……というわけで,今週末,ちょっくら某道央南部の白亜系に調査に行ってきます.
某道央南部は,自分の地質屋人生のスタートを切った土地でもあるので,なんだか妙に愛着があります.前回行ったのは,2010 年,地震が起こる前ですので,3 年振りの訪問になります(そのときですら,5 年振りとかだったらしいし).そりゃ,年も取るわけですよ.
この間,長らく,この土地に関する研究は,細くなったり太くなったりしながらも続けられていて,離れる,ということができないくらい自分の中の一大テーマになってしまっているという感じです.まぁ,もう,すでに 6 割がたは自分の手から離れていて,後輩たちが主役になりつつあるのですが…….
とにかく,久し振りに,白亜紀の岩をぶっ叩く仕事なので,ちょっと気合い入れていきます.
2013年6月20日木曜日
2013年6月16日日曜日
不思議
近年,SNS なんかが発展して,国民総オナニー日記公開時代というか,感情垂れ流し時代というか,とにかく,(僕のような)なんでもない普通の人が逐次に(躊躇なく?),感情とか,行動とか,そういうものを人の目に触れる形で発信することが容易になってきている時代になっていると思います.そういう事象を指して,Web の空間がリアルに近付いたとか,ユビキタスな世界が云々とかいう論評が,最早,陳腐になっているくらい繰り返されてきているくらいには,SNS やそれに付随するリアルの延長としての web 空間というものが一般化されているようです.しかし,そういう時代・風潮の是非はともかく(そんなツールを利用して身バレ上等でオナニー日記を公開している時点で否定的なわけがないんですが),世の中って,web 以前の世界で,こんなに開けっぴろげだったかなぁ,と少々疑問に思うことがあるわけです.
リアルの延長としての web 空間って,匿名であることが当たり前だったちょっと前の web の世界と違って,ある程度のリアルの繋がり(友人とか,同窓生とか,旅先で仲良くなった人とか)を,コミュニケーションの便利な web 上に移したという性格が確実にあるわけで,実際,多くの人がリアルの知人と SNS を通して繋がっているのが現状だと思います.
でも,SNS 上では,「リアルの世界で,人ってそんなに正直に情報を公開したりしないよね」というレベルの情報を撒き散らしている例って珍しくないと思うわけです(例えば,SNS がなければ,ほとんど繋がりのない同窓生が,昨日何食ったかなんて知るすべもないわけで).これは,SNS を通して,リアルの付き合いでは見えるはずがなかったものが確実に浮き上がっている,ということではないかと思うのです(卑近な例を挙げるなら,高校生が「酒飲んだー」なんて世界に公開しちゃって,2 ちゃんねらーのおもちゃになる,みたいな).
こういう風に発信された結果,見えるようになった情報が,外面の情報(飯食ったとか,どこで遊んだとか)だったら,特に気にすることもないんですが,ともすると,内面的な情報,というか感情の発露までも開けっぴろげに公開されていることすらあって,ビックリすることがあります.他者に対する悪感情とか,それって表に出していいものなのというような情報まで可視化されている世界というのは,面白くもあり,不可思議な世界だな,と思うわけです.だって,リアルでは,仲が良かった友人が悪感情を振りまく姿なんて,ほとんど接する機会なかったですし.
これが,SNS 社会が可視化した,新たなコミュニケーションか!
……とかいうことが書きたかったわけではなく…….
そんなわけで,SNS のうえで,他人に対して発する呪詛や悪意や敵意のようなものが撒き散らされているのを見ると,なんというか,「元気だなぁ」とか「エネルギーに満ちあふれているなぁ」とか思ってしまうわけです.……というか,今まで見えていなかったから,全然知りようもなかったのですが,世の中の人って,こんなに,外に対して感情を発露させて生きていたのか,という部分に凄く驚きました.
僕は,基本的に,周囲の物事に感覚的にではなく触覚的に鈍いのか,そもそも自己中心的かつ自己完結的な性格から,他者に興味を持つことがないからなのか,他者や他者との関係に腐心することがほぼありません.逆に言うと,自分が他者にどう思われているかなんて気にすることがあんまりないので,本気で他者との関係に感情を爆発させることができるっていうヒューマニティーに驚きました.人間は感情的生物なんて空想の世界の産物だと思っていましたよ……ええ…….
にんげんってふしぎ!
リアルの延長としての web 空間って,匿名であることが当たり前だったちょっと前の web の世界と違って,ある程度のリアルの繋がり(友人とか,同窓生とか,旅先で仲良くなった人とか)を,コミュニケーションの便利な web 上に移したという性格が確実にあるわけで,実際,多くの人がリアルの知人と SNS を通して繋がっているのが現状だと思います.
でも,SNS 上では,「リアルの世界で,人ってそんなに正直に情報を公開したりしないよね」というレベルの情報を撒き散らしている例って珍しくないと思うわけです(例えば,SNS がなければ,ほとんど繋がりのない同窓生が,昨日何食ったかなんて知るすべもないわけで).これは,SNS を通して,リアルの付き合いでは見えるはずがなかったものが確実に浮き上がっている,ということではないかと思うのです(卑近な例を挙げるなら,高校生が「酒飲んだー」なんて世界に公開しちゃって,2 ちゃんねらーのおもちゃになる,みたいな).
こういう風に発信された結果,見えるようになった情報が,外面の情報(飯食ったとか,どこで遊んだとか)だったら,特に気にすることもないんですが,ともすると,内面的な情報,というか感情の発露までも開けっぴろげに公開されていることすらあって,ビックリすることがあります.他者に対する悪感情とか,それって表に出していいものなのというような情報まで可視化されている世界というのは,面白くもあり,不可思議な世界だな,と思うわけです.だって,リアルでは,仲が良かった友人が悪感情を振りまく姿なんて,ほとんど接する機会なかったですし.
これが,SNS 社会が可視化した,新たなコミュニケーションか!
……とかいうことが書きたかったわけではなく…….
そんなわけで,SNS のうえで,他人に対して発する呪詛や悪意や敵意のようなものが撒き散らされているのを見ると,なんというか,「元気だなぁ」とか「エネルギーに満ちあふれているなぁ」とか思ってしまうわけです.……というか,今まで見えていなかったから,全然知りようもなかったのですが,世の中の人って,こんなに,外に対して感情を発露させて生きていたのか,という部分に凄く驚きました.
僕は,基本的に,周囲の物事に感覚的にではなく触覚的に鈍いのか,そもそも自己中心的かつ自己完結的な性格から,他者に興味を持つことがないからなのか,他者や他者との関係に腐心することがほぼありません.逆に言うと,自分が他者にどう思われているかなんて気にすることがあんまりないので,本気で他者との関係に感情を爆発させることができるっていうヒューマニティーに驚きました.人間は感情的生物なんて空想の世界の産物だと思っていましたよ……ええ…….
にんげんってふしぎ!
2013年6月15日土曜日
ないなら作ればいいじゃない
過剰にコンテンツを消費した後にときどき発生する「なにをみてもしっくりこない」感じに名前つけようぜ!
……というわけで,そんな感じになりつつある今日この頃です.過剰にコンテンツを消費していた数ヶ月前からしばらくたって,今年度に入ってからは,新規になにを消化しても「しっくりこない」感じに陥っています.そのせいで,最近は,コンテンツを反芻してばかりです.
「そう,そんなとき,僕には,解決策があったじゃない!」
……と,思いついたのが,つい先日のことです.
--
あれは,中学から高校にかけての時期だったと思いますが,当時の僕は,中二病真っ盛りで(いまもだけど),それはもう,読書の虫で活字中毒者でした.その頃(いまもだけど),ひたすらに読んでいたのが純文学でした(中二病だったから).そして,散々読みあさった挙げ句,「しっくりこない」感覚に陥ったときに,ふと,「しっくりくるものがないなら自分で作ればいいじゃない」と思い立ってはじめたのが,創作活動でした(中二病だったから).
そんなふうに,文字を書くことをはじめた結果,今に至る「取り敢えず,文字の羅列を作ることが大好きな自分」が形成されたわけですが,「(物語を)書くぞー」という強い欲求は,なんだかんだで大学時代くらいに徐々に薄れていって,その後は,ブログやらこの日記やらで書き散らす記文や随想で「文字の羅列生成欲」が満足するようになり,最近では,ついったーで文字の羅列にも満たない戯れ言を垂れ流したり,思い出したように日記にレビュウを書いたりするだけで,最早,「文字の羅列欲」がるのかどうかすら怪しくなっていました.なんというか,形を為さないものを放り込める場があると,形を為すまで自分の頭の中で捏ねくり回す習慣すら失われてしまう,ということなのだと思います.いつだったか,それこそ web-log が blog に成り代わった頃に,HTML で web 日記を書いていた人が blog に移行して,「文章」を書かなくなった云々なんて言われ方がされていたものですが,それでもなお,blog という媒体は,それなりの文章にしなければ種を撒けない土壌であったのだと思います.ついったーのような脳直で文字を垂れ流せる「つぶやき」とは違います.そういう場の善し悪しはともかく,確実に「つぶやき」は,(少なくとも僕からは)頭の中で熟すべき種を奪っていったとだと言えます(大喜利的なネタはともかく).
……閑話休題.
で,本題は,そんな僕の誰も望んでいない web 自分史なんかではなく,創作活動についてです(そもそもこんな日記自体,誰も望んでいないという真実には目を伏せて).
「自分好みの百合が得られないなら自分で書けばいいじゃない!」
……というわけで,最近(昨日から),しこしこと久し振りに(多分,5, 6 年振り),小説を書きはじめたりしています(プロットはもうちょっと前から捏ねくっていたけれど).そうはいっても,自分にはほかに書くべきもの(論文とか論文とか論文とか,あと今月末が締め切りの研究計画書とか)があるので,一日に決めた短い時間だけ,創作活動に耽溺しています.
そうやって,久し振りに,物語を紡ぐ,という作業をやり始めると,やはり,楽しいもので,しばらくは,これを趣味に生きて以降かなと思った次第であります.
なお,完成しても自分が楽しむ以外の用途に使う予定のない,自分の自分による自分のための百合なので,悪しからず.
……というわけで,そんな感じになりつつある今日この頃です.過剰にコンテンツを消費していた数ヶ月前からしばらくたって,今年度に入ってからは,新規になにを消化しても「しっくりこない」感じに陥っています.そのせいで,最近は,コンテンツを反芻してばかりです.
「そう,そんなとき,僕には,解決策があったじゃない!」
……と,思いついたのが,つい先日のことです.
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あれは,中学から高校にかけての時期だったと思いますが,当時の僕は,中二病真っ盛りで(いまもだけど),それはもう,読書の虫で活字中毒者でした.その頃(いまもだけど),ひたすらに読んでいたのが純文学でした(中二病だったから).そして,散々読みあさった挙げ句,「しっくりこない」感覚に陥ったときに,ふと,「しっくりくるものがないなら自分で作ればいいじゃない」と思い立ってはじめたのが,創作活動でした(中二病だったから).
そんなふうに,文字を書くことをはじめた結果,今に至る「取り敢えず,文字の羅列を作ることが大好きな自分」が形成されたわけですが,「(物語を)書くぞー」という強い欲求は,なんだかんだで大学時代くらいに徐々に薄れていって,その後は,ブログやらこの日記やらで書き散らす記文や随想で「文字の羅列生成欲」が満足するようになり,最近では,ついったーで文字の羅列にも満たない戯れ言を垂れ流したり,思い出したように日記にレビュウを書いたりするだけで,最早,「文字の羅列欲」がるのかどうかすら怪しくなっていました.なんというか,形を為さないものを放り込める場があると,形を為すまで自分の頭の中で捏ねくり回す習慣すら失われてしまう,ということなのだと思います.いつだったか,それこそ web-log が blog に成り代わった頃に,HTML で web 日記を書いていた人が blog に移行して,「文章」を書かなくなった云々なんて言われ方がされていたものですが,それでもなお,blog という媒体は,それなりの文章にしなければ種を撒けない土壌であったのだと思います.ついったーのような脳直で文字を垂れ流せる「つぶやき」とは違います.そういう場の善し悪しはともかく,確実に「つぶやき」は,(少なくとも僕からは)頭の中で熟すべき種を奪っていったとだと言えます(大喜利的なネタはともかく).
……閑話休題.
で,本題は,そんな僕の誰も望んでいない web 自分史なんかではなく,創作活動についてです(そもそもこんな日記自体,誰も望んでいないという真実には目を伏せて).
「自分好みの百合が得られないなら自分で書けばいいじゃない!」
……というわけで,最近(昨日から),しこしこと久し振りに(多分,5, 6 年振り),小説を書きはじめたりしています(プロットはもうちょっと前から捏ねくっていたけれど).そうはいっても,自分にはほかに書くべきもの(論文とか論文とか論文とか,あと今月末が締め切りの研究計画書とか)があるので,一日に決めた短い時間だけ,創作活動に耽溺しています.
そうやって,久し振りに,物語を紡ぐ,という作業をやり始めると,やはり,楽しいもので,しばらくは,これを趣味に生きて以降かなと思った次第であります.
なお,完成しても自分が楽しむ以外の用途に使う予定のない,自分の自分による自分のための百合なので,悪しからず.
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