敢えて何も言わないのも,また,なんだか無駄に意識しているようで格好つかないんじゃないかと思ったり,そういう,変な意識の仕方をする時点で,ダサいんじゃないかと思ったり,そもそも,ダサかろうが格好がつこうが,そのこと自体にはなんにも意味がないということに気付いたり.
どうやっても,震災を意識せずにはいられないのは,結局,あの日,あのとき,あの場所に居たという事実が,自分の中で大きい出来事だからだと思う.
あの震災から 3 年間経って,その間に,自分にも色々な出来事があった.学位を取ったり,就職したりという大きな出来事から,小さな出来事まで色々.そういう出来事の全てが,結局,あの震災を末端で経験したことに多かれ少なかれ影響を受けていて,その結果に,今の自分が居るんだと思うと,不思議な気分になる.多分,あの経験がなければ,僕は,ここに居ない.
地球科学者の端くれとして,あの日を経験し,その後,立場上,震災に関係する仕事も多くなった.たぶん,そういう中で,単純な学究ではなくて,自分の知識・技術を社会に還元したいという欲求が生まれ,今の自分に至るんだろうと思う.
よりによって,あの震災から 3 年目の今日,ちょうど津波堆積物の研究に関連した作業をしながら,そんなことを考えた.