2011年12月31日土曜日

2011 年

今年もあと 20 時間を切りましたね.そんなわけで,毎年恒例というか,まぁ,年の区切りに,ということで,今年をざっと振り返ってみようかと思います.

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1 月.

2010 年度で学位を取らないことが決定したので,最後のデータだしをがんばっていたような記憶があります.とても便利な時系列データ蓄積所である Twitter を振り返ってみると,学位取得遅延が決定した直後のネガティブさに比べると精神が安定している様子が伺えます.あと,どんだけ「まどマギ」にハマっているのか,とw

……そして,懐かしいな,この位置の机…….

あと,こんなこともしてた.平和な風景だなー.

あと,新燃岳の噴火もこのころだったかー.

2 月.

本来の予定では, 3 月末に原稿提出→ 6 月学位取得という流れであったため,この時期は原稿に集中していた気がします.そして,英語原稿書きになぜかよくハマったのでレゲエばっかり聞いていた気がします.

この月に New Zealand で地震がありました.クライストチャーチは中学のときにホームステイで New Zealand に行ったときに飛行場だけ経由したことがある都市だったので,ちょっとショックを受けた覚えがあります.

この頃は平和だったなぁ……(しみじみ).

3 月.

前半は D 論の原稿に集中していました.うん.ちょうど,「今週中に結果まで書き上げて師匠に添削を頼もう」とか思って,化石の検討結果(数値データ)を色々といじっていた頃だったような気がします.

んで,コレwww


このつぶやきのあと,その日の夕方に予定されていた後輩の追い出しコンパのお金を下ろしに行こうとして,途中,トイレに寄ったところであの震災に巻き込まれました.当時の詳しい状況は,絶賛更新遅延中の被災記録でご覧ください.

この震災のあと,3/15 に仙台を脱出して,札幌にて北大に潜伏して D 論の執筆を続けました.

学生の身の上では仕方のない事態だったとはいえ,8 年も在籍していながら学位論文だけを母校に提出しない,という暴挙をおかした学生を暖かく受け入れて下さった北大の先生方には本当に頭が上がりません.割りとマジで.

なお,震災直後の僕の居室はこんな感じでした.

あと,僕の居室の地震真っ最中の動画(後輩撮影).途中で,僕の声(通路断裂云々言っているやつ)が入っていますが,めちゃくちゃ震えているのがリアルですw まぁ,これを見返すと,未だに,ちょっと恐怖が蘇りますがw

4 月.

学校が閉鎖されたため,初旬まで北大に潜伏していましたが, 4/6 に小樽−新潟便で仙台に帰還しました.そして,帰った翌日にこんな事態続き)にwww

ある程度片付けが終わるまではバタバタし続けていた気がしますが,この時期には D 論の修正作業に入っていました.そして,9 月卒業が決定したのもこの時期だったような気がします.

5 月.

震災のお片づけもほぼ終わった時期.いや,本当はこの後も長らく戦いが続いたのだけれど,いちおう.

震災でみんなが書棚の整理をしてくれたおかげで,自分の本棚が充実したりしましたw

あと,この程度にはネガティブだったようですw

6 月.

D 論の最終追い込み時期.月末に予備審があったらしい.

7 月.

こんなことやったりしていました( http://twitter.com/#!/yuri_kreta/status/89334396481585152
http://twitter.com/#!/yuri_kreta/status/89352769621860352 ). これは,真面目にビビったなぁ…….

7/11 に D 論の一次提出だったようです.

あと,本審査前にこんなことやっている余裕はあったらしい.

7/25 に D 論が査読から帰ってきている.

8 月.

8/1 に D 論本審査,8/10 に D 論の最終提出があったらしいです.正直,この時期の記憶は曖昧なので,Twilog を漁りながら,「こんなことあったなぁ……」という印象です.

あと,この月から博物館の勤務がはじまりました.

9 月.

この時期もかなり記憶が曖昧です.なんだかんだ言って,D 論が終わって腑抜けていたのだろうなぁ,と思います.

9/8 に学位論文受理,9/26 に卒業式でした.今年は,震災からの復興を意識するために 9 月卒業の人のためにも式や祝賀会が開催されるということで,参加したりしていました.

10 月.

9 月下旬から 10 月上旬にかけて,博物館のイベントにかり出されていたこと,10 月中旬にフランスへの渡航準備に奔走していたこと,10 月下旬〜 11 月のはじめまでフランスに行っていたことは覚えています.

8 月〜9 月に腑抜けすぎていた心がフランス調査を境に復帰できたのがラッキーでした.ポスドクとしての立場に目覚めたり,震災以来揺れていた自分の将来という漠然とした何かに対して,あるきっかけで吹っ切ることが出来たのもこの時期だったかと…….

11 月.

本気出してたw

この時期は,卒論生,修論生をポスドクという立場で見ることで,やたらと脳が先鋭化していた記憶があります.D 論でやられすぎていて,いつもニコニコしている優しいうすらバカの Kretacea 先輩という仮面を剥いだのもこの時期かと.

12 月.

11 月が他人の面倒を本気で見ていたのに対して,12 月は自分の仕事に本気を出していました.

「Kretacea 先輩はいつも顕微鏡かパソコンに向かっている」という印象を,「Kretacea 先輩は岩石処理魔」という印象にクラスチェンジさせることに成功(たぶん).自分でも,見失いがちだった自分の研究の本道(地道に調査,地道に岩石処理,地道に顕微鏡覗き)を思い出せました.

後は論文を書くだけだ!

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……と,振り返ってみたけれど,本当に濃い一年でした.多分,自分の人生で一番濃い一年だったのではないかと思います.初筆頭論文の出版,震災,学位,ポスドク生活……思い返すと色々ありますが,とりあえず,人生的な意味ではようやくスタートラインみたいなものなので来年もがんばっていこうと思います.おー.

最後に,今年,お世話になった皆様,ありがとうございました.そして,良いお年を!