できる程度には社会常識,時事認識を持っていたのですが,就職後はその自信も少し揺らいできているように思います.

そんな風に考えているときに,出張等でテレビを垂れ流しながら仕事(調査結果のまとめとか)をしていたり,出張先に向かう長い道程でカーラジオを聞いたりしていると,マスメディアのニュース報道というものが非常にコンパクトにまとまっている良いパッケージだということがよくわかります.なにより,受動的な立場に居ながら,かなりバランスよく多くの分野の最新情報が,多くの場合,識者のコメント付きで入手できるというのが素晴らしいのです.

ちょっとした事情でテレビを手放して以来(※注),調査にでているとき以外は,ほとんどテレビを見ない生活をしてきましたが(手放す以前にも,既に生活音発生装置としてしか使っていなかったと思う反面,それでも受動的な情報に塗れていられたんだな,ということがいまなら分かります),そろそろ,家にテレビを導入すべきなんじゃないかと思うわけです.しかも,(金銭的な問題でテレビを買い直せなかった)学生時代ならいざ知らず,いまなら定期収入があって,テレビなんて簡単に購入できる立場です.

……というわけで,ボーナスも出たことだし,週末にテレビでも買おうかなと算段している次第.

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※注:「テレビをみるという意味が分からない」とか,「マスメディアは死ね」とか,「テレビを見ない俺かっこいい」とかいう中二病的かつ 2 ちゃん脳的なアホな理由ではないです.

人とルームシェアするときに二台もテレビがいらないので自分のテレビを捨てる→引越し&ルームシェア解消を機にテレビを失う→地デジ化前のテレビの値段高騰で買う気が失せる→ようやくテレビも安くなり,自分の経済状態も良くなったのでテレビを買う気になる(←いまここ).