僕の好きな漫画家である施川ユウキ先生が,「美しい親子愛」だの「世界はかくも美しい」だのの陳腐な感想と違った,ちょっとだけ面白い感想を上げていたので,その紹介をかねて,ひとことふたこと追記をしようかと思った次第です…….
施川先生の感想(未完)はこちら.
--
施川先生の
"これは、語り部である雪が母の半生について、一大叙事詩のように語る英雄譚だ。"
……という視点は,自分の持っていなかった視点なだけに,「英雄譚」だったのか,とちょっと驚きました.雪が語る「母の思い出」としてしか見れていなかったし,とても花が "英雄" として語られている(描かれている)とは思えなかったので.
ただし,作品の大部分を占めるリアリティーのなさに対して「語り手の未熟」(の表現)に帰結させるのは,無理があるかと思います.基本的に,細田監督の表現力と観察眼のなさに起因するものとしか思えないので(前回の感想記事参照).そして,リアリズムの所在は,ファンタジーとしての「英雄観」にとって欠かされる要素でもないからです.
おそらく,ここで議論にあがっている「リアリティー」というのは,鑑賞する人にとっての価値観や経験に起因する,作中描写の正確さや回想の正確さに対する批評を指すものなのでしょう(「子育てはもっと大変だ」とか,そういう類いの実のない批評).僕のいいたいのは,表現や手法の上でのリアリズムの問題であって,根本的に突っ込みどころが違います(前回の感想記事参照).
ただし,花とお父さんの恋愛パートに関しては,童貞の妄想的な恋愛表現だったのは,語り手が二次性徴前後の女の子であった手前(そして,そんな年の子に母が伝えた物語である手前),仕方がなかったのかもしれない,と思い直しました.
結局,何が言いたいかというと,施川先生のいう「花が語った話を雪が英雄譚として物語る」という構成で読み直すと,ちょっと印象が変わったな,ということです.ただし,施川先生が,まだ結論を出していない,
"英雄伝説が誕生するプロセスに対して、リアリティがあるかってことの方が重要。
「英雄は語る者によって作られる」という現実を描けているのか、という。"
……という問いに関しては,「描けていない」と思ってはいます.