2011年3月14日月曜日

震災被災記録1:被災

一日目「被災」

眠気と戦っていた午後二時半すぎ,目を覚ますために散歩がてら購買に行こうかと思い立ちました.ついでに,夜に予定されていた後輩の追いコンの軍資金を下ろそうとしていました.
その途中,地学棟 6 階のトイレに寄って,そこにて被災しました.幸い,用は済んでいたので(笑),すぐにトイレから脱出できました.

この二日前の大きめの地震以降,余震が続いていて,自分の三半規管に自信がなくなっていたこともあり,はじめの印象は,「放尿による血圧低下でふらついたのか?」というものでした.その後,「地震だ」と確信し,「この揺れが縦揺れだ」と気付いてゾッとしました.たぶん,この間,一秒程度.すぐにトイレから脱出し,廊下へでました.

廊下に出る頃には,ひどい横揺れに変わっており,立っているのも困難な状況で,廊下の壁に手をついて辛うじて半立ちになりながら,周囲を見回すことしかできませんでした.

その時,私の近くには研究室の後輩のK くんとM くんがおり,二人は実験室から飛び出してきたようでした.廊下では何人かの悲鳴と「落ち着け!」「伏せろ!」などの叫び声が聞こえました.とにかく,まともに立てる状況ではないので,身を伏せて落下物や滑ってくる棚から身を守るしかない状況でした.

僕のいたトイレのある部分は,建物のメインではなく,独立した,エレベーター,階段,トイレだけで構成された非常に細長い建造物(エレベーター棟)であったため,同じ廊下のすぐ近くにいた後輩たちと揺れの位相がズレていました.また,この建物とメインの建物の間の連絡通路は,早々に破断し,コンクリート片の落下し,土煙がもうもうと舞っていました.

そんな状況にも関わらず,なぜか,脳内は妙に冷静で,「この二つの建物のうち,倒壊しやすいのはこっちだろうなぁ.でも,ヒビが入ってコンクリート片が降り注いでいる連絡通路を通るのは危険だなぁ.だいたい,すでに崩壊が始まっている通路を通るより,ここにいる方がマシだろう.建物が倒壊したときは生きるのは諦めよう」なんてことを考えていました.どうやら向こう岸の後輩も同じようなことを考えていたのか,「残念だけど,kretacea さんは諦めよう.運がなかったんだ……」という表情をしていましたw

実際は知りませんが,揺れの継続時間は 5 分を越えていたのではないかと思います.体感的にはもっと長い気がしましたが…….

本震が済み,エレベーター棟が倒壊しなかった幸運を喜びつつ,急いで崩壊中の連絡通路を通り本棟へ移動し,後輩と無事を喜び合いました.

本震のあとに,それなりの規模の余震が立て続けに起こっていました.余震の規模が大き過ぎるので,歩くのが困難で,すぐには建物からでることができませんでした.

その後十数分で,ある程度余震が落ち着いて,避難がはじまりました.避難の前に自室を見ると,完全に本棚の本が抜けて,床に散らばっており,机の上にあったものも全て床に落ちている,悲惨な状況でした.そこで,改めて地震の規模の大きさを実感しました.

「避難」へ続く