某所で,「漫画に詳しいという若者が大友の漫画の何がすごいか理解していなかった.嘆かわしい(意訳)」というつぶやきを見た.僕は,大友直撃世代でもなければ,彼の漫画の信奉者でもないので,ピンとこない感覚だ(もちろん,漫画の絵を大きく変えたという事実は尊敬するとして.あと「童夢」は好き).はっきり言ってしまうと,大友克洋の評価は,評論家の生み出した「大友以前・大友以後」なんていうスローガンが一人歩きをしている結果に過ぎないと思っている.大友に対する過大な評価は,現代アートなんかで,アーティストが評論家とタッグを組むことで生まれた商売のための過大評価・過大広告なんかと似た空気を感じる.これ,大友のメインフィールドが SF で,SF 好きがコテコテの評論芸の使い手だという背景と多分にリンクしている話なんだけれど,本題から外れるので,その辺は割愛.
なにが言いたいかというと,読者は,サブカル史とか漫画史の研究者なんかじゃないんだから,歴史的な背景なんて関係なくて,「読んだ時点」が「評価の対象」になるのだということ.冒頭のつぶやきのように,読者に歴史の理解を要求するなんて,そんな傲慢な話はない.大友のすごさが分からない若者なんかよりも,こんなつぶやきをしてしまう老害が発生していることに,漫画ファン層も随分と権威主義的になったんだと,残念な気分になるのでした.