2012年11月19日月曜日

えばQ 感想

いま 20 代後半〜 40 歳くらいまでの人間の多くがどこかしらで引っかかってしまったであろう,エヴァという巨大な釣り針に引っかかってしまった一人として,長らく公開を待ちわびていた「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」がはじまりました.……というわけで,公開初日に見てきました.……まぁ,あの時代の熱に冒された人間の背負う業のようなものです.

まず,まだ見ていない人は,「Q」を見るために「序」「破」を見直す時間があったら「本編」全 26 話と旧劇を見直すことをお勧めします(というか,「序」「破」は見ないほうがいいと個人的には思います.そのほうが楽しめるかと).加えて,「破」のときに放映された予告編を眺めておくと面白いかも知れません.そして,序破急を模したタイトルの付け方ではありますが,ただの起承転結の「転」だと思っていたほうがいいです.

【ネタバレ注意】






--

【以下,ネタバレ含みます】

この映画をみて,いちばん始めに感じたのは「相変わらず,エヴァにでてくる大人はクソ野郎ばっかりだな〜wwww」ということでしたw ヱヴァを見ていると,庵野秀明って子供の頃に,心の底から「周囲の大人」が嫌いだったんだろうなぁ,と(たしか,そんなことを延々と語っているインタヴューも見たことがあります).実際,視聴者としてエヴァを見ていても,子供の頃に大人から理不尽な扱いを受けてショックを受けたり,不条理な言葉を投げられたりした記憶が蘇ることがあるくらいなので,そういう意図での演出なのだろうとは思うのですが,いつもいつもシンジくんが可哀想で……w

あと,全編を通して,アスカが可愛すぎてヤバい.14 年もの間,世界が激変していた中で,会えもしない,触れられもしないシンジくんをただ一人愛し続けているとか,マジ可愛い.圧倒的碇ユイ信者の私ですら,アスカの可愛さにノックアウトされそうになったくらいですから,マジヤバいですw(ただし,声はだいぶ変わっちゃってました).

そして,「破」でも感じたことだけど,基本的にコネ眼鏡ちゃんの存在意義が空虚すぎてなんだか…….ただ,「ゲンドウくんのことずっと見てる(不正確だけどこんなニュアンス)」とか言ってたりするし,色々知っていることに定評のあるカヲルくんが退場しちゃったし,最終作(?)である「反復記号(一説では,コロンは毎作についているので『終止記号』であるという話も)」で超越した視点からみた物語の解説者として活躍するのかも知れませんが,よくわかりません.

--

……というわけで,個人的な考察(もどき)を含めた感想を.

この映画をひとことで表すと「価値観の反転の物語」だったと思います.基本的に,本編〜旧劇にかけて作中に描かれていた事象の価値観がまるっきり反転している物語だな,と感じました.

例えば,大きな事象では,(色んな意味で)シンジくんの「セカイを守るための戦い」が,シンジくんによる「セカイの滅亡」として描かれていた点(「セカイ系」へのアンチテーゼと読み取れる部分もある.元々,エヴァの物語自体が終末神話の様相を模しているとは思うけれど,本編〜旧劇では,最終的に [個人が] 救済される物語になっていたのに対して,すでにその時間 [本編における人類補完計画発動時] を過ぎていて,本当にセカイが終わっている)や,「人類の進化」であり,「科学による神への正統な反逆」であり,「(正邪を内包する概念としての)女神である碇ユイの復活の象徴」であり,「物語の終焉」であった(他にもあるけど,取り敢えず)人類補完計画が,今作では,「人類の絶滅(未遂)」であり,「思い上がった科学の神への無謀な挑戦(の失敗)」であり,「邪神である "綾波" ユイの人として分不相応な計画」であり,「物語の価値観の反転する鏡」であったサードインパクト(の出来損ない)として描かれていた点などがあげられます(そして,この反転によって生じた「いま」が,セカンドトインパクトとサードインパクトの間と同じく,サードインパクトからちょうど 14 年というシンメトリの構造になっているあたりが憎い演出です).他にも,「本編」では "女神(であり,全ての計画の根幹である)"として描かれている碇ユイが,「Q」では,端から邪悪な "神への反逆者(であり,マッドサイエンティストである)" 綾波ユイとして描かれていたり(余談ですが,この名字が劇中で発せられた瞬間の会場の一瞬のざわめきはなかなか面白かったですw),「本編」で,カヲルくんがシンジくんを口車に乗せて「使徒」として都合のいいように動かした末,勘違いに気付いた挙げ句,自殺幇助を頼むことでシンジくんの精神を追いつめた展開が,「Q」では,本心からシンジくんを助けるためにした行動が(これが本心であるというのは,「破」の冒頭のカヲルくんのセリフからもわかります),カヲルくんの勘違いで,シンジくんを助けられなくなり(これ,「本編」では,「アダムだと思って接触しようとしたらリリスだった」ってところが,「リリスに二本の槍が刺さっていると思って接触しようとしたら何かが違った(詳細不明)」と,反転ではないものの微妙に変化している),挙げ句,シンジくんの代わりとして,シンジくんを救うために,シンジくんの目の前で爆死して,シンジくんの精神を追いつめる展開に書き変わっていたり(至る経緯は反転していても,結論は変わらないのが救えないところ),「本編」と共通項を含みつつ,微妙に意味合いが反転している演出が多く見受けられます.

これらの価値観の反転が,どのような結末を思い描いた上で設定されたのかなど知る由もありませんが,「新世紀エヴァンゲリオン」が放散の切っ掛けになったといっても過言ではない「セカイ系」というジャンルのひとつの変換点(または,ジャンル自体への反抗)になるであろうことは,想像に難くないと思います(「本編」も個人としての碇シンジ,ゲンドウ父子は救われたけれど,セカイは終末を迎えていたので,結局,変わらないともいえますが……/苦笑).

個人的に,残念だったポイントは,セカイの価値観が反転したセカイにおいて,綾波ユイ(=碇ユイ)が,「科学」をもって無謀にも神に「反逆」しようとしたマッドサイエンティストとして描かれている点です.「本編」は,碇ユイの「愛」を科学で再構築することで「神への正統な反逆(=ユイの復活)」を行い,人類(というか,ゲンドウただ一人)が「神に勝利する」非常に美しく崇高なラストだったと(勝手に)解釈しているのですが,「Q」では,それが失敗に終わるか,そもそも「神に挑戦すること」が悪意を持って描かれそうな予感がします.これは,熱狂的なユイ信者である私にとって,キツい展開ですw

--

本作で面白かったのは,決して,「本編」で描かれていた描写(展開)を崩していないところです(この物語は一応,「本編」でいうところの 22〜24 話に相当します.加えて,NTR 好きのド変態として定評のある冬月おじいちゃんとの将棋シーンなどの散りばめられた断片を 21 話相当と読むことも可能かも).「Q」で,この「本編」の展開を余さずトレースしていることは,例えば,エヴァシリーズの 13 号機が作られることが物語のキーポイントであること,カヲルくんとシンジくんの精神の交感が,「本編」より遥かに濃密に描かれていること(石田彰の官能的な演技が素晴らしい!),シンジくんの無気力化(25 話〜旧劇)の原因が,「トウジの死(ただし,「本編」では死の描写なし)」,「綾波の交代」,「自らの手によるカヲルくんの死(自殺幇助に近い)」の三タテであったことなどからも,はっきりわかります(ただし,その描写の持つ意味は丸っきり違うのですが……/上記「物語の反転」参照).「Q」では,このあたりの,全編の内容が頭に入っているファンに対する心地よい裏切りっぷりが,非常に気持ちよかったです(「序」「破」は,確かに演出や映像表現のすごさに圧倒されたのですが,内容の上では,単なる「本編」のアップグレードでしかなかったので,「Q」において,想像していた展開や考察の類いが気持ちのいいくらいひっくり返されていくのが堪らぬ快感でした.その意味で,僕個人としては,過去 3 作の新劇の中で,本作がいちばんの作品だと思います).

まだまだ,よくわからないところが多いですが(「結局,ヴィレって何?」とか,「エヴァ改って,NERV のエヴァとどう違うの?」とか,「セカイはどの程度壊れたの?」とか,「結局,ぽかぽか綾波は初号機にまだいるの?」とか,「なんでエヴァパイロットは年取らないの?」とか),今後,それらも解決されて,エヴァという過去 16 年に渡る壮大な釣りの,本当の終わりが訪れることを期待します.

でも,まぁ,結局のところ,この物語は「ゲンドウのユイに対する世界を引き換えにできる程の愛」の物語なわけで(それは,本編〜新劇まで延々と変わらない),結末は,ゲンドウがどう納得するかっていうだけの話なんですよね…….

とにかく,いまは「反復記号(or 終止記号)」の公開が楽しみです.

--

※もっと下世話な感想(「アラフォーなマヤさんどーよ?」とか,「┌(┌^o^)┐ホモォ…」とか,「声優の声変わりが……」とか)は,また,後日,書き直しますが,見てすぐに書き記しておきたかったことは,こんな感じ.