今年もあと数日になりましたので,毎年恒例,一年の想ひ出を振り返ってみようかと思います.以前は,この日記が,それなりに日々の記録として機能していたのですが,最近は,何かを買った記録以外にほとんど更新していないので,非常に優秀なタイムログであるついったーを振り返りながら参ります.
……今年は,なんか,一年の印象が薄いんだけど.
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1 月:なんか,博物館の展示用に「雨ニモマケズ」を書いてた.
2 月:なんか,「あの夏で待ってる」の演出に異常にハマってた.あと,博物館業務がそれなりに忙しかったっぽい.卒修論生支援とかしてた.
3 月:某北大組の送別でちょっと感傷的になっていた気がする.あと,研究室で久慈にフィールド調査兼慰安旅行に.久慈層群の砂岩の柔らかさと堆積構造の流麗さに感動した.あと,金田一温泉もよかった.ストパンの映画を見るためだけに東京に行ったりしていた.
4 月:新学期.特段,記憶に残るイベントはなかったように思う.あと,書類に忙殺されていた記憶があります.
5 月:引き続き,書類に忙殺されていたような…….あと,日食とかあったっけ?
6 月:某学会で初めて名古屋入り.月の前半は学会準備していた気がする(多分).
7 月:月の前半は北海道に調査に行っていた.なぜか,頻繁に札幌仙台間を行き来していたような…….あと,隣人の追い出しなど.研究室内の某北大組が自分だけになるなど.あ,そういえば,この月から身分が変わったのだった.
8 月:フィールドによく行っていた.後輩(B3)の指導.
9 月:某学会で大阪にいったり,内輪の国際シンポジウムで発表したり.あと,この月も何回か札幌行っていた気がする.月末ごろに今年でポスドク辞める決心がついた.
10 月:某書類を書いていた.そして,年度始めに書いていた某書類がパスしなかった.
11 月:店じまい準備.自分のサンプル整理など.
12 月:店じまい.自宅に散乱した文献類をまとめたりなんだり.
……こうやってみると,基本的に今年は撤退戦をやっていたことがよくわかります.まぁ,順調に今年度いっぱいで撤退しきれそうなのでよかったかと.
それでは,少し早いですが,皆様,良いお年を……
2012年12月27日木曜日
2012年12月19日水曜日
ざんむにおもふ
気が付けば 12 月も半ばになってしまいました.今年もあと 2 週間です.年度で考えても,実質的に仙台からの撤退に時間を費やさざるを得ない 3 月を除けば,あと三ヶ月弱で研究関連の残務処理を終えなければいけないということで,そろそろ秋山殿のくせっ毛の可愛さにうつつを抜かしている場合ではないのではないかと,少々,焦りを覚えている今日この頃です.
この 3 月をもって「学校」という場から(ようやく)離れられるわけですが,冷静に考えるとちょうど 10 年もの期間に渡ってぬるぬると浸かっていたぬるま湯から上がるということは,それなりのことだなぁ,と全く見えない,来年以降の寒々とした予定に恐怖を覚えるのであります.この支配からの卒業なのです(まぁ,卒業はとっくにしてるんだけど).
そんなわけで,将来に対するぼんやりとした不安を抱えてはいるものの,残念ながら半透明のくるくると回る歯車が視界を遮り始める程に繊細な神経を持ち合わせているわけでもなく,萬有の真相に「不可解」と結論づけて八木山橋から竜ノ口渓谷に「だいゔとぅぷらいおしーん!」するわけでもなく,ただ,ゆるゆると今年来年貫く棒のごとく在るだけだから,質が悪いというものです(この一文はそういう冗句であって,別に生に悲観する程,定まらない来年以降の未来に絶望していたりするわけではなく,ちょっと学術研究というか,純粋なサイエンスの世界から身を引くうえで,なんとなくせんちめんたるでめらんこりぃでふぃーりんぐぐるぅみぃな気分に見舞われているということなのです.なんとなく,煙水晶,なのです).
そんな中,選挙であったり,年末進行であったり,毎年恒例の後輩諸氏の卒論のフォローであったり,忘年会であったり,余計な不安に向き合う間もなく嫌が応にも時は流れていきます(そろそろパロディを挟むのに限界が来た模様).まぁ,所詮は,師走の喧噪に散る程度の矮小な悩みなのです.
これまでの 30 年に満たない短い人生において来年の自分の姿が想像できない状態に置かれているのは,ほぼ初めての経験なので微妙に緊張しているのかも知れません.とりあえず,"永遠の中二病" や "反社会的な言動" をやめなければならないかと思う次第です.
まぁ,どうあれ,ゆるゆると這いずりながら生きて往くのですがね.とりあえず,来夏の「風立ちぬ」を楽しみに…….
あ,でも,あと数日で世界は終わるんだっけ?
この 3 月をもって「学校」という場から(ようやく)離れられるわけですが,冷静に考えるとちょうど 10 年もの期間に渡ってぬるぬると浸かっていたぬるま湯から上がるということは,それなりのことだなぁ,と全く見えない,来年以降の寒々とした予定に恐怖を覚えるのであります.この支配からの卒業なのです(まぁ,卒業はとっくにしてるんだけど).
そんなわけで,将来に対するぼんやりとした不安を抱えてはいるものの,残念ながら半透明のくるくると回る歯車が視界を遮り始める程に繊細な神経を持ち合わせているわけでもなく,萬有の真相に「不可解」と結論づけて八木山橋から竜ノ口渓谷に「だいゔとぅぷらいおしーん!」するわけでもなく,ただ,ゆるゆると今年来年貫く棒のごとく在るだけだから,質が悪いというものです(この一文はそういう冗句であって,別に生に悲観する程,定まらない来年以降の未来に絶望していたりするわけではなく,ちょっと学術研究というか,純粋なサイエンスの世界から身を引くうえで,なんとなくせんちめんたるでめらんこりぃでふぃーりんぐぐるぅみぃな気分に見舞われているということなのです.なんとなく,煙水晶,なのです).
そんな中,選挙であったり,年末進行であったり,毎年恒例の後輩諸氏の卒論のフォローであったり,忘年会であったり,余計な不安に向き合う間もなく嫌が応にも時は流れていきます(そろそろパロディを挟むのに限界が来た模様).まぁ,所詮は,師走の喧噪に散る程度の矮小な悩みなのです.
これまでの 30 年に満たない短い人生において来年の自分の姿が想像できない状態に置かれているのは,ほぼ初めての経験なので微妙に緊張しているのかも知れません.とりあえず,"永遠の中二病" や "反社会的な言動" をやめなければならないかと思う次第です.
まぁ,どうあれ,ゆるゆると這いずりながら生きて往くのですがね.とりあえず,来夏の「風立ちぬ」を楽しみに…….
あ,でも,あと数日で世界は終わるんだっけ?
2012年12月2日日曜日
高橋葉介個展
もう,先週のことになりますが,高橋葉介先生の個展に足を運んできました(そして,ついでに東大古生物展にも行ってきました).
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とにかく,高橋葉介先生の生絵には,ひたすら感動しました.そして,賞味のところ,どんなに印刷が良くても,墨の微妙な濃淡というのは印刷じゃ表現しきれないものなのだなぁ,と得心した次第です.
個展にでていたのは,ほとんどが書き下ろしの一品物で,僕が観覧した段階で,ほとんどの作品が売約済みであり(高い物で \100000- 程度でした),僕が個展会場にいる間に 2 枚も売れてました…….自分にも,絵を購入し,かつ,その絵を飾った部屋の空調なりを整える資金力があったら購入していたかもしれませんが,ただの博物館勤めのビンボー研究員のできることではありませんでした.
展示されていた絵の中で,いちばん面白かったのが,「素敵なお兄様」の同一モチーフによる彩色の各段階の絵です.濃墨,濃墨+淡墨,濃墨+淡墨+松煙墨(か青墨),濃墨+淡墨+松煙墨(か青墨)+朱……という風に,色が重なっていく各段階が別個の作品になっていて,最終的な絵(多分,二色刷り用の作品)ができるまでの課程を詳細に観察することができました.
展示作品(一品もの)以外に,マンガの原稿も展示されていました(ストーリィ・テラーの「赤ずきん」と夢幻紳士新怪奇篇の一話←なんだったか忘れた……orz).以前から,筆の性質と墨の濃淡を生かしたコマと,トーンを使っていたり,細部を明らかにペンで描いているコマとが共存している原稿がどうなっているのか,ということが気になっていたのですが,今回,原稿を見ることで,その疑問が氷解しました.筆のコマは,原稿用紙に和紙を貼って描いていたのですね…….そして,原稿は,ホワイトがほとんどない,非常に美しい物でした.
ファンの一人として嬉しかったのは,ネーム(完成稿直前くらい?)のコピーが置かれていたことです.そんなに多くの作家のネームを見たことがあるわけではないのですが,絵の微細さに対して,予想以上にネーム時の絵がラフだったことに驚きました.
そんなわけで,高橋先生の絵画の世界を十分に堪能し,サイン会でサインをして頂いて東京から帰ってきたのでした(ミルクちゃんと素敵なお兄様を描いて頂きました).
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……東大古生物の展示に関しても,なにか書こうかと思ったんですが,そこまでポジティブな感想でもないのでよします.
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とにかく,高橋葉介先生の生絵には,ひたすら感動しました.そして,賞味のところ,どんなに印刷が良くても,墨の微妙な濃淡というのは印刷じゃ表現しきれないものなのだなぁ,と得心した次第です.
個展にでていたのは,ほとんどが書き下ろしの一品物で,僕が観覧した段階で,ほとんどの作品が売約済みであり(高い物で \100000- 程度でした),僕が個展会場にいる間に 2 枚も売れてました…….自分にも,絵を購入し,かつ,その絵を飾った部屋の空調なりを整える資金力があったら購入していたかもしれませんが,ただの博物館勤めのビンボー研究員のできることではありませんでした.
展示されていた絵の中で,いちばん面白かったのが,「素敵なお兄様」の同一モチーフによる彩色の各段階の絵です.濃墨,濃墨+淡墨,濃墨+淡墨+松煙墨(か青墨),濃墨+淡墨+松煙墨(か青墨)+朱……という風に,色が重なっていく各段階が別個の作品になっていて,最終的な絵(多分,二色刷り用の作品)ができるまでの課程を詳細に観察することができました.
展示作品(一品もの)以外に,マンガの原稿も展示されていました(ストーリィ・テラーの「赤ずきん」と夢幻紳士新怪奇篇の一話←なんだったか忘れた……orz).以前から,筆の性質と墨の濃淡を生かしたコマと,トーンを使っていたり,細部を明らかにペンで描いているコマとが共存している原稿がどうなっているのか,ということが気になっていたのですが,今回,原稿を見ることで,その疑問が氷解しました.筆のコマは,原稿用紙に和紙を貼って描いていたのですね…….そして,原稿は,ホワイトがほとんどない,非常に美しい物でした.
ファンの一人として嬉しかったのは,ネーム(完成稿直前くらい?)のコピーが置かれていたことです.そんなに多くの作家のネームを見たことがあるわけではないのですが,絵の微細さに対して,予想以上にネーム時の絵がラフだったことに驚きました.
そんなわけで,高橋先生の絵画の世界を十分に堪能し,サイン会でサインをして頂いて東京から帰ってきたのでした(ミルクちゃんと素敵なお兄様を描いて頂きました).
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……東大古生物の展示に関しても,なにか書こうかと思ったんですが,そこまでポジティブな感想でもないのでよします.
2012年11月23日金曜日
2012年11月19日月曜日
えばQ 感想
いま 20 代後半〜 40 歳くらいまでの人間の多くがどこかしらで引っかかってしまったであろう,エヴァという巨大な釣り針に引っかかってしまった一人として,長らく公開を待ちわびていた「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」がはじまりました.……というわけで,公開初日に見てきました.……まぁ,あの時代の熱に冒された人間の背負う業のようなものです.
まず,まだ見ていない人は,「Q」を見るために「序」「破」を見直す時間があったら「本編」全 26 話と旧劇を見直すことをお勧めします(というか,「序」「破」は見ないほうがいいと個人的には思います.そのほうが楽しめるかと).加えて,「破」のときに放映された予告編を眺めておくと面白いかも知れません.そして,序破急を模したタイトルの付け方ではありますが,ただの起承転結の「転」だと思っていたほうがいいです.
【ネタバレ注意】
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【以下,ネタバレ含みます】
この映画をみて,いちばん始めに感じたのは「相変わらず,エヴァにでてくる大人はクソ野郎ばっかりだな〜wwww」ということでしたw ヱヴァを見ていると,庵野秀明って子供の頃に,心の底から「周囲の大人」が嫌いだったんだろうなぁ,と(たしか,そんなことを延々と語っているインタヴューも見たことがあります).実際,視聴者としてエヴァを見ていても,子供の頃に大人から理不尽な扱いを受けてショックを受けたり,不条理な言葉を投げられたりした記憶が蘇ることがあるくらいなので,そういう意図での演出なのだろうとは思うのですが,いつもいつもシンジくんが可哀想で……w
あと,全編を通して,アスカが可愛すぎてヤバい.14 年もの間,世界が激変していた中で,会えもしない,触れられもしないシンジくんをただ一人愛し続けているとか,マジ可愛い.圧倒的碇ユイ信者の私ですら,アスカの可愛さにノックアウトされそうになったくらいですから,マジヤバいですw(ただし,声はだいぶ変わっちゃってました).
そして,「破」でも感じたことだけど,基本的にコネ眼鏡ちゃんの存在意義が空虚すぎてなんだか…….ただ,「ゲンドウくんのことずっと見てる(不正確だけどこんなニュアンス)」とか言ってたりするし,色々知っていることに定評のあるカヲルくんが退場しちゃったし,最終作(?)である「反復記号(一説では,コロンは毎作についているので『終止記号』であるという話も)」で超越した視点からみた物語の解説者として活躍するのかも知れませんが,よくわかりません.
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……というわけで,個人的な考察(もどき)を含めた感想を.
この映画をひとことで表すと「価値観の反転の物語」だったと思います.基本的に,本編〜旧劇にかけて作中に描かれていた事象の価値観がまるっきり反転している物語だな,と感じました.
例えば,大きな事象では,(色んな意味で)シンジくんの「セカイを守るための戦い」が,シンジくんによる「セカイの滅亡」として描かれていた点(「セカイ系」へのアンチテーゼと読み取れる部分もある.元々,エヴァの物語自体が終末神話の様相を模しているとは思うけれど,本編〜旧劇では,最終的に [個人が] 救済される物語になっていたのに対して,すでにその時間 [本編における人類補完計画発動時] を過ぎていて,本当にセカイが終わっている)や,「人類の進化」であり,「科学による神への正統な反逆」であり,「(正邪を内包する概念としての)女神である碇ユイの復活の象徴」であり,「物語の終焉」であった(他にもあるけど,取り敢えず)人類補完計画が,今作では,「人類の絶滅(未遂)」であり,「思い上がった科学の神への無謀な挑戦(の失敗)」であり,「邪神である "綾波" ユイの人として分不相応な計画」であり,「物語の価値観の反転する鏡」であったサードインパクト(の出来損ない)として描かれていた点などがあげられます(そして,この反転によって生じた「いま」が,セカンドトインパクトとサードインパクトの間と同じく,サードインパクトからちょうど 14 年というシンメトリの構造になっているあたりが憎い演出です).他にも,「本編」では "女神(であり,全ての計画の根幹である)"として描かれている碇ユイが,「Q」では,端から邪悪な "神への反逆者(であり,マッドサイエンティストである)" 綾波ユイとして描かれていたり(余談ですが,この名字が劇中で発せられた瞬間の会場の一瞬のざわめきはなかなか面白かったですw),「本編」で,カヲルくんがシンジくんを口車に乗せて「使徒」として都合のいいように動かした末,勘違いに気付いた挙げ句,自殺幇助を頼むことでシンジくんの精神を追いつめた展開が,「Q」では,本心からシンジくんを助けるためにした行動が(これが本心であるというのは,「破」の冒頭のカヲルくんのセリフからもわかります),カヲルくんの勘違いで,シンジくんを助けられなくなり(これ,「本編」では,「アダムだと思って接触しようとしたらリリスだった」ってところが,「リリスに二本の槍が刺さっていると思って接触しようとしたら何かが違った(詳細不明)」と,反転ではないものの微妙に変化している),挙げ句,シンジくんの代わりとして,シンジくんを救うために,シンジくんの目の前で爆死して,シンジくんの精神を追いつめる展開に書き変わっていたり(至る経緯は反転していても,結論は変わらないのが救えないところ),「本編」と共通項を含みつつ,微妙に意味合いが反転している演出が多く見受けられます.
これらの価値観の反転が,どのような結末を思い描いた上で設定されたのかなど知る由もありませんが,「新世紀エヴァンゲリオン」が放散の切っ掛けになったといっても過言ではない「セカイ系」というジャンルのひとつの変換点(または,ジャンル自体への反抗)になるであろうことは,想像に難くないと思います(「本編」も個人としての碇シンジ,ゲンドウ父子は救われたけれど,セカイは終末を迎えていたので,結局,変わらないともいえますが……/苦笑).
個人的に,残念だったポイントは,セカイの価値観が反転したセカイにおいて,綾波ユイ(=碇ユイ)が,「科学」をもって無謀にも神に「反逆」しようとしたマッドサイエンティストとして描かれている点です.「本編」は,碇ユイの「愛」を科学で再構築することで「神への正統な反逆(=ユイの復活)」を行い,人類(というか,ゲンドウただ一人)が「神に勝利する」非常に美しく崇高なラストだったと(勝手に)解釈しているのですが,「Q」では,それが失敗に終わるか,そもそも「神に挑戦すること」が悪意を持って描かれそうな予感がします.これは,熱狂的なユイ信者である私にとって,キツい展開ですw
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本作で面白かったのは,決して,「本編」で描かれていた描写(展開)を崩していないところです(この物語は一応,「本編」でいうところの 22〜24 話に相当します.加えて,NTR 好きのド変態として定評のある冬月おじいちゃんとの将棋シーンなどの散りばめられた断片を 21 話相当と読むことも可能かも).「Q」で,この「本編」の展開を余さずトレースしていることは,例えば,エヴァシリーズの 13 号機が作られることが物語のキーポイントであること,カヲルくんとシンジくんの精神の交感が,「本編」より遥かに濃密に描かれていること(石田彰の官能的な演技が素晴らしい!),シンジくんの無気力化(25 話〜旧劇)の原因が,「トウジの死(ただし,「本編」では死の描写なし)」,「綾波の交代」,「自らの手によるカヲルくんの死(自殺幇助に近い)」の三タテであったことなどからも,はっきりわかります(ただし,その描写の持つ意味は丸っきり違うのですが……/上記「物語の反転」参照).「Q」では,このあたりの,全編の内容が頭に入っているファンに対する心地よい裏切りっぷりが,非常に気持ちよかったです(「序」「破」は,確かに演出や映像表現のすごさに圧倒されたのですが,内容の上では,単なる「本編」のアップグレードでしかなかったので,「Q」において,想像していた展開や考察の類いが気持ちのいいくらいひっくり返されていくのが堪らぬ快感でした.その意味で,僕個人としては,過去 3 作の新劇の中で,本作がいちばんの作品だと思います).
まだまだ,よくわからないところが多いですが(「結局,ヴィレって何?」とか,「エヴァ改って,NERV のエヴァとどう違うの?」とか,「セカイはどの程度壊れたの?」とか,「結局,ぽかぽか綾波は初号機にまだいるの?」とか,「なんでエヴァパイロットは年取らないの?」とか),今後,それらも解決されて,エヴァという過去 16 年に渡る壮大な釣りの,本当の終わりが訪れることを期待します.
でも,まぁ,結局のところ,この物語は「ゲンドウのユイに対する世界を引き換えにできる程の愛」の物語なわけで(それは,本編〜新劇まで延々と変わらない),結末は,ゲンドウがどう納得するかっていうだけの話なんですよね…….
とにかく,いまは「反復記号(or 終止記号)」の公開が楽しみです.
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※もっと下世話な感想(「アラフォーなマヤさんどーよ?」とか,「┌(┌^o^)┐ホモォ…」とか,「声優の声変わりが……」とか)は,また,後日,書き直しますが,見てすぐに書き記しておきたかったことは,こんな感じ.
まず,まだ見ていない人は,「Q」を見るために「序」「破」を見直す時間があったら「本編」全 26 話と旧劇を見直すことをお勧めします(というか,「序」「破」は見ないほうがいいと個人的には思います.そのほうが楽しめるかと).加えて,「破」のときに放映された予告編を眺めておくと面白いかも知れません.そして,序破急を模したタイトルの付け方ではありますが,ただの起承転結の「転」だと思っていたほうがいいです.
【ネタバレ注意】
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【以下,ネタバレ含みます】
この映画をみて,いちばん始めに感じたのは「相変わらず,エヴァにでてくる大人はクソ野郎ばっかりだな〜wwww」ということでしたw ヱヴァを見ていると,庵野秀明って子供の頃に,心の底から「周囲の大人」が嫌いだったんだろうなぁ,と(たしか,そんなことを延々と語っているインタヴューも見たことがあります).実際,視聴者としてエヴァを見ていても,子供の頃に大人から理不尽な扱いを受けてショックを受けたり,不条理な言葉を投げられたりした記憶が蘇ることがあるくらいなので,そういう意図での演出なのだろうとは思うのですが,いつもいつもシンジくんが可哀想で……w
あと,全編を通して,アスカが可愛すぎてヤバい.14 年もの間,世界が激変していた中で,会えもしない,触れられもしないシンジくんをただ一人愛し続けているとか,マジ可愛い.圧倒的碇ユイ信者の私ですら,アスカの可愛さにノックアウトされそうになったくらいですから,マジヤバいですw(ただし,声はだいぶ変わっちゃってました).
そして,「破」でも感じたことだけど,基本的にコネ眼鏡ちゃんの存在意義が空虚すぎてなんだか…….ただ,「ゲンドウくんのことずっと見てる(不正確だけどこんなニュアンス)」とか言ってたりするし,色々知っていることに定評のあるカヲルくんが退場しちゃったし,最終作(?)である「反復記号(一説では,コロンは毎作についているので『終止記号』であるという話も)」で超越した視点からみた物語の解説者として活躍するのかも知れませんが,よくわかりません.
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……というわけで,個人的な考察(もどき)を含めた感想を.
この映画をひとことで表すと「価値観の反転の物語」だったと思います.基本的に,本編〜旧劇にかけて作中に描かれていた事象の価値観がまるっきり反転している物語だな,と感じました.
例えば,大きな事象では,(色んな意味で)シンジくんの「セカイを守るための戦い」が,シンジくんによる「セカイの滅亡」として描かれていた点(「セカイ系」へのアンチテーゼと読み取れる部分もある.元々,エヴァの物語自体が終末神話の様相を模しているとは思うけれど,本編〜旧劇では,最終的に [個人が] 救済される物語になっていたのに対して,すでにその時間 [本編における人類補完計画発動時] を過ぎていて,本当にセカイが終わっている)や,「人類の進化」であり,「科学による神への正統な反逆」であり,「(正邪を内包する概念としての)女神である碇ユイの復活の象徴」であり,「物語の終焉」であった(他にもあるけど,取り敢えず)人類補完計画が,今作では,「人類の絶滅(未遂)」であり,「思い上がった科学の神への無謀な挑戦(の失敗)」であり,「邪神である "綾波" ユイの人として分不相応な計画」であり,「物語の価値観の反転する鏡」であったサードインパクト(の出来損ない)として描かれていた点などがあげられます(そして,この反転によって生じた「いま」が,セカンドトインパクトとサードインパクトの間と同じく,サードインパクトからちょうど 14 年というシンメトリの構造になっているあたりが憎い演出です).他にも,「本編」では "女神(であり,全ての計画の根幹である)"として描かれている碇ユイが,「Q」では,端から邪悪な "神への反逆者(であり,マッドサイエンティストである)" 綾波ユイとして描かれていたり(余談ですが,この名字が劇中で発せられた瞬間の会場の一瞬のざわめきはなかなか面白かったですw),「本編」で,カヲルくんがシンジくんを口車に乗せて「使徒」として都合のいいように動かした末,勘違いに気付いた挙げ句,自殺幇助を頼むことでシンジくんの精神を追いつめた展開が,「Q」では,本心からシンジくんを助けるためにした行動が(これが本心であるというのは,「破」の冒頭のカヲルくんのセリフからもわかります),カヲルくんの勘違いで,シンジくんを助けられなくなり(これ,「本編」では,「アダムだと思って接触しようとしたらリリスだった」ってところが,「リリスに二本の槍が刺さっていると思って接触しようとしたら何かが違った(詳細不明)」と,反転ではないものの微妙に変化している),挙げ句,シンジくんの代わりとして,シンジくんを救うために,シンジくんの目の前で爆死して,シンジくんの精神を追いつめる展開に書き変わっていたり(至る経緯は反転していても,結論は変わらないのが救えないところ),「本編」と共通項を含みつつ,微妙に意味合いが反転している演出が多く見受けられます.
これらの価値観の反転が,どのような結末を思い描いた上で設定されたのかなど知る由もありませんが,「新世紀エヴァンゲリオン」が放散の切っ掛けになったといっても過言ではない「セカイ系」というジャンルのひとつの変換点(または,ジャンル自体への反抗)になるであろうことは,想像に難くないと思います(「本編」も個人としての碇シンジ,ゲンドウ父子は救われたけれど,セカイは終末を迎えていたので,結局,変わらないともいえますが……/苦笑).
個人的に,残念だったポイントは,セカイの価値観が反転したセカイにおいて,綾波ユイ(=碇ユイ)が,「科学」をもって無謀にも神に「反逆」しようとしたマッドサイエンティストとして描かれている点です.「本編」は,碇ユイの「愛」を科学で再構築することで「神への正統な反逆(=ユイの復活)」を行い,人類(というか,ゲンドウただ一人)が「神に勝利する」非常に美しく崇高なラストだったと(勝手に)解釈しているのですが,「Q」では,それが失敗に終わるか,そもそも「神に挑戦すること」が悪意を持って描かれそうな予感がします.これは,熱狂的なユイ信者である私にとって,キツい展開ですw
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本作で面白かったのは,決して,「本編」で描かれていた描写(展開)を崩していないところです(この物語は一応,「本編」でいうところの 22〜24 話に相当します.加えて,NTR 好きのド変態として定評のある冬月おじいちゃんとの将棋シーンなどの散りばめられた断片を 21 話相当と読むことも可能かも).「Q」で,この「本編」の展開を余さずトレースしていることは,例えば,エヴァシリーズの 13 号機が作られることが物語のキーポイントであること,カヲルくんとシンジくんの精神の交感が,「本編」より遥かに濃密に描かれていること(石田彰の官能的な演技が素晴らしい!),シンジくんの無気力化(25 話〜旧劇)の原因が,「トウジの死(ただし,「本編」では死の描写なし)」,「綾波の交代」,「自らの手によるカヲルくんの死(自殺幇助に近い)」の三タテであったことなどからも,はっきりわかります(ただし,その描写の持つ意味は丸っきり違うのですが……/上記「物語の反転」参照).「Q」では,このあたりの,全編の内容が頭に入っているファンに対する心地よい裏切りっぷりが,非常に気持ちよかったです(「序」「破」は,確かに演出や映像表現のすごさに圧倒されたのですが,内容の上では,単なる「本編」のアップグレードでしかなかったので,「Q」において,想像していた展開や考察の類いが気持ちのいいくらいひっくり返されていくのが堪らぬ快感でした.その意味で,僕個人としては,過去 3 作の新劇の中で,本作がいちばんの作品だと思います).
まだまだ,よくわからないところが多いですが(「結局,ヴィレって何?」とか,「エヴァ改って,NERV のエヴァとどう違うの?」とか,「セカイはどの程度壊れたの?」とか,「結局,ぽかぽか綾波は初号機にまだいるの?」とか,「なんでエヴァパイロットは年取らないの?」とか),今後,それらも解決されて,エヴァという過去 16 年に渡る壮大な釣りの,本当の終わりが訪れることを期待します.
でも,まぁ,結局のところ,この物語は「ゲンドウのユイに対する世界を引き換えにできる程の愛」の物語なわけで(それは,本編〜新劇まで延々と変わらない),結末は,ゲンドウがどう納得するかっていうだけの話なんですよね…….
とにかく,いまは「反復記号(or 終止記号)」の公開が楽しみです.
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※もっと下世話な感想(「アラフォーなマヤさんどーよ?」とか,「┌(┌^o^)┐ホモォ…」とか,「声優の声変わりが……」とか)は,また,後日,書き直しますが,見てすぐに書き記しておきたかったことは,こんな感じ.
2012年11月12日月曜日
結局また,購入記録
最近は,年に一回,コンスタントに新しい小品を刊行している高橋葉介先生の今年の新刊が出たのと,名作短編集「夜姫さま」の新装版(表紙書き下ろし,「もののけ草紙」の未刊行短編 2 作)が出ていたので購入.
「ストーリィ・テラー」
高橋葉介先生によるグリム童話の翻案,ということで,その一文だけで,面白さが保証されているようなもの,という感じです.もちろん,グリム童話の翻案と言えば,諸星大二郎先生のマンガがすぐに思い浮かぶわけですが,高橋葉介先生も,そこは強く意識していたとのこと.そのせいであるのか,高橋葉介先生の才の為せる技か,全くの別物というか,いつものエログロナンセンスな高橋葉介節の作品に仕上がっています.近年の作品(新・夢幻紳士三部作以降)の中でもトップクラスの出来だと思います.
先生があとがきで書かれている通り,はじめの二話(「赤ずきん」「ヘンゼルとグレーテル」)は,元ネタの話を意識するあまり,話の展開がギクシャクしている感がありますが,「ラプンツェル」でラプンツェルを「塔に幽閉される魔物」として描いたあたりは往年の「蜘蛛の化物もの」の翻案にもなっていて調子が出てきていたようにも思います.しかし,「あとがき」にあるように意識的に女性のヌードを入れてエロに走りはじめてからの二作は,また,もとのギクシャクに戻っている感があり,少々,残念です.ただ,この二作に通底するふわふわしたエンディングは,個人的に,嫌いではないです.特に,「ハーメルン」は,元ネタの不可解が上手く表現されていたように思います.また,「眠れる」に関しては,不幸っ娘ナユコちゃんが出ていたというだけで,ファン的には満足です(が,不幸にならなかったのは……).この二作を経て,「シンデレラ」の悲喜劇あたりから,先生の筆が明らかに冴えはじめるのがよくわかります.
今作で,特に気に入ったのは,「白雪姫」「長靴をはいた猫」「7 匹の子やぎ」の三編です.なかでも,「長靴〜」の猫を,ニーハイソックスの靴下(だけを)穿いた猫耳っ娘にしちゃうあたりが素敵でしたw
個人的には,「怪談」の官能的な雰囲気が好きだったので,今の絵柄で,こうも見事に官能ものの連作をやってくれたのがとても嬉しかったです.特に「ヒラメ」での,「お姉ちゃん」が登場するシーン(絵だけではなく「なんだい弟」というセリフ)のもつエロティシズムは,高橋葉介にしか描けないものだと思います.
番外編は,「こういう新シリーズが書かれるといいな」という感じでした.「悪夢交渉人」あたりからの高橋葉介先生のマンガの主人公は,基本的に,魔に対してアクティブすぎて,初期の(まだ,人間だった頃の)夢幻魔実也のような無気力キャラが恋しくなってきた頃合いなので…….
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「夜姫さま」
基本的には,表紙の絵のために購入したので,とくに感想はありません.
久し振りに読み返してみると,「猫姫」が可愛いなぁ,とか,「夜姫」のデザインがツリ目&ジト目っていうのが高橋葉介キャラの中では珍しいなぁ,とか思いました.
「もののけ草紙」の未刊行エピソードについては,この本に収録する意味がちょっとよくわからないくらい,普通の「もののけ草紙」だったとしか…….
「ストーリィ・テラー」
高橋葉介先生によるグリム童話の翻案,ということで,その一文だけで,面白さが保証されているようなもの,という感じです.もちろん,グリム童話の翻案と言えば,諸星大二郎先生のマンガがすぐに思い浮かぶわけですが,高橋葉介先生も,そこは強く意識していたとのこと.そのせいであるのか,高橋葉介先生の才の為せる技か,全くの別物というか,いつものエログロナンセンスな高橋葉介節の作品に仕上がっています.近年の作品(新・夢幻紳士三部作以降)の中でもトップクラスの出来だと思います.
先生があとがきで書かれている通り,はじめの二話(「赤ずきん」「ヘンゼルとグレーテル」)は,元ネタの話を意識するあまり,話の展開がギクシャクしている感がありますが,「ラプンツェル」でラプンツェルを「塔に幽閉される魔物」として描いたあたりは往年の「蜘蛛の化物もの」の翻案にもなっていて調子が出てきていたようにも思います.しかし,「あとがき」にあるように意識的に女性のヌードを入れてエロに走りはじめてからの二作は,また,もとのギクシャクに戻っている感があり,少々,残念です.ただ,この二作に通底するふわふわしたエンディングは,個人的に,嫌いではないです.特に,「ハーメルン」は,元ネタの不可解が上手く表現されていたように思います.また,「眠れる」に関しては,不幸っ娘ナユコちゃんが出ていたというだけで,ファン的には満足です(が,不幸にならなかったのは……).この二作を経て,「シンデレラ」の悲喜劇あたりから,先生の筆が明らかに冴えはじめるのがよくわかります.
今作で,特に気に入ったのは,「白雪姫」「長靴をはいた猫」「7 匹の子やぎ」の三編です.なかでも,「長靴〜」の猫を,ニーハイソックスの靴下(だけを)穿いた猫耳っ娘にしちゃうあたりが素敵でしたw
個人的には,「怪談」の官能的な雰囲気が好きだったので,今の絵柄で,こうも見事に官能ものの連作をやってくれたのがとても嬉しかったです.特に「ヒラメ」での,「お姉ちゃん」が登場するシーン(絵だけではなく「なんだい弟」というセリフ)のもつエロティシズムは,高橋葉介にしか描けないものだと思います.
番外編は,「こういう新シリーズが書かれるといいな」という感じでした.「悪夢交渉人」あたりからの高橋葉介先生のマンガの主人公は,基本的に,魔に対してアクティブすぎて,初期の(まだ,人間だった頃の)夢幻魔実也のような無気力キャラが恋しくなってきた頃合いなので…….
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「夜姫さま」
基本的には,表紙の絵のために購入したので,とくに感想はありません.
久し振りに読み返してみると,「猫姫」が可愛いなぁ,とか,「夜姫」のデザインがツリ目&ジト目っていうのが高橋葉介キャラの中では珍しいなぁ,とか思いました.
「もののけ草紙」の未刊行エピソードについては,この本に収録する意味がちょっとよくわからないくらい,普通の「もののけ草紙」だったとしか…….
2012年11月10日土曜日
さいきんのわたくし
いろいろと思うことがあったりなかったり,それを後輩を捕まえて愚痴ってみたり,文章に起こそうと思ったりするのだけれど,どうにも形にならないことが多い.特に,文章として起こそうとすると,何となく散漫になり過ぎて,どうもいけない.
そんなわけで,長らく日々の脳汁を垂れ流していた思索録たるこの日記にも,某かの感想だったり,観光の記録だったりを書くに留まってしまっている次第なわけです.
そもそも,この「某かを思いつつ形にしたい」という欲求自体が生じていることが,僕自身にとっては,精神状態のあまりよろしくない兆候であったりするわけで,その切っ掛けは,まぁ,常識的に考えて,自分と自分の周辺で起こる変化に対する不安とか期待とか,なんだか不定形の曖昧模糊な感覚に押しつぶされている,といったところなのでしょう.
……と,まぁ,文学的修辞を弄して格好をつけてみたところで詮無きこと故,そぞろと最近の自分の様をいつものように記しておこうかと.
……とか,まぁ,そんな感じ.
そんなわけで,長らく日々の脳汁を垂れ流していた思索録たるこの日記にも,某かの感想だったり,観光の記録だったりを書くに留まってしまっている次第なわけです.
そもそも,この「某かを思いつつ形にしたい」という欲求自体が生じていることが,僕自身にとっては,精神状態のあまりよろしくない兆候であったりするわけで,その切っ掛けは,まぁ,常識的に考えて,自分と自分の周辺で起こる変化に対する不安とか期待とか,なんだか不定形の曖昧模糊な感覚に押しつぶされている,といったところなのでしょう.
……と,まぁ,文学的修辞を弄して格好をつけてみたところで詮無きこと故,そぞろと最近の自分の様をいつものように記しておこうかと.
- 開店休業状態だったかせきはかせ業務の店じまいをするための準備でてんやわんやだったり,学部生の指導でてんやわんやだったり,精神状態に比して,割りとリア充している.
- 急速に物語摂取欲が低下したのか,新規のアニメとかマンガとか CD とかに手を出すことが減った気がする.
- そんなことをいいながら,今期も「ガルパン」,「新世界より」,「おにあい」あたりはチェックしてたりする.「ガルパン」,「おにあい」は面白いと思うけれど,「新世界より」は今のところ惰性でみている感じ.
- いまは,世間の同世代同様,ヱヴァQ が楽しみ.
- あと,咲の追加 3 話はよ.
- でも,基本的に阿知賀編には失望している.
- 冒頭で,うだうだいっているように,最近,駄文執筆欲がムラムラと湧き上がっているから,どこかになんか書くかも.
- ……というか,仕事しろ.
……とか,まぁ,そんな感じ.
2012年11月7日水曜日
2012年10月17日水曜日
まどマギ
実際に見たのは先週の土曜日(初日の初回@仙台)なので,ここに感想を書くのは遅くなってしまいましたが,後編も見てきました.ちなみに,フィルムもゲットしたよ!まどかさんの憂いを帯びた表情で,当たりとまではいえないけれど,まぁ,満足のいく引きだったのではないかと思います.
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(※ネタバレもクソもないと思うけれど映画の内容に言及はします)
閑話休題.
さて,本編の感想ですが,まぁ,これに関しては,新規カット,セリフの変更を除けば,基本的に TV 放映版を踏襲しているので何も言うことはありません.文句なく面白かったです.もちろん,全カットに渡ってブラッシュアップされた映像は美麗で,特に,大画面のイヌカレー空間は大迫力でした.
しかし,前編に比べると,後編は若干,TV シリーズを連結しただけな感じがあり間延びした部分が見受けられたように思います(前編は,元々,テレビサイズで 8 話分を 2 時間強に押し込める演出のおかげで,逆にスリリングさが増していたのであって,それを演出として比べるのはちょっと違う気がしますが……).また,前編は「まどかが何を見たのか?」という視点を,すごく重視しているような演出が随所で見受けられ(その分,TV シリーズでは,さやかちゃん視点で強く描かれていた,さやかちゃんが落ちていく描写が,若干,淡白になっていたように思います),後半は,終わる世界(見滝原)と,それに相対するまどかとほむらが(それぞれ)見ている世界に話が収束していく部分が強調されていたように思います(そのせいで,若干,9 話相当の杏子ちゃんとオクタヴィアちゃんのいちゃラヴが浮いていた気もしないではありません.ただ,新規カット大量投入な杏子ちゃん×オクタヴィアちゃんのラヴシーンの杏子ちゃんが美しすぎてマジ聖女でした.実際,演出上,9 話相当の終了後に「コネクト」が入って,映画をぶった切る演出は賛否あると思いますが,個人的にはあれ以上の妙案は思いつかないので,良かったと思います).
全編を見終わって,改めて思ったのは,一回,TV 放映版の記憶をなくして,映画として,この前後編を見てみたい,ということでした.当然,毎週の TV 放映を意図して,エピソードを 20 分強のテレビサイズに分割する演出と,映画として流れを意識させる演出とは,まるっきり別なものになるだけではなく,(初見の)視聴者には大きく異なった印象を与えることが予想されるので,映画で「まどマギ」を初体験するという,感覚を味わってみたかったな,と思ってしまうのでした.
取り敢えず,新作がとっても楽しみです.
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(※ネタバレもクソもないと思うけれど映画の内容に言及はします)
閑話休題.
さて,本編の感想ですが,まぁ,これに関しては,新規カット,セリフの変更を除けば,基本的に TV 放映版を踏襲しているので何も言うことはありません.文句なく面白かったです.もちろん,全カットに渡ってブラッシュアップされた映像は美麗で,特に,大画面のイヌカレー空間は大迫力でした.
しかし,前編に比べると,後編は若干,TV シリーズを連結しただけな感じがあり間延びした部分が見受けられたように思います(前編は,元々,テレビサイズで 8 話分を 2 時間強に押し込める演出のおかげで,逆にスリリングさが増していたのであって,それを演出として比べるのはちょっと違う気がしますが……).また,前編は「まどかが何を見たのか?」という視点を,すごく重視しているような演出が随所で見受けられ(その分,TV シリーズでは,さやかちゃん視点で強く描かれていた,さやかちゃんが落ちていく描写が,若干,淡白になっていたように思います),後半は,終わる世界(見滝原)と,それに相対するまどかとほむらが(それぞれ)見ている世界に話が収束していく部分が強調されていたように思います(そのせいで,若干,9 話相当の杏子ちゃんとオクタヴィアちゃんのいちゃラヴが浮いていた気もしないではありません.ただ,新規カット大量投入な杏子ちゃん×オクタヴィアちゃんのラヴシーンの杏子ちゃんが美しすぎてマジ聖女でした.実際,演出上,9 話相当の終了後に「コネクト」が入って,映画をぶった切る演出は賛否あると思いますが,個人的にはあれ以上の妙案は思いつかないので,良かったと思います).
全編を見終わって,改めて思ったのは,一回,TV 放映版の記憶をなくして,映画として,この前後編を見てみたい,ということでした.当然,毎週の TV 放映を意図して,エピソードを 20 分強のテレビサイズに分割する演出と,映画として流れを意識させる演出とは,まるっきり別なものになるだけではなく,(初見の)視聴者には大きく異なった印象を与えることが予想されるので,映画で「まどマギ」を初体験するという,感覚を味わってみたかったな,と思ってしまうのでした.
取り敢えず,新作がとっても楽しみです.
2012年10月8日月曜日
けいおんだいがくに思ったことを書きかけたけどやめる話
「けいおん! College」を読んでいて,ちょっと思ったこと.
本編中,ひたすら「(動機はどうあれ)プロを目指す!」という確固たる意思のある晶ちゃんにベッタリで,"ちょっとだけ音楽について考える" 以外に,全くもってやる気を出すそぶりを見せない唯って,アニメ(とその人気)が一人歩きした結果,(事実かどうかはともあれ,一度,完全に終了させた作品を無理矢理書かされて)やる気を出し切れないかきふらい先生そのものの比喩なのかな……的な話を軸に大学編を読み解くエントリを書こうと思って,文章の論理展開とかまでほぼ頭の中で固まっていたんだけど,それを考えついた自分があんまりにもフォカヌポってて気持ち悪かったので,書かないことにした.
……なんつうか,あとがきとかコメントすらなく,ほとんど丸投げで,(もとからの)主要キャラに関しては,存在意義が希薄になるほど無関心なあのラスト,幕切れは,かき先生の皮肉なんじゃないか,という邪推から,なんとなく思ったわけですよ.
いや,これ以上は,よします.
--
(追記)
唯以外の 3 人の個別エピも,結構,かきふらい先生のアニメとかグッズ展開とか,自分の手から離れたところで展開される「けいおん!」というプロジェクトに対する皮肉とか嫉妬とかの複雑な感情の転写に見えてしまうんですよ……
本編中,ひたすら「(動機はどうあれ)プロを目指す!」という確固たる意思のある晶ちゃんにベッタリで,"ちょっとだけ音楽について考える" 以外に,全くもってやる気を出すそぶりを見せない唯って,アニメ(とその人気)が一人歩きした結果,(事実かどうかはともあれ,一度,完全に終了させた作品を無理矢理書かされて)やる気を出し切れないかきふらい先生そのものの比喩なのかな……的な話を軸に大学編を読み解くエントリを書こうと思って,文章の論理展開とかまでほぼ頭の中で固まっていたんだけど,それを考えついた自分があんまりにもフォカヌポってて気持ち悪かったので,書かないことにした.
……なんつうか,あとがきとかコメントすらなく,ほとんど丸投げで,(もとからの)主要キャラに関しては,存在意義が希薄になるほど無関心なあのラスト,幕切れは,かき先生の皮肉なんじゃないか,という邪推から,なんとなく思ったわけですよ.
いや,これ以上は,よします.
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(追記)
唯以外の 3 人の個別エピも,結構,かきふらい先生のアニメとかグッズ展開とか,自分の手から離れたところで展開される「けいおん!」というプロジェクトに対する皮肉とか嫉妬とかの複雑な感情の転写に見えてしまうんですよ……
2012年10月7日日曜日
まどマギ
……の劇場版前編を昨日のレイトショーで見てきた.レイトショーなのに劇場がほぼ満員という状況に,このアニメの盛り上がりの一端を見た気がします.少なくとも,「けいおん!」の映画(同じ公開初日のレイトショーという条件)でもこんな状況ではなかったので,客の熱の入り様に差を感じました.
映画は,ほとんどすべてのカットがブラッシュアップされていたり,微妙にセリフが変わっていたところがあったり,新規カットがあったり,全キャラの変身シーンが新カットになっていたり,イヌカレー空間がグレードアップしていたり,とにかく,想像以上に良かったです.
なお,細かい感想は,たぶん,来週,後編を見終わったら書く予定(は未定)です.
視聴前は,前編で 8 話相当まで,という話を聞いていて,「長過ぎじゃないか?」と思ったものの,見終わってみると話の切れ目はあそこしかなかったな,と納得した次第です(長かったけどw).基本的に,本編の視聴が前提なので(もちろん,本編を視聴していなくても楽しめたとは思うけれど),元々,伏線として描かれていたシーンや演出を隠す必要がなくなったためか,特にほむほむとさやかちゃんの描かれ方が(いい意味で)キツくなったいたように思います.パンフレットの新房総監督のインタビューで「テレビ版より 2〜3 回余分にループしたイメージ」と書かれていましたが,まさに,そんな感じでした.
あと,マミさんのテーマは梶浦語のままで良かったと思います.思わず噴いてしまいましたw
映画は,ほとんどすべてのカットがブラッシュアップされていたり,微妙にセリフが変わっていたところがあったり,新規カットがあったり,全キャラの変身シーンが新カットになっていたり,イヌカレー空間がグレードアップしていたり,とにかく,想像以上に良かったです.
なお,細かい感想は,たぶん,来週,後編を見終わったら書く予定(は未定)です.
視聴前は,前編で 8 話相当まで,という話を聞いていて,「長過ぎじゃないか?」と思ったものの,見終わってみると話の切れ目はあそこしかなかったな,と納得した次第です(長かったけどw).基本的に,本編の視聴が前提なので(もちろん,本編を視聴していなくても楽しめたとは思うけれど),元々,伏線として描かれていたシーンや演出を隠す必要がなくなったためか,特にほむほむとさやかちゃんの描かれ方が(いい意味で)キツくなったいたように思います.パンフレットの新房総監督のインタビューで「テレビ版より 2〜3 回余分にループしたイメージ」と書かれていましたが,まさに,そんな感じでした.
あと,マミさんのテーマは梶浦語のままで良かったと思います.思わず噴いてしまいましたw
2012年10月4日木曜日
大阪散歩
もうだいぶ前の話になりますが,大阪で行われた某学会に合間をみて歩き回ったときの写真をまとめておこうかと.
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この日は,曾根崎の周辺を散策している途中にゲリラ豪雨に降られたり,散々な目に遭いました.
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大阪入り初日.
今回の学会では,発表がトップバッターだったので,前日入りしていました.以前,名古屋での学会のときには,名古屋の街の慣れない雰囲気に圧倒されて,空気になかなか馴染めなかったので,大阪ではもっと東北日本とは違う雰囲気に飲まれて,圧倒されるのではないかと思っていたのですが,意外とそんなこともなく,街や店では居心地の良さを感じるくらいでした.理由はよくわかりませんが,日々,関西人な師匠と行動を共にしているからかも知れません.
大阪入りした日(学会前日).南海なんば駅. ヨーロッパのセントラルステーションみたいでかっけー |
たこ焼き食べ比べ.左は出汁,右は普通.どっちも美味かった. |
大阪二日目.
早々に(具体的には 9:15 a.m. に)発表が終わってしまったので,そのまま同セッションに居座ってお勉強していましたが,午後には特別講演のみになってしまったので,昼飯を食べにでたまま,ホテルのチェックイン(今回,宿を取るのが遅れて毎日違うホテルだった)と市内観光へでました.
早々に(具体的には 9:15 a.m. に)発表が終わってしまったので,そのまま同セッションに居座ってお勉強していましたが,午後には特別講演のみになってしまったので,昼飯を食べにでたまま,ホテルのチェックイン(今回,宿を取るのが遅れて毎日違うホテルだった)と市内観光へでました.
学会会場近くのお好み焼き屋にて豚玉(昼飯).関西だから格子切り. この時点ですでに発表が終わっていたので後は気楽なものでした. |
街中にて友人にお勧めされたイカ焼き. 名前からイメージしたものと違ったけれど美味かった. |
初日のホテルに向かうついでに露天神商店街. |
露天神こと通称・お初天神. かの有名な「曾根崎心中」の道行に詠われる天神ノ森. |
お初天神内にてゲリラ豪雨にやられるの図. |
この日は,曾根崎の周辺を散策している途中にゲリラ豪雨に降られたり,散々な目に遭いました.
少しホテルで休んだ後,夜は,懇親会だったので,また,学会会場へ移動しました.この懇親会で,旧交のある諸先輩方に挨拶したりしたあと,ホテルが遠いので懇親会は早めに離脱.
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大阪三日目.
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大阪三日目.
午前と午後のセッションの合間(ポスターのコアタイム)に,ちょろっと会場を抜け出して,百舌鳥野へ.
午後のセッションが終わった後,今回の旅行の主目的のひとつであった,「咲 -Saki-」の姫松高校の聖地巡礼に行ってきました.
阪堺電車をおりた後は,南海電鉄に乗り換え,ちょっとだけ大阪 DEEP な地域に足を踏み入れてみたりしました(が,当然,写真はありません).某大阪 DEEP な地域は,事前に調べた噂通りでもあり,(海外の治安悪い地域を見たことがあると)所詮,日本の街という感じでもあり,思ったよりも退屈でした.まぁ,ナチュラルに路上に人が転がっている風景は,なかなかのなかなかでしたが.
学会二日目の昼休みを使って,大仙古墳にやってきた. |
お堀にいた鳥.種は不明. |
陵ですので宮内庁の管轄です.ところで,陵墓地って重言ですよね. |
陵の南東部. |
古墳がいっぱい.この図には入っていないけれど,仁徳陵のほかにも近辺には陵が二つある. |
そんな仁徳陵周辺の小古墳のひとつ.ホタテ型. |
もともとこのラインまで古墳が広がっていました. |
仁徳陵は外周およそ 3 km. |
花崗岩で作られた周辺の模型. |
仁徳陵の正面.天皇は死後神なので,入り口は鳥居です. |
やたらと立派な注意書き. |
ここまで近づけます.大仙の名の通り,まさに,山. |
百舌鳥野の名の由来の図. |
これも古墳.円墳だったと思う. |
町中に唐突に古墳が現れる.ちょっと奇妙な光景. |
午後のセッションが終わった後,今回の旅行の主目的のひとつであった,「咲 -Saki-」の姫松高校の聖地巡礼に行ってきました.
咲 -Saki- の聖地巡礼.愛宕洋榎ちゃんのいる地域に遊びにきたよ! |
阪堺電車! |
ひめまつ! |
姫松の駅舎.なかなかいい雰囲気. |
咲 -Saki- 10 巻の表紙に使われた坂の近くらしい神ノ木の駅まで,市電に乗ってみた. |
阪堺電車をおりた後は,南海電鉄に乗り換え,ちょっとだけ大阪 DEEP な地域に足を踏み入れてみたりしました(が,当然,写真はありません).某大阪 DEEP な地域は,事前に調べた噂通りでもあり,(海外の治安悪い地域を見たことがあると)所詮,日本の街という感じでもあり,思ったよりも退屈でした.まぁ,ナチュラルに路上に人が転がっている風景は,なかなかのなかなかでしたが.
そんな大阪 DEEP な地域を抜けた後に,ジャンジャン横町で夕飯を食った後ホテルへ向かいました.その途中に,ようやく大阪らしい大阪な道頓堀へ.
道頓堀の商店街. |
大阪といえば,という感じです.\(^o^)/ |
道頓堀.ちょうどお船が. |
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最終日は,午前中のセッションにだけ顔を出し,昼過ぎの新幹線で仙台へ.
2012年10月2日火曜日
TIGER & BUNNY みたよ,と最近の読冊記録
ふと思い立ったのと,このタイミングを逃すと見ることがなさそうだったのとで,劇場版「TIGER & BUNNY -Beginning-」を見てきました.内容は,TV 版初期の内容+新しい事件という感じで, TV 版同様,スカッとしていて気持ちよく楽しめました.
TV 版初期にはあんまり出番がなかったホァンちゃんの出番が多くて可愛かったのですばらだった.
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あと,最近,買った漫画.
「咲 -Saki- 阿知賀編」 3 巻
「咲日和」 2 巻
まぁ,内容については……どうでもいいや.
TV 版初期にはあんまり出番がなかったホァンちゃんの出番が多くて可愛かったのですばらだった.
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あと,最近,買った漫画.
「咲 -Saki- 阿知賀編」 3 巻
「咲日和」 2 巻
まぁ,内容については……どうでもいいや.
2012年9月15日土曜日
大阪でおまんがなー(AA 略
……というわけで(どういうわけで?),本日は,大阪の夜(学会です).
夕過ぎに大阪入りして,夜のなんばを通り過ぎつつ,境堺(修正 2012/10/8)までやって参りました.実は,大阪に来るのは(ほぼ)はじめてで,「どんな町なのか?」とドキドキしていたのですが,(東北日本弧育ちが偏見丸出しで)想像していたよりもずっと雰囲気のいい町で,安心した次第です.まぁ,大阪 DEEP な地域(いわゆる西成とか……)に行ったりすると,また,印象が変わるのかも知れませんが…….まぁ,エスカレーターで止まる人は右側とか,大阪のおばちゃんとか(奈良出身の師匠曰く「大阪の二大危険性物はヤ○ザと大阪のおばちゃん」らしいw),当然ながら周囲が全員関西弁とか(これは指導教官と師匠が関西弁な普段の状況とあんまり変わらないけれど……),頭では理解していてもリアルは初体験なおおさカルチャーに圧倒されてきたところです.
とりあえず,いままでのところ,「大阪いうたら粉もん食わへんとあかんやろー!(関西弁もどき)」ということで,二店舗で味付けの違うたこ焼きを購入して食い比べをしたりしました.うまかったです(小並感).……いや,関西圏出身の友人に「大阪のたこ焼きは安くて,(タコもタマも)でかくて,美味い!」とか散々聞かされたことがあったのですが,正直,「たこ焼きなんて,どこで食ってもかわんねーだろー?」とか思っていたので,軽くカルチャーショックなくらいうまかったです.安かったし.
さてさて,そんなわけで,大阪の夜も更けていくのですが,明日の発表は朝一(というか,学会の初っ端発表,即ち,オープニングアクト)なので,ちょっとお稽古して寝ようかと思います…….
夕過ぎに大阪入りして,夜のなんばを通り過ぎつつ,
とりあえず,いままでのところ,「大阪いうたら粉もん食わへんとあかんやろー!(関西弁もどき)」ということで,二店舗で味付けの違うたこ焼きを購入して食い比べをしたりしました.うまかったです(小並感).……いや,関西圏出身の友人に「大阪のたこ焼きは安くて,(タコもタマも)でかくて,美味い!」とか散々聞かされたことがあったのですが,正直,「たこ焼きなんて,どこで食ってもかわんねーだろー?」とか思っていたので,軽くカルチャーショックなくらいうまかったです.安かったし.
さてさて,そんなわけで,大阪の夜も更けていくのですが,明日の発表は朝一(というか,学会の初っ端発表,即ち,オープニングアクト)なので,ちょっとお稽古して寝ようかと思います…….
2012年9月9日日曜日
2012年8月27日月曜日
仙台はとても暑くて
長らく避暑を兼ねて北海道に調査と称する逃避行をしていました.出発は 8/14 の正午だったので,およそ 2 週間の現実逃避でした.
今回の調査は,7 割がたが学生の指導と学生の卒業研究のための調査・試料採集というメニューで,自分の調査は合間を縫ってこっそりという配分でした(そういう立場になってしまったという感慨とともに,最近の学生はうらやましいなぁ,と.俺も学部生のころに,俺に指導されたかったw).途中(というか,初日から)雨に降られたものの,死ぬ気で調査計画をほぼ達成するという強硬スケジュール(しかも,かなり当てにしていたヘルプ人材もなし)でしたが,それなりに楽しかったです.
今回の調査は,7 割がたが学生の指導と学生の卒業研究のための調査・試料採集というメニューで,自分の調査は合間を縫ってこっそりという配分でした(そういう立場になってしまったという感慨とともに,最近の学生はうらやましいなぁ,と.俺も学部生のころに,俺に指導されたかったw).途中(というか,初日から)雨に降られたものの,死ぬ気で調査計画をほぼ達成するという強硬スケジュール(しかも,かなり当てにしていたヘルプ人材もなし)でしたが,それなりに楽しかったです.
2012年8月12日日曜日
おおかみこどもの感想2
ちょっと前に,あれだけの長文で感想を書いておきながら,ちょっとだけ追記したいことがあったので記事を書きます.
僕の好きな漫画家である施川ユウキ先生が,「美しい親子愛」だの「世界はかくも美しい」だのの陳腐な感想と違った,ちょっとだけ面白い感想を上げていたので,その紹介をかねて,ひとことふたこと追記をしようかと思った次第です…….
施川先生の感想(未完)はこちら.
--
施川先生の
……という視点は,自分の持っていなかった視点なだけに,「英雄譚」だったのか,とちょっと驚きました.雪が語る「母の思い出」としてしか見れていなかったし,とても花が "英雄" として語られている(描かれている)とは思えなかったので.
ただし,作品の大部分を占めるリアリティーのなさに対して「語り手の未熟」(の表現)に帰結させるのは,無理があるかと思います.基本的に,細田監督の表現力と観察眼のなさに起因するものとしか思えないので(前回の感想記事参照).そして,リアリズムの所在は,ファンタジーとしての「英雄観」にとって欠かされる要素でもないからです.
おそらく,ここで議論にあがっている「リアリティー」というのは,鑑賞する人にとっての価値観や経験に起因する,作中描写の正確さや回想の正確さに対する批評を指すものなのでしょう(「子育てはもっと大変だ」とか,そういう類いの実のない批評).僕のいいたいのは,表現や手法の上でのリアリズムの問題であって,根本的に突っ込みどころが違います(前回の感想記事参照).
ただし,花とお父さんの恋愛パートに関しては,童貞の妄想的な恋愛表現だったのは,語り手が二次性徴前後の女の子であった手前(そして,そんな年の子に母が伝えた物語である手前),仕方がなかったのかもしれない,と思い直しました.
結局,何が言いたいかというと,施川先生のいう「花が語った話を雪が英雄譚として物語る」という構成で読み直すと,ちょっと印象が変わったな,ということです.ただし,施川先生が,まだ結論を出していない,
……という問いに関しては,「描けていない」と思ってはいます.
僕の好きな漫画家である施川ユウキ先生が,「美しい親子愛」だの「世界はかくも美しい」だのの陳腐な感想と違った,ちょっとだけ面白い感想を上げていたので,その紹介をかねて,ひとことふたこと追記をしようかと思った次第です…….
施川先生の感想(未完)はこちら.
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施川先生の
"これは、語り部である雪が母の半生について、一大叙事詩のように語る英雄譚だ。"
……という視点は,自分の持っていなかった視点なだけに,「英雄譚」だったのか,とちょっと驚きました.雪が語る「母の思い出」としてしか見れていなかったし,とても花が "英雄" として語られている(描かれている)とは思えなかったので.
ただし,作品の大部分を占めるリアリティーのなさに対して「語り手の未熟」(の表現)に帰結させるのは,無理があるかと思います.基本的に,細田監督の表現力と観察眼のなさに起因するものとしか思えないので(前回の感想記事参照).そして,リアリズムの所在は,ファンタジーとしての「英雄観」にとって欠かされる要素でもないからです.
おそらく,ここで議論にあがっている「リアリティー」というのは,鑑賞する人にとっての価値観や経験に起因する,作中描写の正確さや回想の正確さに対する批評を指すものなのでしょう(「子育てはもっと大変だ」とか,そういう類いの実のない批評).僕のいいたいのは,表現や手法の上でのリアリズムの問題であって,根本的に突っ込みどころが違います(前回の感想記事参照).
ただし,花とお父さんの恋愛パートに関しては,童貞の妄想的な恋愛表現だったのは,語り手が二次性徴前後の女の子であった手前(そして,そんな年の子に母が伝えた物語である手前),仕方がなかったのかもしれない,と思い直しました.
結局,何が言いたいかというと,施川先生のいう「花が語った話を雪が英雄譚として物語る」という構成で読み直すと,ちょっと印象が変わったな,ということです.ただし,施川先生が,まだ結論を出していない,
"英雄伝説が誕生するプロセスに対して、リアリティがあるかってことの方が重要。
「英雄は語る者によって作られる」という現実を描けているのか、という。"
……という問いに関しては,「描けていない」と思ってはいます.
2012年8月3日金曜日
さっき知った
この日記を書くときに使っている "kretacea" というハンドルネームがエスペラント語で「白亜紀」だということ.
もともと,僕が 2 番目に好きな浮遊性有孔虫である Archaeoglobigerina cretacea の種小名から "cretacea" を採って,頭文字を k にしたものなんだけど……(ちなみに,1 番好きな浮遊性有孔虫はいうまでもなく Globotruncana arca です.白亜紀末の海洋に咲いた美しい花.僕が微化石の美しさに目覚めたきっかけです).
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最近,ここに長文ばっかり書いてるから,こういうどうでもいい内容を増やそうかと思ったり.
2012年7月31日火曜日
おおかみこどもの雨と雪
先日,ちょっとしたノリと勢いで細田守監督の「おおかみこどもの雨と雪」を見てきました.この映画については,基本的にいい前評判を聞いていなかったことや,「サマーウォーズ」の肩すかしっぷりなどから細田監督に基本的に期待をしていなかったことなどから,そもそも,面白い映画を見られるとは思っていませんでした.実際,見終わったいま,この映画が面白かったかどうかを問われると「よくわからない……」としか答えようがありません.
以下,ネタバレを含む感想を書いていきますが,基本的に,僕が「よくわからない……」という感想に至った過程なので,ふわふわした「よくわからない」ものになっていると思います.この感想を読んで僕が感じたような「わからなさ」を追体験して頂くのも,一興かも知れませんが,この映画に関しては「実際に見てよくわからなかった」という体験をお勧めしたいところです(自分が感心したり面白いと感じたりしたものは勧めることはよくありますが,自分がよくわからなかったものを勧めるのは変かも知れませんが……).
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(以下,ネタバレあり.稀に見る酷評なので,この作品が「好き」と思っている人は読まないことをお勧めします)
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この作品に対する感想は,基本的に男なのか女なのか,子供がいるのかいないのか,(少なくとも結婚を考えるレベルの)人生をかけた恋愛経験があるのかないのか,大事な人との離別・死別経験があるのかないのか……という,個々の人生経験に応じて感想が変わる映画であるような気がします(し,実際,多くのレヴュウでもそのように言及されているようです).そして,僕は,この映画が基本的に(上記のような)人生経験をほぼ持たない男にしか受け入れられないのではないか,と思っています.ようは,童貞で夢見がちなピュアな青少年だけが,あの映画を楽しめるのではないか,と(ただし,いわゆるオタクは色々な意味でこの映画は楽しめなかったと思います).
このような人生経験に基づくと,男で,子育て経験がなく,オタクでもないピュアな青少年である僕は,比較的,この映画を楽しめる立場であったのではないかと思います(まぁ,重めの恋愛経験,離別・死別に関しては経験値がついていますが……).……というわけで,以下の感想は,こういう前提条件の下の感想であることを明記しておきます.
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この映画の全体に通底していて,そして,ずっと気になり続けたのは「リアリティーのなさ」と「設定している世界観の不安定さ」です.
前者は,この作品にとって(また,この監督の創作活動そのものにとって),特に致命的なものです.基本的に,この作品では,すべてのシーンにリアリズムが感じられませんでした.それが,この映画の全体的な印象です.
このようなリアリズムを欠くシーンには枚挙がありませんが,「一橋大学に入って奨学金とバイトで学生生活を送っている女学生が,何処の馬の骨ともわからない男と童貞の妄想丸出しのような恋愛をする」,「いかにも清純な設定の主人公が,急に脳機能がぶっ壊れたかのようなビッチ恋愛脳化する」,「狼男であることの告白という恋愛パート最大の山場の直後に,特に,葛藤などもなく即セックス」,「人間の姿になれるのに何故か獣姦」,「子供までできているのに 2 人の親族が全く出てこない.世界は 2 人でできているw」,「お父さんが死んだところ.都内でニホンオオカミ(野生動物)が死んでいるのに保健所ではなく清掃業者がやってきていて,挙げ句,(お母さんが泣き叫んでいるのに)なんの処置もなく清掃車にぶち込んでゴミ扱いする」などなどなどなど……,本編のプロローグ部分である都内での生活部分だけでも,リアリティーのないシーンは際限がありません(当然,これ以降のどのシーンもリアリズムを欠くものが多いです.作中,唯一,リアリズムを感じたのは「雪ちゃんが "宝物箱" を通じて,周りの女の子と自分が "違う" ことを理解する演出」の部分くらいです.ここだけは,本当に良かった.逆に最も許せなかったシーンは「親子熊がハナを襲わなかったシーン」.これは,個人的に作中最も現実感がなかったw 親子愛的な描写がしたかったんだろうけれど,クマである必要がないし,クマは子連れだと問答無用で襲ってくるから,ダブルの意味でリアリティーがない,とヒグマの生息地で調査をする仕事なワタクシとしては主張したい).これらのシーンにおける描写のリアリティーのなさは,監督が社会の中で生活しているのかどうかを疑いたくなるレベルです.
リアリズムというのは扱いの難しいもので,特に,この作品のようなファンタジーにおいては,「どこまでリアリズムを持ち込んでいくのか」という部分に,クリエイターのセンスが問われるわけです.しかし,この作品は,このリアリズムの扱いという点では,論の外にあります.
小説におけるリアリズムに関して,(たしか)志賀直哉が,「駅のホームで線路を挟んで愛をささやき合う男女」という素人の小説中にでてきた描写を例として,必要最低限のリアリティーの必要性を説く随筆があったかと思いますが(騒音だらけの駅のホームで,しかも,線路を挟んでいるのに愛をささやき合えるわけがなく,このような場面で,「別離」のモチーフとして離れたホームという舞台装置を用意するのはリアリズムに反する,という文脈だったと思います),こういうド素人の書く小説のようなチグハグ感が,この作品の全体を通して感じられます.つまり,基本的に演出や脚本に「気を使っている」感じがまったくないということです.これを,世界や社会に対する観察力が足りなすぎて,自分の脳内の妄想だけで世界を構築してしまった,と言い換えて解釈してもいいです.こういう風に,自分の描こうとしている物に真っ向から対峙していないあたり,この監督はクリエイターとして完全に終わっていると,僕は思います.
何故だか,この作品は「ジブリ」の作品と対比されることが多かったり,「ジブリ的」なんて言い方をされることが多い気がしますが,ジブリを支える宮崎駿監督,高畑勲監督は,リアリズムや観察の鬼であって,細田の立ち位置とは完全に真逆なものだと,僕は思います(特に宮崎監督は,綿密な観察に基づくリアリズム演出によって「ファンタジーにおけるリアリズム」のバランスが非常に巧みです.一方,高畑監督は,ファンタジー要素のない [薄い] 作品でも,何気ないシーンの演出によってリアリティーを浮き彫りにすることが非常に得意です [ex. ホタルの墓,おもひでぽろぽろ] ).……というか,こんな低レベルな作品と比較するだけでも,ジブリの作品群に対して失礼極まりないです.
そして,もうひとつの気がかりである「設定している世界観の不安定さ」ですが,こちらも致命的な悪印象を作品に残します.
ここまでに述べたリアリズムに関する感想と被る面があるのですが,ひとつひとつの設定に描写とのチグハグが目立つということです.例えば,「ハナと狼男の恋愛風景はいかにも 1960〜1970 年代な『神田川』なのに,それ以外の社会描写は,2000 年代っぽい描写が目立つ(流石に携帯電話が出てこないので 1990 年代を意識しているんだと思うけれど……)」,「狼男,半人半獣のこどもたち,山の主の存在などなど,いかにもなファンタジーの設定を導入しているのに,里の人間があまりにもファンタジックではない.『山や伝承に詳しい爺』みたいなキャラすらいない」,「山の主という王道のファンタジー設定を持ち込んでいるのに,山の主に,王道からあまりにも外れた狐を選ぶ不可解さ(たぶん,監督なりのリアリティーの追求なんだろうけれど,狐は伝統的に主というより "使い" であって,役者が足りない.ここは逆にリアリティーを犠牲にして,日本最後の古狼という設定でも良かったんじゃねーか,と.まぁ,雨 [の最後のオオカミとして] の主就任を際立たせる必要があるんなら,熊でもイノシシでも蛇でも亀でもいいわけだし)」などなどなどなど……,こちらも無数にシーンを挙げられます.
このようなチグハグ感も,基本的に観察不足や勉強不足,気の使わなさから来ていることは疑いようがありません.もし,それすらも意図で「王道」に反する新しいものを描こうとしているんだ,ということならば,僕は,監督にこの言葉を贈りたいと思います.
--
ここまで,演出面で気になったことを延々と書き連ねてきましたが,演出の良かった部分もなかったわけではありません.
例えば,雪と雨の成長と 2 人の運命の分かれを表現するために,並んだ学校の教室に対してカメラを動かしながら 2 人の学校生活を描くシーン,先程も挙げた「雪が人間になっていく」ときの周囲との「違い」を理解していく演出,基本的に叩かれることの多い,細田監督特有の平板な固定カメラのような絵作りをやめて,雪原を転げ回るシーンでカメラを自在に動かして躍動感を表現していた演出,(ベタだけど)雪の「告白」のシーンでの風に揺れるカーテンに影が映るという演出……などが,特に良かったと思います.しかし,それらの光った演出が埋没するくらい,他シーンの演出の悪さ(上述)が気になりました.例えば,引いたカメラで捉えた,作中劇みたいな切り取られ方をした,お母さんとお父さんの恋愛シーンを,音楽に乗せるという発想は(ベタだけど)悪くない演出なのに,そこに描かれる恋愛が童貞の妄想みたいな気持ち悪い現実味のない描写なせいで,全体として気持ち悪い印象しか残さない,など,もったいない部分もかなりあったと思います.
とにかく,色々な意味で演出は残念極まりなかった,ということです.
--
ちょっと,高評価な部分(?)を披露したところで,また,批判的な感想ですが,僕には,結局,この作品のストーリー面の落としどころがよくわかりませんでした(これが,冒頭で述べた「よくわからない……」という感想です).
この作品のストーリー面でとにかく気になったのは,思わせぶりな描写(のちに回収されないので伏線ですらない)が散りばめられる一方で,そのほとんどが後で意味を持つことがない,ということです.この中でもいちばん酷い設定不良は,そもそも物語が「雪ちゃんによる『お母さんの思い出』語り」であるにも関わらず,「"いま" お母さんの思い出を語りはじめたのか?」に答えが用意されていないことです(正確にいうと,子供 2 人が母の元を離れて自立したタイミングで,ということなのだと思いますが,そうだとすると長尺を使ってしつこいくらい描いた「子育て描写」が,その文脈から遊離してしまうのです).このフリに対しては,単純に「最後に子供ができた雪ちゃん」などの,ものすごく王道な描写を入れるだけで解決するはずですが,作中では,それをしないので非常にモヤモヤします.そして,このようなモヤモヤが,大小問わず,無数に出てくるのです.「お父さんの死因をぼかしたのに,特に後に回収されない」,「田舎特有の陰湿さを匂わす描写があるのに,後にはまったくそういうシーンがない」,「飼われた狼登場→その後描写なし」,「雨の入山後にそのことに関する周辺住人や母親,姉の反応なし」,「ソウスケ君の家庭問題→提示されるだけで特に意味なし」,「雪ちゃんとソウスケ君,2 人きりで学校で夜を越す→その後の描写なし」などなどなどなど…….
回収されなかった思わせぶりな描写は,伏線でもなんでもなく,視聴者(僕)の勝手な邪推でしかないので,これに関しては,僕の問題もあると思います.しかし,はっきりと描写されているのに,後に何も言及されない描写があまりにも多いので,その辺りについては,脚本の作り込みの甘さが出たものだとしか判断できません.
基本的なプロットである「両親の恋」→「お母さんのおおかみこどもの子育て奮闘記」→「それぞれのアイデンティティーの確立とそれを促す事件(雨くんの水没,雪ちゃんの宝物箱)」→「成長して自分の道を定める姉弟」→「違う道を選んで自立し,母の元を巣立つ姉弟」……という流れは読み取れるのですが,その本筋と関係のない無数の消化不良な流れがあまりにも多すぎて,本質的なストーリー展開の理解を阻害している気がしてなりません.これらの不満をひとことでいうと「よくわからない……」になるわけです.
--
……ここまで演出面で散々なまでに,こき下ろしたので,最後に声優について.
取り敢えず,大沢たかおの演技が酷すぎて,終盤の重要な感動シーン(意識を失ったハナに,お父さんが「よくやったね」と伝えるシーン)がコメディーに見えました.一方,決して上手いとは思いませんでしたが,宮崎あおいは,まぁ,見ていれば慣れてくる程度には,演技できていました.
こどもたちの声を当ててた子役の演技に関しては,まず,声の出し方や設定を決めるという演技の基礎を叩き込んでから使いましょう,という感じです(だから,声優を使えと……).子役達の中では,幼年期の雪ちゃんの声を当てていた子がいちばん上手かったかな,という印象です(まぁ,子役特有の「考えない」ことによって醸されるメソッド演技論的な意味での「自然さ」が出ていただけで,いわゆる「演技の上手さ」ではないですが).逆に,少女期の雪ちゃんの声優(の子役)は,あまりにも声が安定しない上に,思春期感がなかった(大人っぽすぎだった)ので,そのギャップが気になりました(「隠す」演技をしようと考えてしまうことで,不自然に演技が大人っぽくなってしまっている感じ.幼年期の子役と逆の悪い意味で子役のやりがちな演技).
--
……いろいろ書きましたが,冒頭で述べた通り,この映画は,多分,見る人のスタンスによって感想がまったく違うと思います.そして,僕のようにある程度の人生の経験値を積んでしまった,ものごとをピュアに信じられない人間と違う,ピュリティーのあふれる童貞男子(ただし,オタクを除く)は,自分の目で映画を見ることをお勧めします.
--
(追記)
本当は,細田監督の特有の遠いカメラで捉える劇中劇みたいな平板な切り方をするカメラワークの話とか,オオカミの走行シーンのオオカミの動きに関するあれこれとか,逆に人間の動き(足や腕)の不自然さとか,おおかみこどもが人間とオオカミの間を行き来するときのメタモルフォーゼの表現の美しさとか(特に韮崎のおばさんの前で庭と部屋を雪ちゃんが行き来しながら何度もメタモルフォーゼする部分),サブカルの文脈における半人半獣のこどもの描き方に関するあれこれとか……書きたいことはいろいろあったのですが,ここまでであまりにも長くなり過ぎているので,書きませんw
(さらに追記)
一部わかり辛い記述を修正(2012/08/02).
いくつかこの映画を高評価しているレヴュウを読んでわかったのは,世の中には意外と,どんな経験を経ても「世界はかくも美しい」といえる心の広さを持っている人が多いのだな,ということです.
この感想文をあげた段階では,人生経験を積んだ普通の人ほど,(処女厨の気持ち悪さに通じるような)オタク・サブカル文化圏に通底するようなピュリティー妄信(いわゆる現実味のない青春性とかそういうものが至高で,セクシャリティーや生臭さを排したような世界観)に嫌悪感を示すものだと思っていたのですが,そうでもないようです.確かに,思い直してみると一般の人に「ウケた」ものって,サブカル文化圏の描くピュリティーに近いものがあるのかもしれなくて,それが,いわゆる日本人の好みなのかもしれないな,とか思ってしまうのでした(例えば,「冬のソナタ(に描かれるおば樣方が夢中になったピュリティー)」のブームなんかが,この類似例にあるのではないかと).
……この辺は,あとで,ちょっと文章にまとめたいな.
(またまた追記)
ちょっと見方を変えた部分について別な記事で追記しました.
以下,ネタバレを含む感想を書いていきますが,基本的に,僕が「よくわからない……」という感想に至った過程なので,ふわふわした「よくわからない」ものになっていると思います.この感想を読んで僕が感じたような「わからなさ」を追体験して頂くのも,一興かも知れませんが,この映画に関しては「実際に見てよくわからなかった」という体験をお勧めしたいところです(自分が感心したり面白いと感じたりしたものは勧めることはよくありますが,自分がよくわからなかったものを勧めるのは変かも知れませんが……).
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(以下,ネタバレあり.稀に見る酷評なので,この作品が「好き」と思っている人は読まないことをお勧めします)
--
この作品に対する感想は,基本的に男なのか女なのか,子供がいるのかいないのか,(少なくとも結婚を考えるレベルの)人生をかけた恋愛経験があるのかないのか,大事な人との離別・死別経験があるのかないのか……という,個々の人生経験に応じて感想が変わる映画であるような気がします(し,実際,多くのレヴュウでもそのように言及されているようです).そして,僕は,この映画が基本的に(上記のような)人生経験をほぼ持たない男にしか受け入れられないのではないか,と思っています.ようは,童貞で夢見がちなピュアな青少年だけが,あの映画を楽しめるのではないか,と(ただし,いわゆるオタクは色々な意味でこの映画は楽しめなかったと思います).
このような人生経験に基づくと,男で,子育て経験がなく,オタクでもないピュアな青少年である僕は,比較的,この映画を楽しめる立場であったのではないかと思います(まぁ,重めの恋愛経験,離別・死別に関しては経験値がついていますが……).……というわけで,以下の感想は,こういう前提条件の下の感想であることを明記しておきます.
--
この映画の全体に通底していて,そして,ずっと気になり続けたのは「リアリティーのなさ」と「設定している世界観の不安定さ」です.
前者は,この作品にとって(また,この監督の創作活動そのものにとって),特に致命的なものです.基本的に,この作品では,すべてのシーンにリアリズムが感じられませんでした.それが,この映画の全体的な印象です.
このようなリアリズムを欠くシーンには枚挙がありませんが,「一橋大学に入って奨学金とバイトで学生生活を送っている女学生が,何処の馬の骨ともわからない男と童貞の妄想丸出しのような恋愛をする」,「いかにも清純な設定の主人公が,急に脳機能がぶっ壊れたかのようなビッチ恋愛脳化する」,「狼男であることの告白という恋愛パート最大の山場の直後に,特に,葛藤などもなく即セックス」,「人間の姿になれるのに何故か獣姦」,「子供までできているのに 2 人の親族が全く出てこない.世界は 2 人でできているw」,「お父さんが死んだところ.都内でニホンオオカミ(野生動物)が死んでいるのに保健所ではなく清掃業者がやってきていて,挙げ句,(お母さんが泣き叫んでいるのに)なんの処置もなく清掃車にぶち込んでゴミ扱いする」などなどなどなど……,本編のプロローグ部分である都内での生活部分だけでも,リアリティーのないシーンは際限がありません(当然,これ以降のどのシーンもリアリズムを欠くものが多いです.作中,唯一,リアリズムを感じたのは「雪ちゃんが "宝物箱" を通じて,周りの女の子と自分が "違う" ことを理解する演出」の部分くらいです.ここだけは,本当に良かった.逆に最も許せなかったシーンは「親子熊がハナを襲わなかったシーン」.これは,個人的に作中最も現実感がなかったw 親子愛的な描写がしたかったんだろうけれど,クマである必要がないし,クマは子連れだと問答無用で襲ってくるから,ダブルの意味でリアリティーがない,とヒグマの生息地で調査をする仕事なワタクシとしては主張したい).これらのシーンにおける描写のリアリティーのなさは,監督が社会の中で生活しているのかどうかを疑いたくなるレベルです.
リアリズムというのは扱いの難しいもので,特に,この作品のようなファンタジーにおいては,「どこまでリアリズムを持ち込んでいくのか」という部分に,クリエイターのセンスが問われるわけです.しかし,この作品は,このリアリズムの扱いという点では,論の外にあります.
小説におけるリアリズムに関して,(たしか)志賀直哉が,「駅のホームで線路を挟んで愛をささやき合う男女」という素人の小説中にでてきた描写を例として,必要最低限のリアリティーの必要性を説く随筆があったかと思いますが(騒音だらけの駅のホームで,しかも,線路を挟んでいるのに愛をささやき合えるわけがなく,このような場面で,「別離」のモチーフとして離れたホームという舞台装置を用意するのはリアリズムに反する,という文脈だったと思います),こういうド素人の書く小説のようなチグハグ感が,この作品の全体を通して感じられます.つまり,基本的に演出や脚本に「気を使っている」感じがまったくないということです.これを,世界や社会に対する観察力が足りなすぎて,自分の脳内の妄想だけで世界を構築してしまった,と言い換えて解釈してもいいです.こういう風に,自分の描こうとしている物に真っ向から対峙していないあたり,この監督はクリエイターとして完全に終わっていると,僕は思います.
何故だか,この作品は「ジブリ」の作品と対比されることが多かったり,「ジブリ的」なんて言い方をされることが多い気がしますが,ジブリを支える宮崎駿監督,高畑勲監督は,リアリズムや観察の鬼であって,細田の立ち位置とは完全に真逆なものだと,僕は思います(特に宮崎監督は,綿密な観察に基づくリアリズム演出によって「ファンタジーにおけるリアリズム」のバランスが非常に巧みです.一方,高畑監督は,ファンタジー要素のない [薄い] 作品でも,何気ないシーンの演出によってリアリティーを浮き彫りにすることが非常に得意です [ex. ホタルの墓,おもひでぽろぽろ] ).……というか,こんな低レベルな作品と比較するだけでも,ジブリの作品群に対して失礼極まりないです.
そして,もうひとつの気がかりである「設定している世界観の不安定さ」ですが,こちらも致命的な悪印象を作品に残します.
ここまでに述べたリアリズムに関する感想と被る面があるのですが,ひとつひとつの設定に描写とのチグハグが目立つということです.例えば,「ハナと狼男の恋愛風景はいかにも 1960〜1970 年代な『神田川』なのに,それ以外の社会描写は,2000 年代っぽい描写が目立つ(流石に携帯電話が出てこないので 1990 年代を意識しているんだと思うけれど……)」,「狼男,半人半獣のこどもたち,山の主の存在などなど,いかにもなファンタジーの設定を導入しているのに,里の人間があまりにもファンタジックではない.『山や伝承に詳しい爺』みたいなキャラすらいない」,「山の主という王道のファンタジー設定を持ち込んでいるのに,山の主に,王道からあまりにも外れた狐を選ぶ不可解さ(たぶん,監督なりのリアリティーの追求なんだろうけれど,狐は伝統的に主というより "使い" であって,役者が足りない.ここは逆にリアリティーを犠牲にして,日本最後の古狼という設定でも良かったんじゃねーか,と.まぁ,雨 [の最後のオオカミとして] の主就任を際立たせる必要があるんなら,熊でもイノシシでも蛇でも亀でもいいわけだし)」などなどなどなど……,こちらも無数にシーンを挙げられます.
このようなチグハグ感も,基本的に観察不足や勉強不足,気の使わなさから来ていることは疑いようがありません.もし,それすらも意図で「王道」に反する新しいものを描こうとしているんだ,ということならば,僕は,監督にこの言葉を贈りたいと思います.
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ここまで,演出面で気になったことを延々と書き連ねてきましたが,演出の良かった部分もなかったわけではありません.
例えば,雪と雨の成長と 2 人の運命の分かれを表現するために,並んだ学校の教室に対してカメラを動かしながら 2 人の学校生活を描くシーン,先程も挙げた「雪が人間になっていく」ときの周囲との「違い」を理解していく演出,基本的に叩かれることの多い,細田監督特有の平板な固定カメラのような絵作りをやめて,雪原を転げ回るシーンでカメラを自在に動かして躍動感を表現していた演出,(ベタだけど)雪の「告白」のシーンでの風に揺れるカーテンに影が映るという演出……などが,特に良かったと思います.しかし,それらの光った演出が埋没するくらい,他シーンの演出の悪さ(上述)が気になりました.例えば,引いたカメラで捉えた,作中劇みたいな切り取られ方をした,お母さんとお父さんの恋愛シーンを,音楽に乗せるという発想は(ベタだけど)悪くない演出なのに,そこに描かれる恋愛が童貞の妄想みたいな気持ち悪い現実味のない描写なせいで,全体として気持ち悪い印象しか残さない,など,もったいない部分もかなりあったと思います.
とにかく,色々な意味で演出は残念極まりなかった,ということです.
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ちょっと,高評価な部分(?)を披露したところで,また,批判的な感想ですが,僕には,結局,この作品のストーリー面の落としどころがよくわかりませんでした(これが,冒頭で述べた「よくわからない……」という感想です).
この作品のストーリー面でとにかく気になったのは,思わせぶりな描写(のちに回収されないので伏線ですらない)が散りばめられる一方で,そのほとんどが後で意味を持つことがない,ということです.この中でもいちばん酷い設定不良は,そもそも物語が「雪ちゃんによる『お母さんの思い出』語り」であるにも関わらず,「"いま" お母さんの思い出を語りはじめたのか?」に答えが用意されていないことです(正確にいうと,子供 2 人が母の元を離れて自立したタイミングで,ということなのだと思いますが,そうだとすると長尺を使ってしつこいくらい描いた「子育て描写」が,その文脈から遊離してしまうのです).このフリに対しては,単純に「最後に子供ができた雪ちゃん」などの,ものすごく王道な描写を入れるだけで解決するはずですが,作中では,それをしないので非常にモヤモヤします.そして,このようなモヤモヤが,大小問わず,無数に出てくるのです.「お父さんの死因をぼかしたのに,特に後に回収されない」,「田舎特有の陰湿さを匂わす描写があるのに,後にはまったくそういうシーンがない」,「飼われた狼登場→その後描写なし」,「雨の入山後にそのことに関する周辺住人や母親,姉の反応なし」,「ソウスケ君の家庭問題→提示されるだけで特に意味なし」,「雪ちゃんとソウスケ君,2 人きりで学校で夜を越す→その後の描写なし」などなどなどなど…….
回収されなかった思わせぶりな描写は,伏線でもなんでもなく,視聴者(僕)の勝手な邪推でしかないので,これに関しては,僕の問題もあると思います.しかし,はっきりと描写されているのに,後に何も言及されない描写があまりにも多いので,その辺りについては,脚本の作り込みの甘さが出たものだとしか判断できません.
基本的なプロットである「両親の恋」→「お母さんのおおかみこどもの子育て奮闘記」→「それぞれのアイデンティティーの確立とそれを促す事件(雨くんの水没,雪ちゃんの宝物箱)」→「成長して自分の道を定める姉弟」→「違う道を選んで自立し,母の元を巣立つ姉弟」……という流れは読み取れるのですが,その本筋と関係のない無数の消化不良な流れがあまりにも多すぎて,本質的なストーリー展開の理解を阻害している気がしてなりません.これらの不満をひとことでいうと「よくわからない……」になるわけです.
--
……ここまで演出面で散々なまでに,こき下ろしたので,最後に声優について.
取り敢えず,大沢たかおの演技が酷すぎて,終盤の重要な感動シーン(意識を失ったハナに,お父さんが「よくやったね」と伝えるシーン)がコメディーに見えました.一方,決して上手いとは思いませんでしたが,宮崎あおいは,まぁ,見ていれば慣れてくる程度には,演技できていました.
こどもたちの声を当ててた子役の演技に関しては,まず,声の出し方や設定を決めるという演技の基礎を叩き込んでから使いましょう,という感じです(だから,声優を使えと……).子役達の中では,幼年期の雪ちゃんの声を当てていた子がいちばん上手かったかな,という印象です(まぁ,子役特有の「考えない」ことによって醸されるメソッド演技論的な意味での「自然さ」が出ていただけで,いわゆる「演技の上手さ」ではないですが).逆に,少女期の雪ちゃんの声優(の子役)は,あまりにも声が安定しない上に,思春期感がなかった(大人っぽすぎだった)ので,そのギャップが気になりました(「隠す」演技をしようと考えてしまうことで,不自然に演技が大人っぽくなってしまっている感じ.幼年期の子役と逆の悪い意味で子役のやりがちな演技).
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……いろいろ書きましたが,冒頭で述べた通り,この映画は,多分,見る人のスタンスによって感想がまったく違うと思います.そして,僕のようにある程度の人生の経験値を積んでしまった,ものごとをピュアに信じられない人間と違う,ピュリティーのあふれる童貞男子(ただし,オタクを除く)は,自分の目で映画を見ることをお勧めします.
--
(追記)
本当は,細田監督の特有の遠いカメラで捉える劇中劇みたいな平板な切り方をするカメラワークの話とか,オオカミの走行シーンのオオカミの動きに関するあれこれとか,逆に人間の動き(足や腕)の不自然さとか,おおかみこどもが人間とオオカミの間を行き来するときのメタモルフォーゼの表現の美しさとか(特に韮崎のおばさんの前で庭と部屋を雪ちゃんが行き来しながら何度もメタモルフォーゼする部分),サブカルの文脈における半人半獣のこどもの描き方に関するあれこれとか……書きたいことはいろいろあったのですが,ここまでであまりにも長くなり過ぎているので,書きませんw
(さらに追記)
一部わかり辛い記述を修正(2012/08/02).
いくつかこの映画を高評価しているレヴュウを読んでわかったのは,世の中には意外と,どんな経験を経ても「世界はかくも美しい」といえる心の広さを持っている人が多いのだな,ということです.
この感想文をあげた段階では,人生経験を積んだ普通の人ほど,(処女厨の気持ち悪さに通じるような)オタク・サブカル文化圏に通底するようなピュリティー妄信(いわゆる現実味のない青春性とかそういうものが至高で,セクシャリティーや生臭さを排したような世界観)に嫌悪感を示すものだと思っていたのですが,そうでもないようです.確かに,思い直してみると一般の人に「ウケた」ものって,サブカル文化圏の描くピュリティーに近いものがあるのかもしれなくて,それが,いわゆる日本人の好みなのかもしれないな,とか思ってしまうのでした(例えば,「冬のソナタ(に描かれるおば樣方が夢中になったピュリティー)」のブームなんかが,この類似例にあるのではないかと).
……この辺は,あとで,ちょっと文章にまとめたいな.
(またまた追記)
ちょっと見方を変えた部分について別な記事で追記しました.
2012年7月26日木曜日
ゆるなり
購入記録.
「ゆるゆり」 8, 9 巻
ゆるなり……ではなく,ゆるゆりの新刊.9 巻は,またしても完全書き下ろし.どんだけ描くのが早いんだ,なもり先生!
あかりちゃんはやっぱり大天使!櫻子かわいい!綾千もいいけど,やっぱり京綾は大正義.あと,アンケートはがきの体を為していなかった松本会長はがきがかわいい.
--
「ゆりゆり」
なもり先生の同人誌.短編が 5 本と,そのアフターから構成されているガチ百合もの.百合分は満たされるけど,初恋的なシチュばっかりでちょっと物足りない感じ.5 編のなかでは「ゆりゆり 5」がいちばんよかった.
「ゆるゆり」 8, 9 巻
ゆるなり……ではなく,ゆるゆりの新刊.9 巻は,またしても完全書き下ろし.どんだけ描くのが早いんだ,なもり先生!
あかりちゃんはやっぱり大天使!櫻子かわいい!綾千もいいけど,やっぱり京綾は大正義.あと,アンケートはがきの体を為していなかった松本会長はがきがかわいい.
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「ゆりゆり」
なもり先生の同人誌.短編が 5 本と,そのアフターから構成されているガチ百合もの.百合分は満たされるけど,初恋的なシチュばっかりでちょっと物足りない感じ.5 編のなかでは「ゆりゆり 5」がいちばんよかった.
2012年7月19日木曜日
Jon Lord 追悼
この記事を書いているいま,訃報からちょっと時間が経ってしまっているのは,この訃報が僕にとって,かなりショッキングなものだったからです.訃報に接して全身脱力したのは(昼飯食いつつ iPhone でニュースサイトみていたときだったので,リアルに箸を落とした),かなり久し振りのことでした.
この世代の,いわゆる HM/HR 創成期の偉人,その中でもトップクラスの音楽家であり,イノベイターであるジョン・ロード.彼のハモンドオルガンの響きがなかったら,多分,この世界の HM/HR はまるで違うものになっていたはずです.仮に Deep Purple が成立していたとしても,彼らの曲の響きにクラシカルな要素が加わることはなかっただろうし,凶暴性と格調高さを同居させるようなクラシカルな背景を持つ HR/HM の系譜なんて生まれることはなかっただろうと思います(たぶん,Deep Purple はリッチーがただの HR をやってただけだろうと思う.そして,少なくとも Blues 以外の系譜と背景をもつタイプの HR/HM の出現はかなり遅れたことでしょう).
……しかし,そんな彼が一般に与えた影響とか,ロック史における立ち位置とか,そんなものは,本当はどうでも良くて,"In Rock", "Fire Ball", "Machine Head", "Burn" で僕を熱狂させる鍵盤ソロを弾いていた人が,心底惚れ込んだ "Live in Japan" のぶっ飛んだソロパフォーマンスをやっていた人が,もう,いなくなってしまったという事実が,単純に悲しいです.
好きな曲,好きなソロ,好きなプレイがいっぱいあります.ここまで 3 期までの Deep Purple の話だけしかしていませんが,4 期以降の Deep Purple も Whitesnake も大好きです.再結成後,リッチー脱退後も Deep Purple を聞き続けていたのはジョン・ロードのプレイを聞くためだったといっても過言ではありません.本当に悲しい.
Requiescat in Pace
2012年7月18日水曜日
落語会
何故だか,理学部の職員会が落語会を催していて,しかも,柳家喜多八師匠(とお弟子さんの柳家ろべえさん)がくるというのでいって参りました.なお,落語は,元々,好きなのであって,「じょしらく」人気に乗じて行ってきたのではないことを申し添えておきます.
寄席に通うというほどのことはしたことがないのですが,それでも,高校時分や,学部生の頃は機会を見つけては寄席に行ったり,落語会に行ったりしていましたが,ここ数年は,忙しさや北海道という遠隔地に長くいたことやお財布の寂しさもあって,生で落語をみるということがなかなかありませんでしたので,今回の落語会は,久し振りの生の落語でした.
--
会に来ていた客は,自分たちを含めても 20 名ちょぼちょぼというところで,講義室に急ごしらえをした高座の前に並べられた椅子の大半はあいているといったところ.ネタは,前座に東北大の落研の方の「金明竹」,柳家ろべえさんの「子ほめ」「千早振る(改)」,そして喜多八師匠の「あくび指南」,中入りを挟んで,学生の和楽器演奏,トリに喜多八師匠の「癪の合薬」でした.
まず,落研の学生の方.「金明竹」は,代表的な前座話ということで,場を軽くあっためるのにはちょうどいいチョイスで,天狗連の噺にしては良かったと思います.二回目の口上でトチっていたあたりもご愛嬌.
その後に高座に上がったのが,お弟子さんのろべえさん.恐縮にも名前を知らなかったもので,あんまり期待していなかったのですが,とても良かったです.特に,天狗連の学生の席のあとだったので「これがプロの間とキレか!」と妙に好印象を受けてしまったのは否定できませんw でも,本当に良かった.
「子ほめ」は細かくくすぐりを入れてはいたものの正統な古典落語として演じきっていました.噺は下げがちょっと普通と違ったくらいで,基本や所作がしっかりしていて,いい噺でした.そして,続けて演じられたのが「千早振る」の改作でした.これが,とても良かった!ご自身が理系出身ということで「大師匠(の小三治師)に物理を取り入れた落語を」といわれて始めたという噺だそうで,これが本当に良かった(しつこいw).単なる理系ギャグや理系ネタを交えただけではなく,もともとの隠居の超解釈に上手く理系ネタ(を程よく一般化して)盛り込んでいて,最初から最後まで大爆笑でした.もちろん,二つ目ということで,演技にむらは多少あるんだけれど,元気も勢いもリズムもよくって,とても引き込まれました.ファンになってしまいましたw
喜多八師匠のネタは二席ともいうまでもなくいい噺でした.喜多八師匠は,録音を聞いたことしかなく,動く姿をみたのははじめてでしたが,ふらふらとしたまくらからすっと落語に入るキレや,高座の上がり降りの所作,風の扱い,細かな演技が,喜多八師匠のお師匠にあたる小三治師匠にそっくりでした.噺はいうまでもなく「見事」のひとことでした.「あくび指南」の暢気な町人とバカ正直に「あくび」を指南する師匠のバカバカしいやりとりのおかしみがしみじみと良かったです.そして,中入り後の「癪の合薬」は大爆笑でした.こちらは,ハナから笑いの絶えない滑稽話ですが,いちいち可笑しくて,サゲも鮮やかで,すっきり笑いきりました.
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どうやら,5 年前にも春風亭一朝師匠を呼んで落語会があったらしいので,また,落語会をやってくれないかなぁ,と期待しています.
……あ,感想を特に書いていない和楽器演奏ですが,手前の琴の低音の調弦が狂っていたことと,配置の関係で三味線が聞こえなかったことが印象に残っています.押し手の強弱が甘いとか,押す位置がばらけていて微妙に音程ずれているとかは聞かなかったことにしておきたい.
寄席に通うというほどのことはしたことがないのですが,それでも,高校時分や,学部生の頃は機会を見つけては寄席に行ったり,落語会に行ったりしていましたが,ここ数年は,忙しさや北海道という遠隔地に長くいたことやお財布の寂しさもあって,生で落語をみるということがなかなかありませんでしたので,今回の落語会は,久し振りの生の落語でした.
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会に来ていた客は,自分たちを含めても 20 名ちょぼちょぼというところで,講義室に急ごしらえをした高座の前に並べられた椅子の大半はあいているといったところ.ネタは,前座に東北大の落研の方の「金明竹」,柳家ろべえさんの「子ほめ」「千早振る(改)」,そして喜多八師匠の「あくび指南」,中入りを挟んで,学生の和楽器演奏,トリに喜多八師匠の「癪の合薬」でした.
まず,落研の学生の方.「金明竹」は,代表的な前座話ということで,場を軽くあっためるのにはちょうどいいチョイスで,天狗連の噺にしては良かったと思います.二回目の口上でトチっていたあたりもご愛嬌.
その後に高座に上がったのが,お弟子さんのろべえさん.恐縮にも名前を知らなかったもので,あんまり期待していなかったのですが,とても良かったです.特に,天狗連の学生の席のあとだったので「これがプロの間とキレか!」と妙に好印象を受けてしまったのは否定できませんw でも,本当に良かった.
「子ほめ」は細かくくすぐりを入れてはいたものの正統な古典落語として演じきっていました.噺は下げがちょっと普通と違ったくらいで,基本や所作がしっかりしていて,いい噺でした.そして,続けて演じられたのが「千早振る」の改作でした.これが,とても良かった!ご自身が理系出身ということで「大師匠(の小三治師)に物理を取り入れた落語を」といわれて始めたという噺だそうで,これが本当に良かった(しつこいw).単なる理系ギャグや理系ネタを交えただけではなく,もともとの隠居の超解釈に上手く理系ネタ(を程よく一般化して)盛り込んでいて,最初から最後まで大爆笑でした.もちろん,二つ目ということで,演技にむらは多少あるんだけれど,元気も勢いもリズムもよくって,とても引き込まれました.ファンになってしまいましたw
喜多八師匠のネタは二席ともいうまでもなくいい噺でした.喜多八師匠は,録音を聞いたことしかなく,動く姿をみたのははじめてでしたが,ふらふらとしたまくらからすっと落語に入るキレや,高座の上がり降りの所作,風の扱い,細かな演技が,喜多八師匠のお師匠にあたる小三治師匠にそっくりでした.噺はいうまでもなく「見事」のひとことでした.「あくび指南」の暢気な町人とバカ正直に「あくび」を指南する師匠のバカバカしいやりとりのおかしみがしみじみと良かったです.そして,中入り後の「癪の合薬」は大爆笑でした.こちらは,ハナから笑いの絶えない滑稽話ですが,いちいち可笑しくて,サゲも鮮やかで,すっきり笑いきりました.
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どうやら,5 年前にも春風亭一朝師匠を呼んで落語会があったらしいので,また,落語会をやってくれないかなぁ,と期待しています.
……あ,感想を特に書いていない和楽器演奏ですが,手前の琴の低音の調弦が狂っていたことと,配置の関係で三味線が聞こえなかったことが印象に残っています.押し手の強弱が甘いとか,押す位置がばらけていて微妙に音程ずれているとかは聞かなかったことにしておきたい.
2012年7月16日月曜日
さいきんのわたくし
学位取得からかれこれ 1 年,基本的に学位論文の整理公表に向けた作業と過去 6 年間ほど自分のメインテーマであり,ほぼ自分だけで引き摺ってきたテーマの(ひとまずの)締めくくり作業に追われている日々です.
あと,公式には微妙に所属や立ち位置が変わったりなんだりしていますが,それに伴って,言うこと為すことにもうすこし気を使おうかな,などと思っている今日この頃です.そんなわけで,ついったとかこういう日記とかのあり方や態度も考えなければいけないなぁ,とか思う次第です.まぁ,基本的には馬鹿なこと以外を発信するのは控えようと思っているところです.
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日々の(研究以外の)趣味は,ほぼ漫画とアニメに限られています.前クールは結構な数のアニメを流し見ていました.今クールは,ちょっと視聴数が減っています.今クールのさわりの部分で気になっているのは,「人類は衰退しました」「TARI TARI」「ココロコネクト」あたりでしょうか.特に「人類〜」はふわふわしたファンタジーかつ SF な設定と主人公の可愛さおよびやる気のなさとところどころに漏れる話の黒さがとても心地よいバランスで好きです.あとふたつについては,僕も大概青春もの好きなので.これに加えて「ゆるゆり」「じょしらく」あたりをチェックしようかと思います.
前クールまでのアニメに関しては「モーレツ!宇宙海賊」が飛び抜けてよかったです.他にもいろいろ見ていましたが,いまや,ほとんど印象に残っていません.阿知賀編はあったのは覚えているけれど,「なんでこんなのやっちゃったんだろう?」という感想しかないので…….あと,前クールでは原作が好きだったので「謎の彼女 X」は見ていましたし,基本的には良いアニメ化だったと思います(……が卜部美琴役の声優に関しては許すつもりはない).
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最近は,新しい漫画を開拓することもする気もなくなってしまっているので,アニメ以外に何かしら新規のコンテンツを消化する気が起きません.それも,どうかと思うので,なにかしら小説やらなにやらを買おうと思うだけ思って,買うことはしていないというのが現状です.
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……とまぁ,そんな感じです.
あと,公式には微妙に所属や立ち位置が変わったりなんだりしていますが,それに伴って,言うこと為すことにもうすこし気を使おうかな,などと思っている今日この頃です.そんなわけで,ついったとかこういう日記とかのあり方や態度も考えなければいけないなぁ,とか思う次第です.まぁ,基本的には馬鹿なこと以外を発信するのは控えようと思っているところです.
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日々の(研究以外の)趣味は,ほぼ漫画とアニメに限られています.前クールは結構な数のアニメを流し見ていました.今クールは,ちょっと視聴数が減っています.今クールのさわりの部分で気になっているのは,「人類は衰退しました」「TARI TARI」「ココロコネクト」あたりでしょうか.特に「人類〜」はふわふわしたファンタジーかつ SF な設定と主人公の可愛さおよびやる気のなさとところどころに漏れる話の黒さがとても心地よいバランスで好きです.あとふたつについては,僕も大概青春もの好きなので.これに加えて「ゆるゆり」「じょしらく」あたりをチェックしようかと思います.
前クールまでのアニメに関しては「モーレツ!宇宙海賊」が飛び抜けてよかったです.他にもいろいろ見ていましたが,いまや,ほとんど印象に残っていません.阿知賀編はあったのは覚えているけれど,「なんでこんなのやっちゃったんだろう?」という感想しかないので…….あと,前クールでは原作が好きだったので「謎の彼女 X」は見ていましたし,基本的には良いアニメ化だったと思います(……が卜部美琴役の声優に関しては許すつもりはない).
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最近は,新しい漫画を開拓することもする気もなくなってしまっているので,アニメ以外に何かしら新規のコンテンツを消化する気が起きません.それも,どうかと思うので,なにかしら小説やらなにやらを買おうと思うだけ思って,買うことはしていないというのが現状です.
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……とまぁ,そんな感じです.
2012年7月13日金曜日
ほっかいどう
先日の名古屋出張に引き続いて北海道に調査にいってきました.その際,調査が雨天中止になった日があり,その日に,宿泊地近傍の某観光名所に遊びに行ってきたので,その写真を載せておきます.この付近の研究に参加しはじめてから 6 年ほどになりますが,この観光名所に行ったのは今回がはじめてでした.
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……というわけで,三渓(旧称:三毛別)にある,三毛別羆事件の跡地に行ってきたわけです.三毛別事件は,日本最悪の獣害事件として有名な事件です.この事件をモチーフにした吉村昭の「羆嵐」なんかが有名ですが,個人的には「慟哭の谷」のほうがオススメです.
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今回のお土産.
ヒグマを観光のうりにするとか心の底から頭おかしいと思う.
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この事件の跡地. |
なぜか唐突に現れるヒグマのオブジェ. |
"袈裟懸け" が民家(明景家)を襲う様子(再現). |
襲われた民家のなかの様子(再現). |
くまのつめあと. |
……というわけで,三渓(旧称:三毛別)にある,三毛別羆事件の跡地に行ってきたわけです.三毛別事件は,日本最悪の獣害事件として有名な事件です.この事件をモチーフにした吉村昭の「羆嵐」なんかが有名ですが,個人的には「慟哭の谷」のほうがオススメです.
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今回のお土産.
ヒグマを観光のうりにするとか心の底から頭おかしいと思う.
当地の名物看板とままえだベアーの栓抜き.本物はオロロン海道沿いの苫前町市街の入り口付近にあります. |
2012年7月11日水曜日
名古屋・その2……というか,登山記録
名古屋への遠征から 1 週間半,その後の北海道調査まで終わっているというのに,今更,名古屋遠征の話の続きです.
……と,その前に.ほとんど(仕事を)何もしていない 1 日目に撮った写真です.
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名古屋滞在 2 日目は,朝一番でホテルをチェックアウトした後にホテル近傍の喫茶店で名古屋名物のモーニング(小倉トースト)を頂いて,某学会に出向きました.
午前中は講演を眺めたり,久し振りにお会いする先輩方にお叱りを受けたりして過ごし,昼時には,Twitter で知り合った方と出会ったり,以前,お世話になって以来(カロリーを奢っていただいて以来)お付き合いさせて頂いている古生物模型作家の方に挨拶をしたりしました.で,午後はじめにポスターセッションを冷やかしたあと,自分の講演をいつも通り(噛みまくりながら)こなした後に,今回の学会のメインイベントである登山に向かいました(先に登場した Twitter で知り合った方と某同僚他 1 名の 4 名で).
ここでの登山の様子は文章でお伝えするよりも写真でお伝えするほうが話が早いと思うので,以下,写真をお楽しみください.
(※以上,まともなメニューを除いた写真です)
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入った後,あまりのメニュー数に注文を戸惑っている間に他テーブルから聞こえる客と店員の,
客 「このアラビアータってどんなものですか?」
店員「アラビアータみたいなものです」
……という会話を聞いたりして,びくびくし通しでしたが,実際にものが出てくると,もっと驚く,そんな体験ができましたw
……と,その前に.ほとんど(仕事を)何もしていない 1 日目に撮った写真です.
名古屋駅前の珍妙な建築物.これをみて,名古屋は違うな〜,と思った. |
夕飯を食べに行くついでにお散歩がてら大須演芸場の前を通過.時間があれば(北海道調査がなければ学会 3 日目をサボって)見に行ったのだけれど……. |
夕飯に食べたミソカツ.店員のお姉ちゃんに勧められるままにわらじトンカツなるものを注文. |
名古屋限定(?)の缶コーヒー類とコンビニ製天むす.知らなかったけど,天むすって小さいものなのね. |
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名古屋滞在 2 日目は,朝一番でホテルをチェックアウトした後にホテル近傍の喫茶店で名古屋名物のモーニング(小倉トースト)を頂いて,某学会に出向きました.
午前中は講演を眺めたり,久し振りにお会いする先輩方にお叱りを受けたりして過ごし,昼時には,Twitter で知り合った方と出会ったり,以前,お世話になって以来(カロリーを奢っていただいて以来)お付き合いさせて頂いている古生物模型作家の方に挨拶をしたりしました.で,午後はじめにポスターセッションを冷やかしたあと,自分の講演をいつも通り(噛みまくりながら)こなした後に,今回の学会のメインイベントである登山に向かいました(先に登場した Twitter で知り合った方と某同僚他 1 名の 4 名で).
ここでの登山の様子は文章でお伝えするよりも写真でお伝えするほうが話が早いと思うので,以下,写真をお楽しみください.
最寄り駅から徒歩数分,見えてきた "山" の看板. |
"山" の看板2 |
同行者の注文したマンゴースペシャル(辛口)というかき氷.本当に辛口w |
甘口バナナスパ.こちらも同行者の注文.スパゲッティなのにケーキの匂いがするよ! |
こちらは自分の注文.黒いチャーハン.イカスミピラフと別のメニューだったのだが,イカスミ味のチャーハンで,一体,何が違ったのかは不明w 味は普通だったのだけれど,米と同じくらいの量のパスタがw |
おしるこスパ.同行者の注文.スパゲッティがおしるこに浮いてるよ!あと,量が多いw |
こちらは私の注文(2 周目).メディアでもよく取り上げられる名物(?)甘口抹茶小倉スパ!見た目のインパクトに比して,普通にお菓子として食べられる. |
(※以上,まともなメニューを除いた写真です)
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入った後,あまりのメニュー数に注文を戸惑っている間に他テーブルから聞こえる客と店員の,
客 「このアラビアータってどんなものですか?」
店員「アラビアータみたいなものです」
……という会話を聞いたりして,びくびくし通しでしたが,実際にものが出てくると,もっと驚く,そんな体験ができましたw
2012年6月30日土曜日
名古屋
ちょっと化石に関する高座があるので,漫談をしに名古屋まで来ているなうなのです.
実は,名古屋に来たのは今回がはじめてです.私は,生粋の東北日本弧の民なので(※注),フォッサマグナの西側に足を踏み入れること自体がかなり稀なのですが,記憶を辿ると(正確には,中学〜高校時代の友人に突っ込まれて思い出したのですが),中学 2 年のころ,木曽に宿泊研修に行ったときに名古屋を経由した記憶があります.しかし,それを除いて,少なくとも駅の改札を出たのは,完全に初体験です.
--
(注)実は,家系を辿ると,先祖は明治期に名古屋から北海道に移動してきた元武家なので,縁がないわけではないのです.
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……というわけで,昼過ぎに仙台を出て,はやてとのぞみを乗り継いで名古屋にやってきました.
まず,普通に驚いたのが,町の様子がいままでみてきた町とまるっきり違う空気だったことです.中京地域自体に来たのがはじめてなので,特に店構えのノリの違いに若干面食らいました.そんなわけで,ちょっと雰囲気を楽しみたくなったので,ホテルまでちょっと距離があったのですが(普通は地下鉄に乗る距離),ぶらぶらと散歩したりしてみました.
ホテルにチェックインしたあとは,先に名古屋を訪れていた相方のお勧めだった,矢場とんという店で味噌かつを食べにいくついでに,大須の下町を散歩しました(もっと余裕があったら大須演芸場に行って見たかったのですが,日曜日には北海道に飛ぶ予定があるので断念しました.無念).ちなみに,味噌かつを食べるのもはじめてだったのですが,想像していたよりも甘い味噌という感じではなく,出汁のうま味が効いた味噌だれが絶妙で,意外と美味しかったです(名古屋の方には申し訳ないですが,味噌かつは悪評のほうがよく聞くので……).
その後は,ホテルに戻って,スライドの最終チェックをしたり,仮眠をしたりしていまに至ります.明日は,朝にモーニングに挑戦したり,昼に登山(喫茶マウンテン)したりしてみたいと思います.発表は,適当にこなしますw
実は,名古屋に来たのは今回がはじめてです.私は,生粋の東北日本弧の民なので(※注),フォッサマグナの西側に足を踏み入れること自体がかなり稀なのですが,記憶を辿ると(正確には,中学〜高校時代の友人に突っ込まれて思い出したのですが),中学 2 年のころ,木曽に宿泊研修に行ったときに名古屋を経由した記憶があります.しかし,それを除いて,少なくとも駅の改札を出たのは,完全に初体験です.
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(注)実は,家系を辿ると,先祖は明治期に名古屋から北海道に移動してきた元武家なので,縁がないわけではないのです.
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……というわけで,昼過ぎに仙台を出て,はやてとのぞみを乗り継いで名古屋にやってきました.
まず,普通に驚いたのが,町の様子がいままでみてきた町とまるっきり違う空気だったことです.中京地域自体に来たのがはじめてなので,特に店構えのノリの違いに若干面食らいました.そんなわけで,ちょっと雰囲気を楽しみたくなったので,ホテルまでちょっと距離があったのですが(普通は地下鉄に乗る距離),ぶらぶらと散歩したりしてみました.
ホテルにチェックインしたあとは,先に名古屋を訪れていた相方のお勧めだった,矢場とんという店で味噌かつを食べにいくついでに,大須の下町を散歩しました(もっと余裕があったら大須演芸場に行って見たかったのですが,日曜日には北海道に飛ぶ予定があるので断念しました.無念).ちなみに,味噌かつを食べるのもはじめてだったのですが,想像していたよりも甘い味噌という感じではなく,出汁のうま味が効いた味噌だれが絶妙で,意外と美味しかったです(名古屋の方には申し訳ないですが,味噌かつは悪評のほうがよく聞くので……).
その後は,ホテルに戻って,スライドの最終チェックをしたり,仮眠をしたりしていまに至ります.明日は,朝にモーニングに挑戦したり,昼に登山(喫茶マウンテン)したりしてみたいと思います.発表は,適当にこなしますw
2012年6月26日火曜日
かったよ
「咲 -Saki-」10 巻
表紙は絹ちゃん,表紙折り返しは洋榎ちゃん,裏表紙が漫ちゃんと由子ちゃんで,我らの末原先輩は裏表紙折り返しです.
中身は副将戦の前半戦東一局途中〜大将戦の後半戦東一局二本場終局までです.話数でいうと 95 局までです.つまり,咲ちゃん覚醒(雑誌最新話)の 3 話前までw アニメ(というか阿知賀編の進行速度)に合わせて単行本化のペースを上げたのでしょうか?
副将戦は,雑誌で追いかけていない頃だったのではじめて読みましたが,のどっちの打ち筋が相変わらず美しすぎです.世間的に,のどっちは「無能力の代表」的な感じに扱われることが多いのですが,ミスなしで,あのデジタル打ちを貫徹する姿は,最早オカルトや能力の類いだと思うのですw 特に,役満親被りを食らっても微動だにしないところとか,普通の人間の神経とは思えません.
あと,副将戦を読んでいて純粋に疑問を感じたのですが,ハッちゃんは,これまでの地区大会から全国初戦までの,のどっちみたいな空気(という名のオカルトw)を読めない娘が(ほぼ)いないと思われる戦いで,どうやって鬼門を開いていたのでしょうか?(あの世界の標準は常識外の打ち方をする選手がいることは,よほどの弱小校でもない限り常識っぽいし……).あと,絹ちゃん可愛い.
「咲」の王道通り,宮守と姫松の回想が多めなのと,先鋒戦で,県予選の頃から「牌に愛された子」との前振りのあった姫様が暴れなかったあたりから,二回戦は,清澄,永水の勝ち抜けでほぼ確定なんだろうけれど,姫松も宮守もキャラ的に敗退させるのが惜しいなぁ,という感じです(阿知賀編のアニメを見ていると,二回戦翌日にあたる阿知賀の準決勝の日に清澄の 1 年生s が東京で暢気に遊んでいる姿が描かれているので,まぁ,清澄の二回戦突破はネタバレされているようなもの.そうでなくても,二回戦敗退ってことはないだろうけれどw).
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「咲 -Saki- 阿知賀編 episode of side-A」 2 巻
ちまたで,「怜 -Toki- 千里山編 episode of side-S」とか「照 -Teru- 千里山編」とか散々にいわれているアレな作品ですが(個人的には「照 -Teru- 千里山編 episode of side-A」[side-A は A-block という意味なので変わらないってのと若干の阿知賀成分] が妥当かとw),1 巻を誤って買ってしまったので,惰性で購入しました.原作 6 局,アニメ 7 話相当のモモ登場シーンまで収録です.
この作品は,企画自体がアニメ放映(しかも,遅々として進まない本編の埋め合わせ的な 2 期)ありきな上に,「本編の決勝であんまりにも唐突に高校が出てくるより,ある程度の背景描写があったら面白いんじゃね?」という意図だけが先行した結果,なんだかよくわからない代物になっているという印象です.例えば,「主人公達が破竹の快進撃で勝ち進んできた地区大会のあと,本戦二回戦では,全国の壁に阻まれ当初の勢いが続かず,千里山に歯が立たずギリギリで辛勝→(本編と共通の)ラスボス白糸台に千里山,新宮寺と共闘して挑む!(アニメではいまのところ共闘してねーけどw)」というのは王道として普通だと思うのですが,アニメ放映開始という時間的な制約のためか,その王道の描写(特に阿知賀の闘牌)がことごとくカットされてしまっており,まったく,説得力がありません.加えて,キャラの能力設定が「ドラ爆に頼って手役作りが下手」という魅力のなさが,阿知賀編(強いては阿知賀女子高校)のどっちらけに拍車をかけます…….
まぁ,この辺の不満は,アニメ全編終了後に語る予定(は未定)なので,いまはこの辺でやめておきます.
この巻では,阿知賀編(の阿知賀勢)でもっともワクワクする闘牌である二回戦の次鋒戦と大将戦が含まれているので,個人的には満足です(もちろん,全編でいちばんワクワクするのは,いまのところ準決勝先鋒戦の怜の闘牌ですが).お姉ちゃんの「玄ちゃんの雪辱を晴らす!」という熱い決意と,「あったかい牌が集まる」という特質を上手く利用した打ち回しは圧巻です(しかも,これだけ広い範囲で牌を集めるとか,船 Q のいう通り,はっきりわかっていても対応しきれんw 能力的にはクロチャーより遥かに上だし,何故,エースに据えなかったか理解できない).
そして,大将戦のしずの後半戦オーラスにおける,二回の張り替えを経てのピッタリの逆転は,マジで燃えます.(そもそも,自分で招いたピンチなわけだけどw)大将戦で,まくれなければおしまいという約 12000 点ビハインドの場面で,冷静さを保ったまま(手替わり案としてはオーソドックスとはいえ)二回も冷静に最適手に張り替える精神力は普通に主人公していたと思います(まぁ,たった数巡であんな綺麗に張り替わるのは漫画ゆえですがw でも,この捲りの打ち筋は,本編 1 巻の Reversal Queen さん並みではないかと).少なくとも,アニメ中盤でも見せ場のひとつだったこの闘牌を無視して,「猿は主人公っぽくない」というのはちょっと可哀想かな,と思わないではないです.少なくとも,テキトーな解説に定評のある(w)三尋木プロの「(新進校の)阿知賀で一番上手いね」発言と,泉ちゃん(同学年)の上から目線な「フーロセンスが光る」発言程度しか強さの担保がなくて,ろくに闘牌も描かれないデジタルの速攻(今風の麻雀では最善な戦法なわけですが,この漫画の世界ではねw)な憧よりは,よっぽど魅力的な打ち手だと思うわけです(しかも,憧は,俺の嫁ことセーラちゃんに稼ぎ負けてるし).まぁ,このしずの大将戦は,アニメでも演出があっさり過ぎて,調子に乗ったしずがダマッパネに振り込んだ印象しか残らなかったのは事実ですが…….
まぁ,これだけしずの肩を持っておきながら,僕個人としては「阿知賀はベストエイトどまり」という展開が希望なんですがねw 本編に戻った後に,決勝で,小林立監修の熱い闘牌を阿知賀が戦う未来があんまりにも見えないので…….準決勝でつかんだ「何か」を決勝前の和に伝えるって役目のほうが下手に本編で戦うより印象に残ると思うわけですよ(そもそも,オーダー的には,誰も和と遊べないわけだしw).
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「咲日和」 1 巻
一緒に売られていたのでなんとなく購入しました.普通に面白かったですよ.
表紙は絹ちゃん,表紙折り返しは洋榎ちゃん,裏表紙が漫ちゃんと由子ちゃんで,我らの末原先輩は裏表紙折り返しです.
中身は副将戦の前半戦東一局途中〜大将戦の後半戦東一局二本場終局までです.話数でいうと 95 局までです.つまり,咲ちゃん覚醒(雑誌最新話)の 3 話前までw アニメ(というか阿知賀編の進行速度)に合わせて単行本化のペースを上げたのでしょうか?
副将戦は,雑誌で追いかけていない頃だったのではじめて読みましたが,のどっちの打ち筋が相変わらず美しすぎです.世間的に,のどっちは「無能力の代表」的な感じに扱われることが多いのですが,ミスなしで,あのデジタル打ちを貫徹する姿は,最早オカルトや能力の類いだと思うのですw 特に,役満親被りを食らっても微動だにしないところとか,普通の人間の神経とは思えません.
あと,副将戦を読んでいて純粋に疑問を感じたのですが,ハッちゃんは,これまでの地区大会から全国初戦までの,のどっちみたいな空気(という名のオカルトw)を読めない娘が(ほぼ)いないと思われる戦いで,どうやって鬼門を開いていたのでしょうか?(あの世界の標準は常識外の打ち方をする選手がいることは,よほどの弱小校でもない限り常識っぽいし……).あと,絹ちゃん可愛い.
「咲」の王道通り,宮守と姫松の回想が多めなのと,先鋒戦で,県予選の頃から「牌に愛された子」との前振りのあった姫様が暴れなかったあたりから,二回戦は,清澄,永水の勝ち抜けでほぼ確定なんだろうけれど,姫松も宮守もキャラ的に敗退させるのが惜しいなぁ,という感じです(阿知賀編のアニメを見ていると,二回戦翌日にあたる阿知賀の準決勝の日に清澄の 1 年生s が東京で暢気に遊んでいる姿が描かれているので,まぁ,清澄の二回戦突破はネタバレされているようなもの.そうでなくても,二回戦敗退ってことはないだろうけれどw).
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「咲 -Saki- 阿知賀編 episode of side-A」 2 巻
ちまたで,「怜 -Toki- 千里山編 episode of side-S」とか「照 -Teru- 千里山編」とか散々にいわれているアレな作品ですが(個人的には「照 -Teru- 千里山編 episode of side-A」[side-A は A-block という意味なので変わらないってのと若干の阿知賀成分] が妥当かとw),1 巻を誤って買ってしまったので,惰性で購入しました.原作 6 局,アニメ 7 話相当のモモ登場シーンまで収録です.
この作品は,企画自体がアニメ放映(しかも,遅々として進まない本編の埋め合わせ的な 2 期)ありきな上に,「本編の決勝であんまりにも唐突に高校が出てくるより,ある程度の背景描写があったら面白いんじゃね?」という意図だけが先行した結果,なんだかよくわからない代物になっているという印象です.例えば,「主人公達が破竹の快進撃で勝ち進んできた地区大会のあと,本戦二回戦では,全国の壁に阻まれ当初の勢いが続かず,千里山に歯が立たずギリギリで辛勝→(本編と共通の)ラスボス白糸台に千里山,新宮寺と共闘して挑む!(アニメではいまのところ共闘してねーけどw)」というのは王道として普通だと思うのですが,アニメ放映開始という時間的な制約のためか,その王道の描写(特に阿知賀の闘牌)がことごとくカットされてしまっており,まったく,説得力がありません.加えて,キャラの能力設定が「ドラ爆に頼って手役作りが下手」という魅力のなさが,阿知賀編(強いては阿知賀女子高校)のどっちらけに拍車をかけます…….
まぁ,この辺の不満は,アニメ全編終了後に語る予定(は未定)なので,いまはこの辺でやめておきます.
この巻では,阿知賀編(の阿知賀勢)でもっともワクワクする闘牌である二回戦の次鋒戦と大将戦が含まれているので,個人的には満足です(もちろん,全編でいちばんワクワクするのは,いまのところ準決勝先鋒戦の怜の闘牌ですが).お姉ちゃんの「玄ちゃんの雪辱を晴らす!」という熱い決意と,「あったかい牌が集まる」という特質を上手く利用した打ち回しは圧巻です(しかも,これだけ広い範囲で牌を集めるとか,船 Q のいう通り,はっきりわかっていても対応しきれんw 能力的にはクロチャーより遥かに上だし,何故,エースに据えなかったか理解できない).
そして,大将戦のしずの後半戦オーラスにおける,二回の張り替えを経てのピッタリの逆転は,マジで燃えます.(そもそも,自分で招いたピンチなわけだけどw)大将戦で,まくれなければおしまいという約 12000 点ビハインドの場面で,冷静さを保ったまま(手替わり案としてはオーソドックスとはいえ)二回も冷静に最適手に張り替える精神力は普通に主人公していたと思います(まぁ,たった数巡であんな綺麗に張り替わるのは漫画ゆえですがw でも,この捲りの打ち筋は,本編 1 巻の Reversal Queen さん並みではないかと).少なくとも,アニメ中盤でも見せ場のひとつだったこの闘牌を無視して,「猿は主人公っぽくない」というのはちょっと可哀想かな,と思わないではないです.少なくとも,テキトーな解説に定評のある(w)三尋木プロの「(新進校の)阿知賀で一番上手いね」発言と,泉ちゃん(同学年)の上から目線な「フーロセンスが光る」発言程度しか強さの担保がなくて,ろくに闘牌も描かれないデジタルの速攻(今風の麻雀では最善な戦法なわけですが,この漫画の世界ではねw)な憧よりは,よっぽど魅力的な打ち手だと思うわけです(しかも,憧は,俺の嫁ことセーラちゃんに稼ぎ負けてるし).まぁ,このしずの大将戦は,アニメでも演出があっさり過ぎて,調子に乗ったしずがダマッパネに振り込んだ印象しか残らなかったのは事実ですが…….
まぁ,これだけしずの肩を持っておきながら,僕個人としては「阿知賀はベストエイトどまり」という展開が希望なんですがねw 本編に戻った後に,決勝で,小林立監修の熱い闘牌を阿知賀が戦う未来があんまりにも見えないので…….準決勝でつかんだ「何か」を決勝前の和に伝えるって役目のほうが下手に本編で戦うより印象に残ると思うわけですよ(そもそも,オーダー的には,誰も和と遊べないわけだしw).
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「咲日和」 1 巻
一緒に売られていたのでなんとなく購入しました.普通に面白かったですよ.
2012年6月17日日曜日
ニッケルオデオン・ネーム帖
お久し振りの更新であります.
……書いておきたいことはたくさんあるんですが(自分の備忘として),とても web 上に文章を書散らして遊んでいるほどの余裕が(当然,今後もしばらく)ないもので,ローカルにメモを残したり,ついったに放言したりするにとどまっています.もう,ついっただけやっていればいいんじゃないか,と思わないでもないのですが,ある程度,まとまった文量の文章を載っけられるスペース,後でチェックするためにある程度まとまった備忘としてのこの日記,過去の思考の遍歴を記録するという意味合いの強い blog のふたつだけはなんとか残しておこうかと思っているわけです(いま,確認したら blog の最新記事が仙台移住に思うアレコレだった.2 年以上放置w).しごく,個人的な理由ですが.
……で,結局,今回も書くのは漫画の新刊(?)のことです.はい.
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以前,道満先生の「ニッケルオデオン・赤」が発売されたときに行われた全員プレゼント(ただし,金は取られるw \1000- は僕のように執拗な著者別コレクターには安い金額だけど)の女子高生のパンツとほぼ同価値な「ナイショのネーム帖」が,つい先日,届きました.一瞬だけ,「\1000- も取っておきながら,低品質紙,低解像度印刷,コンビニコミックス並みの製版」という事実に,某編集部に対する怒りを滾らせましたが,まぁ,ネームだし,少なくとも修正痕(消しゴムで消した後など)は判別できるレベルだったので,抜きかけた刀を鞘に納めました.
パラパラとめくった限りでは,このネームがどの段階のネームなのかは判然としませんが,「文章や思考レベルのプロットからの書起し第一稿」だとすると,(単行本収録の最終稿と比べて)プロット,セリフ,コマ割りが完成され過ぎていて凄すぎるし,「編集との打ち合わせ後の本稿下書き前の最終稿(かそれに近いもの)」だとすると,まぁ,妥当な書き込まれ具合だと思います(この辺り,道満先生本人がなにかおっしゃっていたかもしれないので,後でついったのログを辿ってみようかと思います).まだ,精査はしていないので(その上,IKKI については雑誌を購入していないのでネーム,雑誌掲載分,単行本修正の比較ができない!無念!),断言はできないものの,上記の中間くらいの段階のネームではないかと推察されます(少なくとも第一稿ではなく,キャラデザが不確定っぽいあたりから最終版でもなさそう.まぁ,話によりそうですが).
現状は,コマ対コマの一対一対比で,ネームから本稿(単行本収録版.こんな企画があるとわかっていたら,この対比のためだけに IKKI も買っておいたのに!!本当に無念)がどう変わっているか,という対比の途中です.本当は,昨日(土曜日)のうちに全部終わらせてまとめる予定だったのですが,思いのほか時間がかかるので,今後もちょくちょく続けて,しばらく,コレを趣味にします.
……書いておきたいことはたくさんあるんですが(自分の備忘として),とても web 上に文章を書散らして遊んでいるほどの余裕が(当然,今後もしばらく)ないもので,ローカルにメモを残したり,ついったに放言したりするにとどまっています.もう,ついっただけやっていればいいんじゃないか,と思わないでもないのですが,ある程度,まとまった文量の文章を載っけられるスペース,後でチェックするためにある程度まとまった備忘としてのこの日記,過去の思考の遍歴を記録するという意味合いの強い blog のふたつだけはなんとか残しておこうかと思っているわけです(いま,確認したら blog の最新記事が仙台移住に思うアレコレだった.2 年以上放置w).しごく,個人的な理由ですが.
……で,結局,今回も書くのは漫画の新刊(?)のことです.はい.
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以前,道満先生の「ニッケルオデオン・赤」が発売されたときに行われた全員プレゼント(ただし,金は取られるw \1000- は僕のように執拗な著者別コレクターには安い金額だけど)の女子高生のパンツとほぼ同価値な「ナイショのネーム帖」が,つい先日,届きました.一瞬だけ,「\1000- も取っておきながら,低品質紙,低解像度印刷,コンビニコミックス並みの製版」という事実に,某編集部に対する怒りを滾らせましたが,まぁ,ネームだし,少なくとも修正痕(消しゴムで消した後など)は判別できるレベルだったので,抜きかけた刀を鞘に納めました.
パラパラとめくった限りでは,このネームがどの段階のネームなのかは判然としませんが,「文章や思考レベルのプロットからの書起し第一稿」だとすると,(単行本収録の最終稿と比べて)プロット,セリフ,コマ割りが完成され過ぎていて凄すぎるし,「編集との打ち合わせ後の本稿下書き前の最終稿(かそれに近いもの)」だとすると,まぁ,妥当な書き込まれ具合だと思います(この辺り,道満先生本人がなにかおっしゃっていたかもしれないので,後でついったのログを辿ってみようかと思います).まだ,精査はしていないので(その上,IKKI については雑誌を購入していないのでネーム,雑誌掲載分,単行本修正の比較ができない!無念!),断言はできないものの,上記の中間くらいの段階のネームではないかと推察されます(少なくとも第一稿ではなく,キャラデザが不確定っぽいあたりから最終版でもなさそう.まぁ,話によりそうですが).
現状は,コマ対コマの一対一対比で,ネームから本稿(単行本収録版.こんな企画があるとわかっていたら,この対比のためだけに IKKI も買っておいたのに!!本当に無念)がどう変わっているか,という対比の途中です.本当は,昨日(土曜日)のうちに全部終わらせてまとめる予定だったのですが,思いのほか時間がかかるので,今後もちょくちょく続けて,しばらく,コレを趣味にします.
2012年5月21日月曜日
日食
日本で金環日食が見られるってことでお祭りが起こっており,仙台では金環に至らないものの,かなりの食分(0.9 以上)になるということだったので,うすらぼんやりと眺めるかなぁ,とか思っていたのですが,前日に 4:00 過ぎまで学校で仕事をやってしまったので,就寝が 5:00 過ぎになってしまうという大失態をおかしてしまいました(それは前日といわないというツッコミは受け付けません.寝るまでが前日です).
まぁ,寝る前に外を確認したら曇っていたので,「日食中に起きられればいいや.できれば,最大食に間に合えばいいな」とか思う程度で,見逃したらそれでいいや,という気分でした.そんなわけで,見事に最大食(7:40 頃)が過ぎた 8:00 ちょっと前に起床.窓の外を眺めると普段の朝より薄ら暗くなっており,雲はあるものの観測ができそうだったので,軽装に着替えてお散歩がてら自宅付近の見晴らしのいい崖の上まで出て観測してきました.
僕が観察しはじめた段階で,食分は 0.8 程度,十分に見応えのある部分食でした.その段階でも,近所のおっさん,おばさんや子供が何人か同じ地点で観察していました.
僕は,積極的に日食祭りに参加するつもりでもなかったので,特に専用グラスなどを用意していなかったので,観測は使用済みテレカを使ってピンホールで見ていたのですが,周囲の人の目には奇態に(または哀れに?)写ったらしく,おっさんの一人が日食グラスを貸してくれたりしました.そんなわけで,おっさんと雑談(ピンホールの原理とか,そのついでに,木漏れ日も欠けるんですよー,とかいう話)しながら 9:00 頃まで観察してました.最大食を逃したのが心残りなものの,まぁ,良かったのではないかと.
あ,特に写真とかは撮ってないです.カメラ持ってなかったしw
まぁ,寝る前に外を確認したら曇っていたので,「日食中に起きられればいいや.できれば,最大食に間に合えばいいな」とか思う程度で,見逃したらそれでいいや,という気分でした.そんなわけで,見事に最大食(7:40 頃)が過ぎた 8:00 ちょっと前に起床.窓の外を眺めると普段の朝より薄ら暗くなっており,雲はあるものの観測ができそうだったので,軽装に着替えてお散歩がてら自宅付近の見晴らしのいい崖の上まで出て観測してきました.
僕が観察しはじめた段階で,食分は 0.8 程度,十分に見応えのある部分食でした.その段階でも,近所のおっさん,おばさんや子供が何人か同じ地点で観察していました.
僕は,積極的に日食祭りに参加するつもりでもなかったので,特に専用グラスなどを用意していなかったので,観測は使用済みテレカを使ってピンホールで見ていたのですが,周囲の人の目には奇態に(または哀れに?)写ったらしく,おっさんの一人が日食グラスを貸してくれたりしました.そんなわけで,おっさんと雑談(ピンホールの原理とか,そのついでに,木漏れ日も欠けるんですよー,とかいう話)しながら 9:00 頃まで観察してました.最大食を逃したのが心残りなものの,まぁ,良かったのではないかと.
あ,特に写真とかは撮ってないです.カメラ持ってなかったしw
2012年5月5日土曜日
2012年4月8日日曜日
きろく!
昨日買った漫画.……最近,この記録も付けてなかったから,買った漫画を遡らないといけないなぁ……と思いつつ.
(※以下,ネタバレを含みます)
--
「咲−阿知賀編:episode of side-A」(原作:小林立,絵:五十嵐あぐり)
本当は「咲」の 9 巻を買いにいったのであって,こっちは買うつもりとかなかったんだけれど,「咲」の 9 巻がまったく残っていなかったのに同時発売のこちらが大量に残っていたので購入しました(この時点で何かを察するべきでした.はい……).
内容は,事前に知っていた通り,のどっちの奈良時代の幼馴染みがのどっちと会うために全国大会を目指す話でした.しかし,驚いたのが展開の異常な早さ(「のどっちとの幼少時代エピが少なすぎて全国大会を目指す動機が薄い!」とか「1 巻でなんの努力描写もなく全国大会まで突貫」とか……)と麻雀漫画なのに麻雀描写が皆無というところです.
……まぁ,端的にいってつまらない,ということですw
小林立の絵も上手くはないですが,それなりの愛嬌と魅力(はいてない描写とかではなく!w)があるのに対して,この作品の作画の方の絵は上手くない上に下手に小林絵に似せようとして魅力が削がれてしまっている感じで,その辺りも不満でした.ぶっちゃけ,小林絵に寄せないで,この人の画風を押したほうがよかったのではないかな,と思います.
--
「多重人格探偵サイコ」(原作:大塚英志,作画:田島昭宇)15, 16 巻
単行本の刊行が不定期すぎて,ずっと追いかけているのに,買っていない巻がたまっていたので消化.
なんか,「最終章突入」的な煽りが付いてから,かれこれ 5 巻くらい続いている気がするけれど,全く以てストーリーの進展がないのはさすがだと思います.それに加えて,田島昭宇の絵が,初期の緻密な感じの絵から,記号化して,動きの表現が洗練された絵に変わってしまったのが,個人的にはちょっと残念です.
そんな文句もありつつ,この 2 冊で,本当にちょっとだけストーリーが進展したので,まぁ,いいことにしますw しかし,「木島日記」以降,戦時中からの因縁の 2 人(清水とてう)が物語から退場してしまう展開は大塚英志オタ的に,ちょっとクルものがありましたw
(※以下,ネタバレを含みます)
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「咲−阿知賀編:episode of side-A」(原作:小林立,絵:五十嵐あぐり)
本当は「咲」の 9 巻を買いにいったのであって,こっちは買うつもりとかなかったんだけれど,「咲」の 9 巻がまったく残っていなかったのに同時発売のこちらが大量に残っていたので購入しました(この時点で何かを察するべきでした.はい……).
内容は,事前に知っていた通り,のどっちの奈良時代の幼馴染みがのどっちと会うために全国大会を目指す話でした.しかし,驚いたのが展開の異常な早さ(「のどっちとの幼少時代エピが少なすぎて全国大会を目指す動機が薄い!」とか「1 巻でなんの努力描写もなく全国大会まで突貫」とか……)と麻雀漫画なのに麻雀描写が皆無というところです.
……まぁ,端的にいってつまらない,ということですw
小林立の絵も上手くはないですが,それなりの愛嬌と魅力(はいてない描写とかではなく!w)があるのに対して,この作品の作画の方の絵は上手くない上に下手に小林絵に似せようとして魅力が削がれてしまっている感じで,その辺りも不満でした.ぶっちゃけ,小林絵に寄せないで,この人の画風を押したほうがよかったのではないかな,と思います.
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「多重人格探偵サイコ」(原作:大塚英志,作画:田島昭宇)15, 16 巻
単行本の刊行が不定期すぎて,ずっと追いかけているのに,買っていない巻がたまっていたので消化.
なんか,「最終章突入」的な煽りが付いてから,かれこれ 5 巻くらい続いている気がするけれど,全く以てストーリーの進展がないのはさすがだと思います.それに加えて,田島昭宇の絵が,初期の緻密な感じの絵から,記号化して,動きの表現が洗練された絵に変わってしまったのが,個人的にはちょっと残念です.
そんな文句もありつつ,この 2 冊で,本当にちょっとだけストーリーが進展したので,まぁ,いいことにしますw しかし,「木島日記」以降,戦時中からの因縁の 2 人(清水とてう)が物語から退場してしまう展開は大塚英志オタ的に,ちょっとクルものがありましたw
すとぱん!
先週見た「ストライクウィッチーズ」の劇場版の感想.ネタバレを含むので未見の方はスルーを推奨いたします.
--
感想をひとことでいうと「文句なく面白かった!」でおしまいです.なんというか,あの 2 期のラストを踏まえた上での「劇場版」として期待されることを余すことなくやってくれた,という感じです.加えて,501 中心での話でありつつ,他の部隊の名物キャラ(ニパとかニパとか,あとニパとか……)が,ちゃんと各キャラの性格をよく反映したかたちで出演していて,非常に満足のいく出来でした.
そして,ストパンといえばズボンではなく,戦闘シーン!!
本編開始とともに夜間巡視中のハイデマリーさんの戦闘シーンが描かれているのですが,なんというか,もったりしていてスピード感に欠ける演出がなされていて,「一人での戦闘の多いナイトウィッチの戦闘として,これはありなのか?(つか,ハイデマリーさんって世界最強のナイトウィッチじゃなかったっけ?)」とか「戦闘を丁寧に描くために(演出上)スピード感を犠牲にしたのか?」とか思ったのですが,その後の戦闘シーンの凄さを見て,しょっぱなの戦闘であんまり飛ばすと後の戦闘の凄みが薄くなるかも,と納得.ハイデマリーさんは犠牲になったのだw (いや,ハイデマリーさんの戦闘も十分格好よかったし,強かったと思うけれども).
本編で一番見応えがあった戦闘シーンは,間違いなく淫獣襲乳王・芳佳ちゃんの魔法力なしでのネウロイ撃墜でしょう.アレは,本当に凄かった(描写,演出ともに).逆に,魔法力が復帰した後の 501 全員集合(+ハイデマリーさん,静香ちゃん)での戦闘は,(ストーリー上仕方がないとはいえ)安定感と安心感がありすぎて,ちょっとお寒かった感じです(というか,ネウロイさんが紙くずみたいに見えたw).しかし,全般的に戦闘描写は素晴らしかったと思います(ヴェネチアの水路でのチェイス,ライン川沿いの戦いでのお姉ちゃん→エーリカ(空腹から)復活→ミーナ隊長とハイデマリーさん合流などなど).残念だったのは,エイラーニャの戦闘が何故かカットされていたこと.サーニャがフリーガーハマーをぶっ放したりエイラの華麗なビーム回避とかをフィーチャーした戦闘とか見たかったぜ!
--
前半の,ロマーニャ戦後の 501 メンバーが徐々に集まっていく課程,静香ちゃんが(芳佳ちゃんの)現実を知るまでの流れは,当然ながら,若干,散漫だったものの素早い場面展開と「みんなが徐々に新型ネウロイの存在に気付く」という一線でつながっていたために,特に飽きなく見られました.静香ちゃんのキャラの掘り下げ(といっても頭の固いテンプレ新人キャラという位置づけでしたが)も,その辺で退屈させないのに一役買っていたかもしれません.
中盤から,ネウロイとの本格的な戦闘がはじまると,一気に物語に引き込まれました.「宮藤の魔法力の回復」は,絶対にある展開だと思ってはいたものの(まぁ,これがなきゃ 501 をメインに据える必要も芳佳を欧州に派遣する必要も物語上ないわけでw),中盤くらいでやられたくはないなぁ,とうすらぼんやり見ていると,魔法力回復しない状態で宮藤がネウロイ撃墜という超熱い展開!!!
この辺の,静香ちゃん初戦闘〜調子に乗ってやられる→宮藤,魔法力なしでネウロイ撃墜も大怪我→静香ちゃんの声を聞いた 501 メンバー集結→宮藤の魔法力回復……という流れは王道中の王道だっただけに,めちゃくちゃ燃えました.
ぶっちゃけ,宮藤の魔法力回復後の終盤は,当然のことながら,若干,退屈な展開でした(もっさんにはヒヤヒヤし通しだったけれどw/後述).
……とりあえず,映画終幕とともに表示された「つづく」の文字を信じて,今後の展開に期待したいと思います.
--
他に個人的に印象に残ったのは,この作品において「始まりを司る存在」であるみっちゃんと熊が劇場版でも健在であったこと,劇場版だけで見られる綺麗なペリーヌさん,トゥルーデのお姉ちゃんネタが公式化したこと,ネウロイさんが相変わらず素晴らしい空気の読みっぷりだったこと(新型ネウロイの脅威→あっという間に雑魚キャラ化 [あげく復活前の宮藤に倒されるw] →空気を読んで攻撃のタイミングを待ってくれるようになる,というテンプレ的な展開w),エーリカマジ天使,エーリカの鼻水マジ聖水,大和ホテルが復活した上に,ライン川を遡上してちゃんと役立ったこと,宮藤の復活シーン(不覚にも泣きそうになったw)などです.
あと,もっさんが出てきてからは,もっさんが「魔法力がなくなっても,この烈風丸さえあれば(云々)」といって飛行機から飛び降りて戦闘に参加するんじゃないかと,ずっとヒヤヒヤしてたw (これ,俺だけかと思ったら,結構,多くの人がこういう感想を持っているらしくて安心した).
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感想をひとことでいうと「文句なく面白かった!」でおしまいです.なんというか,あの 2 期のラストを踏まえた上での「劇場版」として期待されることを余すことなくやってくれた,という感じです.加えて,501 中心での話でありつつ,他の部隊の名物キャラ(ニパとかニパとか,あとニパとか……)が,ちゃんと各キャラの性格をよく反映したかたちで出演していて,非常に満足のいく出来でした.
そして,ストパンといえば
本編開始とともに夜間巡視中のハイデマリーさんの戦闘シーンが描かれているのですが,なんというか,もったりしていてスピード感に欠ける演出がなされていて,「一人での戦闘の多いナイトウィッチの戦闘として,これはありなのか?(つか,ハイデマリーさんって世界最強のナイトウィッチじゃなかったっけ?)」とか「戦闘を丁寧に描くために(演出上)スピード感を犠牲にしたのか?」とか思ったのですが,その後の戦闘シーンの凄さを見て,しょっぱなの戦闘であんまり飛ばすと後の戦闘の凄みが薄くなるかも,と納得.ハイデマリーさんは犠牲になったのだw (いや,ハイデマリーさんの戦闘も十分格好よかったし,強かったと思うけれども).
本編で一番見応えがあった戦闘シーンは,間違いなく淫獣襲乳王・芳佳ちゃんの魔法力なしでのネウロイ撃墜でしょう.アレは,本当に凄かった(描写,演出ともに).逆に,魔法力が復帰した後の 501 全員集合(+ハイデマリーさん,静香ちゃん)での戦闘は,(ストーリー上仕方がないとはいえ)安定感と安心感がありすぎて,ちょっとお寒かった感じです(というか,ネウロイさんが紙くずみたいに見えたw).しかし,全般的に戦闘描写は素晴らしかったと思います(ヴェネチアの水路でのチェイス,ライン川沿いの戦いでのお姉ちゃん→エーリカ(空腹から)復活→ミーナ隊長とハイデマリーさん合流などなど).残念だったのは,エイラーニャの戦闘が何故かカットされていたこと.サーニャがフリーガーハマーをぶっ放したりエイラの華麗なビーム回避とかをフィーチャーした戦闘とか見たかったぜ!
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前半の,ロマーニャ戦後の 501 メンバーが徐々に集まっていく課程,静香ちゃんが(芳佳ちゃんの)現実を知るまでの流れは,当然ながら,若干,散漫だったものの素早い場面展開と「みんなが徐々に新型ネウロイの存在に気付く」という一線でつながっていたために,特に飽きなく見られました.静香ちゃんのキャラの掘り下げ(といっても頭の固いテンプレ新人キャラという位置づけでしたが)も,その辺で退屈させないのに一役買っていたかもしれません.
中盤から,ネウロイとの本格的な戦闘がはじまると,一気に物語に引き込まれました.「宮藤の魔法力の回復」は,絶対にある展開だと思ってはいたものの(まぁ,これがなきゃ 501 をメインに据える必要も芳佳を欧州に派遣する必要も物語上ないわけでw),中盤くらいでやられたくはないなぁ,とうすらぼんやり見ていると,魔法力回復しない状態で宮藤がネウロイ撃墜という超熱い展開!!!
この辺の,静香ちゃん初戦闘〜調子に乗ってやられる→宮藤,魔法力なしでネウロイ撃墜も大怪我→静香ちゃんの声を聞いた 501 メンバー集結→宮藤の魔法力回復……という流れは王道中の王道だっただけに,めちゃくちゃ燃えました.
ぶっちゃけ,宮藤の魔法力回復後の終盤は,当然のことながら,若干,退屈な展開でした(もっさんにはヒヤヒヤし通しだったけれどw/後述).
……とりあえず,映画終幕とともに表示された「つづく」の文字を信じて,今後の展開に期待したいと思います.
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他に個人的に印象に残ったのは,この作品において「始まりを司る存在」であるみっちゃんと熊が劇場版でも健在であったこと,劇場版だけで見られる綺麗なペリーヌさん,トゥルーデのお姉ちゃんネタが公式化したこと,ネウロイさんが相変わらず素晴らしい空気の読みっぷりだったこと(新型ネウロイの脅威→あっという間に雑魚キャラ化 [あげく復活前の宮藤に倒されるw] →空気を読んで攻撃のタイミングを待ってくれるようになる,というテンプレ的な展開w),エーリカマジ天使,エーリカの鼻水マジ聖水,大和ホテルが復活した上に,ライン川を遡上してちゃんと役立ったこと,宮藤の復活シーン(不覚にも泣きそうになったw)などです.
あと,もっさんが出てきてからは,もっさんが「魔法力がなくなっても,この烈風丸さえあれば(云々)」といって飛行機から飛び降りて戦闘に参加するんじゃないかと,ずっとヒヤヒヤしてたw (これ,俺だけかと思ったら,結構,多くの人がこういう感想を持っているらしくて安心した).
2012年4月1日日曜日
さくせん
ストライクウィッチーズといえばメカ少女もの,空想戦記物,百合ものとして有名な一連のプロジェクトですが,先頃,劇場版が公開されたことは,皆様,よくご存知のことと思います.そして,その映画の公開劇場が,東北・北陸・仙台をすっ飛ばして札幌までないというのも,それなりに有名なネタなのでご存知のことかと思います.そんなわけで,現在,仙台在住の私は,この映画を見るのが非常に難しい状況に立たされていました.
……と,そんな話をスカイプで,現在札幌在住の相方に愚痴っていたところ「じゃあ,わたしが代わりに見てきてあげるよ」などと意味不明の発言をしたうえに,実際に,こんなことをされてしまったわけです(なお,彼女はストパンアニメを全部視聴した上に淫獣芳佳ちゃんが大好きな残念な人です.坂本さんは 1 期の頃は大好きだったとか……).
これをみた私の心には,怒りが沸々とわき上がってくるとともに,こいつをギャフンと言わせたいという思いもわき上がってきました.そこで,とある計画を立てました.
次の定期連絡時にストパン映画を見てきた自慢をされることは想像に難くないので,それまでにストパンの映画を見てしまおう,と.
次の定期連絡というのは週末土曜です.その計画を思いついたのは木曜深夜でしたが,その翌日の金曜日には外し辛い飲み会がセッティングされていたので,実質,行動可能なのは金曜日の飲み会後〜土曜日の夕方までという限られた時間になりました(なお,この日程には,Twitter 上で異常を感じさせないために,普段,土曜日につぶやく数が少ないので,作戦行動中のつぶやきが少なくても違和感がないこと,平日に不可解な挙動を見せないこと,などの理由もあります).
当初の計画はこうでした.
金曜深夜発の(仙台→新宿)の深夜高速バスで移動,新宿で映画視聴,昼の(新宿→仙台)便で帰還.
……しかし,土曜の朝に東京着という人気便(しかも春休みという多客期)のためか,金曜日の朝にかなりマイナーなバス会社まで回ったにもかかわらず,希望する値段帯のバスの席は取れませんでした.それに加えて,入場者特典の画集が配布される日だったため,新宿の映画館は,金曜の時点で土曜の午前の上映は空席がなくなっていたので,計画を再考する必要にせまられました.
そこで,こういう計画に作り替えます.
土曜の朝の新幹線で東京へ,その後,京葉線で海浜幕張に出て,映画視聴後に母校で面白い写真を撮って,新幹線で戻ってくる.
帰りはバスでも良かったのですが,このネタを完遂して人に話すときに金を無駄に使ったほうが面白いという意識が出てきていたので帰りも新幹線ということにしました.本当は,映画を見て帰ってくるだけというストイックな旅程にしても良かったのですが,せっかく幕張まで出たら母校にちょっかいを出すのも面白いかと思いまして……(結局できなかったんだけど).
--
そんなわけで,当日.
私は,9:44 仙台発のやまびこの車内にいました(寝坊とかではなく,指定席で取れたのがこの便だったので駅で 7:30 から 2 時間強待ちぼうけてました).
駅弁.
このときには,14:25 の上映にかなり余裕を持って到着できるので,チケット購入後の空いた時間を使って,母校の校門前でネタ写真を撮ったりして遊んでいよう,と考えていました.
事態が変化したのは,福島をでたあとでした.列車が,本来停車予定にない新白河に停車したのです.「おや?」と思っていると,「大宮−上野間の強風のため先行列車が緊急停車中」との車内アナウンス.
そう.その日は関東一円で強風のために鉄道網が大混乱中だったのです.
30 分弱で緊急停止は解除されたものの,先発電車の影響で,新幹線なのに在来線並みの速度で動く上,頻繁に信号停止を繰り返します.この時点で,当初の計画を見直す必要が生じました(特に千葉方面に出る電車が壊滅的な被害を受けていたので).
第一に思いついたのは大宮で新幹線を降りて,新さいたまの映画館でみてしまうというアイディアでした.しかし,その案は上映時間の問題で却下されます.結局,新宿よりは混んでいないと考えられる池袋で映画を見ることに決めます.この時点で,「母校でネタ写真を撮る」という計画は破棄され,本当に映画を見るためだけに上京するという非常にストイックな旅になることが決定しました.
--
そんなわけで,上野から山手線で池袋へ.余談だけど宇宙兄弟のアニメ楽しみ.
--
そして,ようやく,映画館!
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そんなわけで,仙台の自宅に着いたのは 20:00 頃.上々の出来です.実際,この時点で,ストパンの映画の満足度が高すぎて,この後に控えている「相方をギャフンといわせる」ネタに関しては,ほとんどどうでもよくなっていたのですが,¥25000- を費やしたことを思い出して,じりじりと決行のタイミングを計ります.
……と,そんな話をスカイプで,現在札幌在住の相方に愚痴っていたところ「じゃあ,わたしが代わりに見てきてあげるよ」などと意味不明の発言をしたうえに,実際に,こんなことをされてしまったわけです(なお,彼女はストパンアニメを全部視聴した上に淫獣芳佳ちゃんが大好きな残念な人です.坂本さんは 1 期の頃は大好きだったとか……).
これをみた私の心には,怒りが沸々とわき上がってくるとともに,こいつをギャフンと言わせたいという思いもわき上がってきました.そこで,とある計画を立てました.
次の定期連絡時にストパン映画を見てきた自慢をされることは想像に難くないので,それまでにストパンの映画を見てしまおう,と.
次の定期連絡というのは週末土曜です.その計画を思いついたのは木曜深夜でしたが,その翌日の金曜日には外し辛い飲み会がセッティングされていたので,実質,行動可能なのは金曜日の飲み会後〜土曜日の夕方までという限られた時間になりました(なお,この日程には,Twitter 上で異常を感じさせないために,普段,土曜日につぶやく数が少ないので,作戦行動中のつぶやきが少なくても違和感がないこと,平日に不可解な挙動を見せないこと,などの理由もあります).
当初の計画はこうでした.
金曜深夜発の(仙台→新宿)の深夜高速バスで移動,新宿で映画視聴,昼の(新宿→仙台)便で帰還.
……しかし,土曜の朝に東京着という人気便(しかも春休みという多客期)のためか,金曜日の朝にかなりマイナーなバス会社まで回ったにもかかわらず,希望する値段帯のバスの席は取れませんでした.それに加えて,入場者特典の画集が配布される日だったため,新宿の映画館は,金曜の時点で土曜の午前の上映は空席がなくなっていたので,計画を再考する必要にせまられました.
そこで,こういう計画に作り替えます.
土曜の朝の新幹線で東京へ,その後,京葉線で海浜幕張に出て,映画視聴後に母校で面白い写真を撮って,新幹線で戻ってくる.
帰りはバスでも良かったのですが,このネタを完遂して人に話すときに金を無駄に使ったほうが面白いという意識が出てきていたので帰りも新幹線ということにしました.本当は,映画を見て帰ってくるだけというストイックな旅程にしても良かったのですが,せっかく幕張まで出たら母校にちょっかいを出すのも面白いかと思いまして……(結局できなかったんだけど).
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そんなわけで,当日.
私は,9:44 仙台発のやまびこの車内にいました(寝坊とかではなく,指定席で取れたのがこの便だったので駅で 7:30 から 2 時間強待ちぼうけてました).
駅弁.
このときには,14:25 の上映にかなり余裕を持って到着できるので,チケット購入後の空いた時間を使って,母校の校門前でネタ写真を撮ったりして遊んでいよう,と考えていました.
事態が変化したのは,福島をでたあとでした.列車が,本来停車予定にない新白河に停車したのです.「おや?」と思っていると,「大宮−上野間の強風のため先行列車が緊急停車中」との車内アナウンス.
そう.その日は関東一円で強風のために鉄道網が大混乱中だったのです.
30 分弱で緊急停止は解除されたものの,先発電車の影響で,新幹線なのに在来線並みの速度で動く上,頻繁に信号停止を繰り返します.この時点で,当初の計画を見直す必要が生じました(特に千葉方面に出る電車が壊滅的な被害を受けていたので).
第一に思いついたのは大宮で新幹線を降りて,新さいたまの映画館でみてしまうというアイディアでした.しかし,その案は上映時間の問題で却下されます.結局,新宿よりは混んでいないと考えられる池袋で映画を見ることに決めます.この時点で,「母校でネタ写真を撮る」という計画は破棄され,本当に映画を見るためだけに上京するという非常にストイックな旅になることが決定しました.
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そんなわけで,上野から山手線で池袋へ.余談だけど宇宙兄弟のアニメ楽しみ.
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そして,ようやく,映画館!
記念にパチリ.
劇場内に,メインキャラの声優全員のサイン入りパネルが…….
……というわけで,「ストライクウィッチーズ」の映画を堪能して参りました.感想は別記事で.ちなみに,入場者特典はゲットできました.
(撮影は自宅)
--
そんなわけで,映画を堪能して,山手線で上野に移動.上野で新幹線の切符を買いつつ,ひと遊びしようという魂胆でした(「映画だけをストイックに見る」と決めたものの,ネタと笑いのために ¥25000- を使うのには,多少抵抗があったのでw).
パネル式自販機.「東京は進んでるなー」と思ったのでw
そんなわけで,上野で一旦下車.上野と言えば Hard Rock Cafe だよね?混んでたから入らなかったけどw
お気に入りの喫茶店,椿屋で一服,と思ったら,こっちも空席がなくて入れなかった(泣).ここでこーひーを飲んで「映画だけじゃなかった!」と思いたかったのに!そして,この時点で「本当に映画だけを見に東京に出た」ネタを完遂することを決意.新幹線まで,1 時間以上,間があったんだけど,駅の喫煙所でタバコ吸って潰したw アメ横冷やかしたりしても良かったのに,と今更,後悔しているw
--
はやて〜♪
帰りの車内で駅弁.
そんなわけで,仙台の自宅に着いたのは 20:00 頃.上々の出来です.実際,この時点で,ストパンの映画の満足度が高すぎて,この後に控えている「相方をギャフンといわせる」ネタに関しては,ほとんどどうでもよくなっていたのですが,¥25000- を費やしたことを思い出して,じりじりと決行のタイミングを計ります.
- なんとなく団扇代わりにパンフレットを使っている.
- スカイプの画面が写ったら,そこにデカデカと画集を掲げている.
- パンツじゃないから恥ずかしくない格好で応答.
……などなど,いろいろ考えたのですが,相手が調子に乗ってストパンの映画を見た自慢をし始めたところで,「もう,見たからw」といって驚かせるのが王道だろうと思い直し,オーソドックスに対応することに変更.
すなわち,自然にストパンの話題に移行し,相手が自慢をはじめたら悔しがり,不自然じゃない程度に「見てない人間でも想像がつく映画の展開」を語りつつ,「どうせ,そんな映画だろ?」と相手が調子に乗るように誘導した後,「でも,(映画の核心部分)は格好良かったよね?」といって驚かせる,という台本を用意しました.
そんなわけで,詰めを怠らず,不自然にならないような時間にスカイプを立ち上げ,待機.不自然じゃない時間にメールでスカイプに誘導し,台本どおり会話を開始します.
結果しか,言いようがないですが,計画は完璧に上手くいきましたw 文字通り,相方を「ギャフン」と言わせることに成功.
財布はお寒くなったけれど,ストパンの映画も面白かったし,相方をギャフンといわせることができたし,日記のネタにできたし,十分な取れ高かな,と思います.
--
ちなみに,今日は,四月馬鹿ですが,この日記の内容には,ただの一か所も嘘は書かれていません.もう,28 歳になる成人男性が,こんなアホなことをやったなんて信じられないかもしれませんが,すべて事実です.
--
追記.
今回無念だったのは,こうやって秘密裏に行動していた結果,Twitter に「ストライクウィッチーズの映画にゅっと」とつぶやけなかったのが 501st JFW OA リスナーとして無念でならない……
--
追記.
今回無念だったのは,こうやって秘密裏に行動していた結果,Twitter に「ストライクウィッチーズの映画にゅっと」とつぶやけなかったのが 501st JFW OA リスナーとして無念でならない……
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