2011年3月14日月曜日

震災被災記録3:徒歩での帰宅

一日目「徒歩での帰宅」

地震による停電のため,信号が機能していないこと,災害時の鉄則として,緊急車両の通行を妨げないようにすること,などの理由から車を大学に置いて,徒歩での帰宅を決断しました.それならばと,研究室のメンバー(八木山組)でかたまって帰ることになりました.

取り敢えず,事前に八木山橋不通の連絡を受けていたので,川内から御霊屋に抜けて帰るルートを選択しました.

川内に降りる途中,何カ所かの道路の亀裂,陥没を確認しました(後にこの程度は小規模な被害だったと思い知ることになります).しかし,その時点ではほとんど情報がなかったこともあり,メンバーは割と気楽な遠足気分でした.具体的には,川内で,仙台城趾の門が崩壊しているのを確認しては,みんなで写真を撮る程度の余裕がありました.また,就活を抱える M1 が「明日,面接があるんですけど,どうにかして行けますかね?」なんて言っていました.

途中,yahoo ニュースをみて,この地震に気象庁が名前を付けたこと,マグニチュードが 8.8 に上方修正されたことなどを確認して,地震の大きさを改めて実感しました.全員が地質学徒ゆえ,日本近海の地震で,そのマグニチュードの地震が起こったことの衝撃は即座に理解できました(逆に,震源が近いにも関わらず,あまりにも周りの様子が平和で,「本当にそんな規模の地震なのか?」という疑問もあったくらいです).

川内を抜けてしばらく川沿いを歩いていると,土砂崩れで道が封鎖され,御霊屋側に渡ることができないことが発覚しました.そのため,愛宕大橋を通らないと八木山へのアクセスができないことになりました…….

どちらにしろ,自宅へは帰らねばならないため,覚悟を決めて愛宕大橋へ向いました.途中,個人商店で水や食べ物を購入しました.すでに電気が落ちていたので,ロウソクの灯りで手元を照らして,ソロバンで会計がなされていました.電気を使わない設備の強みをみました.

周囲の被害状況がわからないこともあり,当初は,全員で共同戦線をはるという案も出ていたのですが,歩いている限りでは,何カ所かの地割れや土砂崩れを確認した程度で,ほとんど建物の被害がなかったことなどもあり,みんな楽観的になって,テキトーに個々人で乗り切ろう,という流れができていました.そのくらい,街は平穏でした.その時には,月曜日には学校に行って散乱した本の片付けをしないとなぁ……,なんてことを考えていました.まぁ,入手可能な情報がニュース記事のヘッドライン程度だったのですからご容赦を(この時点では津波のニュースはほとんど速報しかなかった.もちろん,市街地の被害については全く情報なし.まして,茨城沖の地震,関東の被害なんて,ほとんど情報が入っていなかった).

結局,二時間~三時間かけて学校から家まで辿り着きました.着いたのは七時過ぎでした.もちろん,日が落ちてからは,電灯もつかない真っ暗闇でした.周囲に明かりがないせいで,良く晴れた星空がとても綺麗でした.

家に着いて,電気,水道が止まっていることを確認しました(ガスはプロパンなのでボンベの持つ限り大丈夫.ただし,ボンベの交換はいつになることやら……).

また,同じマンションの oanus 氏は部屋の中のものが倒れていたため,内扉が開かず,部屋に入れない状況でした(結局,いまは緊急時,ということで,扉のガラスを破って中には入れました).

取り敢えず,その日は,電気も通らない状況で,翌朝まで動きようがなかったので,空腹を紛らわせるために,学校で支給された乾パンを齧り,翌日以降に備えて布団に入りました.しかし,結局,余震のたびに目が覚めてしまい,熟睡できたのは日が明けるころのことでした.

「地学巡検・前編(八木山)」に続く.