そんなわけで,10 年目の今日,ちょっとだけ思い出話でも語ろうかな,と思います.
--
基本的に親の方針で「私大は受けてもいいけれど,(仮に受かっていても)国立以外に金を出す気はない!」といわれていたので,私大は,担任に説得されて受けたものの,基本的には,国立大一本志望でした(「担任に説得されて」というのは「県下随一の進学校」だったので,といえば大体わかっていただけるかと.まぁ,合格者の水増しのためですね.ちなみに親の言う「国立以外だったら金は出さない」という宣言は,普通の家庭であるような親からの叱咤的なものではなく,マジだったと思います.家庭は裕福でしたが,そういうところには厳しい親なので……未だにw).
志望校を決めたのがいつだったのか正確には覚えていませんが,大体,高校 2 年の後半には「北海道大学」という文字が頭の片隅にあったと思います.志望校に北大を選んだ理由は,漠然としたものから明確なものまで色々ありますが,「当時の自分の学力で,過剰な努力をすることなく受かるレベルの上限に近かったこと」,「自分のルーツでもある『北海道』という土地に憧れがあったこと」の 2 つが大きな理由だったと思います.特に重要なのは前者ですねw
--
受験に向けて具体的に起こした特別な行動は,センター対策として先輩から高評価だった Z 会のセンター特化型の通信教育をはじめたことと(この教材の威力は凄まじくて,僕はセンター対策は本当にこれしかやってません.まぁ,結果,本番で転ぶんですがねw),優遇会員で学費が安かった代ゼミの講座(フルで取ったのは英語,数学,化学 [亀田w] です)をいくつか取ったことくらいで,基本的には,自学自習でした.あと,進学校だったため,3 年時の授業のほとんどが受験対策を意識した単位制であったので,その制度をフルに利用していたと思います(特に,未だに恩師として尊敬する化学の盛口先生には,本当にお世話になりました).
自分で思い返してみても,当時の自分の要領の良さには呆れますw 学校とか教師とかに敬意を払うタイプでは全くなかったけれど,「自分にはない知識と経験を有する人」として「最大限利用しよう!」と心に決めて,ちまちまと質問に行ったり,演習に志望校である北大の受験対策を盛り込んでもらえるように頼んだりしていました.特に,盛口先生には,課外に特別に北大の過去問題演習をしてもらったり,本当にお世話になりました.
こんな勉強スタイルで,だいたい,夏を終えたあたりで手応えというか,基礎力がついてきた実感を得はじめました.応用要素の少ない問題だったら確実に解けるようになってきたのがこの頃だったかと思います.ついでに,受験勉強という限られた戦場においてのみ威力を発揮する「問題のパターン認識と解法のチャート化」という技術にうすらぼんやり気付いたのもこの頃だったと思います.その辺りから,かなり勉強自体が楽になったのを覚えています.
当時の僕の勉強スタイルは,「得意教科を先鋭化させて,苦手教科で基礎問題を落とさない」に特化していました.なので,基本的に発想が乏しくて応用問題が苦手だった数学は基礎問題を中心に演習して,応用問題は捨てる覚悟をかなり早い段階で固めていましたw 逆に,好きな上に得意だった理科に関しては資料集を丸暗記するくらい時間を割いていたように思います.英語は,元々,成績がよくも悪くもなかったので,ごくごく普通の勉強をしていました(高校入学の頃に「速読英単語」を母の知り合いの英語教室の先生 [東大卒という説得力w] から勧められ,実践していたので,受験勉強でも,こればっかりやっていた記憶があります).
--
当時,僕には付き合っている彼女がいて,いわば「恋愛にうつつを抜かす受験生」状態でした.クソ野郎です.
因みに,僕が志望校を譲らなかったんだか,彼女が僕に合わせたんだか,今となっては,記憶も曖昧ですが,夏頃には一緒に北大を目指すつもりで勉強をしていた気がします.
そんなわけで,この頃には,彼女と 2 人きりの教室で受験勉強をしたりとか,学校帰りにデートと称して遊び回ったりとか,甘酸っぱい思い出も色々あるのですが,まぁ,敢えて詳細は書きません.個人的にも,青春時代の,なんだかキラキラした大切な思い出なので,見せびらかす気もありませんし……w
--
そんなこんなで受験を迎えます.
当時の国立向けのセンター試験の選択方式は,国語(I, II),数学 IA,数学 IIB,英語,理科(僕は生物,化学を受けて生物の得点が高かったのでこっちを利用),社会(世界史)の 6 科目受験が標準でした.これに加えて,北大(当時は学部ごとに系 [ほぼ学科に対応] を二個まで選択可というスタイル)の二次試験が数学,英語,理科(僕は化学・生物)という構成でした.
センター試験当日のことは,本当にほとんど記憶がありません.ただし,自己採点の結果は壊滅的でしたw
記憶が曖昧ですが,センター試験は,自己採点で 8 割をちょっと切る 630 点くらいだったかと思います(汗).確か,北大理学部で D 判定だったんじゃなかったかなw 判定用紙に「志望校の再考を勧める」とか書かれていた気がしますw
僕自身,センターで 8 割を切るなんて思いもしていなかったので(模試では 9 割前後が普通だった.まぁ,今思えば受験生向けの模試が入試前の受験生に「現実」を突き付けるわけがないわけで,その甘い評価に踊らされていたんだとは思います),かなり凹んだ記憶があります.実際,もし,北大が二次重視の配点でなかったら志望校を変えていたと思います.
そんなわけで,センター試験から北大の二次試験までの一ヶ月強は,かなり勉強に集中していた気がします.
--
二次試験の際は,試験のために前日から札幌入りしました.この頃には,センター試験の失敗のことは吹っ切れていて,ある程度,余裕がありました.具体的には,はじめて一人で泊まったビジネスホテルだったので,有料エロチャンネルをワクテカしながら,かなり遅くまで見続けるくらいは余裕がありましたw
試験当日のことは,あんまり記憶にありません.試験が終わって,完全に脱力した状態で,同じ大学を受けた知り合いとひとことふたこと言葉を交わして,同じ大学を受けた恋人とちょろっと話したあと,もう一泊する予定だったホテルに帰って,意識を失いました.
--
試験から数日(3/1)で高校の卒業式があったことを除くと,合格発表の日まで,なぜかこれまでの受験期間の中でいちばんと言っていいくらい勉強をした記憶がありますw たぶん,実際の試験を終えて,心の奥底に不安が根付いていたのでしょう…….
合格発表は,「第一志望だけは自分の目で確かめろ!」という予備校の先生の勧めで札幌まで見に行きました.昼前の飛行機で札幌に飛んだので,番号表の前についたのは午後 2 時過ぎ頃で,すでに合格発表の盛り上がりなどはなく,あたりが閑散としていたのを覚えています.
巨大な掲示板に無機質に並んでいる番号群から,自分の番号を見つけたときは嬉しいとか,そういう感情が浮かぶというより,全身の力が抜ける感覚の方が大きかった気がします.思わずふらついてしまい,しばらく地面にしゃがみ込んでいたので,周囲の北大生からは「落ちたのか?」とか思われていたんじゃないかと思いますw
だいぶ落ち着いてから,震える手で携帯を取り出してはじめに連絡したのが,当時付き合っていて,一緒に北大を受けていた恋人でした(詳細は省きますが,まぁ,現実は「けいおん!」ほど甘くないのですw).
そのあと,親に連絡をすると受話器から「おめでとう!」の声.つまり,電信の結果通知を息子の報告より前に開けていたわけですね……orz 未だに,家族のこういうデリカシーのないところは嫌いですがw,その瞬間に,ようやく合格の実感が出てきたような気がします.
--
……以上が,僕の受験生時代の思い出です.
今振り返ってみて,運がよかったと思うのは,北大の数学の問題が,応用問題より基本問題を重視していたことと,英語が割と素直な問題ばかりだったことだったと思います(多分,そうでなければセンターで大ゴケしていたので受かっていなかったと思います).
--
……後日談を 3 つほど.
受験がすべて終わって,新居も定め,入学手続きも終わった 3 月半ば,僕は,受験のストレスから解放されたためか,ある日,朝食を採ったあと洗面所で意識を失いぶっ倒れましたw 自分自身では,そこまで意識していなかったのですが,それなりにストレスを溜め込んでいたのだと思います.
病院に行って,点滴を打たれながら,医者に「この時期になるとこういう患者が多いんだよね.まぁ,第一志望校に受かった子がくることは少ないけどw」と笑われたのを覚えています……orz
--
目出たく(皮肉)遠距離恋愛に移行した僕と彼女(当時)は,結局,別れたのでした.正確にどのくらい遠距離恋愛が続いたのかは,記憶の彼方に消えてしまっていて,覚えていませんが,1 年くらい続いて終わったあと, 1 年くらいは未練がましく失恋を引きずって落ち込んでいた記憶がありますw
--