2014年4月12日土曜日

珍しくもない特異性

語るに落ちたとか言って,もうこの話には触れないとか言って,どっとはらいとか言って,どんぴこからりんすっからりんとか言って(言ってない),でも,しつこく,最後にこの辺にだけは触れておこうかな,と,某小保方女史その人と,その人に対してなされた人物評に対して,思うことをメモ書きしようかと思う.こんなにこの件に関して拘ってしまうのは,俺が彼女に惚れてるからなんじゃないかと勘違いしてしまいそうだけど,そんなことはないです(笑).

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そういえば,余談だけど,STAP 細胞の論文の第一報が入ったときに,上司と昼飯を食いながら,一頻り STAP 細胞の研究の話題で盛り上がったあとに,「あの子,ちょっとタイプなんだよ」という上司に「えー.趣味悪いっすねw」という返事をしたことを思い出したり…….

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一般,というか,ワイドショー的な感想の多くは(少なくとも僕にとっては)見るに耐えないものなので,ほとんどサーチしていないのですが,僕の周りの,大なり小なりサイエンスに関わっている人の反応は総じて,彼女に関して「なんなんだ?この特異な存在は!?(特異にはご自由に別な単語を当てはめて下さい.厚顔無恥でも,政治家的でも,劇場型でも)」という反応に終始しているように思います(当然,彼女に対するコメントを全て拾ったわけでもないですし,彼女自身について何かを知っているわけでもありません.むしろ,彼女を「特異な存在だから仕方がない」と黙殺してしまいそうな現在の風潮に対して感じる違和の表明でもあります).

僕も,確かに,論文発表から今日に至るまでの行動から透けて見える彼女という存在は,過去に,こういう規模のメディアまで巻き込むような「騒動」を引き起こした例はない,という意味では,特異な存在だと思います.しかし,それをもって,彼女が「他に存在し得ないような唯一無二の特異性の巨人」であるとは,ちっとも思えません.少なくとも,僕の乏しい人生経験で出会った人間の中に(そして,それはときに僕自身の中にも)プチ小保方的なものを見たことはあるし,世の中に永劫出ることはないであろう,小保方女史よりも「巨人」とか「神様」とかいう名前を冠するにふさわしいような奇特な人物に出会ったことがあります.もし,そういう経験を持たない方が多いのだとしたら,僕は,なんて不幸な人生を送ってきたんだろうと嘆くところですが,通常,こういう特異性を孕む人物は,その特異性故に社会に黙殺され,スターダムにのし上がれないのであって,仮に,不運にも出会ってしまったところで,僕みたいに,自分がそういう人物に受けた被害を毎日数えては恨みを募らせるような陰湿な人間以外にとっては,あっけらかんと忘れてしまうような出来事であるだけなんじゃないかと思っています.

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ちょっと例え話というか思い出話風のフィクションを語りましょう.

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人より,「栄誉欲」の強い人は居ます.そういう人が研究に携わることも,当然あるでしょう.僕のであった人の中にも,そういう人は居ました.自分が面白いと感じたからとか,自分が解き明かしたいものがあるから研究をしている,という(たぶん)普通の感覚ではなく,「これを解き明かしたら自分がスーパーな人材になれる」という感情を研究の動機に置くような人物です.「〜ような人物です」なんて,他人事のように書きましたが,たぶん,これは,自分にも少なからずある感情だとは思います.ちょっとでも名前の通った雑誌に論文を載せたい,尊敬する研究者から激賞されたい,常識を覆すような発見をしたい……流石に,これらの感情を持ったことのない人なんてほとんど居ないのではないでしょうか?それが,研究に影響を与えたらお仕舞いですが,動機の隅っこに転がっている分には,エンジンとして働くこともあります.

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「研究者という自分」に際限ない自己愛を表明するような人物と少し関わったことがあります.彼は常に,「研究者を名乗っている自分」に酔っていて,「研究をしているというファッション」を日常的に纏っている,という風に,僕の目には映りました.手を動かしたり実験に打ち込んだりする姿よりも口を動かしたり,本を抱えたまま眠りこけていたり(そもそも「起きている」ことが苦手なのか,午前中に姿を見たことがほとんどなかったような……/笑),果ては,研究者にとって心臓のような「研究テーマ」がみつからない,自分の研究(存在)は社会から疎外されているなんて嘯いて悦に入っていました(本当に彼が空っぽだったのか,「社会的な要請と自己の欲求の矛盾」を演出することで自分を大きく見せようとしていたのかは,未だに僕には分かりません).浅く薄い付き合い故,彼が彼自身をどう評価していたのかを僕は聞くことはありませんでしたが,(僕を含めて)周囲は彼を冷めた目で眺めていたことを良く覚えています(眺めているどころか,裏でネタにしていたくらいです).

彼の消息を,僕は知りません.一体,どこでなにをしているんだろう?彼がもし,新聞で大きく取り上げられるような発表(捏造とかでなくとも)を成し遂げていたら,どうなっていたんだろう?そんなことを,「キラキラ輝いている研究者としての私」とか,「研究から遠ざけられている,研究を否定されている可哀想な私」とか,なにかがある度にボロボロの演出と演技をする小保方氏を見ていて思いました(彼女を「役者だ」なんていう人も見かけましたが,大根もいいところだと思いますよ.そういう冗談だ,ということは置いておいてw).

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もっと,常人でも陥りやすいのは,研究に潜む罠というか闇というか,とにかく,悪魔の誘惑にも似た落とし穴です.この辺りは,僕が言うまでもなく,多くの人が指摘するところでもあります(例えば,前の記事でも紹介した栃内先生の記事の後半余談部).これに「栄誉欲」なんかが絡んで来てしまうと,もう…….

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ヒスを起こして論理が破綻する人間,自分のキャラクター(容姿でも性格でも)に乗じてトラブルをうやむやにしてしまう人間,言い訳のうまい人間,追いつめられてとんでもない行動を起こす人間,自分を守るためにならなりふり構わない人間,無茶な言い訳だと自分でも気付けない人間……こういう人は,どこにでも居るものです(もしかしたら自分の中にも?).

そうそう,無茶な言い訳といえば,厳しいことで有名だった元所属研究室のゼミ発表の当日,準備ができなかった言い訳に「さっきトイレに入ったときにプレゼンデータのは入っていた USB を便器に落として流した」なんていっていたやつも居たっけな,なんてことを思い出してしまいました.

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渦中の人物は,結局,珍しくもない特異な人物であったとしか僕には思えません.いや,尖りきった真摯さ清廉さを(少なくとも研究環境に置いては)発揮する研究者という人間集団の中では,あまりに「普通」なありふれた人間だったのではないかとも思うのです(だからダメなんですけれど).

疑問として残るのは,そんな普通な人が,いかにしてあそこまで昇り詰められたのか,という点ですが,そこは,先述の研究に潜む魔が,本人だけではなく周囲を巻き込んでいってしまった結果(とその末の大破局)なのではないかな,と想像します.

書いてしまったものの,なんとも身もふたもなく,なんとも空しく意味のない空疎な文章になってしまった.まぁ,原因は,このことが切っ掛けで思い出した,僕の出会ったトンデモ人物伝に筆が奔ってしまったせいでもあるのですが…….反省.