2014年3月25日火曜日

書店考

今日,たまたま,欲しい本があったことと,仙台帰りで日中に駅前に居たこととで,市内の大型書店を巡って,その本(ちょっと前に出た本ではあるものの,メジャーなもの)を探して歩いたのに,見つからなかったという徒労の中で,ちょっと考えたこと.

ちなみに,数日の旅行帰りだったので,荷物も多く(ちょっと研究関連の打ち合わせもあったから諸々の資料も持っており,普通の旅行よりは過剰に荷物もありつつ),過度に疲れたという側面も否定できないものの,基本的には「街の書店の存続」を願う側の自分ですら,やや現行の書店システムに不満を感じてしまうような暗黒面に落ちかけたのでした…….

基本的に,本を買おうと思う際に,何を重視しているのか,ということが,書店という存在を決定づけているものだと思います.僕の場合,大きくわけて,(1)中の情報が欲しい,(2)冊子体で手に入れたい欲求がある,(3)ビブリオグラファー的な視点からその一冊が欲しい,という 3 つの段階があります.もちろん,ほとんどの場合は(1)で,(2)はそんなに多いことではなく,まして(3)は,ほとんど起こらない欲求ですが,稀にそういう欲を刺激される程度には「物」に対して欲を持っていると言えます.これを,買う本の種類で分けるのであれば,僕の場合,(1)は教科書や学術書,新書,ハウツー本,雑誌,ちょっとした合間に読みたい小説など,(2)はマンガ,じっくり読みたい小説など,(3)は絶版本(主に教科書),特定のものが乗っている雑誌,古い限定本などのいわゆる稀覯本などにわけることが出来ます.

僕の場合,ある程度の電子書籍は当然,生活に組み込まれていて,論文,教科書(ぶった切ることに抵抗がない自炊済みのもの),青空文庫,冊子体が邪魔になる類の本(情報系の雑誌,新書が多い.大体の場合,(1)の本に当たりますが,「青空文庫」に関しては,単純に金銭的な問題です / 笑)などは,電子書籍として利用しているものの,Phycho-Pass の槙島さん的な意味で,「紙の本が好き(要は(2)的な感情)」なので,結構な数の本は冊子体を購入しているのが現状です(単純な好みの問題で,電子書籍がどう変わればいいとか,そういう問題でもないのです.ページを捲る感覚,リズム,積むことによる存在感,重量感などの物質的な存在.[愛読書になればなるほど馴染む] ザックリとした検索性能.書き込みの利便性.読み込まれることで古く壊れていく過程などなど,本と自分との間にある物理的なやりとりが好きなのです).

そこで,冊子をどう買うか,というのが僕の中での問題になります.

僕は,普通の人に比べると,Amazon のようなネット通販をはじめたのが遅く(これは,単純にクレジットカードを持ったのが遅かったということで,ネット通販にアレルギーがあったとかではないです),5, 6 年くらい前までは,基本的にどんな本に関しても新古書店に足を運んで購入していました.まぁ,本を能動的に買うようになってから今まで,基本的に都市部に居住していたので,よほどのことがない限り手に入らない本というのは,なかったように思います(とはいえ,古い教科書なんかは古書店を巡っても手に入らなかったりしたことはありましたが,そういうときは諦めるということも,当時は,知っていました).

しかし,Amazon をはじめとしたネット通販を利用し始めると,その辺の状況が一変しました.まず,よほどの稀覯本以外は「諦める」ということが出来なくなりました.それと同時に,ちょっと探すのに苦労しそうな本だったり,実物の状態・内容を問わずに手に入れたい本(絶版古書とか,取り敢えず外れなさそうな教科書とか,特定の作家の本とか)だったりした場合,ほとんど書店に行くことはしなくなりました.まぁ,それで,さしたる問題が生じたことはないのですが,どうしても,中身を確認してから購入したい本であったり(複数の同系統の本のうちの一冊を選びたい,とか),本そのものに愛着を持ちたかったりすると,書店で実物を確認したくなり,書店に赴くことも多いです.なにより,書店という空間で,じっくり時間をかけて本を選ぶ,という作業にも愛着があるんでしょう(紙の質感とか,印刷とか,装丁とか,下らないことも含めて,この作業を経ているかどうかで,結構,良書を選り分けることが出来るものなのです.何も考えずに Amazon でポチって失敗することはあっても,この過程を踏んで,外すことは,ほぼないので,資金力に限りのある貧乏人にとってはバカに出来たことではありません).もちろん,本屋で運命的に(と自己満足に浸りつつ)良書と巡り会うという快感もあります.こういうことは,(良くも悪くも)雑多にたくさんの本が並んでいる,書店という空間ならではの快感だと思います.

もっと気持ちの悪いことを言うと,僕の求めている本が(1)ではなく,(2)に属する場合など,いわゆる(そして,最近,某作家のツイートで話題になった)研磨本の件など,どうしても実物の状態が「いい」ものが欲しくなることだってあります(通販で,傷のついた本を掴まされた経験など,僕でなくてもあるでしょうし,それは,気持ちのいいものではないという感覚は,研磨本に対する忌避感に比べれば,一般的だと思います).

そんなわけで,僕は,書店が好きです.当然,(僕にとって)冊子である必要がない「情報」であれば,どんどこ電子化していって欲しいと思います.また,Amazon をはじめとしたネット通販,日本の古書店などの古書店ネットワークなどの利便性は,とても大きいものだと思いますし,それは,今後,もっと発展していって欲しい分野です.しかし,やっぱり,書店には,今後も存続して欲しいとは思います.

しかし,まぁ,今日の徒労でも感じたことですが,書店というシステムは,完全に時代に取り残されているのだなぁ,と感じることもままあります.空間的な制約による在庫の有限性,書店員の数とワークバランスの結果生じる選書や管理の不徹底,知識不足などのどうしようもない部分に関しては,まぁ,そういう不便さに対する愛着も湧くものですが,未だに,クソみたいなインターフェイスの無能検索機を堂々と置いていたりする無神経さなんかには,腹が立つことが多いです.

完全なる斜陽業種で,いずれ消え往くことが決まりきっている存在でもあるのでしょうけれど,願わくば,僕がそれを楽しみたい限りは,存続してくれることを.