2011年3月30日水曜日

震災被災記録5:地学巡検・後編(長町)

二日目「地学巡検・後編(長町)」

(※無計画に書きはじめたので,登場人物が増えてきたのに同一人物を章によって別の呼び方してたり,文体が安定していなかったりがありますが,全編書き終わったら,最終的に全編をリテイクするつもりなので,ご容赦を…….いちおう仙台脱出までの話を書くつもりです)

同期と K 先輩の来訪で昼寝から目覚めました(来客用の原始的なブザーは生きていたのです).軽く準備して(といっても何があってもいいように普通にジャンパーまで着た状態で寝ていました),長町へ向かいました.

長町へ向かう道の途中,瀧沢寺の裏の墓地の横を通りました.墓地内はさほど被害を被っていなかったのか,新型の耐震墓石が多かったのか,墓石の倒壊は,多くはありませんでした(これは結構驚きました.卒塔婆や燭台やお供え物の散乱の方が気になる感じでした).しかし,古そうな墓石は,いくつか倒れていました.

鹿野小学校の脇を抜けて,286 号線に抜ける道を長町南方向に出る途中,八木山よりも表面的な被害が目につきました.特に店舗の看板の崩落,外壁のモルタルや吹き付けたコンクリートの剥落などがかなり目につきました.また,ガラス張りの美容院のガラスが割れている,車の営業所(日産)の天井に埋め込まれた空調が天井を突き破って落ちてきているなどのかなり大きな被害が目につきました.

我々は,286 号線を横断し,長町南のモールを目指しました.基本的に通電していない地域では信号もついていなかったのですが,主要幹線である 286 号の大きな交差点の信号はついていました.因みに,横断中に,286 号線の中央線付近に,かなり大きな地割れが起こっているのに気付きましたが,すでに地割れ程度は見慣れてしまっていたためか,さほど気にならなくなっていました.

モールに抜ける道に入ってしばらく歩いた後,遠目で仙台南郵便局を見て愕然としました.僕も,モールでの買い物ついでに頻繁に利用する郵便局だったのですが,二階建ての一階部分が潰れてしまっていました(このときはデジカメが学校の崩壊した本のどこかに埋もれている状態,携帯は充電切れでカメラとして使えず,写真等は撮れませんでした).急いで近くに寄ると,その悲惨さは目を覆うばかりでした(地震の発生は午後 3 時前,間違いなく郵便局には人がいた時間です.どうであったのかは知りませんが,重傷者や死者が出ていないことを心底祈っています).また,郵便局の隣にはグラウンド(?)のような赤土がむき出しになっている広い空き地があるのですが,そこにはほぼ南北方向(ちょっと記憶が曖昧なので違うかも知れません……)の大規模な地割れが走っており,広場の一角を液状化した泥水が覆っている,という状況でした(これをちゃんと写真等で記録しておけば立派な地質資料になっていたはずですが,これも記録できていません…….無念).その付近の歩道は,至る所でたわみやアスファルト割れが起こっていました.これらは,アスファルトの下の砂層が液状化した結果だと思われます.

長町モールの周辺は,もっと酷い液状化が起こっており,特にモール周辺の歩道はたわんでいないところを探すのが大変な状況でした.また,至る所で液状化した泥水が噴き出した後,泥水として吹き出してしまった結果,アスファルトの下の砂層がなくなったことであいた穴,アスファルトのたわみ,地割れなどが観察できました.長町に降りてくるにあたって,ちょっとだけ「モールが在庫の処分で物資を販売しているのではないか」という希望を持っていたのですが,あっという間にそんな幻想はぶち殺されてしまいました.恐らく,モール内部も床が歪んだり,床が抜けたり,泥水が噴き出したりといった被害が出ていたのではないかと思います(当然,敷地内は広い駐車場を除いて立ち入り禁止になっていたので実際にはどうなっていたのか確認していません).また,店内入り口のガラスの自動ドアが割れている場所も多々ありました.

モールの物販を期待していた我々は,ちょっと気落ちしながらモールをぐるりと一周するようにして,286 号に戻っていきました.途中も液状化の痕跡,地割れ,穴などが飽きるほど見られました.また,途中,多くの個人商店などがありましたが開いている店は,ほぼありませんでした.本当に被害の少ない八木山は特殊なんだな,と改めて思ったのを覚えています.

その後,我々は 286 号に沿って西進しました.286 号は山形方面の左車線だけに大量の車が並んでいました(この列の正体は,のちに仙台を脱出するときに判明したのですが,遥か先(数 km)のガソリンスタンドに並ぶ車の列でした.このときは「山形に脱出しようとしている人が多すぎて車がスタックしているのか?」とか話していましたが……).

286 号線沿いの店舗も基本的には営業していませんでしたが,焼き肉屋が一件,店の前で在庫の肉を焼いて販売していました.また,そのすぐ近くのケーキ屋では,ケーキのスポンジ,クッキー,洋菓子類,たまごなどを販売していました.そこで,K 先輩が「パンがないからケーキを食べよう!」というギャグを思いついたため,三人でケーキのスポンジを購入しました.

286 号からマミーバーグの脇を抜け,三神峯公園沿いの道を登って八木山に戻りました.途中,付近の避難所に指定されている芦口小学校を通りかかったので,中の様子を確認しました.芦口小学校は,八木山小学校とは異なり,体育館を開放して本格的に避難民を受け入れている状況でした.体育館の中には,ストーブが炊かれ,避難している方々が毛布にくるまっている,という TV でみるような「避難所」そのものの様子でした.それが地震の現実なのに,本当に運良く自分とその周辺が無事だったおかげで,現実と自分が乖離しているような気がして,ちょっと混乱するような変な気分になったのを覚えています.取り敢えず,次に大きな地震がきて自分の家の周辺がダメになったらここに来ればいいのだな,という情報をインプットして自宅へ戻りました.

帰りがけに,三人で近所の個人商店に寄って,まだ辛うじて残っていた野菜を少しだけ購入しました(市街地が意外とダメージを受けていることなどをみて,ちょっと危機感を持ちはじめていました).K 先輩と同期は,「どうせ明日も明後日も仕事なんてできないんだから飲もう!」なんて空元気を振り絞って,ビールを購入していました(僕は完全な下戸なのでジュースを).

そのままのテンションで,同期の家に集まってなんだかよく解らない乾杯をしました.

「被災後ティータイム」に続く.