2016年4月26日火曜日

編集がうんこ

「響け!ユーフォニアム」の映画見てきた.総集編なのは知っていたけれど,この名作アニメなら見に行って損はないだろうと思って見に行ったんだけれど,あんな名作アニメが信じられないほどのクソ映画になっていた.

とにかく,編集の仕方がうんこで,監督がなにを意図して,映画として二時間の尺を使って,なにを表現したいのかが全く伝わってこない駄作だった.テレビ放映時は,あんな名作アニメだったのに…….

基本的に,久美子と麗奈の話のはずなのに,二人の関係のステップアップがめちゃくちゃ乱暴になっているのが一番許せなかった(「愛の告白」だけを抽出すればいいんじゃなくて,なんで「愛の告白」に至るのかが重要なのに,そういう部分は全カット).なぜか,二人の物語の序章にあたる中学から引きずった二人の微妙な距離感に関する部分は完全にカットされている一方で,久美子が麗奈に愛の告白をする以外にはどうでもいい,ソロパートの再オーディションは,全体の 1/4 くらいの長尺をとる(のに,3 年生組の微妙な関係・距離感とかは全カット),せっかく映画版で,放送時間や CM に煩わされずに贅沢に尺が使えるのに,最後の県予選の演奏は途中で変にブツ切れ状態.もう,どこから突っ込んだらいいのか.本当にクソ編集すぎて,最後の方は笑えてきた.

たぶん,未来永劫,ここまでセンスのない総集編の編集はお目にかかれないと断言できるくらいのゴミ映画だったので,むしろ,この歴史的な瞬間に立ち会えたことが,ひとつの奇跡なのかもしれない.

うん,うん.これもまた,アイカツだね!

唯一の救いは黒沢ともよの演技がとても良かったことと(テレビ放映時からわかりきっているけれど),映画館の音響で管弦楽を体感できたところです.

2016年4月24日日曜日

個人的体験の共有

たぶん,いまの人は昔の人の何百倍〜数千倍も友達を持っている.

友達の機能は,基本的に噂話と内輪話の共有に要約できると思っている.そういう意味で,SNS を通して繋がっているということだけで,友達の機能は十分に満たしていると言えるし,それどころか,2ch の特定の板で無数の同系統の趣味をもつ名無しと話すことでだって,十分に機能としての友達を体験出来る.これは,インターネットのもたらした革新的な世界の形の一つだと,皮肉ではなく,本当にそう思っている.

その一方で,個人的に怖いと感じるのは,無数の友達の間で,個人の経験が拡散されることで,場合によっては,たった一人の個人的な経験が,数千〜数万の人の共有体験になってしまうことだ.

最近,「とある学校で,男性教員が女性の生理用品を『ふしだらなもの』だと思い込んでいて,女生徒の生理用品が没収された」という経験談(?)をみかけた(僕が見かけた時点で,Twitter で数千リツイートされていた).とりあえず,33 年近く男として生きてきて(妹がいたけれど),女性の生理について全く知識を持たないでいることなんてできなかったし(保健体育で習うし),そもそも,あれだけ大々的にテレビ CM で流されているものを「ふしだら」だと思いこめる神経がわからないレベルのトンチンカンさなんだけれど(事実として体験したという人が居たら,その人には大変申し訳ないけれど,僕個人としてはそんな事実があったとは信じられない),その話を発端に,男は女性の生理について何も知らないし,生理に対してネガティブな印象を持っているくらいの論調が生まれていた.

仮に,そういう男性教員が居たのだとしても,非常に不幸な出来事に,ある1つの時代の1つの学校が巻き込まれた,ということでしかないはずなのだけれど,そのつぶやきが拡散されていく過程で,「そんな不幸が事実としてあったのか」と共感した友達たちが,友達の友達に拡散していくだけで,その体験は,共感した人の数だけの一般認識になっていく(事実,僕もこういう風にブログ上で「こういう体験をした人がいるらしい」と噂できるひとりになってしまっているわけだ).これが怖い.

以前も,掛け算の順序に関する話で,掛け算の順序を逆にしたことでバッテンをつけられたとする証拠画像は,10 年近くも 2, 3 パターンの画像が拡散されていることで支えられているように見える(僕にはそう見えるというだけで,事実は調べたこともないから知らない.実態については,この問題に真剣に取り組んでいる人がいるので,そういう人の意見を参考にしてください)というようなことを書いた気がするけれど,これも,根っこは同じだと思う.数少ない経験談が多数の共有体験にすり替わっている事例だと思う.

インターネッツを通じて,簡単にたくさんの友達と内輪話を共有できることで,個人的体験が集団的な体験にすり替わっていく世界は,渡り方を気を付けないと,簡単に暴走する奔流に巻き込まれていくことになってしまう気がする(この暴走云々に関して書きたいこともあるけれど,それはまた,今度).

僕くらいか,僕より年上の古いインターネッツを知っている世代が,最近のインターネッツの世界にトゲトゲしさや危うさ(昔でいう殺伐とかとは違う)を感じてしまうのは,この友達感覚の拡張にあるんじゃないかな,というのが,最近の感想です.

2016年4月23日土曜日

プリンス死去

なんか,このくらいの世代のミュージシャンが,もう死んでしまうという事実が信じられない.僕からすると,歌手というより変な形のギターを持って凶悪なソロを奏でるギターヒーローだった人.この人の,甘いメロと全く噛み合わない凶悪なギタープレイが大好きでした.

まぁ,ファンだった,と大きい声で言えるような追いかけ方はしていなかったけれど.

本当に,一週間くらい前に,どういう流れだったか,ふとパープルレインが聴きたくなって,ゴソゴソと CD ラックからアルバムを引っ張り出してきて(つまり,iTunes に吸ってないくらい長らく聞いていなかったということ),聞いて,やっぱり格好いいな,とか思ったばっかりだったせいで,Yahoo! ニュースの記事タイトルを見たときも,訃報を読み終わっても,なんだか不思議な気分だった.しかし,本当に,ただただ残念.

余談だけれど,僕がプリンスを初めて目にしたのは,マペット放送局だったかセサミストリートだったかに(このへんは記憶が曖昧),名前が記号になった頃,なぜか出演していて,その記号になった件についてマペットにいじられるというシーンだった.あれは,小学生くらいの頃だったっけ?正確な時期も,あれが日本での初放映のときだったのか,再放送のときだったのかも,記憶が曖昧でよく覚えていない.そもそも,あれがプリンスだったということを認識するのは,プリンスの CD (パレードだった)を初めて聞いた中学の終わりか高校のはじめくらいのことだ.

ただ,マペットが「プリンス」と言いかけて,焦って記号の描かれたフリップを掲げる,というシーンだけは,当時は,プリンスを認識していなかったはずなのに,いまでも強烈に覚えている(もちろん,その後,洋楽の趣味があって,同世代だったゆえに同一の記憶を持つ人とそんな話題で盛り上がって,復習したことが何度かあるせいだとも思うけれど).

初めて聞いた CD がパレードだったせいか,パレードが一番好きなアルバムです.と,言い切れればいいんだけれど,実際,熱心なファンだったわけではなく,パレード前後の数作(まぁ,いわゆる黄金期と言っていいと思う)と,シンボルと記号時代の数作ほかパラパラしか聞いたことはないのでした.