二日目「地学巡検・前編(八木山)」
初日から二日目にかけての夜は,暗闇のなか,幾度となく余震が襲いました.体が地震に対して過敏になっているのか,余震が起こるたびに目が覚め,夜の間は薄い眠りと覚醒の繰り返しで,しっかりと熟睡できたのは夜が白み始めたころのことでした.正直,かなり精神的にやられており,ビビっていましたw 結局,二日目の朝は強めの余震で目が覚めましたが,それほどよく眠れたとは言えない状況ででした.
目覚めて,ぼうとした頭で,日の光に照らされる昨日の夜は暗くて全容のわからなかった部屋の中の散乱した本や CD をみて,改めて地震の現実を再認識しました.
朝ご飯として,残っていた冷凍米(もちろん冷凍庫は機能していなかったので溶け始めていました)と卵とあまりものの野菜(キャベツ,ニンジン)でおじやを作って食べました.気が張っていたせいなのか,作った分の半分も胃には入りませんでしたが,やはり,暖かいものを食べると安心するもので,今日の行動予定を考えられるくらいまで,気持ちに余裕がでました.
朝食後,ぼうっとしていると,近所に住んでいる同期と K 先輩がうちを訪ねてきました.三人の家の状況を報告しあい,先輩のうちでは水がでること,私と同期の家ではガスが出ることなどを確認しあい,しばらくは共同戦線を張ることを確認しました.K 先輩が近所の散策を済ませており,近所の個人商店が開いていること,公衆電話が無料解放されていることなどの情報を得ました.また,K 先輩の買ってきていた河北新報の緊急時仕様の薄い朝刊に載っている写真の数々で,この震災が想像以上に大きなものであったことを改めて認識しました.
その後,学校から支給された緊急時用の備蓄食糧(大きめの乾パン 5 枚,ペットボトル水 1.5 l)では当座のインフラ停止(この時点では,情報不足もあって長期のインフラ停止は想定していなかった.長くて一週間程度という認識)も乗り切れないという判断と,単純な地質学徒としての興味で,周辺地区の散策と買い出しを行うことを決めました.
偶然,K 先輩が近所のスーパーが在庫を吐き出そうとしているのを早々に発見してくれたことで,僕ら三人は開店早々に並ぶことが出来,物資の調達は 11 時を回る前に終わりました.僕は,この時点では 1 週間程度の耐久生活を想定しており,カップ麺× 3,パックご飯× 3,清涼飲料水,お茶類 3 l,缶詰数個,リンゴ 2 個を購入しました(僕が店内に入れた時点で後ろに 50〜60 人近くの列ができていて,まだまだ増えている様子でした).僕のアパートは,ガスが生きていたので調理できるものが備蓄できたのは,精神の安寧に大きく役立ったと思います.この時点で,かなり,精神的な余裕が出ていました.
買い出し後,一旦,荷物を家に置き,朝作ったおじやに,買ってきたばかりのサバ缶を投入してお昼ご飯にしました.
食後,再び K 先輩,同期,僕の三人で集まり,八木山周辺の散策を行うことにしました.手始めに,前日の時点で封鎖されているという情報が流れた,青葉山−八木山間のルート(自宅と学校の最短ルート)がどうなっているのかを確認するために,自宅〜八木山動物園にかけてのルートを歩きました.
途中,崖の近くで,崖に平行な地割れ(というか "滑り")が何本も走っている様子(地質学的な時間スケールで,近いうちに崖ごと崩落すると予想されます),地割れがアパートの真ん中を突っ切ったために真っ二つに割れたアパート,倒れたブロック塀,はがれたモルタルなどをたくさん見ました.それらの観察から,自分の家の周辺がもの凄く運良く,被害がなかっただけであることを認識しました(僕のアパートは壁の塗料が禿げたり,新たに小さいヒビが入った程度で,ほとんど被害がありませんでした.地割れもごく近所では見られませんでした).
八木山橋への道は,動物園のところですでに封鎖されていました.
その後,研究室の他のメンバーと連絡を取ろうとするもののアパートの部屋番号が解らなくて失敗したり,八木山本町のデイリーヤマザキで買い物をしたりしました.また,偶然開いていたお餅屋さんで,おやつとして煎餅を購入したりもしました.
一通りの被害の確認が済んだ我々は,八木山生協に抜ける道を下って,避難所になっている八木山小学校を経由して自宅へ戻りました.八木山小学校には給水車が来ており,給水を待つ人の列が校庭を二周しているほどでした.
一休みしてから長町側に下って市街地の様子を確認するという取り決めをし,各自解散しました.その間,僕は,自宅で昼寝をしていました.
「地学巡検・後編(長町)」へ続く.
2011年3月29日火曜日
2011年3月14日月曜日
震災被災記録3:徒歩での帰宅
一日目「徒歩での帰宅」
地震による停電のため,信号が機能していないこと,災害時の鉄則として,緊急車両の通行を妨げないようにすること,などの理由から車を大学に置いて,徒歩での帰宅を決断しました.それならばと,研究室のメンバー(八木山組)でかたまって帰ることになりました.
取り敢えず,事前に八木山橋不通の連絡を受けていたので,川内から御霊屋に抜けて帰るルートを選択しました.
川内に降りる途中,何カ所かの道路の亀裂,陥没を確認しました(後にこの程度は小規模な被害だったと思い知ることになります).しかし,その時点ではほとんど情報がなかったこともあり,メンバーは割と気楽な遠足気分でした.具体的には,川内で,仙台城趾の門が崩壊しているのを確認しては,みんなで写真を撮る程度の余裕がありました.また,就活を抱える M1 が「明日,面接があるんですけど,どうにかして行けますかね?」なんて言っていました.
途中,yahoo ニュースをみて,この地震に気象庁が名前を付けたこと,マグニチュードが 8.8 に上方修正されたことなどを確認して,地震の大きさを改めて実感しました.全員が地質学徒ゆえ,日本近海の地震で,そのマグニチュードの地震が起こったことの衝撃は即座に理解できました(逆に,震源が近いにも関わらず,あまりにも周りの様子が平和で,「本当にそんな規模の地震なのか?」という疑問もあったくらいです).
川内を抜けてしばらく川沿いを歩いていると,土砂崩れで道が封鎖され,御霊屋側に渡ることができないことが発覚しました.そのため,愛宕大橋を通らないと八木山へのアクセスができないことになりました…….
どちらにしろ,自宅へは帰らねばならないため,覚悟を決めて愛宕大橋へ向いました.途中,個人商店で水や食べ物を購入しました.すでに電気が落ちていたので,ロウソクの灯りで手元を照らして,ソロバンで会計がなされていました.電気を使わない設備の強みをみました.
周囲の被害状況がわからないこともあり,当初は,全員で共同戦線をはるという案も出ていたのですが,歩いている限りでは,何カ所かの地割れや土砂崩れを確認した程度で,ほとんど建物の被害がなかったことなどもあり,みんな楽観的になって,テキトーに個々人で乗り切ろう,という流れができていました.そのくらい,街は平穏でした.その時には,月曜日には学校に行って散乱した本の片付けをしないとなぁ……,なんてことを考えていました.まぁ,入手可能な情報がニュース記事のヘッドライン程度だったのですからご容赦を(この時点では津波のニュースはほとんど速報しかなかった.もちろん,市街地の被害については全く情報なし.まして,茨城沖の地震,関東の被害なんて,ほとんど情報が入っていなかった).
結局,二時間~三時間かけて学校から家まで辿り着きました.着いたのは七時過ぎでした.もちろん,日が落ちてからは,電灯もつかない真っ暗闇でした.周囲に明かりがないせいで,良く晴れた星空がとても綺麗でした.
家に着いて,電気,水道が止まっていることを確認しました(ガスはプロパンなのでボンベの持つ限り大丈夫.ただし,ボンベの交換はいつになることやら……).
また,同じマンションの oanus 氏は部屋の中のものが倒れていたため,内扉が開かず,部屋に入れない状況でした(結局,いまは緊急時,ということで,扉のガラスを破って中には入れました).
取り敢えず,その日は,電気も通らない状況で,翌朝まで動きようがなかったので,空腹を紛らわせるために,学校で支給された乾パンを齧り,翌日以降に備えて布団に入りました.しかし,結局,余震のたびに目が覚めてしまい,熟睡できたのは日が明けるころのことでした.
「地学巡検・前編(八木山)」に続く.
地震による停電のため,信号が機能していないこと,災害時の鉄則として,緊急車両の通行を妨げないようにすること,などの理由から車を大学に置いて,徒歩での帰宅を決断しました.それならばと,研究室のメンバー(八木山組)でかたまって帰ることになりました.
取り敢えず,事前に八木山橋不通の連絡を受けていたので,川内から御霊屋に抜けて帰るルートを選択しました.
川内に降りる途中,何カ所かの道路の亀裂,陥没を確認しました(後にこの程度は小規模な被害だったと思い知ることになります).しかし,その時点ではほとんど情報がなかったこともあり,メンバーは割と気楽な遠足気分でした.具体的には,川内で,仙台城趾の門が崩壊しているのを確認しては,みんなで写真を撮る程度の余裕がありました.また,就活を抱える M1 が「明日,面接があるんですけど,どうにかして行けますかね?」なんて言っていました.
途中,yahoo ニュースをみて,この地震に気象庁が名前を付けたこと,マグニチュードが 8.8 に上方修正されたことなどを確認して,地震の大きさを改めて実感しました.全員が地質学徒ゆえ,日本近海の地震で,そのマグニチュードの地震が起こったことの衝撃は即座に理解できました(逆に,震源が近いにも関わらず,あまりにも周りの様子が平和で,「本当にそんな規模の地震なのか?」という疑問もあったくらいです).
川内を抜けてしばらく川沿いを歩いていると,土砂崩れで道が封鎖され,御霊屋側に渡ることができないことが発覚しました.そのため,愛宕大橋を通らないと八木山へのアクセスができないことになりました…….
どちらにしろ,自宅へは帰らねばならないため,覚悟を決めて愛宕大橋へ向いました.途中,個人商店で水や食べ物を購入しました.すでに電気が落ちていたので,ロウソクの灯りで手元を照らして,ソロバンで会計がなされていました.電気を使わない設備の強みをみました.
周囲の被害状況がわからないこともあり,当初は,全員で共同戦線をはるという案も出ていたのですが,歩いている限りでは,何カ所かの地割れや土砂崩れを確認した程度で,ほとんど建物の被害がなかったことなどもあり,みんな楽観的になって,テキトーに個々人で乗り切ろう,という流れができていました.そのくらい,街は平穏でした.その時には,月曜日には学校に行って散乱した本の片付けをしないとなぁ……,なんてことを考えていました.まぁ,入手可能な情報がニュース記事のヘッドライン程度だったのですからご容赦を(この時点では津波のニュースはほとんど速報しかなかった.もちろん,市街地の被害については全く情報なし.まして,茨城沖の地震,関東の被害なんて,ほとんど情報が入っていなかった).
結局,二時間~三時間かけて学校から家まで辿り着きました.着いたのは七時過ぎでした.もちろん,日が落ちてからは,電灯もつかない真っ暗闇でした.周囲に明かりがないせいで,良く晴れた星空がとても綺麗でした.
家に着いて,電気,水道が止まっていることを確認しました(ガスはプロパンなのでボンベの持つ限り大丈夫.ただし,ボンベの交換はいつになることやら……).
また,同じマンションの oanus 氏は部屋の中のものが倒れていたため,内扉が開かず,部屋に入れない状況でした(結局,いまは緊急時,ということで,扉のガラスを破って中には入れました).
取り敢えず,その日は,電気も通らない状況で,翌朝まで動きようがなかったので,空腹を紛らわせるために,学校で支給された乾パンを齧り,翌日以降に備えて布団に入りました.しかし,結局,余震のたびに目が覚めてしまい,熟睡できたのは日が明けるころのことでした.
「地学巡検・前編(八木山)」に続く.
震災被災記録2:避難
一日目「避難」
(※被災後,かなり興奮していたせいで,この辺りの記憶はかなり曖昧です)
余震が収まると避難がはじまりました.地震の最中に電気系統はすでに落ちており,昼間とはいえ,暗くなった階段をある程度の人数でまとまりながら降りました.
建物から出ると,既に,多くの人が避難していました.天気はよくなく,いまにも雪が降りそうな雲行きでした(実際,その後,降りだした).私は幸い,ヘルメット装着のうえ,ジャンパーを着ていたのですが,ほとんどの人は(地学屋しかいない場なので)ヘルメットはしていても,防寒着のない状態でした.避難した学生の中には泣いている女の子や,お互いの無事を確認して喜び合っている人たちがいました.私も研究室のメンバーのほとんどの無事を確認し,ホッと一息つく余裕が出てきました(このとき姿を確認できなかった後輩一名は,震災前にすでに帰宅しており,後々,無事が確認できました).
その後,お互いの安否確認,点呼等が済み,少なくとも校舎にいた人の中にはケガ人も死者もいないことがわかり,一同の表情に安堵の色が浮かびました.
安全衛生委員の教官から,真っ先に地震についての概要が伝えられました(この時点ではM8.3 県南部で震度 6 強,県北部では震度 7 という情報).なにより先にこの情報が流れる辺りが地学専攻という感じです.
その後,今後の対応が全く決まっていないこと,各階ごとに安全確認ができ次第,一時的に校舎に入る許可を出すので,その時に必要最低限の荷物をもったら各自担当委員に帰宅の報告をして帰ること,などが指示されました.
なお,この間もかなり強い余震が何度も起こっていました.しかし,命が無事だったこともあり,この時点ではみんなかなり気が抜けていたように思います.後輩の一人(@toshiroll)は揺れてる最中に iPhone で撮影した動画を見せたりしていました(その位の余裕を無理矢理にでもださないと,心が折れそうな状況だった,といい換えることもできます).あと,Twitter に安否情報を投稿している人は結構な数いたようです.私は,その時点では携帯が院生室の大量の本の下に埋れていたので,安否の投稿もできず,TL 上では死んだことになっていたかも知れませんw また,誰かがもってきたポータブルテレビがついており,津波被害の様子を伝えていました.仙台空港が海になった映像が衝撃的でした.
6 階の安全確認が済んだので,私を含めた 9 人が建物に入りました.階段では,避難時には気付かなかった新しい壁のヒビや,コンクリート片,コンクリート粉がずいぶんと目に付きました.
6 階につくと,実験室から漏れたと思われる有機溶媒の匂いが充満していました.私の指導教官の部屋は,中のものが倒れて居室への入室もままならない様子でした(最終的には無理矢理入ったようですが,結局,カバンを取るのがやっとで,靴は本に埋れてみつからなかったそうです).
私の院生室は本の散乱こそ酷かったものの,本棚の倒壊が奇跡的になく,他の部屋に比べて被害が少なかったようです.取り敢えず,私は MacBook と iPhone を入手して,部屋からでました.
その時点で私には,ある程度の余裕があったので,その階の別な部屋の様子を伺いました.
まず,多くの部屋で,内部のものの倒壊により,入室が困難な状況でした.私の部屋の向いの院生室は,私の部屋と異なり,本棚が盛大に倒壊していました.また,隣室である顕微鏡室は,いちばん大きな顕微鏡棚が倒壊していました(危険なので奥の確認はできませんでしたが,恐らく,まともに使える顕微鏡はほとんどないものと思われます).さらに,私の院生室の逆隣の試料置き部屋は,やはり,内部のものの倒壊により扉を開くこともできませんでした.入館できる時間が限られていたので,その辺りのチェックを済ませると,早々に建物をあとにしました.
避難スペースに戻ると,取り敢えず,Twitter に生存報告をしました.このとき TL が妙に荒れており,このメディアは,すごくパーソナルな情報の発信(例えば,TL むけの生存報告)にしか使えないのだな,ということを妙に冷静に思いました.ある意味幸運だったのは,この判断で変に Twitter に踊らされることがなかったことです.まぁ,それ以前に,電源がなくてその日の夕方には web アクセスすらままならなくなっていたわけですが…….
その後,担当の先生に帰宅の報告を済ませ,緊急食糧の乾パンと水(1.5リットル)を受け取り,帰途につきました.信号機が止まっていたので,車は大学に放置し,研究室のメンバーで固まって,徒歩で下校することにしました.また,八木山橋が閉鎖されていたので,かなり遠回りして帰る羽目になりました.
「徒歩での帰宅」へ続く.
(※被災後,かなり興奮していたせいで,この辺りの記憶はかなり曖昧です)
余震が収まると避難がはじまりました.地震の最中に電気系統はすでに落ちており,昼間とはいえ,暗くなった階段をある程度の人数でまとまりながら降りました.
建物から出ると,既に,多くの人が避難していました.天気はよくなく,いまにも雪が降りそうな雲行きでした(実際,その後,降りだした).私は幸い,ヘルメット装着のうえ,ジャンパーを着ていたのですが,ほとんどの人は(地学屋しかいない場なので)ヘルメットはしていても,防寒着のない状態でした.避難した学生の中には泣いている女の子や,お互いの無事を確認して喜び合っている人たちがいました.私も研究室のメンバーのほとんどの無事を確認し,ホッと一息つく余裕が出てきました(このとき姿を確認できなかった後輩一名は,震災前にすでに帰宅しており,後々,無事が確認できました).
その後,お互いの安否確認,点呼等が済み,少なくとも校舎にいた人の中にはケガ人も死者もいないことがわかり,一同の表情に安堵の色が浮かびました.
安全衛生委員の教官から,真っ先に地震についての概要が伝えられました(この時点ではM8.3 県南部で震度 6 強,県北部では震度 7 という情報).なにより先にこの情報が流れる辺りが地学専攻という感じです.
その後,今後の対応が全く決まっていないこと,各階ごとに安全確認ができ次第,一時的に校舎に入る許可を出すので,その時に必要最低限の荷物をもったら各自担当委員に帰宅の報告をして帰ること,などが指示されました.
なお,この間もかなり強い余震が何度も起こっていました.しかし,命が無事だったこともあり,この時点ではみんなかなり気が抜けていたように思います.後輩の一人(@toshiroll)は揺れてる最中に iPhone で撮影した動画を見せたりしていました(その位の余裕を無理矢理にでもださないと,心が折れそうな状況だった,といい換えることもできます).あと,Twitter に安否情報を投稿している人は結構な数いたようです.私は,その時点では携帯が院生室の大量の本の下に埋れていたので,安否の投稿もできず,TL 上では死んだことになっていたかも知れませんw また,誰かがもってきたポータブルテレビがついており,津波被害の様子を伝えていました.仙台空港が海になった映像が衝撃的でした.
6 階の安全確認が済んだので,私を含めた 9 人が建物に入りました.階段では,避難時には気付かなかった新しい壁のヒビや,コンクリート片,コンクリート粉がずいぶんと目に付きました.
6 階につくと,実験室から漏れたと思われる有機溶媒の匂いが充満していました.私の指導教官の部屋は,中のものが倒れて居室への入室もままならない様子でした(最終的には無理矢理入ったようですが,結局,カバンを取るのがやっとで,靴は本に埋れてみつからなかったそうです).
私の院生室は本の散乱こそ酷かったものの,本棚の倒壊が奇跡的になく,他の部屋に比べて被害が少なかったようです.取り敢えず,私は MacBook と iPhone を入手して,部屋からでました.
その時点で私には,ある程度の余裕があったので,その階の別な部屋の様子を伺いました.
まず,多くの部屋で,内部のものの倒壊により,入室が困難な状況でした.私の部屋の向いの院生室は,私の部屋と異なり,本棚が盛大に倒壊していました.また,隣室である顕微鏡室は,いちばん大きな顕微鏡棚が倒壊していました(危険なので奥の確認はできませんでしたが,恐らく,まともに使える顕微鏡はほとんどないものと思われます).さらに,私の院生室の逆隣の試料置き部屋は,やはり,内部のものの倒壊により扉を開くこともできませんでした.入館できる時間が限られていたので,その辺りのチェックを済ませると,早々に建物をあとにしました.
避難スペースに戻ると,取り敢えず,Twitter に生存報告をしました.このとき TL が妙に荒れており,このメディアは,すごくパーソナルな情報の発信(例えば,TL むけの生存報告)にしか使えないのだな,ということを妙に冷静に思いました.ある意味幸運だったのは,この判断で変に Twitter に踊らされることがなかったことです.まぁ,それ以前に,電源がなくてその日の夕方には web アクセスすらままならなくなっていたわけですが…….
その後,担当の先生に帰宅の報告を済ませ,緊急食糧の乾パンと水(1.5リットル)を受け取り,帰途につきました.信号機が止まっていたので,車は大学に放置し,研究室のメンバーで固まって,徒歩で下校することにしました.また,八木山橋が閉鎖されていたので,かなり遠回りして帰る羽目になりました.
「徒歩での帰宅」へ続く.
震災被災記録1:被災
一日目「被災」
眠気と戦っていた午後二時半すぎ,目を覚ますために散歩がてら購買に行こうかと思い立ちました.ついでに,夜に予定されていた後輩の追いコンの軍資金を下ろそうとしていました.
その途中,地学棟 6 階のトイレに寄って,そこにて被災しました.幸い,用は済んでいたので(笑),すぐにトイレから脱出できました.
この二日前の大きめの地震以降,余震が続いていて,自分の三半規管に自信がなくなっていたこともあり,はじめの印象は,「放尿による血圧低下でふらついたのか?」というものでした.その後,「地震だ」と確信し,「この揺れが縦揺れだ」と気付いてゾッとしました.たぶん,この間,一秒程度.すぐにトイレから脱出し,廊下へでました.
廊下に出る頃には,ひどい横揺れに変わっており,立っているのも困難な状況で,廊下の壁に手をついて辛うじて半立ちになりながら,周囲を見回すことしかできませんでした.
その時,私の近くには研究室の後輩のK くんとM くんがおり,二人は実験室から飛び出してきたようでした.廊下では何人かの悲鳴と「落ち着け!」「伏せろ!」などの叫び声が聞こえました.とにかく,まともに立てる状況ではないので,身を伏せて落下物や滑ってくる棚から身を守るしかない状況でした.
僕のいたトイレのある部分は,建物のメインではなく,独立した,エレベーター,階段,トイレだけで構成された非常に細長い建造物(エレベーター棟)であったため,同じ廊下のすぐ近くにいた後輩たちと揺れの位相がズレていました.また,この建物とメインの建物の間の連絡通路は,早々に破断し,コンクリート片の落下し,土煙がもうもうと舞っていました.
そんな状況にも関わらず,なぜか,脳内は妙に冷静で,「この二つの建物のうち,倒壊しやすいのはこっちだろうなぁ.でも,ヒビが入ってコンクリート片が降り注いでいる連絡通路を通るのは危険だなぁ.だいたい,すでに崩壊が始まっている通路を通るより,ここにいる方がマシだろう.建物が倒壊したときは生きるのは諦めよう」なんてことを考えていました.どうやら向こう岸の後輩も同じようなことを考えていたのか,「残念だけど,kretacea さんは諦めよう.運がなかったんだ……」という表情をしていましたw
実際は知りませんが,揺れの継続時間は 5 分を越えていたのではないかと思います.体感的にはもっと長い気がしましたが…….
本震が済み,エレベーター棟が倒壊しなかった幸運を喜びつつ,急いで崩壊中の連絡通路を通り本棟へ移動し,後輩と無事を喜び合いました.
本震のあとに,それなりの規模の余震が立て続けに起こっていました.余震の規模が大き過ぎるので,歩くのが困難で,すぐには建物からでることができませんでした.
その後十数分で,ある程度余震が落ち着いて,避難がはじまりました.避難の前に自室を見ると,完全に本棚の本が抜けて,床に散らばっており,机の上にあったものも全て床に落ちている,悲惨な状況でした.そこで,改めて地震の規模の大きさを実感しました.
「避難」へ続く
眠気と戦っていた午後二時半すぎ,目を覚ますために散歩がてら購買に行こうかと思い立ちました.ついでに,夜に予定されていた後輩の追いコンの軍資金を下ろそうとしていました.
その途中,地学棟 6 階のトイレに寄って,そこにて被災しました.幸い,用は済んでいたので(笑),すぐにトイレから脱出できました.
この二日前の大きめの地震以降,余震が続いていて,自分の三半規管に自信がなくなっていたこともあり,はじめの印象は,「放尿による血圧低下でふらついたのか?」というものでした.その後,「地震だ」と確信し,「この揺れが縦揺れだ」と気付いてゾッとしました.たぶん,この間,一秒程度.すぐにトイレから脱出し,廊下へでました.
廊下に出る頃には,ひどい横揺れに変わっており,立っているのも困難な状況で,廊下の壁に手をついて辛うじて半立ちになりながら,周囲を見回すことしかできませんでした.
その時,私の近くには研究室の後輩のK くんとM くんがおり,二人は実験室から飛び出してきたようでした.廊下では何人かの悲鳴と「落ち着け!」「伏せろ!」などの叫び声が聞こえました.とにかく,まともに立てる状況ではないので,身を伏せて落下物や滑ってくる棚から身を守るしかない状況でした.
僕のいたトイレのある部分は,建物のメインではなく,独立した,エレベーター,階段,トイレだけで構成された非常に細長い建造物(エレベーター棟)であったため,同じ廊下のすぐ近くにいた後輩たちと揺れの位相がズレていました.また,この建物とメインの建物の間の連絡通路は,早々に破断し,コンクリート片の落下し,土煙がもうもうと舞っていました.
そんな状況にも関わらず,なぜか,脳内は妙に冷静で,「この二つの建物のうち,倒壊しやすいのはこっちだろうなぁ.でも,ヒビが入ってコンクリート片が降り注いでいる連絡通路を通るのは危険だなぁ.だいたい,すでに崩壊が始まっている通路を通るより,ここにいる方がマシだろう.建物が倒壊したときは生きるのは諦めよう」なんてことを考えていました.どうやら向こう岸の後輩も同じようなことを考えていたのか,「残念だけど,kretacea さんは諦めよう.運がなかったんだ……」という表情をしていましたw
実際は知りませんが,揺れの継続時間は 5 分を越えていたのではないかと思います.体感的にはもっと長い気がしましたが…….
本震が済み,エレベーター棟が倒壊しなかった幸運を喜びつつ,急いで崩壊中の連絡通路を通り本棟へ移動し,後輩と無事を喜び合いました.
本震のあとに,それなりの規模の余震が立て続けに起こっていました.余震の規模が大き過ぎるので,歩くのが困難で,すぐには建物からでることができませんでした.
その後十数分で,ある程度余震が落ち着いて,避難がはじまりました.避難の前に自室を見ると,完全に本棚の本が抜けて,床に散らばっており,机の上にあったものも全て床に落ちている,悲惨な状況でした.そこで,改めて地震の規模の大きさを実感しました.
「避難」へ続く
2011年3月7日月曜日
買ったもの記録
OASIS "Definitely Maybe"
むかーしむかし,それは,個人用の記録メディアがテープから MD に移り変わる頃に,MD に録音したものをずーっと持っていて,それで聞いていたアルバムなんだけど,解散記念(笑)の廉価版を見つけて思わず購入.
OASIS はブログでも散々こき下ろしているくらい大嫌いなバンドなんだけど,このアルバムと 2nd(の一部楽曲っていうか,"Champagne supernova")だけは認めざるを得ない.このアルバムだって The Stone Roses のパクリに過ぎないんだけど,やっぱり "Live forever" のキラキラ具合,"Supersonic" のグダグダ感,"Cigarettes and Alchohol" の極限までに突き詰めたダサさなどなど,このバンドが出てこなければ存在し得なかったスタイルが確実に存在している.そこら辺が好き."Married with Children" とかもたまらない.
The Cure "4:13 Dream"
こっちも今更感たっぷりなんだけど,買っていなかったので.
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「魔法少女まどか☆マギカ」 1 巻
話題作なのでw
2011年2月14日月曜日
意地悪クイズ
"毛の生えたチ○ポをマ○コに入れてゴシゴシこするセックスな〜んだ?"
……というわけで,「ぱら☆いぞ」(道満晴明),「ファントムブレイブ(新装版)」(道満晴明),「顔のない女」(高橋葉介)を入手.「ファントムブレイブ(新装版)」は表紙のためだけに購入.
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「ぱら☆いぞ」 1 巻
今巻は,リーダーがレギュラー化するくらいまでのエピソードを収録していた(一昨年くらいまで?).あと,今月号掲載の過去編もフルカラーで収録してた.基本的に,カラーはそこだけ.未収録エピソード,修正箇所などは未照会のため不明.
やっぱり,道満先生は天才.以上.
「顔のない女」
久し振りの完全新作連載.「もののけ」も新作と言えば新作ではあったけど,スピンオフでもあったし,物語は過去作を踏襲したものだったので(例えば,魔実也の立ち位置を手の目に変えているだけ),新作感が少なかった.
この作品の肝は,高橋作品の過去の怪物を新しい主人公(顔のない女)が殺していく,という部分.例えば,クレイジーピエロクラスの大物をあっさり殺してしまう.
……しかし,ストーリー自体は面白いかというと微妙.主人公も,サバサバした感じや,バストサイズや自分の容姿を気にしている設定とかは嫌いじゃないんだけど,いまいち魅力に欠ける…….まぁ,高橋コレクターだったら買うべきというレベルか.
「ファントムブレイブ(新装版)」
表紙の絵のためにお布施.でも,判型が大きくなっていたので,ペンタッチとか見やすくなってる.
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