2013年7月6日土曜日

受動的,能動的

社会に出て最も変わったことは一日の 1/3 程度の時間が拘束されることだと思う,そんな今日この頃です.当然のこととはいえ,平日の日中という社会が動いている時間に,自由に個人的な用事を済ませることができないというのが,若干のストレスでもあります(役所に行くとか,買い物に行くとか……).そういう点では,大学という場所,学生・ポスドクという身分がいかに自由だったのかがよくわかります(雇われポスドクな時期は,当然,就業義務あったけどね).

そんな中で気付いたことは,自由な時間の減少に比例して,能動的に情報を収集することができなくなるということです.たとえば,論文を探すのでも,以前は,優雅にコーヒーでも飲みながら論文誌の新着リストを眺めて面白そうなタイトルを見つけたらアブストを流し読む,とか,google scholar でキーワードを検索して,上位の論文のアブストを流し読みするとか,そういった時間が取れたのですが,時間が限られるともう少し効率的にならないものかと思ってくるものです(Google Scholar アラートみたいな).それでも,論文検索なんかは,業務時間に可能なので,時間制限なんてあってないようなものなのですが,世間一般のニュースやら社会情勢やらアニメ情報やら便所の落書きの中の流行やらといった事象には,とんと疎くなっている気がします.

学生〜ポスドクの時代には,仕事の息抜きにテキトーな新聞系ニュースサイトを巡ったり,情報系ブログやまとめサイト(流石に 2 ちゃんに張り付く時間などありませんでした)を眺めたりしていて,こーむいん試験を特に対策することなく通過できる程度には社会常識,時事認識を持っていたのですが,就職後はその自信も少し揺らいできているように思います.

そんな風に考えているときに,出張等でテレビを垂れ流しながら仕事(調査結果のまとめとか)をしていたり,出張先に向かう長い道程でカーラジオを聞いたりしていると,マスメディアのニュース報道というものが非常にコンパクトにまとまっている良いパッケージだということがよくわかります.なにより,受動的な立場に居ながら,かなりバランスよく多くの分野の最新情報が,多くの場合,識者のコメント付きで入手できるというのが素晴らしいのです.

ちょっとした事情でテレビを手放して以来(※注),調査にでているとき以外は,ほとんどテレビを見ない生活をしてきましたが(手放す以前にも,既に生活音発生装置としてしか使っていなかったと思う反面,それでも受動的な情報に塗れていられたんだな,ということがいまなら分かります),そろそろ,家にテレビを導入すべきなんじゃないかと思うわけです.しかも,(金銭的な問題でテレビを買い直せなかった)学生時代ならいざ知らず,いまなら定期収入があって,テレビなんて簡単に購入できる立場です.

……というわけで,ボーナスも出たことだし,週末にテレビでも買おうかなと算段している次第.

--

※注:「テレビをみるという意味が分からない」とか,「マスメディアは死ね」とか,「テレビを見ない俺かっこいい」とかいう中二病的かつ 2 ちゃん脳的なアホな理由ではないです.

人とルームシェアするときに二台もテレビがいらないので自分のテレビを捨てる→引越し&ルームシェア解消を機にテレビを失う→地デジ化前のテレビの値段高騰で買う気が失せる→ようやくテレビも安くなり,自分の経済状態も良くなったのでテレビを買う気になる(←いまここ).