2015年5月16日土曜日

やっぱり,いい

志村貴子まつり感想.

「淡島百景」 1

短編連作で歴史を紡ぐ系.だいぶ,マイルドに描いているけれど少女同士のエグい話をサラッと描いちゃうあたりがさすが.2 話と 3 話が良かった.藤ヶ谷が出てきたりしたのは「ちょっと」と思ったけれど,バス停さんの裏側は良かった.バス停さんが,あーちゃんがお気に入りだった理由がわかった気がする.

本当に,志村貴子は「嫌な奴」を書かせると天才.

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「娘の家出」 2

なんか,トーンダウン.変な人間しか出てこないのが,なんかダメなんだな.「青い花」でも,「放浪息子」でも,自分が他人と違うとか,世界から拒絶されるとか,そういう感覚が緊張感を生み出していたけれど,みんなが呆気らかんと現状を認めてしまう世界というのは,やっぱり,なんか違う気がする.

ナンバー 11, 12 のニート姉妹は良かった.

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「わがままちえちゃん」

一冊完結.短くまとまっていて良かった.あと,読みながら,さおりんが彼氏と出会わずにやけっぱちのまま高校生になったらこんな感じで自暴自棄になるんじゃないかなと思いながら読んでいたら,作者あとがきで作者もさおりんとの親和性を感じていたようで…….

エンコー少女になったくらいのところまではピンボケしていてよくわからなかったけれど,利根川さんが出てきてから徐々に焦点が合ってきて,オチは良かった.

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「こいいじ」は試し読みだけして,ちょっと面白そうと思ってしまったので,今度買おうかと思っている.

2015年5月14日木曜日

国立大学ってなんだっけ?

国立大学の学費を私立大学並みに上げるとか,そういう議論.ここまで愚かな議論を久しぶりに見た感じ.

僕の入学した頃(2002 年)の国立大学の学費が,ぎりぎり 50 万円いかないくらいだったと思うけれど,それでも(国立大に受かったことで金銭面で安心しきっていた)両親が度肝を抜かれる程度に高いという印象だった(両親の世代だと国立大学の学費は,もろもろ込みで 5 万円以下).いまは,更に上がっていて,54 万円くらいだ(つい 4 年前まで払っていたから詳しいのだ).公立高校が無償化されたことを考えれば,ここから更に学費を上げるというのは暴挙に近い.

国立大学に行けば,たとえ大学まで行ったとしても,学費の面で親孝行という時代は遠くなってしまっている.これ以上,学費が上がると,はっきり言って,金銭的な問題から進学を断念しなければならないという例が,かなり顕在化してくるに違いない(いまですら珍しい話でもないのに).ちなみに,こういう話になると出てくる,「バイトで学費を稼げ」とかいう妄言は,学生の本分からも,稼がねばならない金額の大きさからも,ナンセンス極まりない.大抵,こういうバカなことを抜かすのは,国立大学の学費が当時の物価水準を考えてもタダみたいに安かった,現在 50 代後半以上の世代だ.おっさんどもの世代は,バイトで補うなんて芸当が(楽に)可能な金額の時代だっただけだ.というか,いま,58 歳の世代まで国立大学の(入学時の)授業料って,36,000 円だったんだぜ?年額だよ?桁を間違えているわけじゃないよ?いまの若者には到底信じられないような話だけれどさ.

※なんで,学費の変遷に詳しいかというと,いま 60 歳くらいの世代のとあるおっさんに「俺たちが学生の頃は学費はバイトで補っていた.いまの若者は……」云々とご高説を垂れられて,(その場で調べた学費の変遷を見せながら)ブチ切れたことがあるからだ.

学問でもなんでもそうなんだけれど,機会だけは均等でなければならないと思うんだ(なお,この言説で最も重要な部分である "機会だけ" を抜かすとバカサヨになる).少なくとも,(今回の議論で話題になっている)私立大学に近い水準なんていう学費になったら,上流とはいわないけれど,中流の中では裕福なほうだった僕の親父の稼ぎでも,兄妹そろって大学進学させるような学費は賄えてなかったんじゃないかと思う.(まだいないけど)自分の子供が大学進学する時に,そんな学費だったらとか想像すると,すでに生涯賃金曲線がわかっている身の上ゆえ,ゾッとする.馬鹿げた話すぎて,失笑も出ない.

しかも,この議論の発端が財務省からだって言うんだから,へそで茶がわくね.しかも,その発想をした理由が,もう……(あまりにも馬鹿らしすぎて書く気も起きませんので,ニュースなりなんなり見てください).

国立大学って,なんだったっけ?あ,いまは国立大学法人か.まぁ,どっちでもいいんだけれど.

2015年5月10日日曜日

似て非なるところ

ひとつ前の記事の類例.

音楽専門学校の講師をしている人が自分の学生の 1 割程度しかビートルズを知らなかったことで,「専門学校に来る程度に音楽を志向するならもっと色んな種類の音楽を聴いてくれ……」と苦言を呈したという話.大友の話と同じような老害が若者に権威主義を振りかざしている構造のように見えて,ちょっと違うようです.僕が,大友はどうでもいいと思っているけれど,ビートルズに関しては信者だという事実は,たぶん,関係ないと思う(思いたい).

大友の話と違うのは,ほかにいくらでも選択肢がある中で,曲がりなりにも音楽の専門学校に行く程度に音楽に志向していながら,聞かないでいることが難しいくらい世の中に溢れている大メジャーな部分(というか基礎)を無意識(か意図的か)のうちにスルーしてしまっている程度に音楽に興味を持っていないという点だと思います(あっちの話は "漫画好き" を称しているとはいえ,単なるいち読者が大友を読んだ上で正直な感想を述べているという話).

結局,この話の専門学生の多くが普段どんな音楽を聴いているかというところで,アニソンやニコニコ動画の歌い手やボカロ曲というオチがつき,現在,ネットで大盛り上がり……という展開を迎えているようなのですが,実は,その点はどうでもいいところです.実際,いまのアニソンはアニソンというジャンル名でくくるのが間違っているくらい曲調が多岐にわたっていますし,素人作曲とはいえボカロ曲にだっていい曲はあります(言外に大半はゴミだという含みをもたせつつ).

ここで面白いのは,件の専門学生たちは,たぶん,音楽が好きで,アニソンという狭い枠の中かもしれないけれど,ある程度多様なジャンルを内包している楽曲群を好んで聴いているだろうにもかかわらず,普通に生活していたら嫌でも耳に入ってくるくらい世の中に溢れているビートルズの楽曲が意識に入っていないというところです.

この理由は,彼らは音楽が好きである以前にサブカルチャー(というかアニメ)が好きであることから,明瞭な興味の指向性があること,ネット上で簡便かつ(白黒の是非は問わず)無料でアクセスできるものにしか到達できないということの二点で説明可能です.自分が興味があることの延長だから聞くのを厭わないとか,検索して簡単にタダで聞けるとかが,彼らにとっては音楽の良し悪しや好み,ジャンル分けよりも重要なのでしょう(アニソンというくくりをジャンル名として用いているあたりからもそれが伺える.アニソンには HM/HR もあれば,民謡調のものもあるし,ジャズ風の楽曲もある).

たぶん,この世代にとっては,そもそも自分の興味がない世界は存在しないし,仮に偶然興味を持っても,自分の検索スキルで引っ掛けることができないものは存在しないのではないかと思います.要は,街中で,CM で,TV 番組の挿入歌で,コンビニの有線で,偶然聞いた「いい曲」を,CD 屋で店員に聞いたりとかしながらなんとか調べて,音源を手に入れたりする,というのは,すでにおっさんの価値観なのでしょう.ネットでの検索が便利になりすぎて,そこで簡単に調べがつかないものについて,自分の検索スキルを疑うことなく,存在しないものとして無視できてしまう素敵な世界なのかと思うと,寂しいような気がします.

2015年5月8日金曜日

以前・以後

某所で,「漫画に詳しいという若者が大友の漫画の何がすごいか理解していなかった.嘆かわしい(意訳)」というつぶやきを見た.僕は,大友直撃世代でもなければ,彼の漫画の信奉者でもないので,ピンとこない感覚だ(もちろん,漫画の絵を大きく変えたという事実は尊敬するとして.あと「童夢」は好き).はっきり言ってしまうと,大友克洋の評価は,評論家の生み出した「大友以前・大友以後」なんていうスローガンが一人歩きをしている結果に過ぎないと思っている.大友に対する過大な評価は,現代アートなんかで,アーティストが評論家とタッグを組むことで生まれた商売のための過大評価・過大広告なんかと似た空気を感じる.これ,大友のメインフィールドが SF で,SF 好きがコテコテの評論芸の使い手だという背景と多分にリンクしている話なんだけれど,本題から外れるので,その辺は割愛.

なにが言いたいかというと,読者は,サブカル史とか漫画史の研究者なんかじゃないんだから,歴史的な背景なんて関係なくて,「読んだ時点」が「評価の対象」になるのだということ.冒頭のつぶやきのように,読者に歴史の理解を要求するなんて,そんな傲慢な話はない.大友のすごさが分からない若者なんかよりも,こんなつぶやきをしてしまう老害が発生していることに,漫画ファン層も随分と権威主義的になったんだと,残念な気分になるのでした.