2013年10月27日日曜日

まどかマギカ

映画を見てきました(昨日).

……しかし,視聴時に絶望的な勘違いをしてしまっていたせいで,本来受けるべき印象を殺してしまったような気がしてなりません(何故だか,二本立ての「前編」だと思い込んで見てしまっていました.ラストも続きを予感させるような形だったので,視聴後もその思い込みは消えなかったのです.パンフレットを読んではじめて気付いたというオチ).

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映画は,とても面白かったです.ラストには賛否両論あるらしいですが,僕は大好きでした.まぁ,結局,「本編」から続く「すれ違い」は,永遠のものになったのだなぁ,という感慨はありましたが,ガチレズの想いはノンケには永久に届かないっていう百合ものは大好物なので,あのラストでこそできた満足ですw (いや,あのラストがそういうラストだと思っているわけではありませんがw)

このアニメって,結局,「すれ違い続ける二人」を描ききることがテーマだったのかなぁ,と思います.みんな,二次創作とか身勝手な考察とかで勘違いしがちだけど,「本編」のラストって,まどかの(言ってしまえば)身勝手な「アガペー」で(まぁ,神なんて身勝手なものですしおすし),まどかが全てとの縁を切る選択をしたってことになるわけで,実は「ほむらと分かりあえた」って描写はないわけです.ほむらが自分でも数えきれなくなるくらい,一人の普通の少女をまど神(まぁ,分かりやすいので敢えてこの表現を使います)に昇華させるくらい,世界を渡り歩いてきたという事実を目にしたまどかの放つ「ほむらちゃんは最高の友達」という言葉の残酷さが,(映画を見終わったからこそ)引き立つというものです.(「本編」視聴時も)明らかに,一人の少女を助けるために無限ループに身を落とした「感情(それを愛という単純な言葉に入れ籠んでもいいんだけど)」と「最高の友達」との間の埋め難い距離感があったことは明らかで,まど神様は「ほむらちゃんならきっと覚えているよ」なんて,自分の存在や記憶の継承まで「人任せ」なわけです.これって,(ほむらにとっては)非情な言葉だと思います.少なくとも,結局,「まどかを助ける(=非日常に招かない)」願いを果たせないまま自らのうちに芽生えていたであろう無数の感情を無理矢理に押し込めて納得(結果的に,していなかったわけだけどw)させたほむらには残酷極まりないものです.こんなまどかにちょっと似ているのが,マンガ版ナウシカの身勝手(確信犯)で「墓所」を破壊するシーンw

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映画の内容については,多くの人は,ほとんど想定外という展開はなかったと思います(世界の終末を語る早乙女先生とか,「本編」同様,無茶ぶられる中沢くんとか,「ケーキはさやか?」「ちーがーう♪」とか,さやかちゃんの変身シーンのブレイクダンスとか,ひとみの生首とか,さやかがナチュラルに魔女姿に可変とか,\\\\わけがわからないよ//// [大合唱] とか,のシーンの数々は想定外過ぎて劇場で噴きましたがwww).この作品は,話題になり過ぎて,無数の考察や二次創作が溢れた結果,ラスト間近の笑劇のシーンですら,「変態ほむらさんが,円環の理の瞬間を待って,まどかを現実世界に引き戻してペロペロ」みたいな二次創作をいくつか見た記憶がある程ですw そもそも,「本編」で唯一の「魔女がいた世界」の人間であり,まどかが神になれるだけの量の「業」を同じだけ溜め込んだ存在としてのほむらをどう昇華させるのか,という解決策はそう多くのアイディアがあるとは思えません.悪魔を自称しはじめたのは流石に笑いましたがw

あと,いい意味で二次創作(公式,非公式)で一人歩きしたイメージを上手く取り込んだファンムービーにもなっていたことには,素直に感心しました.例えば,いちばん目立つ部分で,マミさんとべべ(シャルちゃん)のカップリングとか,さやかがまど神のお手伝いとか,細かいネタは無数に散りばめられていたと思いますが,(どこまで意図していたかは置いておいて)ファンにサービスを,という部分は,凄く熱く伝わってきました.そもそも,あの五人が仲良く敵と戦っているっていう,多くのファンがいちばん見たかったであろう姿をほむらの妄想として(←ここ重要)描いたっていうのは,ほむらの想いを描く方法としてもファンサービスとしても煌めいていたと思います.

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(明らかなアガペーの体現者であるまどかに対して)悪魔ほむらちゃがエロースだと思うのは,まどかの精神の一部,それも肉体を持っていたときの部分だけを手に入れて満足していることからも明らかだと思います.ようは,彼女はまどかの精神性(の大部分)はいらないわけで,アレを友愛の延長というのは無理があると思うのです(自分の世界の中に作った「まどか」に自分の思い込み [本当は神様になんてなりとうなかった!] を語らせているあたりのヤミ具合とか).そもそも,イヤカフが素敵な艶姿も嫌が応にも「情欲」を意識させるものですし,なにより全てが(声も!)エロかったからです!

そんな風にまどかの肉を手に入れた悪魔ほむらちゃが,最後に身を投げた(ように見える)のは,すべての感情を描かないことでラストに素晴らしい余韻を残していたと思います.あれは,「自分に怯えるまどかをみて根本的な『すれ違い』に気付いてしまった」と解釈しようが,「結局,まどかを手に入れられなかった悔い」と解釈しようが,「自分の間違いに気付いた」と解釈しようが,「全てが叶った幸福のうちに死を選んだ」と解釈しようが,美しく解釈されればそれでいいのだろうと思います.個人的には,「私はまどかをこんなに愛していたのに,まどかの愛は私の愛と違ったのね.でも,私が死んで永久に私の作った世界でまどかは永遠に私のいない私の中で一人,生きていくの.ウフフ」と勝手に解釈します.ノンケに受け入れられなくて絶望するレズおいしいです(^p^)

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インキュベーターさんが,科学者の鑑過ぎて,マジで尊敬しそうになりました.ほむらの戯言から「円環の理」を理解できるかもしれないという発想力,そのためにソウルジェムを物理干渉から隔離して,円環の理を観測しようとする実験アイディアとその実行,観測ができれば干渉ができるかもしれない,干渉ができれば制御できるかもしれないという揺るぎない信念と,宇宙の維持という己の目的に純粋な精神,感情の力を目撃した瞬間に「これを扱うのは危険すぎる」と即座に判断できる才覚,自分の理解できない現象に関して「わけがわからないよ」と認められる率直さ,それでも,なんでもボロボロになりながらも最後の瞬間まで観測を続ける根性……素敵すぎます.ベェさん,マジパネェっす.

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とにかく,面白い映画でした.