映画を見てきました(昨日).
……しかし,視聴時に絶望的な勘違いをしてしまっていたせいで,本来受けるべき印象を殺してしまったような気がしてなりません(何故だか,二本立ての「前編」だと思い込んで見てしまっていました.ラストも続きを予感させるような形だったので,視聴後もその思い込みは消えなかったのです.パンフレットを読んではじめて気付いたというオチ).
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映画は,とても面白かったです.ラストには賛否両論あるらしいですが,僕は大好きでした.まぁ,結局,「本編」から続く「すれ違い」は,永遠のものになったのだなぁ,という感慨はありましたが,ガチレズの想いはノンケには永久に届かないっていう百合ものは大好物なので,あのラストでこそできた満足ですw (いや,あのラストがそういうラストだと思っているわけではありませんがw)
このアニメって,結局,「すれ違い続ける二人」を描ききることがテーマだったのかなぁ,と思います.みんな,二次創作とか身勝手な考察とかで勘違いしがちだけど,「本編」のラストって,まどかの(言ってしまえば)身勝手な「アガペー」で(まぁ,神なんて身勝手なものですしおすし),まどかが全てとの縁を切る選択をしたってことになるわけで,実は「ほむらと分かりあえた」って描写はないわけです.ほむらが自分でも数えきれなくなるくらい,一人の普通の少女をまど神(まぁ,分かりやすいので敢えてこの表現を使います)に昇華させるくらい,世界を渡り歩いてきたという事実を目にしたまどかの放つ「ほむらちゃんは最高の友達」という言葉の残酷さが,(映画を見終わったからこそ)引き立つというものです.(「本編」視聴時も)明らかに,一人の少女を助けるために無限ループに身を落とした「感情(それを愛という単純な言葉に入れ籠んでもいいんだけど)」と「最高の友達」との間の埋め難い距離感があったことは明らかで,まど神様は「ほむらちゃんならきっと覚えているよ」なんて,自分の存在や記憶の継承まで「人任せ」なわけです.これって,(ほむらにとっては)非情な言葉だと思います.少なくとも,結局,「まどかを助ける(=非日常に招かない)」願いを果たせないまま自らのうちに芽生えていたであろう無数の感情を無理矢理に押し込めて納得(結果的に,していなかったわけだけどw)させたほむらには残酷極まりないものです.こんなまどかにちょっと似ているのが,マンガ版ナウシカの身勝手(確信犯)で「墓所」を破壊するシーンw
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映画の内容については,多くの人は,ほとんど想定外という展開はなかったと思います(世界の終末を語る早乙女先生とか,「本編」同様,無茶ぶられる中沢くんとか,「ケーキはさやか?」「ちーがーう♪」とか,さやかちゃんの変身シーンのブレイクダンスとか,ひとみの生首とか,さやかがナチュラルに魔女姿に可変とか,\\\\わけがわからないよ//// [大合唱] とか,のシーンの数々は想定外過ぎて劇場で噴きましたがwww).この作品は,話題になり過ぎて,無数の考察や二次創作が溢れた結果,ラスト間近の笑劇のシーンですら,「変態ほむらさんが,円環の理の瞬間を待って,まどかを現実世界に引き戻してペロペロ」みたいな二次創作をいくつか見た記憶がある程ですw そもそも,「本編」で唯一の「魔女がいた世界」の人間であり,まどかが神になれるだけの量の「業」を同じだけ溜め込んだ存在としてのほむらをどう昇華させるのか,という解決策はそう多くのアイディアがあるとは思えません.悪魔を自称しはじめたのは流石に笑いましたがw
あと,いい意味で二次創作(公式,非公式)で一人歩きしたイメージを上手く取り込んだファンムービーにもなっていたことには,素直に感心しました.例えば,いちばん目立つ部分で,マミさんとべべ(シャルちゃん)のカップリングとか,さやかがまど神のお手伝いとか,細かいネタは無数に散りばめられていたと思いますが,(どこまで意図していたかは置いておいて)ファンにサービスを,という部分は,凄く熱く伝わってきました.そもそも,あの五人が仲良く敵と戦っているっていう,多くのファンがいちばん見たかったであろう姿をほむらの妄想として(←ここ重要)描いたっていうのは,ほむらの想いを描く方法としてもファンサービスとしても煌めいていたと思います.
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(明らかなアガペーの体現者であるまどかに対して)悪魔ほむらちゃがエロースだと思うのは,まどかの精神の一部,それも肉体を持っていたときの部分だけを手に入れて満足していることからも明らかだと思います.ようは,彼女はまどかの精神性(の大部分)はいらないわけで,アレを友愛の延長というのは無理があると思うのです(自分の世界の中に作った「まどか」に自分の思い込み [本当は神様になんてなりとうなかった!] を語らせているあたりのヤミ具合とか).そもそも,イヤカフが素敵な艶姿も嫌が応にも「情欲」を意識させるものですし,なにより全てが(声も!)エロかったからです!
そんな風にまどかの肉を手に入れた悪魔ほむらちゃが,最後に身を投げた(ように見える)のは,すべての感情を描かないことでラストに素晴らしい余韻を残していたと思います.あれは,「自分に怯えるまどかをみて根本的な『すれ違い』に気付いてしまった」と解釈しようが,「結局,まどかを手に入れられなかった悔い」と解釈しようが,「自分の間違いに気付いた」と解釈しようが,「全てが叶った幸福のうちに死を選んだ」と解釈しようが,美しく解釈されればそれでいいのだろうと思います.個人的には,「私はまどかをこんなに愛していたのに,まどかの愛は私の愛と違ったのね.でも,私が死んで永久に私の作った世界でまどかは永遠に私のいない私の中で一人,生きていくの.ウフフ」と勝手に解釈します.ノンケに受け入れられなくて絶望するレズおいしいです(^p^)
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インキュベーターさんが,科学者の鑑過ぎて,マジで尊敬しそうになりました.ほむらの戯言から「円環の理」を理解できるかもしれないという発想力,そのためにソウルジェムを物理干渉から隔離して,円環の理を観測しようとする実験アイディアとその実行,観測ができれば干渉ができるかもしれない,干渉ができれば制御できるかもしれないという揺るぎない信念と,宇宙の維持という己の目的に純粋な精神,感情の力を目撃した瞬間に「これを扱うのは危険すぎる」と即座に判断できる才覚,自分の理解できない現象に関して「わけがわからないよ」と認められる率直さ,それでも,なんでもボロボロになりながらも最後の瞬間まで観測を続ける根性……素敵すぎます.ベェさん,マジパネェっす.
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とにかく,面白い映画でした.
2013年9月28日土曜日
もろもろ
もう若くないと思いました.
とうとう 30 歳になりましたとさ.30 歳になったからといって,何かが変わるわけではなく,ただ,連綿と続く時間の中で生きているだけなので,どうもこうもありません.ただ,確実に体力は下り坂にはいったんだなぁ,ということを痛感させられるばかりの日々であります.
取り敢えず,節目の年になると,日本人は,思い出したかのように,孔子の人生についての回顧を引用し始めるものですが,「三十にして立ち」を「30 歳で(研究者として)独り立ちする(自立する)」と読むのであれば,中途半端ではあるものの孔子にはおいていかれていないといえるかも知れません(そもそも,2500 年前の,東アジア全体の根本をなす思想の基礎となった人物の生涯に己をなぞらえるなんてばかばかしいにも程がありますが).まぁ,去年の今頃は,マジで死にかけていたわけですが,諸々の運とタイミングが自分に味方してくれた今となっては,それもまたひとつの道程なのだといえるかも知れません.
なには,ともあれ,向こう 10 年はがむしゃらに生きていこうかと思います.
とうとう 30 歳になりましたとさ.30 歳になったからといって,何かが変わるわけではなく,ただ,連綿と続く時間の中で生きているだけなので,どうもこうもありません.ただ,確実に体力は下り坂にはいったんだなぁ,ということを痛感させられるばかりの日々であります.
取り敢えず,節目の年になると,日本人は,思い出したかのように,孔子の人生についての回顧を引用し始めるものですが,「三十にして立ち」を「30 歳で(研究者として)独り立ちする(自立する)」と読むのであれば,中途半端ではあるものの孔子にはおいていかれていないといえるかも知れません(そもそも,2500 年前の,東アジア全体の根本をなす思想の基礎となった人物の生涯に己をなぞらえるなんてばかばかしいにも程がありますが).まぁ,去年の今頃は,マジで死にかけていたわけですが,諸々の運とタイミングが自分に味方してくれた今となっては,それもまたひとつの道程なのだといえるかも知れません.
なには,ともあれ,向こう 10 年はがむしゃらに生きていこうかと思います.
2013年9月7日土曜日
パヤオ氏の引退とか
まぁ,本当かどうか分かりませんけれどw それこそ,「長編を撮るのをやめるとは言ったが,100 分の中編は撮る」とかいう 2ch のレスにありそうな展開も普通にありそうだと思うわけですが…….
ちょうど前回の日記でもちらっと触れたんですが,僕は,特に宮崎アニメの(内容の)ファンというわけではないので,そういう意味では,特になんという感慨もないわけですが,あの映像を見られなくなるのは残念だな,と思わないではありません(……とはいえ,最早,宮崎駿自身が全盛期の「映像」を作れなくなっているようなので,引退しようがしまいが,そもそも,もう見られないのかも知れませんが).
アニメは,静止画ではなくて動画なので,カメラという概念があって,しかも,それを物理的な制約なく,好き放題に動かせる,ということに凄く執着していたのが日本のアニメの歴史で,かなりの長期に渡って,そのトップランナーだったのが,宮崎駿だったというのは,誰がいう必要もない厳然たる事実だと思います.映画史的にいえば,ハリウッドですら「アニメのカメラ」を真似して撮影技術を磨いたなんてこともありました(代表的でかつあからさまだったのが「マトリックス」ですが).しかし,まぁ,少なくとも,ここ十数年の日本のアニメの映像は,宮崎駿をだいぶ「過去の人」にしていましたし,映像作品の制作の上で最も重要な演出という面では,(特に感情の描き方で)宮崎駿は光っていたわけではないので,淘汰されていくのは当然の時代の流れともいえるでしょう.宮崎アニメは子供向けアニメであったからこそ,人を描く必要なんてなかったわけですし(宮崎アニメの人物って,凄く直線的で魅力に欠けると思うのです.人としての面白みが全くないのです).そういう意味では,彼のアニメ作品はキャラクターが空っぽな萌えアニメに通じるところがあるのだと思うわけです(なんて書くと,怒られそうだけど,そもそも,アニメを「萌え」云々「物語」云々で語ること,区別すること自体がナンセンスだと僕は思うので悪しからず).
それでも,時代がこれだけ宮崎駿を過去の人にしても,なお,新作が封切られると何百万人もが金を払って彼のアニメを見に行くのですから凄いことだと思います.アニメなんてほとんど見ないくせに宮崎アニメだけは見るなんて気持ち悪い人もいるくらいですから,宮崎駿の作り上げた歴史,ジブリというブランドは,心の底から凄いと思います.それはもう,彼が追悼文に悪口を書きつらったくらいその才能に嫉妬していた,手塚と同レベルか,もしかしたら,彼以上に偉大な人物になったのかも知れません.皮肉っぽい書き方になってしまっていますが,まったく皮肉じゃなく,そう思います.
たぶん,手塚治虫と同レベルで畏怖される漫画家が現れないのや黒沢明と同レベルで敬服される映画監督が現れないのと同様に,宮崎駿と同レベルで語られるアニメ監督なんて,未来永劫現れないでしょう.それだけのオリジナルを周知した人であるのは紛れもない事実で,それが終わるというのは,いくら新しい時代がきても寂しいことです.しかし,まぁ,彼の人の場合は,死んだわけでもないので,今後,また,なにか面白いものを見せてくれることを,いまは期待しておくのがいいのかも知れません.
ちょうど前回の日記でもちらっと触れたんですが,僕は,特に宮崎アニメの(内容の)ファンというわけではないので,そういう意味では,特になんという感慨もないわけですが,あの映像を見られなくなるのは残念だな,と思わないではありません(……とはいえ,最早,宮崎駿自身が全盛期の「映像」を作れなくなっているようなので,引退しようがしまいが,そもそも,もう見られないのかも知れませんが).
アニメは,静止画ではなくて動画なので,カメラという概念があって,しかも,それを物理的な制約なく,好き放題に動かせる,ということに凄く執着していたのが日本のアニメの歴史で,かなりの長期に渡って,そのトップランナーだったのが,宮崎駿だったというのは,誰がいう必要もない厳然たる事実だと思います.映画史的にいえば,ハリウッドですら「アニメのカメラ」を真似して撮影技術を磨いたなんてこともありました(代表的でかつあからさまだったのが「マトリックス」ですが).しかし,まぁ,少なくとも,ここ十数年の日本のアニメの映像は,宮崎駿をだいぶ「過去の人」にしていましたし,映像作品の制作の上で最も重要な演出という面では,(特に感情の描き方で)宮崎駿は光っていたわけではないので,淘汰されていくのは当然の時代の流れともいえるでしょう.宮崎アニメは子供向けアニメであったからこそ,人を描く必要なんてなかったわけですし(宮崎アニメの人物って,凄く直線的で魅力に欠けると思うのです.人としての面白みが全くないのです).そういう意味では,彼のアニメ作品はキャラクターが空っぽな萌えアニメに通じるところがあるのだと思うわけです(なんて書くと,怒られそうだけど,そもそも,アニメを「萌え」云々「物語」云々で語ること,区別すること自体がナンセンスだと僕は思うので悪しからず).
それでも,時代がこれだけ宮崎駿を過去の人にしても,なお,新作が封切られると何百万人もが金を払って彼のアニメを見に行くのですから凄いことだと思います.アニメなんてほとんど見ないくせに宮崎アニメだけは見るなんて気持ち悪い人もいるくらいですから,宮崎駿の作り上げた歴史,ジブリというブランドは,心の底から凄いと思います.それはもう,彼が追悼文に悪口を書きつらったくらいその才能に嫉妬していた,手塚と同レベルか,もしかしたら,彼以上に偉大な人物になったのかも知れません.皮肉っぽい書き方になってしまっていますが,まったく皮肉じゃなく,そう思います.
たぶん,手塚治虫と同レベルで畏怖される漫画家が現れないのや黒沢明と同レベルで敬服される映画監督が現れないのと同様に,宮崎駿と同レベルで語られるアニメ監督なんて,未来永劫現れないでしょう.それだけのオリジナルを周知した人であるのは紛れもない事実で,それが終わるというのは,いくら新しい時代がきても寂しいことです.しかし,まぁ,彼の人の場合は,死んだわけでもないので,今後,また,なにか面白いものを見せてくれることを,いまは期待しておくのがいいのかも知れません.
2013年8月29日木曜日
Le vent se lève, il faut tenter de vivre.
……というわけで,風が立ったので「風立ちぬ」を見てきました(実際に見たのは 7/23 ですが,感想を書きかけたまま,とくに忙しかったわけでもないのに長らく放置していました / 反省).
なお,私は,大の堀辰雄好きですが,「いざ生きめやも」は誤訳じゃねーの派です.東大の国文科出てる人間に間違いを指摘できる校正者が居なかったのではないかと邪推している次第です.
※これは,特にジブリ好きではなく,敢えて「風立ちぬ」(と名付けた作品)であり,「堀辰雄」の名を映画宣伝に関しているからこそ食いついた堀辰雄好きの感想であるということが重要です(たぶん).
--
さてさて,肝心の感想ですが,一言でいうと「面白かったか面白くなかったかでいうと,面白かったが,よかったかよくなかったかでいうと,よくなかった」という感じです.自分でも,なんとも曖昧な感想だと思いますが,そういう表現しか思い浮かびません.これでも,いちおう,肯定的な感想を言ったつもりです.
そもそも,鑑賞に挑む態度で,よくなかったなと反省しているのは,この映画が堀辰雄的な意味で「風立ちぬ」だと思ってしまっていたことと(もちろん,本物の原作は映画化発表前から知っていたんですが.キャラが動物のやつ),「技術者を描いた映画」と思い込んでしまっていたことです.だって,映画のポスターの「それらの夏の日々」感が半端なかったんですもの…….そして,堀越二郎の名前が挙げられているんですもの…….
--
基本的に,宮崎駿のアニメの良さっていうのは,(あくまで個人的にですが)誰もが曖昧に形にならない状態で夢想している「なにか」を,ばっちりと「絵」にしてしまった凄みと,その「絵」を動かし,抉るように映すカメラカットの巧みさ,動きに合わせてグイグイ回るカメラワーク,あたりだと思います.ストーリーとかそういうものに関しては,一流だとは思いますが,その中で頭抜けているとは思いません.やっぱり,それを「絵」や「動画」に落とし込む段階に,宮崎駿の頭抜けた才能があると思うわけです(※個人の感想です).
そういう見方でいうと,この作品は,ほとんどのシーンが「枯れて」いました.どのシーンも,かつて,どこかの宮崎映画(か,宮崎フォロワー的な作家の作品)でみたようなありきたりなものばかりだったと断言できます.なにしろ,「宮崎映画の映像としての醍醐味である」とよく論評される「空を飛ぶシーン」ですら,本作品ではちっとも面白みのない絵になっていたくらいですから,彼の「枯れ」はだいぶ進行しているといえます.とくに,冒頭の主人公が奇怪な飛行機に乗って街の上空を飛び回るシーンの(絵としての)つまらなさは,ジブリの黒歴史に残るレベルでした.
本作で,絵や動きとしていちばん面白かったシーンは,断然,関東大震災発生のシーンです.この街がうねるカットについてだけは,いつもの宮崎駿の「醜悪なものを描く才能」がいかんなく発揮されていたと思います(……とはいえ,日本地図が登場して想定震源から同心円が広がるカットについては,あんまりにも呆れ過ぎて一人で大爆笑してしまいましたが……).
あと,「動き」でよかったのは,主人公の妹の幼少期の仕草の描き方です.階段を登る仕草,兄に話しかける仕草,全てが「史上最凶のロリコン」と呼ばれる宮崎駿の真骨頂といっていいレベルで完璧でした.パーフェクト.
--
技術屋,または,技術屋を描くということについて.
結局,ただの機械マニアには,「技術者」のことなんてこれっぽっちもわからねーんだろーな,という寒々しい感想しか残りませんでした.あれです,僕(本業:かせきはかせ)が妄言を吐いている不勉強な化石マニアを見ているときの気分に,ちょっとだけ似ています.ただの機械マニアなら,己の妄想を緻密に「それらしく」描くことに情熱を燃やしている松本零士御大とか,「配線って美しいだらう」とでも言いたげに,ひたすら電線を執拗に描いた庵野とか(序のヤシマ作戦)のほうがよっぽど "マシ" です.
巷では,いち「アニメ制作者」宮崎駿が,いち「技術屋」の生涯に仮託して自伝的な映画を撮った,というような論評を見掛けますが,少なくとも僕には,「自分の姿は堀越二郎くらい偉大で美しいんだ」という,尊大な自意識のもとに鏡に映った自分で自慰をする姿を見せつけられるような,強烈なナルシシズムしか感じられませんでした(※あくまで個人の感想です).
「技術屋」の描き方については,本庄と課長がいたから,まだ,マシだったというくらいで,ちっとも面白くはありませんでした.なんというか,たぶん,宮崎駿の機械オタクとしての生半可な堀越二郎に対する敬意が,彼の仕事,苦労,努力を「バカにしている」というレベルまで陳腐な描き方を選ばせている,というような,不可思議な描かれ方をしているのでした.
--
映画の本題,というか,「死」の描き方,または,「風立ちぬ」というタイトルの所在について.
死って,そんなに「美しい」ものじゃないって思うのですよ.堀辰雄の「風立ちぬ」が美しいのは,「それらの夏の日々」であって,それが美しいのは,流麗な堀辰雄の文章に彩られた K 村の風景,節子,詩のような思索,陰惨な現実としての「死」が静かに控えていようともなお生きている,その瞬間であって,死ではないわけです.死が本当に美しいものだったら節子は「私,なんだか急に生きたくなったのね……」なんて言わないし,残った作家はリルケのレクイエム程度で「生きよう」なんて思えない.そのぐらい死は残酷で醜悪なものなわけで,「美しい時」だけをみて,「夢」のような世界で,花に囲まれて美しい光になって散るなんていう描写をされていいものではないのです!あのラストシーンのせいで,前半の,悪趣味なほどに醜く,汚らしく描かれていた(そして,宮崎駿の性格の悪さを存分に表現していた)関東大震災が白々しく感じられました.
「ポニョ」あたりから,若干,感じていたことではあるのですが,宮崎駿は,死ぬのが怖くなってきたんじゃねーのかな,とか思うのです.そのせいで,「死を美しくしか描けなく」なったのじゃないかと…….少なくとも,この映画からは,過去にアシタカにバサバサ殺されるモブを描いたり,死に往くライ病患者に手を差し伸べるエボシ御前の美しさを描いたりしていた宮崎駿の欠片はひとつも残っていませんでした(「もののけ姫」ばっかw 結局,僕は,彼のアニメでは「もののけ姫」しか好きではないのかもしれないのですが,それは,また,別な話w).
もし,菜穂子の死ぬシーンが,痩せこけて血反吐を撒き散らしながら,窪んだ眼で主人公(の幻影,でも可)を見つめるというものだったら,いや,死ぬシーンは花に散っていたとしても,一度でも血を吐きながら,苦しみで顔を歪めながら「(その苦しみが続くとしても,一秒でも長く)生きたい」というシーン(=「私,なんだか急にいきたくなったのね」に比定)があったなら,もう少し,"マシ" な映画になっていたんじゃないかな,と思うのです.
--
この映画で唯一,僕が泣きそうになった(というか,泣いた)のは,関東大震災で焼けだされた本庄と無数の文献,そして,めちゃくちゃになった研究室,というシーンでした.あのシーンは,2 年半前,無数の文献に沈んだ居室,砕け散った顕微鏡類,割れたビーカー……,それらを眺めながら,なんとも言葉で表現できない複雑な感情に駆られた,あの日のことを思い出してしまいました(ネガティブにもポジティブにも).
最後に,庵野について.
個人的には,お世辞にも上手くはなかったけれど,演技の意図しているところはよくわかったし,外してはいなかったと思いました.まぁ,20 代の主人公の声をやるには「歳を食い過ぎている」とは思いましたが…….個人的には,監督・演出家としての庵野のスタンスが,彼の演技から読み取れるかな,と期待していたんですが,完全に,ジブリ的演出に従って演技をしていたので,そのあたりは,残念だったなと思います.
僕が,この映画に望むことは,ほんの少しでもタイトルを切っ掛けに「風立ちぬ」に興味を持つ人が現れて,ほんの少しでも,堀辰雄の書く文章の,世界の美しさに魅了される人が現れてくれることだけです.それ,だけです.
なお,私は,大の堀辰雄好きですが,「いざ生きめやも」は誤訳じゃねーの派です.東大の国文科出てる人間に間違いを指摘できる校正者が居なかったのではないかと邪推している次第です.
※これは,特にジブリ好きではなく,敢えて「風立ちぬ」(と名付けた作品)であり,「堀辰雄」の名を映画宣伝に関しているからこそ食いついた堀辰雄好きの感想であるということが重要です(たぶん).
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さてさて,肝心の感想ですが,一言でいうと「面白かったか面白くなかったかでいうと,面白かったが,よかったかよくなかったかでいうと,よくなかった」という感じです.自分でも,なんとも曖昧な感想だと思いますが,そういう表現しか思い浮かびません.これでも,いちおう,肯定的な感想を言ったつもりです.
そもそも,鑑賞に挑む態度で,よくなかったなと反省しているのは,この映画が堀辰雄的な意味で「風立ちぬ」だと思ってしまっていたことと(もちろん,本物の原作は映画化発表前から知っていたんですが.キャラが動物のやつ),「技術者を描いた映画」と思い込んでしまっていたことです.だって,映画のポスターの「それらの夏の日々」感が半端なかったんですもの…….そして,堀越二郎の名前が挙げられているんですもの…….
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基本的に,宮崎駿のアニメの良さっていうのは,(あくまで個人的にですが)誰もが曖昧に形にならない状態で夢想している「なにか」を,ばっちりと「絵」にしてしまった凄みと,その「絵」を動かし,抉るように映すカメラカットの巧みさ,動きに合わせてグイグイ回るカメラワーク,あたりだと思います.ストーリーとかそういうものに関しては,一流だとは思いますが,その中で頭抜けているとは思いません.やっぱり,それを「絵」や「動画」に落とし込む段階に,宮崎駿の頭抜けた才能があると思うわけです(※個人の感想です).
そういう見方でいうと,この作品は,ほとんどのシーンが「枯れて」いました.どのシーンも,かつて,どこかの宮崎映画(か,宮崎フォロワー的な作家の作品)でみたようなありきたりなものばかりだったと断言できます.なにしろ,「宮崎映画の映像としての醍醐味である」とよく論評される「空を飛ぶシーン」ですら,本作品ではちっとも面白みのない絵になっていたくらいですから,彼の「枯れ」はだいぶ進行しているといえます.とくに,冒頭の主人公が奇怪な飛行機に乗って街の上空を飛び回るシーンの(絵としての)つまらなさは,ジブリの黒歴史に残るレベルでした.
本作で,絵や動きとしていちばん面白かったシーンは,断然,関東大震災発生のシーンです.この街がうねるカットについてだけは,いつもの宮崎駿の「醜悪なものを描く才能」がいかんなく発揮されていたと思います(……とはいえ,日本地図が登場して想定震源から同心円が広がるカットについては,あんまりにも呆れ過ぎて一人で大爆笑してしまいましたが……).
あと,「動き」でよかったのは,主人公の妹の幼少期の仕草の描き方です.階段を登る仕草,兄に話しかける仕草,全てが「史上最凶のロリコン」と呼ばれる宮崎駿の真骨頂といっていいレベルで完璧でした.パーフェクト.
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技術屋,または,技術屋を描くということについて.
結局,ただの機械マニアには,「技術者」のことなんてこれっぽっちもわからねーんだろーな,という寒々しい感想しか残りませんでした.あれです,僕(本業:かせきはかせ)が妄言を吐いている不勉強な化石マニアを見ているときの気分に,ちょっとだけ似ています.ただの機械マニアなら,己の妄想を緻密に「それらしく」描くことに情熱を燃やしている松本零士御大とか,「配線って美しいだらう」とでも言いたげに,ひたすら電線を執拗に描いた庵野とか(序のヤシマ作戦)のほうがよっぽど "マシ" です.
巷では,いち「アニメ制作者」宮崎駿が,いち「技術屋」の生涯に仮託して自伝的な映画を撮った,というような論評を見掛けますが,少なくとも僕には,「自分の姿は堀越二郎くらい偉大で美しいんだ」という,尊大な自意識のもとに鏡に映った自分で自慰をする姿を見せつけられるような,強烈なナルシシズムしか感じられませんでした(※あくまで個人の感想です).
「技術屋」の描き方については,本庄と課長がいたから,まだ,マシだったというくらいで,ちっとも面白くはありませんでした.なんというか,たぶん,宮崎駿の機械オタクとしての生半可な堀越二郎に対する敬意が,彼の仕事,苦労,努力を「バカにしている」というレベルまで陳腐な描き方を選ばせている,というような,不可思議な描かれ方をしているのでした.
--
映画の本題,というか,「死」の描き方,または,「風立ちぬ」というタイトルの所在について.
死って,そんなに「美しい」ものじゃないって思うのですよ.堀辰雄の「風立ちぬ」が美しいのは,「それらの夏の日々」であって,それが美しいのは,流麗な堀辰雄の文章に彩られた K 村の風景,節子,詩のような思索,陰惨な現実としての「死」が静かに控えていようともなお生きている,その瞬間であって,死ではないわけです.死が本当に美しいものだったら節子は「私,なんだか急に生きたくなったのね……」なんて言わないし,残った作家はリルケのレクイエム程度で「生きよう」なんて思えない.そのぐらい死は残酷で醜悪なものなわけで,「美しい時」だけをみて,「夢」のような世界で,花に囲まれて美しい光になって散るなんていう描写をされていいものではないのです!あのラストシーンのせいで,前半の,悪趣味なほどに醜く,汚らしく描かれていた(そして,宮崎駿の性格の悪さを存分に表現していた)関東大震災が白々しく感じられました.
「ポニョ」あたりから,若干,感じていたことではあるのですが,宮崎駿は,死ぬのが怖くなってきたんじゃねーのかな,とか思うのです.そのせいで,「死を美しくしか描けなく」なったのじゃないかと…….少なくとも,この映画からは,過去にアシタカにバサバサ殺されるモブを描いたり,死に往くライ病患者に手を差し伸べるエボシ御前の美しさを描いたりしていた宮崎駿の欠片はひとつも残っていませんでした(「もののけ姫」ばっかw 結局,僕は,彼のアニメでは「もののけ姫」しか好きではないのかもしれないのですが,それは,また,別な話w).
もし,菜穂子の死ぬシーンが,痩せこけて血反吐を撒き散らしながら,窪んだ眼で主人公(の幻影,でも可)を見つめるというものだったら,いや,死ぬシーンは花に散っていたとしても,一度でも血を吐きながら,苦しみで顔を歪めながら「(その苦しみが続くとしても,一秒でも長く)生きたい」というシーン(=「私,なんだか急にいきたくなったのね」に比定)があったなら,もう少し,"マシ" な映画になっていたんじゃないかな,と思うのです.
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この映画で唯一,僕が泣きそうになった(というか,泣いた)のは,関東大震災で焼けだされた本庄と無数の文献,そして,めちゃくちゃになった研究室,というシーンでした.あのシーンは,2 年半前,無数の文献に沈んだ居室,砕け散った顕微鏡類,割れたビーカー……,それらを眺めながら,なんとも言葉で表現できない複雑な感情に駆られた,あの日のことを思い出してしまいました(ネガティブにもポジティブにも).
最後に,庵野について.
個人的には,お世辞にも上手くはなかったけれど,演技の意図しているところはよくわかったし,外してはいなかったと思いました.まぁ,20 代の主人公の声をやるには「歳を食い過ぎている」とは思いましたが…….個人的には,監督・演出家としての庵野のスタンスが,彼の演技から読み取れるかな,と期待していたんですが,完全に,ジブリ的演出に従って演技をしていたので,そのあたりは,残念だったなと思います.
僕が,この映画に望むことは,ほんの少しでもタイトルを切っ掛けに「風立ちぬ」に興味を持つ人が現れて,ほんの少しでも,堀辰雄の書く文章の,世界の美しさに魅了される人が現れてくれることだけです.それ,だけです.
なーつやーすみー(某きりりん氏の秋葉原の節で)
先々週まるまる夏休みを取ったので,(元所属研究室の面々と)調査に行ってきました.まぁ,休みを取っても,やっていることは普段と変わらないわけです.はい.
今回の調査は,自分の関わっていた仕事を引きついだ学生の指導とかそういうのがメインだったので,実働はほとんどなく,お気楽なフィールドでした.
しかし,自分が年を取ったことを実感する出来事もあり,なんだか,複雑な気分です.休みを取る前にビッチリ出張に出ていたとはいえ,たかだか数日,水浴び(調査)をしただけで風邪でダウンしてしまうとは思わなかったです.ええ.
その日は,朝から微妙に体調が悪かったんですが,試料の採集をするのにラッカーで目印をつけていて,ラッカーの揮発成分を吸い込んでさらに体調が悪化.水に浸かってサンプリングをしているうちに悪寒に耐えきれなくなり,師匠に「ギブ」と伝えて車で休養を取ろうとしたら,耐えきれずにゲロりました…….世界に地質屋がたくさんいたとしても,フィールドでゲロッたバカはそうそういないだろうと思います.ええ.
(……と思ったけど,前日,アホみたいに飲んでフィールドに出てゲロッてる地質屋はそんなに少なくないような気もするw)
今回の調査は,自分の関わっていた仕事を引きついだ学生の指導とかそういうのがメインだったので,実働はほとんどなく,お気楽なフィールドでした.
しかし,自分が年を取ったことを実感する出来事もあり,なんだか,複雑な気分です.休みを取る前にビッチリ出張に出ていたとはいえ,たかだか数日,水浴び(調査)をしただけで風邪でダウンしてしまうとは思わなかったです.ええ.
その日は,朝から微妙に体調が悪かったんですが,試料の採集をするのにラッカーで目印をつけていて,ラッカーの揮発成分を吸い込んでさらに体調が悪化.水に浸かってサンプリングをしているうちに悪寒に耐えきれなくなり,師匠に「ギブ」と伝えて車で休養を取ろうとしたら,耐えきれずにゲロりました…….世界に地質屋がたくさんいたとしても,フィールドでゲロッたバカはそうそういないだろうと思います.ええ.
(……と思ったけど,前日,アホみたいに飲んでフィールドに出てゲロッてる地質屋はそんなに少なくないような気もするw)
2013年8月7日水曜日
宙ぶらりん,幻想
とても空虚な夜.
ふと,曇の溢れ返る空に照り返す街の灯りが曖昧な形を持って夜の街を転写するとかなんとか,はたまた,しとしとと降る小雨の一粒ひとつぶに,見上げる己の姿が転写されるとか.
振り返って紙束.座布に戻って捲る.斜め 27 インチまで 27 センチ.眼に悪い.頭が悪いのは世話がなく,眼が悪いのは商売柄致命的.
ぱちぱちと,パチパチと.論理的思考に追尾するきいぼおどの乾いたような湿ったような音が,緩やかに歌うアニメソングの不協和音とポリリズム.リズムもなければコードもなくて,騒音と 6000 万年前の海洋がランデブー.ランランと思考が踊るデブ.
とても空疎な夜.
ふと,曇の溢れ返る空に照り返す街の灯りが曖昧な形を持って夜の街を転写するとかなんとか,はたまた,しとしとと降る小雨の一粒ひとつぶに,見上げる己の姿が転写されるとか.
振り返って紙束.座布に戻って捲る.斜め 27 インチまで 27 センチ.眼に悪い.頭が悪いのは世話がなく,眼が悪いのは商売柄致命的.
ぱちぱちと,パチパチと.論理的思考に追尾するきいぼおどの乾いたような湿ったような音が,緩やかに歌うアニメソングの不協和音とポリリズム.リズムもなければコードもなくて,騒音と 6000 万年前の海洋がランデブー.ランランと思考が踊るデブ.
とても空疎な夜.
2013年8月4日日曜日
マンガ読册
「ぱら☆いそ」 2 巻 道満晴明
道満先生の4コマ劇場,最終巻.基本的にはとても面白いけれど,道満先生の真骨頂はやはりショートだと思うので,快楽天での「性本能と水爆戦」シリーズの連載が終わって,惰性で読んでいた部分も多かったものの,やはり,面白い.……というか,セリフの破壊力がヤバい.
--
「分校の人たち」 1 巻 山本直樹
(意識的に大人が不在の環境で)少年と少女(×2)が,ただ快楽に溺れていく様を,淡々と,連綿と,ただ描写する作品.
面白いとか,面白くないとか,そういう感覚ではなくて,絵だけで微妙な感情の機微を描くことを目指してるのかな,という感じ.セリフだけで,心情描写もほぼないけれど,なんとなく,絵から三人の登場人物の関係がホロホロと崩れていく様子が読み取れる,詩的な作品.
この作品,要は,ただの児ポなんだけれど,「絵」でこういう少年少女の感情の機微を表現するってことが問題になる,規制されるんだとすると,少し残念というか…….基本的に対児ポ法論客(笑)の「表現の自由への侵害を許すな!」的な論調は,(自由という意味をはき違えている時点で)阿呆極まりないと思うけれど,「絵」で描かれている,というだけで,多くの文学作品,例えば「青い麦」などと,少年少女と性の出会い,その感情の機微をテーマにしているという意味で根本的な違いがないのに,「絵で描かれているもの」だけが消えていくのは,無情なりと思わないではないのです(基本的には,多くの児ポ法反対派の阿呆さ加減に呆れている派.そして,そんな阿呆を擁護するくらいだったら法律成立も致し方ない派).
道満先生の4コマ劇場,最終巻.基本的にはとても面白いけれど,道満先生の真骨頂はやはりショートだと思うので,快楽天での「性本能と水爆戦」シリーズの連載が終わって,惰性で読んでいた部分も多かったものの,やはり,面白い.……というか,セリフの破壊力がヤバい.
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「分校の人たち」 1 巻 山本直樹
(意識的に大人が不在の環境で)少年と少女(×2)が,ただ快楽に溺れていく様を,淡々と,連綿と,ただ描写する作品.
面白いとか,面白くないとか,そういう感覚ではなくて,絵だけで微妙な感情の機微を描くことを目指してるのかな,という感じ.セリフだけで,心情描写もほぼないけれど,なんとなく,絵から三人の登場人物の関係がホロホロと崩れていく様子が読み取れる,詩的な作品.
この作品,要は,ただの児ポなんだけれど,「絵」でこういう少年少女の感情の機微を表現するってことが問題になる,規制されるんだとすると,少し残念というか…….基本的に対児ポ法論客(笑)の「表現の自由への侵害を許すな!」的な論調は,(自由という意味をはき違えている時点で)阿呆極まりないと思うけれど,「絵」で描かれている,というだけで,多くの文学作品,例えば「青い麦」などと,少年少女と性の出会い,その感情の機微をテーマにしているという意味で根本的な違いがないのに,「絵で描かれているもの」だけが消えていくのは,無情なりと思わないではないのです(基本的には,多くの児ポ法反対派の阿呆さ加減に呆れている派.そして,そんな阿呆を擁護するくらいだったら法律成立も致し方ない派).
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