飛行機のマイルが溜まってタダ券が往復分あったのとか,嫁が東京に出向中とか色々の事情があるものの,基本的には,定期的に訪れる現実逃避欲の発露です.
で,見てきました.顔真卿展@国立博物館.
内容としては,顔真卿がメインだけれど,顔真卿に至る書道史の部分が割とボリュームがあって面白かった.ただし,解説は酷すぎて,少し引いた.書道史家の監修いれなかったのかな?
メインの「祭姪文稿」については,本当に日本に来たという事実がマジでやばい.まぁ,アレ自体が「名物」としての価値とレアリティー的な意味を超えたところでどうなの?という部分は置いておいて,まぁ,本物を見られる機会はそうそうないものですので.
(顔真卿と言ったら楷書(特に晩年)で,行書は普通に正統派で美しいけれど,悪く言えばつまらない書だったりする.で,「祭姪文稿」は,顔真卿の書の中でも割と正統派にただ美しいだけの行書の典型的な書なのである.美しいけれど)
展覧会全体としては,すげー中国人の数(しかも書道ガチ勢)が多くてびっくりしたんだけれど,冷静に考えたら,空っぽになった方の故宮にしか行けない人たちが,歴代皇帝が愛した(というお触れ付きの)「祭姪文稿」の本物を「台湾に行くという危険」を犯さずに見られる機会なんて,なかなかないのだろうな,と.
あと,これとは別に,都美術館でやってた奇想の系譜展もみた(こっちは嫁の希望).
--
以下,個人的な,顔真卿の思い出.
長く書道はやっていたけれど,中学〜高校時代,いわゆる手習いの段階を卒業して,書道の本格的な古典臨書をやるようになったころに,実は,猛烈に顔真卿の楷書に憧れた時期がありました.顔法は,筆がうねるので書いてるのも楽しいし,出来上がる字形も,まぁ,格好良くて,一時期,顔真卿ばっかり臨書していました.顔氏家廟碑とか,顔勤礼碑あたりのいかにもなものから,多宝塔碑あたりのまだ素直なころの書まで結構はまり込んで書いていたものでした.
自分で言うのもなんですが,書道には相当な自信があったので,かなりうまく書けていたと思います.正確に言うと,今でも,当時の臨書のレベルは高かったと思っています.ただ,自分でも「なんかたりない感」というか,無理して書いていて自分に合っていないという感覚があったのは事実です.
んで,高校で芸術教科としての書道の授業がはじまったときに,同級生の,どちらかといえば華奢な女の子が,自分よりも豪快に,かつ,自然に顔真卿の臨書をしているのをみて,「あっ(察し)」と思いました.技術がそれなりにあれば,臨書で字形を真似ることはできるのだけれど,なんというか表現しづらい感覚的世界の話になるのだけれど,天性のものとして,合う合わない(※)という概念は確実に存在していて,自分には「合わなくて」,彼女には「合っている」のだな,と.
※運筆に使う腕のしなり,可動域,筋力とか,筆をもつ手首の固め方(自然に無意識で書いているときの手首の柔らかさ),筆のうねらせ方(またはうねらせな方)……,身についた個人のもつ身体的な応答としての「センス」みたいなもの.
察してしまったときは,「自分は顔真卿をいくら臨書してもあの子には勝てないんだなぁ」とショックだったものの,実は,その頃にはすでに,そもそも自分には楷書よりも行草が「合う」こと(特に繊細な草書),中国書道史界の文字のイデアである王羲之の文字が,何故か自分にはあまりに自然に臨書できることなどに気付いてはいたので,その時期から,行草の能筆家の臨書を好むようになりました.
ちなみに,その女の子はその後も豪快な字を書いていることが多く,私は繊細な行草を書いていることが多かったので,(名ばかりで実態のない)書道部で並んで書いているときに書道科の先生から,「作品と書き手のイメージが真逆すぎて,並んで書いていると笑える」とかよく言われたものでした.
そんな,青春時代の思い出.
(このエピソード自体には思春期的な甘酸っぱい話は関係ないけれど)
--
大学入学以降は,日常的に文字を書く日々とは離れてしまったけれども,なんとなく,こういう展覧会なんかに行くと,久し振りに,本格的に書道を趣味として再開したい気分になってくるものです.