2015年3月11日水曜日

死ぬかと思った日

結局,この日が近付くと思い出す.

放尿中に猛烈な揺れに襲われたこととか,被災生活時に追いつめられて精神をすり減らしたこととか(主に対人関係で.あーいうときって本性出るよね),ニヒリストや皮肉屋を気取っていた自分が現実に直面して色々軟化したこととか(あのヴィトゲンシュタインが最期に「素晴らしい人生だったと伝えてくれ」といったがごとき精神的な転向だった気がする),進路の舵を大きく切り替えたこととか,諸々,思い出す.

なんか,起こった瞬間のこととか,自分たちも校舎から避難しながらワンセグテレビで見た,ごく近所の,見覚えも行った覚えもある場所が津波に飲まれている映像とか,無数にある地割れや倒壊した建物や崩れた壁なんかを見ながら地震とか地質とかの話をしながら徒歩で帰ったこととか(八木山橋が不通だったから川内に降りて,土砂崩れで完全に道が閉鎖されていた御霊屋で追い返されて,結局,4 号線から愛宕大橋を経由して,向山の坂を登って八木山に帰った),その後の数日の仙台での難民生活から仙台脱出行とかも強烈だったけれど,札幌での逃亡生活〜仙台帰還後,日常が取り戻されるまでの数ヶ月の(それまでの人生に対して)あまりに非日常だった日々も印象深い.もちろん,D 論執筆期と被っていたというのも大きいのだけれど.

経験をしてしまった以上,それまでと変わってしまうのは当然として,あーいう日々がなかったら自分(とかあのとき周辺にいた人間)はどうなっていただろうかとか考えると,色々感慨深い.もしかしたら……(以下は,省略されました)