「放浪息子」を読んでいて,ふと思い出したこと.
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女装欲なんて持ったことはないし,お祭り的なハレなハイテンションでのお巫山戯の女装くらいしかしたことはないけれど,もし,自分が女装できるくらい「可愛かったら」,女の子の格好をしてすごく可愛くなりたい,という欲求は分からないでもない感情だと思います.おそらく,それは,もし,自分がイケメンだったらあーいうファッションをしたいとか,自分がもっと華奢だったらあーいう格好も似合うのかもな,というファッション誌を眺めつつ憧れる感情とか,そういう感情に近いと思うからです.まぁ,いまではファッションに無頓着なおっさんになってしまい,そんな感情とも無縁にはなっているのですが(ファッションは,自分のサイズに合うかどうかが最重要事項!).
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それとは別に,自分が「女の子」になりたいと思ったことがあった,という事実を,唐突に思い出しました(ゲイ話とか性同一性障害話とかではないので,BL 展開を期待している腐った人は読まなくていいですw).
それは,僕が百合とかエスとか,そういう世界に目覚めた中学〜高校にかけての頃(この話はこの話で長くなるのでここではしませんが),今みたいに「百合」がサブカルの中でもジャンルとして確立していなかった頃のことなので(「百合」が本当に隠語だった頃です),そういうジャンルの本なんてほとんど手に入らないし,手に入ったところでおおっぴらに読むことも出来ませんでした(たしか,吉屋信子ですら再発されてなかったんじゃないかな?いまは百合が一般化して,女の子同士の友情ものみたいなライトなものから,性交を伴うガチなものまで,よりどりみどりで選べるなんて,夢のような世界ですね!).当時は,本当にそういうジャンルのものを集める術がなくて(15 年くらい前なのでネットも今みたいな状況じゃなくて,本当に情報すらほとんど手に入らなかったのです),限られたお小遣いで普通の小説に少女小説を挟んで購入しては(恥ずかしいから),その数少ない何冊かをぼろぼろになるまで読む,なんてことを繰り返していました.
そんな当時の僕の「百合欲」が,中高生特有の膨大な妄想力で暴走した結果,「自分が女の子になれば自在に百合れるのかなぁ……」と考えて,自分が「可愛い女の子」になって,「ある女学校に入学した私を,憧れの先輩が『お目』にしてくれる日々」なんかを妄想しては,性欲とは違う微妙な感情の渦に飲み込まれて,結果,自慰をして,罪悪感とも絶望感ともいえない感情と射精後の,いわゆる賢者モードな虚脱感のなかで呆然とする,なんていう日々を過ごしていたのでした.
今思い出してみても,心の底から気持ち悪いのですが,趣味として百合ものの小説を書いている今,「自慰→呆然」の過程を除いたら,ほとんど同じような感覚でものを書いているなぁ,と気が付いて愕然としたりしてしまいます.
……とか,書いていたら,もうひとつ,決定的に気持ちが悪い,「女の子になりたかった」話を思い出したのですが,こっちは,長くなるので,今度,別記事で書こうと思います.
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その次に,「女の子」になりたいと思ったのは,高校三年の秋〜冬にかけての時期でした.こっちは,ちょっと先に書いた話とは毛色が違っていて,僕の百合好きとは無関係な話です.
当時,僕には,付き合っている女の子がいて,この子が,いわば「放浪息子」の高槻くんみたいな「女になりたくない(と思い込みたい)」女の子だった(と僕が当時思っていた),という話です.未だに,この頃の人間関係とかが完全に消滅しているわけでもない話だし(SNS の弊害),あんまりリアルな話は,登場するかもしれない人を傷つけるかもしれないので,自分の中で消化してからうすーいフィクション(出来れば,僕が究極に気持ち悪い人間になるようなギャグ)にできたら公開しようかな,と思います.